将棋軒

沼津平成

第1話

 先手は、森下わかめ。二十九歳の小説家。意外に強いという噂がある。後手は、田中校作、二十五歳の教師だ。元奨励会メンバー。最高二段だ。ここは将棋賭博のあるホストクラブ。ポーカーと同じように将棋を扱う男たちのお話だ。


 一日ごとにトーナメント表がかわる。森下・田中戦はウン千百二十四日目の1回戦四局だ。


 最初彼らは自分のお金から7万円持っている。ホストに2万円渡す。賭ける金額は3万円から、だ。お金が無くなったら退場。


 トーナメント勝者以外にお金が+の状態で負けた人は、その賞金を獲得して退場。トーナメント勝者は残りのお金に5万円を足したものを持ち帰る。これを警察の許可なしでやっている。ただ1人のホストは、坪根明人つぼねはると

 

 新宿の路地裏の小さな三階だてのビル、その屋上のさらに奥、小さなシェルターがある。エレベーターで降りると地下にゆく。その地下に経っているクラブだ。


 天井には初代優勝者の名前、優勝最多ランキングがある。どんな時でも見てもいい。78回優勝の螺良幸作つびらこうさくがもうそろそろ2位の広島ひよこに負けそうだ。


――初手、3四歩。


 田中の目が泳いだ。田中の得意戦法は居飛車だからだ。


――2四歩。


 一手やっている間に、常連さんは瓶を半分にする。日本酒やビールが常連の流行だ。


 森下・田中の左にも黄色い将棋盤が置いてある。山西良夫やまにしよしおプロ六段が螺良幸作と戦っている。勝負は拮抗していた。


――八十四手目、田中、3二角成。七十五手目、山西良夫、2八歩。


 田中の額に汗が浮かぶ。対照的に森下は落ち着いていた。


             *


 螺良幸作、六十六歳。このホストクラブには四十二から通い始めている。将棋賭博が始まったのは確か自分が五十のころだと記憶している。

 

 彼の友人に梶野心一かじのしんいちという奴がいた。梶野はこの賭博におぼれ、人生を台無しにし、自分が五十七のころ、すでに富士山の樹海を歩いていた。


「彼のためにも、自分は勝たないといけない」


 螺良はそう思っていた。額に汗がにじむ。落ち着け――落ち着くんだ!――そう思うほど落ち着かなくなる。


 足がバタつく。螺良が危ない。

 

 八十一手目、先手は螺良の玉に迫ってきていた。いい案が浮かばず、気づいたとき、残り時間は二十八秒だった。


 27――26。


 秒読みなしで5万ほど賭けているのに、これはまずい。


 隣の将棋盤から聞こえる駒音がうるさい。白熱しているのだ。


 その音に聞きほれていると、残り時間が0秒になるのも忘れられる――。


             *


 螺良さんが退場した――!?


 森下の頭は混乱していた。森下は震えで二歩をつく。田中のガッツポーズ!

 

 森下は田中に三万円を明け渡し、残りの1万円をもって退場した。

 

 4万円の損だ。お酒を多く飲んでいるから、それ代だと思うことにしよう。


 地上のエレベーターに上がり、自動ドアをくぐる。


――森下は外の空気に触れた。


 優勝者は、田中校作、賞金二十六万円。

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