from my future self

あおいそこの

オープニング

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普通の世界、というかこの世界しか知らないからここを普通と呼ぶしかない地球に僕は生きている。昔に行くことができるらしい。ただそこでできるのは昔の自分、もしくは望む誰かの後ろ姿を見ることだけ。それに声をかけてもいいし、それがどんなに大きな声でも大丈夫。しかしその子の視界に無理やり入ることはできない。戻る、と言うまでは昔のその人は振り向かないから。

それでも、と言う人が今日もやってくる。

僕は昔に戻りたいとは思わない。そもそも忘れちゃっていることの方が多くて。

でもそれは薄情、とかそういうことじゃないって思うようにしている。今の方が、昔と比べて過ごしやすかったり、いいことの方が多いから思い出せないだけ。嫌なことばかり覚えているのはそういう理由だと思っている。

僕はそこでバイトをしている普通の大学生。時給がいい割に、仕事も簡単だし続けている。もう少しで二年になるところ。大学入学と同時に入ったので僕はもう少しで酒が飲めるということになる。

どうやらバイトは僕だけじゃないらしい。名札のところには僕だけじゃないネームプレートがいくつかかけられている。でもその人本人に出くわすことは滅多にない。引き継ぎっていうのは文化として存在しないらしいし、出勤した時に、退勤する誰かをすれ違うことも。退勤間際に、次の時間帯の誰かが来ることもない。

少しだけ不思議なバイトだ。

薄い明かりしか灯っておらず、バーカウンターの背面には所狭しと並べられたお酒たち。いつかくすねて飲んでみようかしら。多分怒られないと思うし、そもそもバレないような気がする。

バーなのか?と思えば奥まったところには大量に本がある。背もたれが馬鹿みたいに高い王族とか、昔気質のおじいちゃんとかが座っていそうな椅子は座る用ではない。本を置くためにある。

じゃあ図書館?というかブックカフェ的ななにか?と思ってみれば中庭があって、そこには大量に並べられた鉢がある。この店に来る人の中には買って行く人もいる。園芸グッズもある程度品揃えがある。

じゃあ園芸ショップ?いやいや、違うのです。世界中のどこの民族ももうおそらく観光業以外では作っていないようなトーテムポール(現物を知らないけれど僕にはそうとしか思えないので名付けた)が置いてあったり。

要するにこの店は散らかっている。片付けると店主が怒るので触れないように。でも埃は払えとも言われるのでそれに従って然るべき場所を、然るべきもので叩いて行く。

変わり映えしない店の、変わってはいけないシステムを詳しく話そう。基本大体の時間が暇なので僕の業務内容であるプランの説明を完璧にするために脳内で復習しながら箒を動かすのが僕の常。今日も今日とて人がいない店内を掃きながら、頭の中で次来るお客さんの想像をしながら話してみる。


1: 過去の詳しい日取りがわからなくても戻ることができます。その時の自分や、相手の年齢。具体的な出来事を教えてください。


2: 先の寿命が削られる、などの目に見えない代償は必要ありません。


3: 同じ日に戻る際にはプランがございます。(そのプランを契約していただかないと同じ日には一度しか戻れません)


4: 料金は後払い制です。払えない場合はご相談ください。


5: コーヒーくらいだったらお出しできます。


6: アルバイトは今現在募集しておりません。またの機会に。


7: ラッキーセブン!【注意事項】自分、もしくは自分が同席している過去の記憶の中の「一人」を対象にすることが出来ます。具体的な記憶のある過去にしか戻れません。(対象以外がいる、複数人いる、不特定多数が周りにいる記憶でも戻れます。)


8: 触れること、会話することはできません。「一人」の対象の視界に無理やり入ろうとすることもできません。周りに対象以外の人間がいたとして貴方に気づくことはありません。ただ対象は気づきます。その時点でお戻りいただきます。


9: 注意事項がやけに長いですね。ハハ。


10: 過去を変えたければ別料金。


古びたマニュアルを読む。片足重心で、箒を立てかけたまま。黄ばんでよれよれになっている。端っこの方は破けているし、ラミネートすればいいのに。店主とはほとんど会話もしないから提案もやろうとしていない。だから文句は言わない。今後これを読む人ができるのかな。最初の方、僕はどうやって覚えたっけ?

今が至上ってことかな。ただこれには恩知らずと名が付くだろうな。

次に来る客は華麗な美人がいい。嘘嘘、誰でもいいよ。今頭の中で組み立てた完璧な敬語を使えるなら。


僕はずっと気になっていることがある。多言無用、って一切書かれていないのにどうして人が全くと言っていいほど来ないのだろうか。過去に戻ることができる。過去を変えることもできる。別途お金はかかるけど。

それなら変えたい過去の一つや二つ、誰でも持っているんじゃないだろうか。何かしら可愛らしくても、可愛らしくなくても罪を犯した人はいるだろうし。黒歴史は誰にだってあるだろう。僕だってある。変えたい、って思う瞬間は山のようにある。耐えられないんじゃないかって恥をかいたこともあるのに。

僕が思っている以上に人が臆病なだけなのか、今にしか関心がないのか。単純に広まっていないのか。

『過去を変えたい』とか調べたら出てくるのかな、と思ってスマホで調べたことがある。確かに広まらないのが納得なくらいこの店は出てこなかった。でもこの店の名前を検索ボックスに入れたら一応サイトは出てくるのが。顔が濃い、現地の人みたいな俳優のオフィシャルサイトくらい繋がりやすい。光くらいの速度で。

誰でも作れそうな簡単なサイトだ。多分店主が作ったんだろうけど、店主にこんな細かい芸当ができるとは思えない繊細なグラフィックだった。それでこの軽さはすごいな、と思ったけれどスクロールが一切できないくらい。少ないにも程がある情報量だった。

小さく住所が書かれているだけ。その下には電話番号も。

「これ、違うじゃん」

そりゃあかかってこないわけだよ。珍しく話しかけてきたかと思えば、電話番号を新しくしたからってボソボソ言われただけだったあの日のことを思い出した。今度店主に会ったらそれを言おう。

ホームページの情報はそれくらいだった。大したことはないけれどまぁ、最低限で、この店に関しては想像でサービスに期待されても困るし実際に話を聞いて判断してもらいたいから十分っていう印象だった。僕でも作れる、ってちょっと意地を張ったり。

あの店主にそんな精密な作業ができてほしくない!

SNSとかでも調べてみたけれど名前を入れるといくつかヒットするけれど、それについて詳しい情報を発信している人、、求めている人、興味を示している人はいなかった。みんなそんなに過去に戻りたくないの?それだけ子供のころはよかったなぁって歌を流行らせるのに?


カランコロン


ありがちな音が来店を知らせる。

さぁ貴方は誰の背中に何を言う?

「いらっしゃいませ。コーヒーくらいなら出せますよ」

5から始まる。

マニュアルを律儀に守るのは最初の二ヶ月とかでいい。アルバイトに応募しに、ってわけじゃなさそうだ。

「コーヒー飲めなくて…」

「お紅茶はいかがですか?私が店主です。こちらでお話を聞きましょう。君、紅茶を頼むよ」

いきなり出てくる神出鬼没な店主。夕暮れ時の影を思わせる淡い黒の色合いに、高い身長。夜中に見たら泣き叫ぶ。ある程度整った顔をしているし、柔らかい笑みが顔に浮かんでいるので初対面でも警戒はしない。

実際、お客さんも店主が出てくると顔を緩めた。人の心を掴む何かがあるのかもしれない。

紅茶とミルクを用意する。お湯を沸かしながら茶葉を選んだ。店主は紅茶マニアらしい。あと、お酒も好きなはず。これだけ勤めて知らないことの方が多い店主。別に知ろうなんて思わないんだよな。

そういうところが連続勤務を可能にしているのかもしれない。良くも悪くも人に興味がない。言葉を選ばずに言うとどうでもいい。選んで言うと配慮をしている。多々言われてきたが文句を好き好んで受け取るわけがない。この店はそれを許される。だから心地いい。

香り高い紅茶をプレートに乗せ、運んでいく。園芸コーナーのガラス張りのドアで囲まれている中庭の窓際近く。大きなトトロの傘の草が置いてある横のローテーブルでお話し中だった。紅茶を置くとお客さんは会釈をしてくれて、店主はすぐに手を伸ばして一口啜った。

「うーん、いい温度だ」

コーヒーでも紅茶でも、アイスでもホットでも。そうやって評価するのを忘れない。

「ありがとうございます。失礼します」

と言ってその場を立ち去った。

可憐な美人ではなかった。可憐な美人だった人だ。

去り際、声が聞こえてきた。


「いつの、誰の、どんな背中に、何を言いたいんで?」


【続く】

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あおいそこの

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