第4話 胎動


 虚空の中に意識はあった。

 視界を覆うのは一面の暗雲。随所にはノイズが走っている。

 これは夢か。そう理解した途端、数々の出来事が脳裏を矢継ぎ早に過ぎ去っていく。

 学び舎を共にする仲間たち、大切な家族、全ての人の笑顔。壁一面に咲いた血の華、死体、夕日を背景に降り立つ魔女、刹那の攻防と降りぬいた刃。

 これは記憶の定着だ。夢を見るのは記憶の整理をしているせいだと言われている。無理もない、あれほど鮮烈な光景を目の当たりにしたのだ。誰だって動揺くらいはするだろう。

 混濁とした意識の海を漂うのは好きではないが、これは生理現象だ。受け入れる他にない。

 そう、これは悠月が過去に体験した現実の再現だ。ただの一つも例外はない。

 喩えその中に、自分も知りえない錆色の返り血を浴びた記憶があったとしても。

「――ッ!?」

 既知外の衝撃によって悠月は眠りの中から跳ね起きた。

 先の映像は一体何か。時に人はありもしない空想を現実として認識してしまうことがあるという。俗に言う幻覚、妄想の類。何でもいいが、ともかく悠月にはこの情報に関してだけは身に覚えがなかった。

「なんだ今のは。あんなの、僕の記憶には……」

 一体、自分の身になにが起きたというのか。

 これではまるで〝自分が殺した〟ようではないか。

「お~い、悠月。起きてる~? 朝だぞ~!」

 妹の声が聞こえた。音に気付いた時には、玲愛は既に部屋の中に足を踏み入れていた。

「うわ、珍しく起きてる。ごめん、アタシてっきり寝てるもんだと思ってた」

「人の部屋に入る時くらいノックしなよ。何かあったら困るでしょ、お互いに」

「……別に。一人でナニやってたか知らないけど、するなら夜にしときなね」

 バタンと勢いよく扉が閉まった。

 お互い思春期真っ只中の男女である。妹の発言が何を意味するかは悠月にも容易に想像ができた。

「バカ、何考えてるんだ。そういう意味じゃないって! ちょっと玲愛、待って!!」


『さぁ、どうですか、皆さん。ご覧ください、この活気。凄いですよねぇ! 来たる十月三十一日はハロウィンの日! 月見ノ原市では今、イベントに向けて多くの催しモノが準備されている最中なんです。せっかくなので、現場の方にお話を伺ってみましょうか。こんばんは!』

『はい、こんばんは』

『凄い活気ですねぇ。しかし、何故今年はこれほどまでに大規模なイベントを?』

『それはですね、あの月が関係しているんですよ』

『月、ですか?』

『はい。今年のハロウィンは例年よりも特に貴重な日なんです。皆既月食ってご存知ですか』

『えぇ、一応は。確か地球が太陽と月の間に入ることで月が紅く見える現象、でしたよね?』

『その通りです。ですが今回は更に特殊な現象が重なるんです』

『と、いいますと?』

『実はこの日の皆既月食は満月よりも大きく見えるスーパームーン。満月が一月で二度起こるブルームーン。そして月食の際に月が赤銅色を帯びるブラッドムーン。これらが全て重なるんです。それがハロウィンの日に起こるなんて、一生に一度あるかないかの大事件なんですよ』

『へぇ~それは凄いですね。だからこうして盛り上げようとしているわけですか。納得です』

『前回の観測はおよそ百五十年前だったようですからね。貴重な体験になることでしょう。月見ノ原はご存知の通り日本で一番標高の高い街ですから、空気も澄んでいますし観測には持って来いの場所です。是非、遠方の方々にもこれを機に足を運んで戴ければと思います』

『ありがとうございました。ということですので、この番組をご覧の皆さんも、もしよろしければこれをきっかけに是非是非、月見ノ原にお越しくださいね。各種イベント、スケジュールの日程は番組の公式ホームページ。または月見ノ原ハロウィンで検索検索ぅ!!』

 いつもの放課後。喫茶シェールノワールにて。

 いま巷で密かな人気となっている若手レポーターが、テレビを通してイベントの内容を大々的に取り上げていた。

 紅い月の夜――アルメリアが注意を促していたハロウィンの日である。

 彼女は、この日に未曾有の災害が訪れると言っていた。しかし、現状を鑑みればそれらしい兆候は見られない。それどころか、街のイベント作りは何の障害もなく完成に向かっているように思える。

〝一体何が起きるっていうんだ。ハロウィンの日に……〟

 自然災害か、それとも人的災害か。いずれにせよ現状知り得る手札では、彼女が何を恐れているのか特定することは難しかった。

「……ウ。ねぇ……ユウ。ユウったら!」

「ん?」

 気付けば、天音の顔がすぐ目の前にあった。

「もう! なにをぼけーっとしてんのさ。あたしの話、ちゃんと聞いてた!?」

「え、あぁ……っ、いや……ごめん。全然聞いてなかった」

「だーかーらー! この日の予定はどうなってるのかって話。ハロウィンイベント。事件の事は気になるけど、参加しないのは絶対損だって。一生に一度あるかないかだよ」

 天音の言い分は尤もだった。

 暦にして実に百五十年ぶり。完全に月が紅く染まる皆既月食というだけでも珍しい現象なのに、それが縁あって十月三十一日に重なるのである。暗いニュースが根を張っていることは事実だが、だからといって巨額の資金を投じられたイベントが今更中止されることは有り得ない。一市民の視点からすればこの機を逃す手はないだろう。

「ハイハーイ、ワタシは雨宮パイセンに賛成! 是非ともお供したいです。やらぬ後悔より、やる後悔ですよ。だよね、お父さん」

「あぁ。お前の好きにすればいい。ただし、店が暇ならな」

「ワーイ、ヤター!」

「なんで喜ぶんだ。暇ならと言っただろう。悪いがその日はウチも一枚噛んでるぞ」

「ありり? そうだっけ?」

「この馬鹿娘が。一体なんの為に新メニューを作らせたと思ってる。当日は手伝えよ」

「うえぇえええ!? いやだぁ~! バカ、あほぉ、鬼亭主ゥ!!」

「あはは……それで皆の予定は?」

「オレは別に構わねェぞ。別にこれといってやることもないしな」

「アタシは……」

 同席していた玲愛が口ごもる。理由は言わずもがな、先約が入っているからだ。

「天音。悪いけど、僕たちはその日、家族で過ごす予定なんだ」

「なんだ。仁の奴、仕事はいいのか。警察はこの時期、何かと忙しいだろう」

「頑張るって張り切ってます。まぁ、今のところは望み薄なんですけど……」

「別に駄目でもいいですよ。あの父親はそうした約束事、守った試しがありませんから」

「うわぁ~、ラブリー毒舌ぅ……」

 ピクッと玲愛の眉根が釣り上がる。補足だが、ラブリーとは林檎が稀に使う彼女への愛称である。

「これでも親の顔は立ててるつもりなんだけどな」

 むすっとした表情で、玲愛はテーブルに頬杖をつく。

 態度が示す通り、玲愛はこの愛称をあまりお気に召していない。しかし、あだ名製造機と名高い彼女とやりあうとまた面倒なことになりそうなので黙って従っているのである。

「わかった。じゃあこうしようか。当日のメインイベントは確か二十二時から。もしもその三十分前までにお父さんが帰って来なかったらアタシはこっちに参加する。悠月はどうする?」

「……じゃあ僕はギリギリまでは待つことにするよ。時間を過ぎてから、後で皆と合流する」

 妥協の結果だった。特別な日に一家団欒とできれば良いが、生憎とそれが叶うとは限らないのが現状だ。ならば無為に時間を過ごすよりは友達といた方が思い出には残るだろう。

「決まりだね。じゃあ集まれたら二十二時前にこのお店集合ってことで。月を見るなら駅ビルの屋上が一番良いみたいなのでそこに行きましょう。これでどうですか、先輩方」

「わっかりましたぁ!」

 林檎は元気よく返事をした。天音も条件反射的に首肯を返していた。

「ハハハッ、天音ェ~! いいのか、いつの間にか後輩に仕切られてんぞぉ~?」

「むぅ~! ナオトォ~!!」

「あんだよ、事実じゃねェか!」

 店内に再び活気が戻ってくる。騒々しくも楽しい、いつもの見慣れた光景だ。

 隣に座っていた玲愛はそんな様子を横目に悠月に視線を注いだ。

「ねぇ、悠月」

「なに?」

「――コレデホントウニ、イイノカナ?」

 ゾクリ――と。悠月の背筋を冷たい悪寒が走り抜けた。

 カタコトのように聞こえた声色が恐怖を駆り立てる。

 無論、玲愛はそんな兄の異変に気づくことなどなく、小首を傾げて何か変なことでも言っただろうか、と訝しんでいた。

 きっと、あの魔女のせいだ。あの時の言葉が、知らずの内に自分の心の中に疑心暗鬼の種を植え付けたに違いない。

 冷静になれ。自分にそう言い聞かせて、悠月は乾ききった喉から何とか声を絞り出した。

「うん、別にいいよ。後で父さんにも伝えておくから、心配はされないと思う」

「くくっ、だよね。心配し過ぎか」

 だが、この直感は間違ってはいなかった。魔女はあの時、別れ際に確かに疑心の種を植え付けていたのである。

 正しくは、誤った判断を是としないように言霊の力を借りて強烈な暗示をかけていたのだ。

 しかし、幼き心にはその良心が理解できない。どれだけの大人たちが道を示そうとも、未熟な者たちが頑なに意地を張り続けるように。喩えそれが、世界の絶対的な真理だと教え伝えても、簡単には飲み込まないのが若さという魔力、尊ぶべき崇高にして度し難い愚かさなのである。

 こうして、平穏な日常は微かに残っていた夏の熱気と共に過ぎていく。

 季節は移り変わり、冬の時代へ。

 魑魅魍魎が生者を喰らい、魔が巣食う〝紅い月の夜〟が来る。

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アナザーフェイスウィザード Hallow's Nightmare 朱城有希 @Redteams_JAN

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