変わらぬ愛をあなたに

@sabure2

第1話

 七月の半ば、青々とした煌びやかな緑の下、桔梗の花束を持って私は病院に向かって歩いていた。今日、私は事故に遭って眠ったままの恋人のお見舞いに行くのだ。彼が事故に遭ったのは五年前の四月、雪が溶けて土筆が土から顔を出す、そんな季節のことだった。


 あの日、私は五年付き合った彼からプロポーズされた。彼はとても優しくて誠実な人で、私が間違えれば本気で叱ってくれる。そんな人だったから私はとても嬉しくて、悩まずにすぐ了承したのを覚えている。私の好きなカフェのオープンテラスの席で愛の言葉と共に指輪を見せられて、今まで生きてきた中で一番嬉しかった。新緑が眩しい麗らかな午後のことだった。

 あの時は、彼が何か大事な話があるのだと私も察していて、慣れないハイヒールを履いて少しおしゃれして出掛けていた。彼からプロポーズされて浮かれていた。カフェを出た後歩道を跳ねるように歩いて、そんな私を彼も愛おしげに見つめていた。…あの時、慣れないハイヒールで転けそうにならなければ。彼に寄りかかって車道側に押してしまったりしなければ。彼がいつも車道側を歩いてくれるような優しい人でなければ。そこに速度超過をしたトラックが走ってきたりしなければ、私はまだ幸せでいられただろうか。


「ふっ…ぐすっ…」


 病室の椅子に腰掛けて、私は二年ぶりに泣いた。もう涙も枯れてしまったと思っていたのに、まだこんなにもあなたを思って涙を流すことができる。

 昨日、母親から紹介された男の人からプロポーズされた。私が今も眠る恋人を想って憔悴している姿を見かねての紹介だった。悪い人ではない。むしろいい人で優しいし、趣味が合うし、一緒に笑い合うことができる。私は先程生けた桔梗を見た。桔梗の語源となった女の子は、戦に出た生死不明の夫を十年待ち続けたというが、私は五年でダメになった。そう思って、私は自嘲気味に笑った。

 私はまだ彼を愛している。でも、このプロポーズを受けようと思っている。これは二人の男性に対する裏切りかもしれない。でも、母親に言われて初めて気がついたが、私は待つのに疲れてしまっていた。いつ目覚めるのかもわからない。触れられる距離にいるのに触れてもらうことはできない。辛くて苦しくて、喉が詰まって呼吸ができなくなる。

 

 さあ、私の恋心はここに置いていこう。このために、紹介された彼には返事を一日待ってもらっている。涙を拭うと最後に彼の顔を見た。長い入院生活でやつれているが、愛しい愛しい恋人の顔だった。額にかかる髪の毛を指で払ってあげると私は彼に最後の言葉をかけた。


「おやすみなさい、またいつか」


 そして振り返らずに病室を出た。頬を流れる涙には、気が付かないふりをした。

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