第17話 悪化

 新しい生活が俺の人生の始まりだった。このなにもない、けれどここにしかいない人たちのいる学園が俺の居場所なんだ。


 傷と呼ばれる特殊な能力で苦しんでいる彼女たちをせめて笑顔に出来れば俺がここにいる意義もある。


 俺が生まれてきた意味が、彼女たちの笑顔にあるとそう思えるから。


 生まれてきて駄目な人なんていない。罪もなく生きていて駄目な人はいない。


 それを証明したい。


 それが、俺の夢になっていた。


 ピリリリ。


 電話の着信音に目が覚める。まだ起きるにはちょっと早いがもう朝か。


 自室のベッドで寝返りを打ち携帯を手繰り寄せる。学園から支給された通話しか出来ない携帯電話だ。


 ていうか、今時スマホすら持たせないとかどういうことだよここ。それも嫌なんだよマジで。そういうとこだぞ。


「もしもし?」


 眠い、昨日寝つき悪かったからかな。まだ寝足りないぜ。


『……か』

「ん? もしもし?」


 通話の向こうから音は聞こえるのだが小声で聞き取れない。


『私、わたし、どうしよう、こんな』

「深田か? どうした?」


 様子がおかしい。ベッドから起き上がり声に集中する。


 今の深田はなんだか怯えているようで、それにこんな時間に電話を掛けてくるのも普通じゃない。


『助けて、助けて鏡君……!』


 尋常ならないその声と、続く言葉に俺は冷や水を掛けられたようだった。


 通学路を走る。鞄は持っていない。


 そんなのどうでもいい、今は一刻も早く学校に行かなくてはならない。息を切らしながら全力で走る。


 学校にたどり着き迷わずうさぎ小屋に向かった。


「深田ー!」


 うさぎ小屋の前、そこには深田が座り込んでいた。俯いていて表情は見えない。


 彼女の前に立つ。深田は俺を見上げ、その顔はすでに泣いていた。


 絶望に歪んだ表情がまるで救いを求めるように俺を見る。


 その顔に深刻さを実感するが、そこで彼女が抱えているものが目に入る。


 深田の両手には、うさぎが抱えられていた。


 くそ、名前が分からん。ココルか? とりあえずうさぎ小屋のうさぎだ。昨日まで元気だったのに。


「か、鏡君。オランが」


 こいつがオランかよ。


 彼女が悲惨さを訴えかける。


「どうして」


 間違いなくうさぎは昨日はなんともなかった。それに深田はちゃんと手袋をしている。傷で死ぬはずがない。


「どうしよう、みんなが」


 みんな?


 俺はうさぎ小屋に目を向ける。


「…………」


 そこには、二羽のうさぎが横たわっていた。


 死んでいたのだ、三羽とも。


「どうしよう、どうしよう鏡君」


 震えた声で彼女が聞いてくる。


「私、触ってない。ちゃんと手袋はめてたのに、なのに! 突然こうなっちゃって。私なにもしてないのに」

「大丈夫だ、まずは落ち着こう」


 彼女の前に俺も座って肩を掴む。深田は今とても動揺している。俺だってそうだ、なんでいきなり。


「深田は悪くない、悪くないから」

「だけど!」


 深田はうさぎをさらに抱え自身の胸に押し付ける。


「私が来たときは元気だったのに、突然、近づいてきたココルが倒れて、それからオランとモンブルも倒れだして、それから動かないの! どうしよう、どうしよう鏡君。私なにもしてないのに!」


 今朝電話でうさぎが突然死んでしまったことは聞いていたが、触ってもいないのに死んだのか?


  まさか、周囲にいるだけで生き物が死んでいく?


「ねえ、鏡君。私どうなっちゃうの? これじゃ、これじゃ私!」

「深田」


 助けを求めるように聞いてくる。


 だけど掛ける言葉が見つからなくて、俺は彼女の震える両肩を掴むことしか出来ない。


 なんて言えばいい?


 こういう時、なんて励ませばいいんだ?


「大丈夫だ。ほら、俺はこうして生きてるだろ? だから大丈夫だって、な?」

「鏡君っ」


 彼女は涙を流し始める。


「離れたくない、鏡君とずっと一緒にいたいよ……!」


 大粒の涙が頬からいくつも滴り落ちる。


「こんなの嫌だよぉお」

「――――」


 そのセリフと姿にフラッシュバックが起きる。


 あの時と同じだ。


 世界が壊れた瞬間を切り取ったような絵が映る。完全にひび割れた鏡のような、どうしようもなく壊れてしまった場面。


「?」


 直後、校庭の端にある芝生が枯れ始めた。


 緑色の葉は色を失って茶色に変わり、さらには木までも枯れ始めた。その範囲が拡大している。


 まさか、ホントに周囲の生き物を死なせているのか? これじゃ手袋なんて意味ないじゃねえか!


「深田、なんとか抑えられないのか?」

「う、ううぅ」


 泣きながら顔を横に振る。そもそもどうやって発動しているのかも分からないんだ、止め方だって分かるはずがない。


 どうすればいい、どうすれば。


「特異体三号深田真冬!」


 そこで声を掛けられた。見れば戦闘服の男たちが周囲を囲っている。枯れた芝生の外側にずらりと並ぶ。


 全員がライフル銃をぶら下げそのうちの一人が話しかけきた。


「君に収容命令が出た! 我々の指示に従いついて来なさい!」


 俺たちは立ち上がる。学園側もこの事態を知っていたのか。


「彼から離れゆっくりと西側に進むんだ」

「嫌! 鏡君と離れたくない!」


 深田が俺にしがみつく。それはとても必死で体当たりのような衝撃だった。


「我々の指示に従うんだ!」


 男の命令口調に深田は黙っている。体が小さく震えていて見ているだけで辛くなってくる。


「おい! ちょっと待ってくれ、彼女はまだ気持ちの整理がついてないんだ。分かるだろ? もう少し時間をくれ」

「事態は緊急を要する。君は黙っていなさい。指示に従わない場合強行するぞ」


 そう言うと側近の兵士が銃を向けてきた。


「おい!」


 なんだよそれ!? 銃を向けるなよ、そんなことする必要ないだろ! これ以上怯えさせる気か!


「止めてぇええ!」


 それに反応した深田が銃を構える兵士に叫んだ。


 瞬間だった。兵士はだらりと銃を下げたかと思うと、突然倒れてしまったのだ。


「え」

「あ……」

「全員構え!」


 周囲にいる兵士が銃を構えてくる。男も銃を構えてきた。


「わ、私」

「深田」


 まさか、今のであの兵士は死んだのか? 念じただけで?


 死の扱いが、その力も増している。


「わたしは」


 そんな気はなかったにせよ深田は人を殺めてしまった。倒れた兵士を怯えた表情で見つめている。


 ショックだろう。今まで仕方がなく人を死なせてしまったことはあっても殺したことはない。


 深田にとってはこれが初めての殺人なんだ。


 深田は兵士を見つめる目をぎゅっと瞑る。目を開いた時、彼女の顔つきは変わっていた。


「私は、今までこの傷のせいで一人ぼっちだった」


 涙で腫れた両目。苦悩と悲しみが渦巻く瞳の奥に覚悟が宿る。


「この学園に来て変われるかもと思ったけど、だけど怖くて無理だった。でも鏡君は違う! 鏡君は私でも死なないはじめての人なの! ようやく出会えた大切な人なのに、どうして離そうとするの!」


 男に向かって叫ぶ。ここで連行されたらいつ俺と再会できるか、それかもう二度と会えないかもしれない。


「私と鏡君の邪魔をするのなら、私だって抵抗します!」

「深田」

「銃を下げて!」


 今の深田は念じただけで人を殺せるほど強大だ。


 彼女の言葉はただの脅迫じゃない、本当に殺しかねない。


 深田が俺に振り返る。俺を掴む手が離さないようにぎゅっと強まる。


「鏡君。約束してくれましたよね? ずっと一緒だって。私と、ずっと一緒にいてくれますよね?」


 その目は必死で、なにより怯えていた。


 周囲にいるだけで死なせてしまう彼女はもうずっと一人だ。誰も彼女に近づくことは出来ない。


 俺だけだ。彼女にとって俺だけが人なんだ。


 周囲の生物を死なせてしまう彼女は危険な存在なのだろう。邪魔するなら念じると脅迫する彼女はよくないのだろう。


 だけど、だからなんだっていうんだ。


 そんなの当然だろ。彼女がどれだけ苦しんできたと思ってる。今までどれだけ辛かったと思ってるんだ。


 世界に取り残されて、一人ぼっちで、それが唯一の希望にすがってなにが悪いんだよ!


  こいつが生まれてきては駄目だったとでも言うのかよ! 彼女の、なにが悪いっていうんだよ!?


「ああ。約束だ。ずっと一緒に――」


 バン。


「…………」


 深田の顔が殴られたように横にずれ視界からいなくなる。俺を掴んでいた手の感触もなくなった。


 心が、止まる。衝撃に、動けない。


 見るな。見るな。見るな。見ちゃ駄目だ。知ったら駄目だ。


 そう言い聞かせるのに、ゆっくりと顔を動かした。


「――――」


 深田は、倒れていた。頭から血を流して。


 一緒に横たわるうさぎと同じように、倒れて、動かない。


 血だけが流れていく。


 ゆっくりと、銃声がした方へ向く。


 そこには秋山が立っていた。構えていた拳銃を下ろしインカムに手を当てる。


「回収して。まだ能力が残留している可能性がある、気を付けて」


 彼女の言葉の後、背後から全身を白の防護服で覆った連中がやってくる。


 その手にはリードで繋がれた犬がおり犬を先頭に深田に近づいていく。


 事態が、ゆっくりと収束していく。俺だけが取り残されて。


 暑い。朝の熱気が照りつける。走ってきた時の汗が全身にまとわりつく。


 見るものすべてが信じられなくて、肌を刺す暑さだけがリアルに感じる。


 なんだよ、これ。本当なのか? 嘘だよな? おかしいだろ、だって。なんで、こんな。


 こんなことってあるか? こんなことってないだろ。なんでだよ!


 また、俺のせいなのか?


  俺が生まれたからこんなことになったのか? 嫌だ、嫌だ、嫌だ。そんなの嫌だ。


 俺の傷のせいでまたみんなが不幸になるって?


 俺は世界にいちゃいけない存在なのかよ!


 泣いた。我慢できなかった。感情が爆発したように溢れていく。そんな中頭の片隅で計算していく。


「うう、ううう」


 世界が壊れ始める。


 ふと、誰かの視線に気づき振り向く。


 校舎の影。そこには椎名が俺をじっと見つめていた。

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