マケノビガク

石鬼輪たつ🦒

第1話  マケノビガク

 12月。

 積雪するまでいたらない、水っぽい雪がはげしく吹く早朝の武道館に、俺たちは集まった。


 全国高校柔道じゅうどう選手権大会、その県予選大会に出場した俺たちは、まさに破竹はちくいきおい(ありきたりな表現ではあるが、実際はもっと迫力満点だ)でトーナメントを勝ち進んだ。

 ベスト8までの試合は昼食休憩前に終えた。

 チームメイトで弁当をカッ食らう時間は、人生のランチタイムで一番と思えるくらい楽しいものだった。


 準々決勝でマッチングしたのは、予選決勝候補と目される強豪きょうごう校だが、連中の調子が悪かったらしく、先鋒せんぽう次鋒じほう中堅ちゅうけんの時点で俺たちの勝利が確定した。

 準決勝も似たような顛末てんまつで終えた。


 俺たちが強くなったせいなのは確かだ。しかし拍子ひょうし抜けして、語ることもない。


 すでに俺とチームメイトのひとみは、かつての強豪ではなく「今日の優勝」と、その先に待つ「全国級の強豪との試合」を見通していた。



「おい、決勝……全国3位のあいつ、中堅だけど、雷輝らいき大丈夫か?」



 試合前の畳外ひかえしつで、チームの大将・開斗かいとが心配の声をかけてくる。

 俺は、大丈夫だと気軽に返答した。

 ところが大将の気がかりはなくならないようすだ。



 ――試合開始から、たったの5分後。



「一本、それまでっ!」



 審判しんぱんが右手を上げる。

 道着どうぎがクタクタになったガタイのいい男2人が畳上の目印まで戻り、一礼とあいさつをわして、両側にはける。

 そのあいだ審判の、勝者を示すジェスチャーは相手チームの選手に上がっていた。


 次鋒が負けた。すでに先鋒も一本負けをきっしている。

 これで、バツが2つ。


 中堅、すなわち俺の後ろにはまだ2人いるが、後がない状況だ。


 そして肝腎かんじんかなめの中堅戦。俺はすんなりと敗退はいたいした。

 決め手は俺の甘い内股うちまたに対する、内股うちまたがえし。全国級のやつに圧倒的な実力差を見せつけられ、俺は負けたのだ。


 礼儀よくおじぎしてから畳外じょうがいへ出た俺は、思わずき出た笑みでチームメイトにびた。



「いやー、悪い。やはり想像を超えて強かっ――」


「お前、ふざけんなよっ!」



 すると、大将・開斗が怒声とともに、俺につかみかかってくる。



「絶対、1回目の投げの時点であきらめただろ。勝つことを! 何すっきりして終わってんだよ。お前のせいで、オレたち『全国』行けなくなっちまっただろ!」



 大将は思うがままという不満を俺にぶちまけた。俺は否定せず、返事をのむ。


 試合中にもかかわらず仲間割れをしたチームに、審判が「静かにしなさい!」ととうな指摘をすると、さすがの大将も俺を解放する。

 俺たちのとなりから、気まずさと失意のないまぜになった表情の副将ふくしょうが、たたみに向かって歩いていった。



「……負けるってのは、全力でぶつかっておたがい傷ついて、折れるってことだ。お前は折れてない。勝手にしなって、うなだれただけ。お前は柔道家失格だ。オレも、誰も、今後お前とは絶対に組まない!」



 その宣言を最後に、俺は大将と柔道をすることはおろか、部活でも私生活でも口をきくことはなかった。


 俺のせいなのは分かっている。

 俺が負けたから――ではない。俺が「負けようとした」からだ。


 県予選のあの一戦。対戦相手が全国3位の実力者と聞いていたから、試合中に怖気おじけづいたわけではない。


 やつの俊敏しゅんびんさ、しなやかな立ち回り、ボクシングのごとく強烈なくずしと、正確無比な精度の立ちわざ

 俺はみじめにもそれらにれ込んで、自分が悪あがきをして、汗まみれの辛勝しんしょうつかみ取るなんてゴメンだと思った。

 だから一度の鮮やかな敗北を目指して立ち回り、やりげたに過ぎない。


 俺にとって、柔道は勝ち負けに固執こしゅうする競技じゃない。

 心技体による駆け引きと、はなやかな「一本勝ち」の創出。それを追究する競技だと考える。


 この柔道観――きざに言えば「美学びがく」とでも呼ぶべきものが、一般に理解されないことは承知の上だ。

 それでも俺の柔道人生は、つねにこの美学の成就じょうじゅささげてきた。

 

 しかし、「誰も、今後お前とは絶対に組まない」か。

 大将のげんは正しい。俺の考えをはなから知っていれば、きっと誰も俺とは組みたがらないだろう。

 俺も、組むべきではないと思う。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



雷輝らいき。何ボケっとしてんの?」



 生意気さが俺のみぞおちを小突こづく。小さい指。耳にうるさい甲高かんだかい声とともに、ポニーテルの少女が俺に訊ねてきた。



「ああ。ちょっと、なつかしくてな。この武道館、俺が高校最後の大会やったところで――」


「へえ。で、勝ったん?」


「いや……勝ってたら、今こんなに落ちぶれてない」



 当時の県予選敗退から、俺の柔道にかける情熱はうしなわれ、進路についても絵に描いたような転落劇をたどっていた。


 大学のスポーツ推薦枠から外れて、しょうもない短大に通いながらバイトで遊びの金を稼ぐだけして、あとは自宅で引きこもり。短大卒業後も引きこもり。


 気がつけば、華やかな20代の1年間を使いつぶし、廃人コースまっしぐらだった。



「それがどういう経緯か、スポ少のれっきとした指導員になって。こうして口の悪い小学生の世話することになるとはな」



 俺の手は無意識に、目の前のポニーテールの少女に向き、その頭をぐしぐしと撫でつける。



「ちょっと、キモい! 急に撫でんでよ。他の学校の子にからかわれるでしょ」


「ただの景気づけだって」



 てきとうな言い訳をして、少女をなだめる。


 今日の12月も、ぽつぽつと水っぽい雪が降り始める。

 じょじょに本降りとなって来たので、俺は少女を含むスポーツ少年団の児童たちを武道館内に誘導ゆうどうした。


 数年ぶりに訪れた館内はにぎやかな催し物のポップやポスターでいろどられており、楽しい雰囲気がした。いや、高校の頃は、試合前で殺気立っていて気づかなかっただけだろうか?



「……ちょっと、緊張してきた」



 ポニーテールの少女が横でつぶやく。

 普段は勝ち気なようすだが、いざという時にはちゃんと緊張することができるんだなと、俺は少し安心感を覚える。



「大丈夫。教えただろ、『勝ち負けにこだわるな、全力でぶつかれ』って。そうすればみんな、勝ったら一緒に喜んでくれるし、負けても絶対バカにしない」


「うん……知っちょうし」


「ならよし! いなくいけよ、小学生!」



 俺は少女にげきを飛ばした。

 少女は心なしかほこらしげな色をともして、いつものあどけない不機嫌な表情をキリリと引きめる。


 地元の小学生柔道家にとって、一番名誉めいよある大会「まめな子カップ」。

 俺は出場校の指導員として参加する。監督ではない。サポーターのようなものだ。

 つまり、選手たちを直接指導することはできなかった(美学とかいうヘンな思想に触れずに済んだと思えば、まあいいのだろう)。

 

 ただ、彼女たちとの出会いから今日までの数か月間、俺は練習にたずさわってきた。

 少しでも彼女たちが楽しく柔道に接し、そして素晴らしい柔道家になれるようにと思って。


 その成果が、ほんのちょっと――よぎる程度でいい。試合の中で感じられたなら、俺と柔道との距離も、気持ちちぢまるような気がする。

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マケノビガク 石鬼輪たつ🦒 @IshioniWatatsu

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