Episode.026 俺の国って犠牲を最小に留めれた?

 帝国ワルダー辺境伯軍は、ゆっくりと進軍を進めていた。

 事前に敵兵力も把握しているし、山脈の合間を縫うような間道に急いで軍を進めても、直ぐに行き詰ってしまうからである。

 前衛部隊は先行して出陣しているので、既に弱小王国の蹂躙が始まっていてもおかしく無い。


 そこまで思考が至ったワルダー辺境伯は、愉悦の笑みを浮かべる。


「儂が敵国領内に入るまでに、降伏しておったら出番も無くなるのう。そうであろう?」

 脇に侍る筆頭秘書官のエヴィルダークに向かって尋ねた。


「我が辺境伯軍の斥候部隊からは、王国領内でなにやら小細工をしているとの報告が上がっておりましたから、直ぐには降伏はしないことと存じます。まぁ、時間の問題だと思われますが」

 エヴィルダークも、なかば勝利を確信してそう答えた。


 間道の峠に差し掛かると、そこに仮本陣を敷いた。

 ここからなら戦場が一望できる。

 すると早速、伝令が報告に駆け付けた。

「報告致します。謎の伏兵部隊が現れ、山頂から弓矢や投石で奇襲を仕掛けてきました!」


「魔法師軍団と重装歩兵に、頭上からの攻撃に対応させよ!」

 エヴィルダークは空かさず、伝令に指示を伝達させた。


「手緩い! 魔法師軍団に対して、頭上の蠅を一掃するように伝えよ」

 ワルダー辺境伯は、更に追加の伝令を走らせた。


(正気か? 頭上の山頂への攻撃は下手をすると、自軍に多大な被害を生み出し兼ねないというのに……)


「魔法師軍団に伝達! 使用魔法は雷撃魔法サンダーボルトに限定させよ。急げ!」

 直ぐ様、特命使者を魔法師軍団に送った。


(こんな欲に塗れた馬鹿な辺境伯は、城内で一人踊ってればいいものを、のこのこと軍に同行するなどと言い出さなければ。こんな弱小王国など無傷で灰燼に帰させねば、覇権帝国からの完全独立計画など、兵が何人いても足りねわ)


 エヴィルダークは密かに毒づいていた。

 彼を苛付かせていたのは、なにも現在の戦況だけを指し示しているのではない。

 そもそもワルダー辺境伯が従軍するなどと言い出さねば、エヴィルダークが重騎兵を用いて、もっと早くに敵の王城に迫れたはずなのが悔やまれる。

 そのために、虎の子の特殊部隊まで犠牲にしているのだ。


 それでも戦況は、エヴィルダークの想定の範囲内で事が運びつつあった。

 先程、伏兵部隊の撃退に成功したとの報がもたらされた。

 最前線でも、作戦計画通りに橋頭保の確保に成功している。

 前線で疲弊したり負傷した兵は、速やかに後退させて新しい軍を投入し続けている。

 また積極的に最前線に配備した工兵部隊も、陣地の構築を着々と進めている。


「橋頭保での陣地の構築さえ完了すれば、敵の本陣への直接攻撃だな」

 エヴィルダークは自ら立案した作戦通りに、戦況が進むにつれて愉悦の笑みを湛えていた。


(そろそろ頃合いか。あの馬鹿辺境伯にも、一応は華を持たせてヤルとするか)


「ワルダー辺境伯様、そろそろ敵正面の本陣に対して遠距離攻撃を見舞ってみては? と愚考する次第です」

 筆頭秘書官のエヴィルダークは、恭しく奏上して見せた。

 

「そうだな。魔法師軍団に正面の本軍に対して、集中攻撃を加えよ! 敵の国王の首を取った者には、莫大な褒章を取らせるぞ」

 特命使者は魔法師軍団に向かって駆け出していた。


 しかし……。

 魔法師軍団の魔法攻撃が、悉く阻まれていた。

 それは魔法攻撃を、物理系に切り替えても同じであった。

 今は攻城戦用に温存しておきたかった、物理兵器を投入しているのだが、一向に敵本陣へのダメージを与えることが出来なかった。


(ええい! 敵の本陣はバケモノかっ。一体何人の凄腕の魔法師を抱えているというのだ!)


 エヴィルダークは、自ら魔法師軍団に駆け付けると大声で厳命した。

「魔法攻撃を途切れさせるな! こちらは圧倒的な高所からの物理攻撃なのだ。防御結界など燃費の悪い魔法が、いつまで続けられるというのか。残った敵の魔法残量、決して多くはない!」


 これがエヴィルダークの最期の命令となった。


 最初エヴィルダークには、眼前の出来事が理解できなかった。

 突如敵から放たれた魔法攻撃が、ワルダー辺境伯軍を飲み込んでいく。

 猛烈な風の渦が、辺境伯軍の兵をまるで木の葉を散らすように、突き抜けていくのだ。


(か・風魔法……暴風魔法ワイルド・トルネードだとでもいうのか?)


 やがて高高度まで突き抜けた魔法は、突然赤い閃光を伴って爆発した。

 爆音は辺り一面を振動させるのに、十分な威力であった。


 これだけの大魔法を、いままで封印していた意図が全く読めずにいた。

 すると魔法師軍団長が、駆け寄ってきて報告した。

「敵の魔法攻撃は、物理系の魔法と思われます。いや物理攻撃そのものかも知れません。魔法であれば、禁術の類……よもや噂の『極大魔法』やも知れませぬ」


 衝撃波で両脇の崖から、落石が相次いだ。

 魔法師は魔法師を知る。

 今の魔法が、如何なる魔法なのか?

 そもそも、魔法の概念に収まる代物なのか?

 魔法師軍団内の動揺は、瞬くもなく広がっていった。


 すると前方から、驚愕に顔を引き攣らせた伝令兵が駆け付けてきた。

「も・申し上げます。突如前方で敵の本陣を取り囲むように、敵の王国兵が突然現れました! その数は十万名以上と思われます」


 エヴィルダークも、前方を見下ろす。

 そこには確かに正式な王国の装備を身に纏った兵が、シュプレヒコールを上げていた。

 未だ粉塵が舞い散る中でも容易に見て取れる。

 少なくとも、五万人以上の敵兵に阻まれているのは確実であった。


 やがて周囲の兵が、一人また一人と潰走し始めた。

「に、逃げるな……」

 エヴィルダークの声は、虚しく響いた。


 魔法師軍団は、既に潰走を始めてしまった。

 前方の兵もまた武器を手放して、必死に潰走して行く。

 その顔は一様に、恐怖と、驚愕と、失意と、畏怖に彩られていた。

 もはや全軍の潰走を止める手立てなど、在りはしなかった。


 エヴィルダークの周囲が一際大きな影に包み込まれることに気が付くと同時に、彼の野望もまた潰えた。

 周囲の落石被害は次第に拡大していき、今や岩が滑り落ち、崖全体の崩落が進んでいた。


 ワルダー辺境伯のいる本陣は、進むことも引くことすら出来なかった。

 辺境伯軍として歴戦を重ねてきている猛者たちが、顔面蒼白で本陣を取り残し追い抜いて潰走を続けている。

 先程まで自信満々に指揮を執っていた、筆頭秘書官のエヴィルダークも前線に赴いた切り消息不明との連絡を受けていた。


 本陣の後方、辺境伯領に通じる間道は人の波に飲み込まれている。

 文字通り、進退極まったのかも知れない。

 前方からもまた、次から次へと潰走する兵で間道は埋め尽くされていた。

 頼りにしていた秘書官や将軍たちも、もはや誰も周囲にはいない。

 優秀な者ほど事態を悟り、我先にと撤退を開始していたからだ。


 ただただ本陣を擦り抜け、或いは踏み倒して、味方兵は只管、自領に向かって駆け抜けていく。

 事ここに至って始めて、ワルダー辺境伯は自軍の敗北を実感するに至った。


(どうして、こんな事になったというのだ!)



◆    ◇    ◆    ◇    ◆



 俺は自分が放った魔法の結末を、ただただ見詰めていた。


 戦争を犠牲なく語るのは詭弁だ。

 そして戦争の犠牲とは、正しく人の命だ。

 この世に失われて良いはずの人命など無いと、そう考えてきた。


 しかし、俺の放った石弾魔法ストーン・バレット一発が、戦況を一変させて敵に夥しい死傷者を生み出してしまった。

 俺は今初めて、シャラクがあんなにも忌避していた、攻撃魔法が及ぼす現実を実感していた。

 全身から脱力して、自然と王家伝来の『戦場の椅子』にへたり込むように、腰を下ろし沈み込んだ。

 眼前の出来事が、まるで幻影だったかのように虚ろに映っていた。


 前線からの報告を、本陣付きの参謀パラネイが遠慮がちに報告した。

 一目瞭然の状況にあっても、報告はなされなければ軍の規律が守られない。

「ラウール国王陛下に謹んで報告申し上げます。敵全軍が前線から間道に向けて、撤退しております。間道は両崖からの落石及び崩落で、追撃は困難とのこと。また動けずに倒れ伏す敵帝国兵は夥しい数に上っているとのことです。陛下……?」


(動けずに倒れている? ソニックブームの衝撃波は、鎧を着ていても全身に、その衝撃は伝わったのだろう……であれば!)


 俺の眼は生気を取り戻していた。

「第一軍から第四軍まで至急に通達せよ。敵・味方の区別なく負傷者は、武装解除の上でその場で応急措置をせよ。衛生兵には全員に、救命措置に当たらせるんだ。敵に関しては捕虜……名目は何でも良い。手当の処置を済ませ次第、イースター砦に運び込め! くれぐれも殺すなよ、これは王命である!」

 俺はパラネイに戦場の処理を一任すると、高らかに宣言した。


「人命を最優先にする王に、俺はなる!」


 フッと両脇に佇む、シャラクとカレンを見遣ると、二人とも両目を涙で腫らしていた。

 勝利に対する涙……たぶん違うな。

 俺はその涙の意味が分からずにいた。



(俺の国って犠牲を最小に留めれた?)

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