第11話 二人で、余計なことの始まりを。

「という感じに、だいたい説明はしたけど、理解はできたか?」

「正直、難しすぎるわ。でも……かおる君が選んでくれるなら、間違いないと思うの」

「随分と、信頼されているんだな」

「当然よ。だって、かおる君なんだから」

「よく分からないけど、冬木がいいなら、それでいいか。……ちなみに、ひとり暮らしなら、もっとコンパクトなサイズもある。この大きさで、本当に大丈夫か?」

「問題ないわ。確かに、いまはひとり暮らしだけど……」

 冬木は、信頼に満ちた眼差しでかおるを見つめる。

「いつか来る未来に備えておくことも、大切だと思わない?」

 冬木の視線には、特別な意図が宿っていたが、かおるにはその機微が読み取れない。

「まあ、確かに容量は重要だよな」

 かおるはその意味深な言葉を軽く流して、次の家電売り場へと足を向けた。


 8Kテレビ、ホームシアターシステム、プロ仕様のオーブンレンジに、汎用性の他高い電子レンジ、エスプレッソマシン、大型の洗濯機と乾燥機、コードレス掃除機、スマートホームシステム、大型の空気清浄機、エクササイズバイク、電子黒釜炊飯器……。


 購入総額は優に百万円を超えていたが、冬木の経済感覚からすれば、取るに足らない金額だった。全て電子決済で一括払い。

 各製品は後日、冬木の自宅へ配送される手筈が整った。新学期から日も経っていたため、配送スケジュールにも余裕があり、家電の搬入から設置までがスムーズに決まっていく。


 家電選びに没頭するうちに、いつしか夕暮れが迫っていた。急いでバスに乗った二人の背中に、西日が優しく差し込む。


 帰宅して少し経つと、配送業者も到着した。手早く全ての家電が設置され、無機質だった冬木の自宅には、確かな生活感が芽生え始めた。


「家電があるだけで、こんなにも雰囲気が変わるものなのね」

 冬木は深い感慨と共に、部屋の隅々まで目を巡らせた。

 これまでは寂しさだけが広がっていた空間に、家電たちが据え付けられ、いまでは十分な生活感が漂っているのだ。


「だいぶ、生活感が出てきたな。昨日よりも、ずっとマシになった」

「ええ……本当にありがとう、かおる君。ここまでしてもらって、何も返せないのは後ろめたくて。良かったら、今度はかおる君の家電を買わせてくれないかしら。予算なんて、気にしなくていいから」


「いや、それは遠慮させてもらう。俺には、その言葉だけで十分だよ」

「どうして?  かおる君の部屋にだって、足りてない物はあるんじゃない?」


「あるかないかの話じゃない。俺は冬木のために付き合っただけであって、見返りを期待していたわけじゃない。それに、一度でも見返りを受け取ってしまえば、俺の中で冬木に対する利己的な意識が、必ず生まれる。意識しようとしなくても、絶対に。だから、俺はその報酬を受け取らないでおくよ。いくら冬木がお姫さまだろうと、俺は冬木に対して、利己的な考えを抱きたくないんだ」


 冬木は物思わしげに顎に手を添え、彼の言葉に秘められた想いを理解しようとしていた。

 普段は冷淡な態度を見せているのに、肝心なところは義理堅い。

 そっけない素振りをしているのに、いざという時は手を差し伸べてくれる。

 きっとかおるは、本当の意味で、自分とよりよい関係――初めての《友人》になろうとしてくれているのかもしれない。

 やがて冬木の瞳に理解の光が宿ると、彼女は安心したように胸をなで下ろした。

 その胸の中で、彼という存在が、また一つ大きくなっていくのを感じながら。


「かおる君って、本当に不思議な人ね」

「どうして、そう思う?」

「だって、効率的な生き方を望んでいるのに、こうしてわたしのために時間を使ってくれる。見返りは要らないって言いながら、わたしの生活を助けてくれる」

「冬木を手助けするのは、当たり前だろ。だって、それは……」


 それは――その先の言葉が、不意にかおるの喉元で途切れた。

 そういえば、どうして彼女のために、ここまで尽くしているのだろうか。

 答えを探そうとするほど、むしろ遠ざかっていく気がして。

 かおるは自分でも理解できない感情に、少し困ったように肩をすくめた。


「たとえ理由が分からなくても、きっと俺は、冬木の力になりたいと思ったんだろう」

 かおるの素直な言葉が、思いがけず口をついて出る。

 すると冬木は温かな眼差しで、彼の言葉の奥に秘められた想いを探るように、じっとかおる瞳の奥を見つめる。


「分からないことを、無理に考える必要はないわ。でも、そうね……わたしたちは昨日、約束したんだもの。《一緒に、余計なことをしていこう》って。全ての物事に理由が必要なわけじゃない。かおる君がそう思ってくれたこと、それだけで、わたしには十分なの」


 かおるは小さく頷きながらも、どこか照れくさそうに頭を掻く。

 いつもの理論的な自分らしくない言葉に、戸惑いを感じているのだろう。

 その仕草があまりに分かりやすく、冬木は唇に意地悪な笑みを浮かべた。


「それじゃあ、また明日な」

 照れ隠しのように、かおるは早々に退散しようとする。

「待って」

 しかし、彼の背中に向かって、冬木の声が伸びた。そして、かつて彼が自分にそうしたように、今度は冬木が彼の手首をそっと捉えた。


「生活に必要なものは、揃ったかもしれない。だけど、わたしはこれらを、どう使っていいのか分からないの。料理だって、まだ右も左も……だから、その……」


 以前のかおるなら、誰かの日常に深く関わることに、きっと拒否感を覚えただろう。

 しかし昨夜、彼は彼女の抱える深い孤独を知った。そして自分もまた、胸の奥にしまい込んでいた過去を打ち明けた。

 何より彼女との間には、確かな約束がある。《一緒に余計なことをしていこう》と。

 遠慮がちに言葉を紡ぐ冬木の姿を一目すれば、かおるの答えは既に決まっていた。


「いまから、買い出しに行ってくる。夕食は、何でもいいか? 好きな献立があったら、教えてほしい」


 冬木は俯いていた顔をゆっくりと上げ、かおると視線を重ねる。彼女の表情からは不安の影が消え、瞳には新しい希望の輝きが宿っていた。


「えっと……オムライスに、デミグラスソースをかけたものが、好きなのだけれど……」

「分かった、八時までには間に合わせよう」

「あ、待って。出掛けるなら……これを持っていくと、便利……かもしれないわね」


 冬木がかおるに手渡したもの、それは彼女の家の合い鍵だった。

 他人に過ぎない自分に、合い鍵の受け渡しは、あまりにも軽率な行為なのではないか。

 かおるがそう問いかけようとした時、冬木は既に目を逸らしていた。耳朶まで紅く染め、高鳴る胸を押さえるように手を添え、儚げな瞳で床を見つめたまま。

 その仕草に込められた感情を、鈍感なかおるには理解できない。

 だが、この瞬間に言葉を重ねることが不適切だと悟り、彼は黙って合い鍵を受け取った。

 安堵の吐息が、冬木の唇からこぼれた。


「それじゃあ、行ってくる」

「うん……いってらっしゃい、かおる君」


 彼女の空腹を満たすという純粋な使命だけを胸に、かおるは扉の外に出た。

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