【ラブコメ】埃かぶり姫と、汚れだらけの同居生活
ぶらっくそーど@プロ作家
第1話 灰かぶり姫には、火炎放射器よりもとびっきりの笑顔を。
いったい誰がそう言い始めたのかは定かではないが、この桜ヶ丘高等学校に、現代のシンデレラが存在していることは、誰もが認める事実だった。
1年2組、出席番号23番、
彼女の容姿は、まさに童話から抜け出してきたような《プリンセス》そのものだった。
夏の麦畑のような金髪は、陽を受けては優美な波となって肩を流れ、まるで光そのものを編み込んだかのような輝きを放つ。紫紺の瞳は、見る者の心を惹きつけて止まない透明感を湛え、小さく整った顔立ちは、精巧な彫像のような美しさを持っていた。
すらりとした肩から腰へと流れる曲線は、まるで一筆で描かれた優美な線のよう。華奢な体躯は、そばに立つだけで周囲の空気まで清らかに変えてしまうような繊細さを感じさせる。控えめな胸元さえも、彼女の纏う少女らしい佇まいの一部となって、その清楚な美しさをいっそうと際立たせていた。
(灰かぶり姫……なんていうか、この場合は単なるあだ名じゃない。どちらかというと、憧れとか、特別な人って意味合いが強いんだろうな)
彼女の隣席に座る
入学から僅か一ヶ月。五十名を超える男子からの告白を受けたという噂は、にわかには信じ難い。しかし、目の前で息づくその類まれな美少女を前にすると、もはや誇張とも片付けられない説得力を感じた。
今この瞬間も、昼休みの教室には彼女への視線が満ちている。クラスメイトはもとより、廊下を行き交う他クラスの男子たちまでもが、まるで蜜に引き寄せられる蝶のように、氷香へと目を向けずにはいられないようだった。
そこのためかおるは、時折、こんな風に考えることがある。
これほどのモテっぷりは、彼女の日常にどれほどの影響を及ぼしているのだろうかと。余計な心配かもしれないが、ふとそんな懸念が胸を過るのだった。
「――冬木さん、いまひとりだよね。よかったら、俺とご飯食べない?」
2組に現れた上級生は、まるでこの時間を待ち構えていたかのように声をかけた。
しかし、その誘いに対する彼女の返答は、いつも決まっていた。
「ごめんなさい」
透明な水が流れるような澄んだ声音――その言葉には、一切の迷いも躊躇いもない。冬木の表情は相変わらず穏やかなままだったが、予想外の断りに、男子の顔が一瞬歪んだ。
「な、なんでだよ。少し、お話をしようかなって……それに、冬木さんって、いつも購買で済ませてるだろ? だから、今日は俺が奢るよ。最近、新しい惣菜パンが出たみたいで、それが俺のクラスのいる××みたいに、けっこうブサカワいいって評判なんだよ。ちらした黒ごまが、まるであいつのそばかすみたいでさ――」
取り留めのない話を続ける間も、冬木は終始まっすぐ前を向いたまま。
それは別段、無礼な態度ではない。むしろ、興味のない話題に付き合わせる方が失礼なのだと、彼女の無言からはそんな言葉さえも聞こえてくるようだった。
「すごいよな、冬木のやつ。あの谷崎先輩でさえ、目に入れる価値なしってか……」
「そりゃあ、
「運命の王子さまねぇ……俺たちみたいな平民とは、住む世界が違うってことだな」
そして、他愛もない噂話が、教室の空気を軽く染めていく。冬木の一挙一動が、まるで童話の続きでも紡ぐように、クラスメイトの空想を掻き立てていく。
まったく、なんてくだらない連中なんだろうかと、かおるは嘆息を飲み込んだ。
毎日、これだけ同じような話題を耳にする彼女は、さぞ心を乱されていることだろう。
しかし、当の本人は、まるで周囲の声など届かないかのように、ただ黙々と惣菜パンを頬張っていた。その横顔には、いつもと変わらぬ凛とした佇まいが感じられる。
(まあ、所詮は他人事だ。お姫さまも、周りの騒ぎも、俺には何の関係もない)
かおるは空になった弁当箱を片付けると、引き出しから本を取り出した。
次々と押し寄せる男子たちの声も、教室に満ちる噂話も、全て遠い背景へと溶かし込みながら、活字の海へと意識を沈めていく。
(きたか……やはり、今日もこいつは……)
しかし、昼休み終了を告げるベルを待たずして、かおるの意識は否応なく現実へと引き戻された。
グシャッ――。
惣菜パンを包むプラスチック袋が、握りつぶされる音。それは、冬木のお昼ご飯が終了したことを意味している。
通常、惣菜パンを平らげた後の人間の行動パターンは、ある程度決まっている。
1.ゴミ箱へ向かう。2.他のゴミと一緒にまとめる。3.鞄やポケットに仕舞い込む。
誰もが取るこの三つの選択肢の中から、自然と一つを選ぶはず――しかし、冬木の場合は違った。彼女はこの暗黙の法則すら、いとも簡単に覆してしまうのである。
(さあ、今日はどうする冬木……お前のそのゴミは、今日はどこに預けるんだ)
かおるは読書に没頭するふりを装いながら、目線だけは密かに彼女の動きを追っていた。
冬木は周囲の気配を探るように、そっと椅子から身を起こす。握り潰されたプラスチック袋は、まるで証拠品でも隠すかのように、ブレザーのポケットへと滑り込んでいった。右手はそのまま、まるで何気ない仕草を装うように、ポケットに添えられている。
そして――数歩の歩みを経た後で、彼女の不可解な行動が、いま幕を開ける。
(うそだろ……今日もまた、ロッカーに封印するのか……っ!?)
教室後方に並ぶ個人棚。扉付きの小さな空間は、生徒それぞれのプライバシーを守る場所のはずだった。教科書や参考書、時には体操着が収められる、ごく普通の収納ロッカー。
しかし冬木は、その日常の定義すら覆い隠してしまう。彼女は洗練された動きで、まるでスパイのような無駄のない所作で、ゴミを個人ロッカーの中へと滑り込ませた。彼女の《ゴミ隠蔽作戦》は、完璧に遂行され、クラスメイトたちの目を欺いたのだ。
……ただ、一人の目撃者を除いては。
(おいおい……冬木、お前……今日で、何十日目だ!? いったい、今までにどれだけのゴミを、そのロッカーに……っ!?)
何よりかおるを戸惑わせたのは、この行為が、決して一時の気まぐれではないということ。
少なくとも、彼が観測し始めてから十日以上は、連続でゴミ溜めをしている。しかも、かおるは彼女が正しい手順でゴミを処分する瞬間など、一度たりとも目撃していない。
果たしてあのロッカーには、どれだけのゴミが溜まっているのか。かおるの関心というのは、もっぱら彼女のロッカーに終始していたのである。
「よーし、午後の授業を始めるぞー。席に着けー」
担任の声が響く中、冬木は何事もなかったかのように教科書を開いていた。
彼女の中では、「バレなきゃいい」という暗黙の了解が成立しているのだろう。実際、冬木のロッカーがゴミの隠し場所になったところで、誰かに迷惑がかかるわけでもない。自己完結した行為なら、それも一つの自由なのかもしれない。
――かおるはそう割り切ろうとしていたが、放課後に迎えたホームルームで、その認識を根底から覆す衝撃的な事実を突きつけられる。
「実はな……今日、大事な話がある。それは、昨日の放課後に、廊下でゴキブリが出たということについてだ」
担任の相沢先生の口から、その忌まわしい生き物の名が発せられた瞬間、教室に悲鳴が響いた。女子たちの悲鳴に混じって、男子の間からも嫌悪の声が漏れる。しかし、その中で際立って違う色を見せていた表情があった。
他でもない、かおると冬木の顔が、
「ただゴキブリが出たということなら、こんな話をする必要はない。人がいる場所なんだ、虫だって何だって出るだろう。ところが最近、その目撃頻度が急激に増えているんだ。小バエの発生も確認された。このまま放置すれば、教室の衛生状態は更に悪化する一方だ」
相沢先生は一度言葉を切り、教室を見渡した。
「そこで、もし惣菜パンや弁当の食べ残し、つまり《ゴミを持ち帰っていない者》がいるなら、今日からしっかりと処理するように。学校は君たち一人一人のものであると同時に、全員のものでもある。互いが気持ちよく過ごせる環境を作ることを、よく考えてほしい」
相沢先生の言葉を受けて、教室は一気に騒々しさを増していった。
「犯人は誰だよ」「いや待て、学校にゴミ箱はあるだろ」「まさかお前?」「冗談だろ、潔癖症の俺が?」「ゴキブリとか無理」「今すぐロッカーチェックしない?」「そこまでする必要ある?」「環境が悪化したら、一人ずつ確認だな」
疑心暗鬼と不安が渦巻く教室も、時間の経過と共に次第に静けさを取り戻していく。部活動に向かう者、下校する者、それぞれが自分の道を選んでいった。
普段なら、かおるもまたホームルーム終了と同時に帰路に就くはずだった。しかし今日は違う。ある使命感が、彼を夕暮れまで教室に引き止めていた。
「よし……誰もいなくなったな。それそろ、
読書に没頭するふりを続けていたかおるは、教室から最後の人影が消えるのを確認すると、静かに立ち上がった。
このゴキブリ騒動の元凶が誰なのか、もはや明らかだった。
いまこそ、冬木のロッカーという密室事件に終止符を打つ時。ロッカーの中に潜む闇を、徹底的に浄化する時が来たのだ。
「大きめのコンビニ袋に、雑巾、手洗い用の中性洗剤……これだけあれば、十分だろ」
準備は整った。
かおるは冬木のロッカーへと歩を進め、おそるおそる取っ手に手をかける。
この先には、どんな惨状が広がっているのか。虫たちの楽園と化していないことを祈りながら、いざ扉を開こうとした――その刹那、かおるの背後から、耳を刺すような悲鳴が響き渡る。
「どう、して……なんで、あなたが……? そこは、わたしのロッカーなのに……」
陽光を溶かし込んだ金色の髪と、夜空を閉じ込めた紫紺の瞳。
彼女は見間違えようもない冬木氷香その人であったが、いつもの気品ある面持ちは崩れ去り、ただただ強い不安と動揺だけがその顔に表れていた。
自分だけの聖域を、見知らぬ他人に踏み荒らされる現場を目の当たりにした彼女の困惑は、もっともなことだった。だが、かおるもまた、負けず劣らずの衝撃を受けていた。
なぜなら――冬木の手には、制汗スプレーとライターが握られていたのだから。
「どうして、スプレーとライターを持っている。……まさかとは思うが、そのロッカーもろとも、証拠隠滅を図るつもりじゃないだろうな」
かおるの言葉に一瞬たじろいだのか、冬木は幾度か瞬きを繰り返した。しかし、すぐにその瞳には冷たい光が宿り、冬木は鋭い眼差しをもって彼を問いただした。
「質問の順番を間違えているわ。先に発したのはわたし、このロッカーに手を掛けたあなたへの問いよ。質問には質問で返す――まさに窃盗犯の常套手段ね。他人の大切な場所を荒らす不審者には、お似合いのその場しのぎだわ」
冬木の声音に、かおるは言葉を失った。これまで耳にしたことのない冬木の饒舌さと、その言葉に滲む皮肉の鋭さに、一瞬で反論の術を奪われてしまったのだ。
「窃盗犯、人のロッカーを漁る不審者? 笑わせるな。あいにくと、俺はゴミ漁りの趣味は持っていないぞ」
かおるは吐き捨てるように言い放った後、その指をロッカーへと突きつけた。
無数の惣菜パンの包装袋で溢れている、冬木のロッカーへと。
「惣菜パンの包装か。購買で買ったものに、コンビニで手に入れたものと……見事なコレクションだな。これだけの数を集めて、何がしたい? まさか、ゴミの山が年金代わりになるとでも思っているのか?」
二〇は下らない、いや、優に三〇を超えるであろうプラスチックの包装が、まるで暗い秘密を抱え込むように、小さなロッカーでひしめき合っていた。
虫の姿こそ見当たらないものの、そこから漂う生ごみ特有の異臭は、明け方の集積所が放つ生々しい悪臭そのものだった。
しかし、かおるの辛辣な言葉も、その場の異様な空気も、冬木の凛とした面持ちを崩すことはできない。彼女からすると、こそこそと自分のロッカーに手を掛けていたかおるの姿は、自分の私物を漁ろうとする不審者そのものと映っていたのだ。
「随分と、話を逸らすのがお上手なのね。答えるべき質問から答えない、この事実こそが、あなたが不審者だという動かぬ証拠よ。たとえそこにあるのがゴミばかりでも、あなたにとっては、格好の戦利品なのでしょう? いったい、わたしの何がほしかったのかしら?」
「笑わせるな。こんなゴミに執着するのは、よほどの変質者か、出席番号23番の誰かさんくらいだろう」
「あら、わたしの出席番号まで把握しているのね。これは、相当な筋金入りだわ」
「脳みその容量が指の数ほどしかない人間でも、二桁くらいは覚えられるはずだ。クラス全員の番号を記憶している俺とは違って、冬木は両手の指でさえ数え切れないのか?」
「人の脳は、価値のあるものだけを記憶するようにできているの。あなたの番号なんて、道端の雑草にも劣る価値しかないわ。覚える必要なんて、どこにあるの?」
「必要の有無じゃない。目に入ったものは、自然と記憶する。ご飯を食べたら皿を洗う、ゴミなら捨てる、そんな当たり前のことができないから、学年全体を巻き込む珍事にまで、発展してしまっているんじゃないか――」
その瞬間、冬木の手にしたスプレーとライターが、まるで銃口のようにかおるへと向けられた。彼女の指は、それぞれのトリガーに、今にも引かれんばかりの緊張を孕んでいる。
「話を戻しましょう。どうしてあなたは、わたしのロッカーを、漁っていたの?」
その眼差しに秘められた決意を感じ取り、かおるは観念した。もはや誤魔化しは通用しないと、悟ったのだ。
「言っただろ、当たり前のことをやるだけだって。ホームルームであれほど騒ぎになった以上、見て見ぬふりはできない。お前が何十日もかけて溜め込んできたゴミの山を一掃して、ゴキブリの温床を潰さないと。このままじゃ、クラスメイトたちが犯人探しを――」
カランカランという鈍い音が、かおるの言葉を遮った。冬木の手から落ちたスプレーとライターが、冷たい教室の床を転がっていったのだ。
「うそ……何十日もゴミを溜めてきたって、どうして知っているの? このことは、誰にも教えていないのに……」
その動揺ぶりに、冬木が自分の隠蔽工作は完璧だと信じ切っていたことが透けて見えた。
まったく、いったい彼女は何を考えているのか。
かおるは、呆れとも諦めともつかない表情で肩をすくめる。
「一応、隣の席だからな。冬木の不自然な動き、ゴミを一度も捨てない習慣……嫌でも、目に入っていた。いつも、ゴミをどうしてるんだろうって思っていたら、たまたま目撃したんだよ。冬木が、ロッカーにゴミを隠す瞬間をな」
よほどのショックだったのか、冬木は心の支えを失ったかのように、その場に立ち尽くしている。
しかし、かおるはそんな彼女の動揺にも一切の容赦を示さず、床に散らばった道具を拾い上げた。手にしたスプレー缶とライターが、蛍光灯の下で不吉な光を放っていた。
「今度は、冬木が答える番だな。お前は、この道具で、何をしようとしていたんだ?」
かおるの問いかけに、冬木の表情がぐにゃりと歪んだ。幾度となく唇が震え、言葉を紡ごうとしては諦める。やがて視線が床に落ちると、彼女は覇気のない声を絞り出した。
「み、見たら分かるでしょ……」
「分からないから、聞いているんだが」
冬木はまだ思い悩んでいたようだが、ついに観念したように息を吐いた。
「そ、掃除を……しようと、思って……」
この瞬間、かおるの思考が停止した。
頭の中で思考の歯車が空回りしては、現実と言葉の整合性を必死に探ろうと試みる。
掃除? 掃除をするのに、なぜ制汗スプレーと、ライターが必要なのか?
そんなかおるの困惑に満ちた視線を受け、冬木は更に小さな声で説明を続けた。身を縮めるような仕草で。
「ほら、ライターにスプレーを吹きかけると、擬似的な火炎放射器になるって言うでしょ。きっとこれなら、ゴミを一掃できると思ったのよ」
「……? ……??????」
しかし、彼女の弁明を受けても、かおるの意識は、未だ無理解の底にいた。
掃除と、火炎放射器。
その突飛な発想の組み合わせが、理解の範疇を完全に超えていた。まるで水と油のように、二つの言葉はかおるの頭の中で決して交わることなく、ただ漂い続けている。
「えーっと……なんだ? 《汚物は消毒》……とか、そういう意味なのか?」
「からかわないで。わたしは本当に、掃除をしようと思っただけなの」
と冬木は口にするが、それは無理があるだろうとかおるは思う。
確かに、プラスチックの処理において焼却は一般的な手段だ。だがそれは、専門の処理施設での話。学校という日常の場で火を使うという発想は、あまりにも非現実的すぎる。
「ゴミ掃除に、火を使う必要はない。ただ、ゴミ箱に捨てるだけだぞ」
「なっ!?」
冬木の反応は、まるで晴天の霹靂を食らったかのようだった。大きく見開かれた瞳には、純粋な驚きだけが浮かんでいる。
「うそ……うそよ。だってテレビでは、ゴミは燃やして処理するとか、何とか……」
「それは、ゴミ処理場での話だろ。ここは、桜ヶ丘高等学校だ」
「でも……だったら、どうやってゴミを処理したらいいの?」
「何も難しいことはない。俺たちは、ただこうするだけだ」
かおるはロッカーに敷き詰められていたパンの袋を、レジ袋に詰めていく。
そして用意していた中性洗剤を雑巾に染み込ませ、ロッカーの内側を丁寧に拭き取っていく。すると先まで立ち込めていた悪臭は、魔法のように消えていった。
「後は、このゴミ袋を捨てるだけだ。この地域は、プラスチック袋も、燃えるゴミとして扱うから、分別する必要もない。ゴミ箱は、確か購買前の広場に――」
その時、かおるの言葉が途切れた。
先までゴミと異臭で満ちていた空間が、いまや清潔な光を放ち、洗剤の優しいフローラルな香りを漂わせていることに、冬木は目を輝かせて覗き込んでいたのである。
「……綺麗になって、嬉しそうだな」
思わずこぼれたかおるの言葉に、冬木は慌てて身を引いた。自分の無邪気な反応を見られたことが恥ずかしかったのか、誤魔化すように顔を背け、赤みは耳まで広がっていた。
「ふ、ふんっ。たいしたことはない……と、言いたいところだけど、ここは褒めておくわ。あなたの働きぶりは、なかなか目を見張るものがあるわね」
普通に、ゴミ掃除をしただけなんだが……。
かおるは思わず漏らしかけた本音を飲み込んだ。また火炎放射器事件が繰り返されてはならない以上、余計な一言は慎んでおくべきだろう。
「それはどうも。まあ、これで虫たちも寄ってこなくなるだろうし、後は冬木次第だな。次からは、ちゃんとゴミは、ゴミ箱に捨てるんだぞ」
「ちゃんとって、それは……」
冬木は口ごもり、また何かを言いたげに唇を押し結んだ。質問したいことがあるのに、言葉にできないでいる――その仕草から冬木の戸惑いを読み取ったかおるは、彼女の言葉を肩代わりした。
「それじゃあ、いまからゴミを捨てに行くか。ゴミの始末が、本当に難しいことはないんだって、きっと冬木にも分かるはずだ」
二人は肩を並べて、購買前まで歩いていく。
やがて目的地に到着し、いざゴミ袋をゴミ箱に放り込むと、そのあまりに単純な作業に、冬木は戸惑いを隠せないようだった。もしかしたら、何か裏があるのではないかと、疑うような眼差しでゴミ箱を見つめている。
「本当に、これで全部、片付いたの?」
「心配しなくても、後は清掃員の人が、ゴミを持っていってくれる。明日からは、ちゃんとゴミ箱に捨てておけよ。金輪際、ロッカーでゴミを隠さないこと。いいな?」
「ええ……あなたの言葉を、深く肝に銘じておくわ」
片付けを終え、鞄を手にした二人は、夕暮れの校舎を後にしようとしていた。
冬木が一歩先に歩み出し、その後を追うように、かおるも足を進める。そして、校舎の出口に差し掛かった時、冬木が不意に振り返った。
その瞬間、これまで緊張で強ばっていた彼女の表情が溶け、柔らかな光に包まれていく。
普段の尖った物言いも、冷たい視線も、夕暮れの影のように消え去っている。代わりにそこにあったのは、飾り気のない、ありのままの冬木の笑顔。嘘も飾りもない、ただ純粋な感謝の気持ちだけが、確かな輝きとなって冬木の顔に映し出されていた。
「ありがとう、
その言葉を残して、冬木は颯爽と校門へと駆け出していった。その背中は、長い間背負っていた重圧から解き放たれたかのように、軽く、しなやかだった。
一方で取り残されたかおるは、彼女の残した余韻に浸りながら、その場に佇んでいた。
「いま、初めて俺の名前……っていうか、俺の出席番号も、ちゃんと覚えていたんだな」
夕陽に染まる校舎に、冬木の姿はもう見えない。
かおるは、ふと手の中のスプレーとライターの感触に気付いた。この厄介な道具たちの処遇は、また別の問題として残されている。
しかし、それはもはやどうでもいい疑問だった。かおるは、静かに微笑みながら、オレンジ色に染まった空の下へと歩み出した。冬木が見せた、あの晴れやかな笑顔を、どこか大切な思い出として心に留めながら。
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