見栄えの良い傷

御涼東

見栄えの良い傷

「ここにサインお願いします」

「分かりました」

ダンボール箱の上にボールペンを走らせていく。ほぼ繋ぎ文字で自分の苗字を綴り、無言で配達員の顔を見ると彼は顎を引いて納得したような顔をした。

「こちらがお荷物になります」

配達員は横の長さが30cmにも満たない箱を丁寧に両手で持ち、私に差し出した。

「…ありがとうございます」

掠れた声でそう言うと、彼は帽子のつばを抑えて軽く頭を下げ、小走りで去っていった。

(丁寧な人だ)

外は穏やかな陽差しが降り注ぎ、春の爽やかな風が吹いていた。配達員の背中を見届けた後、私は玄関のドアを閉めた。春の陽気がわずかに玄関の中に取り込まれた。しかしすぐに玄関に充満する暗くて陰鬱な空気に押し潰されて、私の足元で霧散してしまった。私は裸足のまま履いていたローファーを脱ぎリビングへ向かった。ダイニングテーブルに荷物を置いて、予めテーブルに置いておいたカッターを使い封を開ける。


中には無色透明なガラスピアスとピアスを開けるためのニードルが入っていた。


こんな軽い荷物を届けるためにマンションの4階まで配達員を上らせてしまった。そう思うと先程の真面目そうな配達員に申し訳なくなった。これからの行為を彼が知ったらどのような顔をするだろうか。

「…ポストに入れてもらえばよかった」

ポストに行くことすら面倒に感じた、購入を決定した当時の自分の怠慢に後悔した。


髪を結い、手を洗った。耳の消毒も忘れずにした。洗面台の鏡に映る自分の顔が数週間前より影がかって見えた。ダイニングテーブルに卓上の鏡を置き、箱の中からニードルを手に取った。箱の包装にへばりついている粘着テープを爪で剥がして本体の針を取り出す。注射針のような形状をした針は透明のフィルムに挟まれて保護されていた。長さは5cmほど。太さは1.2mm。これを耳朶に貫通させてピアッシングする。

「よし、やるぞ」

手持ちのアイライナーでピアスホールのあたりをつけようとし、家族が留守なのをいいことに部屋の電気を消していたことに気づいた。手元を見やすくするために致し方なく電気をつけて再度ダイニングに座る。卓上鏡に自分の顔がはっきりと映った。眩しさに顔を歪めながら両耳朶の中心に黒い印をつけた。首を傾けて位置を確認した。ニードルを保護しているフィルムを剥がし、針を手に取る。親指と人差し指で挟んで持ち上げ、先端を右耳の印にあてがった。

「痛いかな。……痛いといいな」

そうぼやきながら耳朶を支えている左手と、針を持っている右手両方にぐっと力を込めた。


冷たい針先が熱く鋭利な痛みをもたらした。


私はピアスを空けたくてこんなことをしているのではない。痛みが欲しかったのだ。いわば自傷行為、痛みで自分を慰めたかった。ここ最近頭を掻き毟ることが増えた。指先に血が付着するほど強く。しかし、繰り返すうちに私はそれでも足りないと感じるようになってしまった。痛みを得るためにどうしてこんな回りくどい方法をとったのか。それは家族や友人に自傷行為の痕跡がバレることを防ぐためだ。自傷行為の代名詞であるリストカットを行うことも考えたが、私のちっぽけな悩み事では手に刃物を持つ資格を得られない気がしてやめた。本当に手首に傷を残している人達に失礼だと思った。学校での人間関係だとか、家での我慢の連続だとかそういう些細なことが積もり積もって今に至る。日頃からストレス発散に活用している自分の趣味が、ある日突然とてつもなくつまらない無駄な行為に思えるようになってから自分の限界を感じた。きっと誰もが呆れるほど低い限界点だった。

自分が生きることに限界を感じることより、他人に私の打たれ弱さを悟られることの方が怖かった。

自分を慰めることすら大胆に行えないなんて、これから先私は何が出来る?




「あっ!」

針がそろそろ耳朶を貫通しそうなところで、突然大量に出血した。ネットではこんなに血が出るなんて書いてなかったのに!

「やば、どうしよ」

針は一度刺したら全体を耳朶に貫通させなければならない。これは感染症を防ぐためだ。

(目的以外の痛みはいらない!)

衛生には気を使って臨んでいるのに、ここで諦めるものか。

「くっ…」

肩に血が滴るが今手を離すわけにはいかない。針を進める度に耳が軋むような感覚がして、ぷちぷちと音がした。耳朶が柔らかすぎて針との間に起こる摩擦が大きすぎる。なかなか思うように貫通してくれなかった。

「…っ、くそ…おらっ!」

我慢できず、親指の腹で針を叩きつけるように押し込んだ。一際大きく針が動いた。耳朶の後ろ側に指を当てると、僅かに刺さるような感覚があった。ようやく貫通したのだ。

「…は、よし!ティッシュティッシュ…」

片耳に針を巻き込んだまま家を歩き回る。流れ出た血をティッシュで拭き、しばらく休憩することにした。片手間に針を回してみたり、上下に揺すってみた。その度に鈍い痛みが走る。鏡を見ると自分の顔が紅潮しているのが見えた。血を流すと興奮するものだが、念願の痛みを得られたことが主な理由だろう。耳に刺さった針を見て、思わず口角を上げてしまった。


耳の後ろ側から針を掴んで後ろに引くと針が完全に耳朶を通過した。針を抜き取ったあと素早く空いた穴にガラスピアスを挿入し固定した。鏡でよく確認してみる。目立たないが確かに耳朶に光る装飾があった。

「………ふぅー」

溜息を着いて椅子の背もたれに深くよりかかった。想像していたより時間がかかったし、痛みも強かったが綺麗に空けることが出来た。これならただピアスを空けただけに見えるだろう。ついでにおしゃれも楽しめる。

「………」

本当におしゃれの為だけに空けたかった気持ちもあるけれど。

まあ後悔先に立たずだ。今は痛みを享受出来るこの時間を存分に楽しむことにしよう。この痛みと傷を手に入れたところで私の悩みが解決されるわけじゃない、そんなことは分かりきっている。今はしたかったことをしてるだけ、自分を大切にしているだけだ。明日も学校だけどそれが辛くて泣くのは今日の夜であって今ではないのだから。

「よし!もう一回!」

変に度胸がついてしまった私は、再び右手に針を持つのだった。

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