第3話 ミオ・ルルクラージェ

「全く、リシスは大嘘つきだったにゃ」


余は自宅の中庭にある大木の上で雲一つない青空を見上げながら、あの忌々しい転生神リシスの顔を思い浮かべながら小声で吐き捨てた。


余がこの世界の勇者こと『ミオ・ルルクラージェ』に転生してから、すでに一五年と約十一ヶ月の月日が経過。


ちなみに、明日は十六歳の誕生日である。


現在の余の姿は、薄赤茶でねこっ毛のある長髪をツーサイドアップという髪型にしている小柄な少女だ。


目付きはいつも眠いからとろんとしているだろうが、瞳は瞳孔が黒くて虹彩はヘーゼル。


肌は白よりの普通だろうか。


家族曰く、『可愛らしい見かけ』をしているらしい。


それにしても、思い返せば転生してからは腹の立つことばかりである。


転生当初は、この世界における母様【かかさま】こと『ラフィル・ルルクラージェ』の腕に抱かれ、母乳を飲んでは寝る日々が続き、余は転生に満足していた。


当時は粗相をしても泣き叫べば下僕達がすぐに変えてくれるという状況だったので、まさに『家ネコ生活』と同じだと喜んでいたものだ。


やがて、余の身体大きくなって前足と後ろ足が動かせるようになった時には四足歩行で駆け回っていたのだが、暫くして余にとって転生して最初の大事件が発声する。


母様達から『二足歩行』を強制されたのだ。


あれは、今思い出しても前世を全否定されたような出来事であった。


四足歩行の方が動きやすいというのに、どういうわけか『人』というのは二足歩行に並々ならぬ拘りと思いがあるらしい。


嫌がりつつも余が二足歩行を初めてした時には母様や父様【ととさま】『アルバート・ルルクラージェ』だけではなく、集まっていた下僕達全員が手を叩いて喜んでいた。


その姿を目の当たりにした余は、密かにドン引きしていたものである。


さらには前足を『手』と称して器用に使うことも強要される始末。


だが、それはその後に起きる無理難題に比べれば、まだまだ序の口であった。


四歳頃までは二足歩行以外は前世の家ネコに近い生活を送れていたのだが、五歳頃から状況が変わる。


今もって続く悪夢の母様による『お勉強』が始まったのだ。


忘れもしない約十一年前のあの日。


母様と下僕達は、魚の削り粉を餌にして言葉巧みに余を勉強室に連れ込んだのである。


『さぁ、ミオも五歳となったわ。貴女はアレクダリア王国において、勇者の血を受け継ぐルルクラージェ公爵家の長女なの。これから沢山のことを学んでもらうわ』


『ちょ、ちょっと待つにゃ、母様。なんで余がこんなことしないといけないのにゃ。余はリシスから家ネコ生活が出来ると聞いて勇者になったのにゃ。これじゃ、話が全然違うのにゃ』


『あら、女神リシス様のことをもう知っているのね。でも、神様を呼び捨てしては駄目よ。それに家ネコ生活ってどういうものなの』


首を捻る母様に、当時の余は自信満々に胸を張って答えた。


『家ネコ生活というのは一日十六時間寝ることを基本とし、お腹が減ればご飯を食べる、遊びたくなったら遊ぶ。そして、遊び疲れたらまた寝るということを繰り返す。衣食住は下僕達が全て整え、惰眠を貪る至高の生活のことにゃ』


しかし、母様と下僕達の反応はとても悪かった。


特に母様に至っては笑顔のまま額に青筋を走らせたので、余は顔引きつらせてたじろいだ。


『そんな生活、勇者の血筋を引く貴女に許されるわけがないでしょ』


『な、なんでにゃ⁉ それじゃ、聞いていた話と全然違うにゃ』


母様の怒号に、余が血相を変えて慌てたのは言うまでもない。


『何を訳の分からないことをいっているんですか。それから語尾に『にゃ』と付けるのはお止めなさい』


『い、いや、これも別にしたくて言っているわけじゃないのにゃ。母様、余の話を聞いてほしいのにゃ』


余が生まれる前に出会ったリシスについてと家ネコ生活を母様と父様【ととさま】に説明したところ、二人は真剣に受け取ってくれた。


ただ、前世は説明が面倒臭そうだったから詳しくしていない。


『まさかミオがリシス様の祝福を受けていたとはね。でも、赤ちゃんの頃から学習能力や身体能力が群を抜いて高かった理由に合点がいったよ』


余の父様こと『アルバート・ルルクラージェ』は合点がいった様子で深く頷いた。


父様は赤茶の髪を肩まで伸ばし、優しげな目付きには琥珀色の瞳が浮かんでいる。


また、母様より小柄かつ童顔。


余が言うのも何だが、可愛らしい父様だ。


母様や親しい者からは『アル』という愛称で呼ばれている。


『えぇ、本当。アルの言う通りね。でも、もしミオの言っていた『祝福の勇者素質五等級』をリシス様が授けてくださったなら、これはとても素晴らしいことだわ』


『そうにゃ。だから、家ネコ生活を送らせてほしいのにゃ』


此処ぞとばかりに余は目を潤ませて上目遣いかつ、リョウコ達に効果抜群だった声色を使用した。


『それは駄目です』


母様から即答で一蹴されてしまった。


『なんでにゃ⁉』


目を見開いて抗議するが、母様は「良いですか、ミオ』と真顔になって、余の鼻先まで顔を寄せてきた。


『大いなる力には大いなる責任が伴うのです。貴女がリシス様から受けた祝福は国の……いえ、きっと世界の宝でしょう。力を正しく使えば世界を平和に。誤った使い方をすれば世界を大混乱に導くことでしょう。ですから、語尾の『にゃ』は許しますが、お勉強はしっかりやってもらいます』


『な、なんでそういう話になるのにゃ⁉』


必死に抗議するが、結局は聞き入れてもらえなかった。


父様だけだったら、押し通せたかもしれないが、母様には通じなかったのにゃ。


余の力は父様と母様だけの秘密とされ、厳しい勉強が毎日行われるという家ネコ生活にはほど遠い苦行が始まったのだ。


当初の話と違いすぎるから、リシスにどうにかしてもらおうと考えた余は、彼女と連絡を取ろうとした。


奴に言われた通り、余は必死に『話したい』とか『会いたい』と願ったが未だに一切返事はない。


何が転生神リシスだ、奴は単なる大嘘つきだったにゃ。


まぁ、それでも余は上手いこと勉強を抜け出すことで昼寝時間は毎日確保し、総合計十六時間の睡眠は確保をしている。


「姉さん、そこにいるんでしょ」


誰にも邪魔されないよう大木の上で昼寝しながら考えを巡らせていると、下から余を呼びかける声が聞こえてくる。


うっすらと目を開けて下を覗くと、余の弟の『ギルバート・ルルクラージェ』がこちらを見つめていた。


『ギル』は余が生まれてから、五年後に生まれた実弟だ。


少し伸ばした赤茶の髪を後ろでまとめ、大きくぱっちりした目には琥珀色の瞳が浮かんでいる。


総じて、父様譲りの可愛らしい顔付きの弟だ。


「……誰もここでは昼寝していないのにゃ」


「誰も昼寝してなかったら、返事はないでしょ」


ギルは呆れたように呟くと、跳躍して余が寝ている横までささっと身軽に大木を登ってきた。





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