前世家ネコの勇者は家ネコに戻りたい

MIZUNA

第1話 プロローグ・家ネコ

余は、この家を縄張りにして十数年の貓。


つまり、家ネコだ。


元々は野良猫として生まれたが親兄弟と死に別れた後、紆余曲折を得てこの家に流れ着き現在に至っている。


同居を許している大きい三匹の猫達は余のことを『てまり』と呼ぶが、意味は定かではない。


ちなみに、この大きな猫達は余の下僕である。


何故なら、余が何もせずとも水とご飯を用意し、粗相をするための場所を日々綺麗にするのだ。


これを下僕と言わずとしてなんと言おう。


しかし、彼等も時にサボることがある。


その時、余は抗議をとして普段とは違う場所にあえて粗相をするのだ。


すると、下僕共は急いで粗相をする場所を綺麗に掃除し始めるのである。


彼等が綺麗にした後は『わかればよろしい』と、余はこれ見よがしに用を足す。


その時、下僕達は安堵の表情を浮かべ、どこか満足げであった。


時には下僕がご飯を入れ忘れることもあるが、その時は下僕達の足にすり寄って百の声色を使い分けて指示を下す。


さすれば、下僕達は嬉しそうにまたご飯を用意してくれるのだ。



幼き野良猫時代を思い返せば、余の母はいつも天敵に注意しつつ、ご飯や水を求めて歩き回っていた。


しかし、あれだけ注意深かった母でさえ、猛烈な勢いで走ってきた巨大な箱と衝突して死んでしまったのだ。


野良猫というのは、常に死と隣り合わせだった。


だが、家ネコとなってから余の生活は一変する。


下僕が全てを用意する上、天敵に襲われることは今まで一度もなかった。


縄張り近くを余所の野良猫や若い雄猫が通ることはあっても、余に危害を与えるようなことは決してできない。


透明の壁が阻んでくれるからだ。


家ネコとなった余は好きな時にご飯を食べ、身体を動かし、天敵を恐れず存分に惰眠を貪る生活を送ってきた。


先に死んだ親兄姉に誓って言える。


余は、亡くなった者達の分まで思う存分に惰眠を貪れたと。


だが、流石の余も大分歳を取ったと言わざるを得ない。


若い頃は軽々と飛び乗れた棚の上に届かなくなり、歩き回るのもだるい。


噛む力も以前より落ちている。


最近に至っては、下僕共が余を抱きかかえて口の中に何かを流し込んでくるのだが、これから逃げるのも億劫なほどに身体が重い。


野良猫より長生きは出来たが、いよいよ余にも『死期』が近づいてきたということだろう。


そしておそらく、余は今日の夜に息絶えるというそんな予感がした。


「てまり、あんた今日は特に元気ないね。大丈夫?」


話しかけてきたのは、リョウコと呼ばれる下僕猫の一人である。


出会った頃はまだ小さかったのに、今では他の下僕と変わらない大きさをしていた。


返事をするのもだるい。


いつもの透明壁の前で縄張りを見張っていた余は、無視を決め込んだ。


しかし、リョウコは私の傍に寄ってくるなり余を持ち上げ、抱きかかえた。


「んにゃ~……」


不満げに声を出すが、リョウコは何故か嬉しそうである。


「死んだらやだからね。あんたはまだ十九才なんだから。ギネス記録だと三十八歳まで生きた猫もいるんだよ。あんたもそれぐらいは生きてもらわないとね」


「ん~……」


何を言っているのか分からないが、いつも顔を擦り付けてくるのは止めてほしいものだ。


「リョウコ。てまり、嫌がっているじゃない。降ろしてあげなさい」


「はーい、お母さん」


声がした場所をちらりと見れば、お母さんやヨシコと呼ばれる下僕が呆れ顔で立っていた。


この下僕は出会った当時と大きさは変わらない。


リョウコにゆっくりと降ろされた余は、気持ちを落ち着かせるべくその場から少し歩いて毛繕いを始めた。


「お、どら猫。今日も元気に毛を舐めているな」


「お父さん。どら猫じゃないよ。三毛猫のてまりは、高貴の生まれなんだからね」


リョウコが頬を膨らませて抗議した相手は、お父さんもしくはオサムサンと呼ばれているこの家唯一の雄猫だ。


出会った当時よりも、貫禄が出ている気がする。


「てまりは保護ねこ譲渡会でお前が選んだ猫だぞ。血統も高貴もないだろう。家に来たばかり時、お父さんのサンマを奪ったし、台所の生ゴミも漁ったどら猫じゃないか」


「違うもん。心優しい高貴な子だもん。そうだよね、お母さん」


「そうね。リョウコの辛い時、傍にずっといてくれたもの。出来る限り、長生きしてもらわないとね」


三人の下僕が和気あいあいと話し出す中、余は毛繕いを終えて柔らかい椅子の上で丸くなっていた。


そしてその日の夜、余はリョウコの寝どころに入り込んだ。


この下僕が一番余に尽くしてくれたからであり、一番のさみしがり屋で泣き虫だからである。


リョウコを残して行くのは少々心残りではあるが、残念ながら死から逃れる術はない。


せめて最期まで傍にいてやろうと思ったのだ。


「あら、てまり。珍しいね。あんたから来るなんて」


「ん~」


素っ気なく返事をした余は、下僕リョウコの隣で丸まると目を瞑った。


少し寒くて苦しい。


でも、段々と楽になってくる。


薄れていく意識の中、ふと疑問が脳裏をよぎった。


死んだら、余はどうなるんだろうか。


また、子猫に戻って一からやり直す、とかだろうか。


もしそうだとしたら、次もリョウコ達のような下僕に囲まれる『家ネコ』になりたいものだな。


そう思うと同時に、余の意識は闇の中に消えていった。



「ん……」


目が覚めると、そこは真っ白で何もない空間だった。


匂いも気配もない、世にも奇妙な場所である。


しかし、縄張りの外であることは間違いないだろう。


どこかに敵が隠れているかもしれない。


不安で尻尾が自然と下がり始めた。


「いらっしゃい、てまりちゃん」


「フシャアアアアアアア⁉」


突然に背後から聞こえてきた声に、余は顔を顰めながら思わず飛び上がってしまう。


急いで振り返ってみれば、下僕達とよく似た背格好や顔をした褐色肌の大猫が黄色い長髪を靡かせていた。


「あらあら、驚かせちゃったわね。ごめんなさい」


大猫は近寄ってくると、しゃがみ込みながら目を細めた


な、なんだ、こいつは。


「こいつ、はないでしょう。私はね、神様よ」


「……⁉」


大猫は口を尖らせるが、余は身構えながら目を見開いた。


まさか、余の言葉がわかるのか。


「言葉じゃないわ。私は心が読めるのよ」


「そ、そうか。しかし、神とはなんだ。そもそも、余は死んだのではないのか」


状況が全くわからないが、会話ができるというのは有り難い。


矢継ぎ早に質問をすると、神と名乗った大猫は咳払いをして畏まった。


「まず『神』というのは、てまりちゃん達が過ごしていた世界を生み出し、管理する人知を超えた存在の総称よ。まぁ、生きとし生けるもの全ての母とでも思ってくれればいいわ」


「は、はぁ。母ですか」


余の母猫は既に他界しているが、一体この神というのは何を言っているのだろうか。


全く理解が追いつかない。


困惑していると、神は表情を崩して「ふふ」と噴き出した。





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