魔と崇高との感情性に関する観察

孤島

第1話 こうやって隣り合わせにある

『1664年11月16日 カルドリア国西部ソーンウィックにて集会を行う魔女10名が発見される。当局による魔女の逮捕、拘留の後、30日間の取り調べを経て、容疑者の自白を始めとした証拠の提出が認められた。50日後、生存していた魔女1名の裁判が開始した(取調中の不慮の事故により容疑者内9名が死亡)。』

(Caldoria日報)


『1719年03月20日 国内大陸部を中心に拡大している飢饉と疫病は目下収まることを知らない!作物が枯れ畑が死に、何人もの子どもの犠牲となり、街にはネズミと腐臭が漂っている!知事は今すぐ有効な対策をせよ!』

(活動団体広報ビラ)


『1722年07月05日 同国南西部ウィザーデイルにて不法薬物を製造、販売する魔女1名が発見される。同魔女は妊婦を始めとした婦人を利用し、実験的薬物及び東方より密培した植物の不正利用を繰り返した。同町内で魔女の拡大を謀っていたと考えられる。魔女発見人の通報の基、審問官の調査により魔女容疑者の家族、友人、知人を含めた大規模な調査により、1名の魔女が起訴、他町人29名が死亡した。調査に伴う死者について、当該地区審問官は「捜査の必要のため」とコメントしている。』

(地元の地方紙)


***


世界で最も美しいものは何はなんだろう。あの日からもう2年も経ったのに、私はまだその事を思い出す。あの悪魔はあんなに簡単に答えたのに。


あれは14歳の頃だ。私は家族に隠れて肌着を洗いながら、自分の体に変化がやってきたことを知った。

その赤い色を初めて見たときの私の感情は、恐怖に近かった。そして、家族の誰にも見つかってはいけないという思いが私を突き動かした。


2日目の朝早く、私は痛みと気怠さでふらついていた。そのせいで私は、すぐ後ろを通る母に気が付かなかった。私はちょうどその時、桶で布を洗っていた。


「シス」と呼ぶ母の声が聞こえた。私は心臓が跳ねるほど驚いた。しかし実際には体が硬直して、何も反応できなかった。

「汚いわね。そんなもの捨ててしまいなさい」母はそう言って、何事も無かったかのように通り過ぎた。


心臓の鼓動が治まるにつれて、私の驚きは次第に別の感情へと変わった。母から酷い事を言われたという気持ちで、私の心は暗い水の底へ沈んでいった。それが次第に、ただただ申し訳ないという思いでいっぱいになった。


こっそりと隠れてごめんなさい、黙っていてごめんなさい、そんな酷いことを母の口から言わせてごめんなさい……。

私は水の貯まった桶に対して、一人で謝っていた。でも、誰に対して?どうして謝っているの?

何度考えても、それはうまく言葉にできなかった。それは、私が汚れているからなのかもしれない。不思議なことに、そう考えると心が少し軽くなるような気がした。


それ以来、ずっと考えている。美しさってなんだろう、私はどうしてこんなに汚れているんだろう。


私が今居る部屋。天井が低くて狭い屋根裏部屋。古びた木の窓枠は、割れ目に埃が貯まっている。掃除するには少し工夫が必要だ。窓から差し込む日差しは弱々しくて、風化した床板に長い影を落としていた。

ちょっと古い家だけど、私は嫌いじゃない。この家が経験してきた歴史が、至る所に刻まれているみたいで、わくわくする。それに、綺麗過ぎない。まるで私みたい……。


窓枠の埃に息を吹きかけて飛ばすと、私はベッドの上に足に足を組んで座った。そうして、小さなサイドテーブルに置かれた、それよりももっと小さな木箱を取り出す。

中には、羊皮紙の切れ端やドライフラワー。そこに混じって、赤と緑の糸で編まれた柔らかいブレスレットが入っていた。

レイブンズブルックを囲む深い森の色。そして、アリシアの燃えるような豊かな赤髪。


私たちが一緒に作ったブレスレットだ。昼食のスプーンが転げた話で笑い合ったり、母には話せないような些細な秘密を共有しながら、一緒に作った。


アリシアとのこんな日々から、もう2年が経った。それは、私にとって世界が三度変わるくらいの、長い時間に思えた。でも、ほんの少し前の出来事のような気もする。


それは暖かな夏の日のことだった。


燃える街並み、ハンター、振りかざされる銀の剣、古い呪文、そして魔術を使ったアリシア。


あの日の事を思い出すと、胸がぎゅっと苦しくなった。


「アリシア」気が付くと囁いていた。静かな部屋の中でも、私の声はほとんど聞こえなかった。


彼女のことを思う。そうすると、私の中に冷たく暗い感情と、その奥にある柔らかく暖かい感情が交代でやってくる。まるで仲良く手を繋いでいるかのように。まるであの時の私たちのように。

アリシアを思い出すといつもそうだ。


市場通りに響く、アリシアの明るい笑い声。ヴァレンティンの店を探索する時の、大きく開いた彼女の目。レイヴンズブルックの複雑な道を走る時に繋いだ、彼女の手の温もり。たったの数ヶ月?ううん、私とってそれは一生で一番長いくらいの時間だった。例えそれが、今はもう悪魔の持ち物だとしても。


ドアを軽く叩く音が聞こえた。私は考え事から驚いて目を覚ました。

「シス?」母の声は、これまでとは違ってためらいがちだった。「夕食ができたわよ」


「今行く」私は慌てて目を拭いながら返事をした。


ブレスレットを箱に戻し、ベッドの下に丁寧に閉まった。立ち上がって、壁にかかっている小さな鏡に映った自分の姿を見た。


同年代の子と比べて小さな身長。少し痩せているのか、母はもっと食事をたくさん食べるように言う。だけど顔だけは丸い。赤褐色の髪はごわごわで、三つ編みにしていてもあちこちに毛が飛び出している。少し薄暗い琥珀色の瞳には緑色の斑点がある。

アリシアとは全然違う、ちんちくりん。自分の姿を見ると、少しだけ悲しくなる。だけど、祖母からもらったカーディガンは、暖かくてとても柔らかい。これを来ていると、少しだけ自分に自信が持てる。


文学が好きで、本ばかり読んで過ごしている。おっちょこちょいで、気が弱くて、人見知り。


父は詩人で、母は裁縫師。一つ下の妹は、明るくて太陽のような笑顔。私と違ってとってもかわいい。


2年前のあの日と、今の私は何か変わったのかな。鏡の中の自分に問う。あまり変わっていないかもしれない。


でも、一つだけ前に進んだものがある。

世界で最も美しいものはなんだろう。私は鏡に手を伸ばした。左手で鏡面に触れる。鏡の中の私は右手を差し出している。私の腕に刻まれた、血のように黒い印が見える。だけど、鏡の中の私の手には、影になってそれが見えない。


きっとこういうことだ。美しいものと汚れたものは、こうやって隣り合わせにある。私はあの日、それを知ることができた。


私の名前はシス・クマイル。

これは私とアリシア、レイブンズブルックの暖かい人々と、『魔女』を巡る短い物語だ。

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