【短編】普通の高校生くんと魔女の千歳さん

カカオオレ

第一話

この学校には、魔法使いがいる。


昼休み、五階。

今は使われなくなった空き教室ばかりの殺風景な廊下。

その隅に、真っ黒なカーテンを暖簾のれんのようにして廊下と区切られた部屋があった。

カーテンを持ち上げて潜り抜けると、そこには一人の少女の姿がある。


「来たわね、凪音なぎねくん」

「…なんの用ですか」


千歳ちとせ 神無かんな

安楽椅子に座った彼女は、名探偵さながらの所作で、マグカップに注がれたコーヒーを啜っている。


「私は今日、ついに自分の力の正しい使い道を思いついたわ」

「…どう使うんですか」

「私が嫌いな体育の授業の時に、魔法で雨を降らせて保健に変更させるの」

「…もうちょっとマシな使い方を考えてください」

「あら。じゃあ、授業が退屈なときに消しゴムをセミに変えて教室に放ってみようかしら。きっと面白いわよ」

「…絶対にしないでください」


彼女が指先をちょいと動かすと、それに呼応するようにマグカップが宙を駆けて机に着地する。


そう。

この学校の魔法使いとは、彼女のことである。

小さくはチャッカマン程度の火を出すことから、大きくは地球を複製するくらいまではできるらしい。

本人に信頼がないので、実際に地球を増やせるのか確かではないが。


ただ、彼女本人は魔法の力を人に知られるのが嫌らしく、あまり大っぴらに魔法は使っていない。

さっきのように、人にバレない程度の微妙にしょうもない使い方ばかり考えては僕に提案してきている。


…あれ、そういえば。

僕は小さく波を打つマグカップを見て、一つの違和感に気づく。


「先輩、コーヒー飲めましたっけ」

「コーヒー?飲めないわよ」

「でも、今飲んでたじゃないですか」

「?これ、コーラよ。気は抜けてるけど、甘ったるくて丁度いいのよ」

「………」


紛らわしい飲み方、しないでほしい。





放課後。

チャイムが鳴って、グラウンドから運動部の声が聞こえる。

僕はジュースを買おうと、階段下の自販機を目指して歩いていた。

僕のじゃなくて、千歳先輩のだが。

何やら、先輩の大好きな「わさびスムージー」がここの自販機にしか売っていないらしい。

先輩はいつもの部屋に荷物を忘れたとかで、代わりに僕が買い出しに出ている。


あ、水泳部のプールが見える。

外階段を降りながら友達の姿を探していると、不意に体が宙に浮く感覚を覚えた。

やば、滑っ――


……てない?

あ、あれ?今確かに足が抜け落ちたはず…。

つい数瞬前までの感覚とは裏腹に、足元には確かな地面の感触がある。

階段を降り切った後に、まだ一段あると勘違いして足を出した時のような変な感覚だ。


足に変なところがないか確認していると、右手に握ったスマホが振動する。

どうせ先輩からの催促のメッセージだ。

僕は足元を注意深く見ながら、急いで階段を駆け下りた。





思ったより高かったな…。

いくら自動販売機といえど、大して大きくもない缶で200円というのはどうなんだ。

まあ、先輩のお金だし僕には関係ないか。


重たい足を無理に引き上げながら、階段をゆっくりと上がる。

五階と一階を往復するのは、運動不足の身には地味にきつい。

だからこそ先輩は僕をパシリにしたんだろうが。


少しでも気持ちを昂らせるように上を向くと、屋上に知らない女生徒が見える。


胸騒ぎがした。


うちの屋上は、鍵がかかっていて簡単には上がれないはずだ。

人が行く機会なんてほとんど無いに等しいので、柵がない部分もある。

彼女がいるのは、ちょうどその部分。


最悪の可能性が脳裏によぎる。

同時に、僕は張った脚に鞭を打って、全力で階段を上った。




屋上へ続く扉は、既に開いていた。

急いで人影の見えた場所へと走る。


居たのはイヤホンをつけた女子一人。

リボンの色的に、一年生のようだ。

少し離れた場所から声をかけたが、風とイヤホンのせいで反応がない。

すぐに駆け寄って、彼女がこちらに気づいてイヤホンを外したところで声をかける。


「何してるの。危ないよ」

「あ、えと。トイレ行こうと思って五階来たら、たまたまここの鍵開いてたから、興味本位で」


良かった。どうやら、最悪の予想は外れたらしい。

けど、危ないことには変わりはない。


「とりあえず、せめて柵がある場所に行った方がいいよ」

「そうなんですけど。ここからじゃないと、弓道部の練習見れなくて」


弓道部か。

弓道場は天井はないが壁で隔てられているので、確かに上からじゃないと見えない。


「あ、ほら見てください。あの子、友達なんです」

「ん…。どの人?」


僕が彼女の隣に近寄ったその時。


「あっ!」


強風が彼女の手の中のイヤホンをひったくり、空中へと誘った。

彼女は反射的にイヤホンに手を伸ばし、そのままバランスを崩す。


まずい。


僕は彼女を抱き寄せるように腕を出す。

が、唐突な行動に身体は反応しきれず、足が引っかかる。

僕は彼女と一緒に、さっきも味わったような、けれどさっきと違い明らかに命の危険を感じさせる浮遊感に襲われる。


この下はアスファルトの地面。

屋上から落ちれば、恐らく確実に。

死―――。



僕が現実から逃れようと目を瞑った時、得体の知れない感覚に包まれる。


翼。

巨大な黒い翼が、僕と彼女を抱きかかえていた。

呆気に取られる僕たちを包み込んで、翼はどこかへ移動している。


パキャン。


皿を割ったような大きな音が耳に劈く。

その直後、翼は静かに僕たちを解放して、姿を消す。


開けた視界に映るのは、使ったこともないのに見慣れた空き部屋と。



「おかえり、凪音くん」



嫌になるほど見た、憧れの先輩の姿だった。





屋上にいたあの子は、僕と先輩に大粒の涙を流しながら感謝と謝罪を述べて、部屋を出て行った。


先輩は粉々になった窓ガラスに手をかざして、元通りに修復している。

数秒も経たずにガラスをもとに戻すと、先輩はカバンの紐を肩にかけて、あんなことがあったのに平然とした様子で僕に声をかけた。


「さ、帰りましょ。魔法の正しい使い道を考えながらね」

「…やっぱ先輩って、変ですよね」

「あら。それ、貶してるの?褒めてるの?」

「…半分半分ですかね」


二人で並んでカーテンをくぐる。

先輩は思いついたように呟く。


「そうだ、凪音くんと味覚を共有できる魔法をかけて、凪音くんのお金で私もご飯を食べる、というのはどうかしら」

「…そんなことするくらいなら、一緒に行きましょうよ。おごりますから」


今日も当たり前のように、かけがえのない一日が過ぎていく。

どこにでもあるような、ありきたりな公立高校。




この学校には、魔法使いがいる。

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