第7話 迷いのない男

 漸く、花婿と花嫁が祭壇の前に揃った。


 一同は聖歌隊と共に讃美歌を斉唱。参列者の中にはもう感動して涙を流している者までいる。しかし、花嫁は澄まし顔で今、自分の置かれている状況を考えていた。


(聖歌隊と参列者の方々の歌声が素晴らしくて、胸にグッと来た。これが特別任務ではなく本当の結婚式だったら、私は号泣していたかも知れない。それはさておき、司祭様がお話をしている間に、ここまでの出来事をおさらいしておこう。――――私は昨日、マクシムから呼び出され、リシュナ領への転任と特別任務を命じられた。――――今朝、花嫁衣裳を持った侍女たちが私の宿舎へやって来た。ドレスの着付けを終えた私は王宮の転移魔法陣を使ってリシュナ領へ移動。到着すると教会の前で父上が待ち構えていて、バージンロードを二人で歩くことに・・・。そして、今から私は辺境伯と神の前で結婚の誓いを立てる。――――いや~、いやいや、これ酷すぎるだろ?任務の内容がさっぱり分からないまま、一日足らずでここまで話が進んでしまっているのだから・・・。――――本当にこのまま流されて大丈夫なのか?)


「――――ビアンカ嬢、ビアンカ嬢!誓いますか?」


「――――は・・い、誓い・・・ます」


(あ~、勢いに押されて、何を聞いていたのかよく分からないのに『誓う』と答えてしまった・・・)


 司祭に声を掛けられて咄嗟に答えてしまったが、これで合っているのだろうかと彼女は焦る。視線で隣にいる辺境伯を窺ってみたが、彼は真っ直ぐに前を向いていて、どんな表情をしているのか分からない。


(――――うーん、失敗したという雰囲気でもないし、まぁ、いいか・・・)


 今の『誓います』が結婚の誓いだとビアンカが気付くのはもう少し後のことだった。


「では、指輪の交換をいたしましょう」


 司祭が次の段取りを口にすると、横に控えていた助手が大きな白い箱を祭壇の上に置いた。箱には白いバラの花が隙間なく嵌め込まれていて、その上にフリルのついたハート型のリングピローが乗っている。そのリングピローの上には二つの指輪が白いリボンで結ばれていた。――――指輪は二つとも、アメジストとダイアモンドが散りばめられているデザインで、ステンドグラスから注がれる柔らかな光を浴びて輝いている。


(こんな繊細なデザインの指輪・・・、いつの間に用意した?これはどう考えても、一朝一夕で作れるものでは無いだろう。それに参列者がこれだけ揃っているというのも・・・。この結婚式はかなり前から準備していたのではないだろうか。何故、マクシムはギリギリもギリギリな前日に私へ指令を出した?――――まさか、急に相手がダメになったから、代役・・・、いや、それにしてはドレスのサイズが合っていた。私と同じサイズの女性はそんなにいない・・・。ということは、代役で呼ばれたという可能性は無いということか)


 ビアンカがボーッと考え事をしている間に、ユリウスは彼女の左手からレースの手袋を外した。司祭が視線で促しても、彼女が手袋を外そうとしなかったからである。


 ユリウスは彼女の手袋を一旦、祭壇に置いた。そして、ビアンカの左手を再び取り、薬指へ指輪を嵌めていく。サイズもバッチリでスムーズに終えることが出来た。


 ビアンカは自分の手に嵌められた指輪を、そっと右手で撫でる。


(石を散りばめられているのに表面は滑らか。これなら指輪を嵌めたままでも武器を使える!)


「ビアンカ、手袋を」


 ユリウスは祭壇の上に置いていたレースの手袋をビアンカの左手に再びはめた。


(レースの手袋の下でも指輪はキラキラと輝いている。きれいだ・・・)


「次は花嫁から花婿へ・・・」


 ビアンカは司教から促されて指輪を受け取ると、ユリウスの細くて長い指へ嵌めていく。


(綺麗な手。大斧を振り回している私とは大違いだ。彼は何の理由があってこんな年上の大女と結婚する必要があるのだろう。一先ず、その辺りから探っていくか・・・)


「では、誓いのキスを・・・」


(なっ!!)


 司祭の口から出た言葉で、ビアンカの心臓が跳ねた。


(ええーっ、ダメ!!マズイって!!こんな行き遅れの大女が美少年とキスなんかしたら、犯罪だって!!)


 心の中で斜め上なことを言い放って精一杯、抵抗しようとするビアンカのベールを、ユリウスはフワッと持ち上げた。


(嘘、えーっ!!躊躇しないの!?)


 ビアンカは彼に迷いがないことに驚く。だが、大人の余裕を見せたいが為、必死にポーカーフェイスを装う。


(うううっ、流石に初対面だから、口にはしないよね?それなら、頬?額?もしくは鼻先???――――ああ、それでもドキドキする!!その上、身長が同じくらいだから、顔が近い!!恐ろしく整っている顔をこんなに間近で見るなんて、破壊力があり過ぎてキツイ!!)


「スーーーーーーゥ・・・・・・、フーーーーーゥ」


 ビアンカは心を整えるため、ゆっくりと息を吸って吐いた。


(この間合い、常日頃なら確実に斬りつけた後の距離だわ。男の人とこんな風に近づいたことって無い気がする。勿論、父上と兄上は除いて)


 やはり間合いを取るのは大切だとビアンカが余計なことを考えていたら、ユリウスから腰をぎゅ―っと引き寄せられる。――――ビアンカとユリウスの身体がピッタリとくっついた。


(うわっ!!はっ、恥ずかしい!!何これ!!辺境伯、いまも近寄って来る気配を感じなかったのだけど?えっ、何で!?魔法使いだから??)


 ビアンカが異性に腰を抱かれたのはこれが初めてだった。


 ユリウスはそんなことお構いなしにビアンカへ顔を近づけていく。ドキドキし過ぎてどうしたらいいのかが分からなくなった彼女は覚悟を決めて、この場をユリウスに任せることにした。


――――ビアンカが瞼を閉じた途端、二人のくちびるが触れる。フワッと優しく押し当てられて・・・、初めて知った口づけの感触。急激に体温が上昇し、何かが激しく体内を駆け巡っていく。


(んーんっ!!!!まさか、くちびるを重ねて来るなんて!!!あーあ、初めて男とキスした。――――年下の美男子とするなんて思わなかったー!!うわぁ・・・、ナニコレ滅茶苦茶、恥ずかしいー!!!)


 数秒後、二人のくちびるが離れると場内から新しい夫婦の誕生を祝福する大きな拍手が参列者から贈られた。


(うううう、顔が熱い。うううう、恥ずかしい。――――私、今どんな顔をしている?ダメだ、心がコントロール出来ない・・・)


 ビアンカは真っ赤になった顔でユリウスの表情を窺う。


 彼は微笑を浮かべて、ビアンカを真っ直ぐ見詰めていた。バチッと視線が合った瞬間、ビアンカの心臓はギューッと締め付けられる。


「ビアンカ、真っ赤。フッ」


 ユリウスは口元を手で隠して、上品に笑う。


 ビアンカは目の前の美しい生き物にどう対処したらいいのかが分からず、つい彼から視線を外してしまう。――――すると、特別席にいるマクシムと偶然、目が合ってしまった。マクシムはビアンカに向かって、満足そうな表情を浮かべ、大きく頷く。


(この任務の目的は良く分からないままだけど、マクシムの様子から察するに、ここまでは上手く行ったということだろう。――――あいつ、今後も明確な指令を出さないつもりなのか。そのやり方は非常に困るのだが・・・)


 心の中でマクシムに腹を立てていると司教が結婚の儀式は無事に終了したと告げた。


「――――ビアンカ、退場の時間」


「・・・・・」


 ビアンカが今後のことを色々と考えているとユリウスが彼女の手をテキパキと腕に引っかけて歩き始める。


(くぅ~、不覚。ボーッとしていた・・・)


「辺境伯、リードして下さり、ありがとうございます」


 ビアンカが小声で、隣にいるユリウスへお詫びを口にすると彼はビアンカの方を向き「どういたしまして」と笑顔を見せた。


(笑顔の破壊力!!ここにしばらく居るなら、この顔に早く慣れないと・・・。――――出口までが遠い。この教会、広過ぎる・・・)


 軽快な楽曲が演奏され、二人を囲む参列者は笑顔を浮かべている。ビアンカはこの時だけは偽物の花嫁だということを封印し、滅多に出さない笑顔を振りまいた。



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