2-2 部室にて

 薄暗い大学の研究室、部屋の中にはソファーに座った少女と、本を片手にして、立ちあがっている少女。


 立っている少女は滔々と手に持った本を読み上げている。背が高く、すらっとしたスタイルの少女が本片手に読み上げる姿は非常に様になっている。


「しかし、ここで一つ考えてほしいことがある。それは、この入れ替わったスワンプマンと入れ替わる前の人物は、果たして同一人物なのかという事だ。完全なるコピーである存在は、別人なのか、違うのか………。」


 半ば陶酔気味に話す少女、しかし、ソファーに座ったもう一人の小柄な少女は、非常にうんざりとした表情をしている。


「ちょっと、タンマ!」

 語りに食い込むように、少女は手を伸ばす。


「何?ここからがいいところなんだけど。」

「沙織、ホント申し訳ないんだけど……、途中から何言ってるか全然分かんなかった……。」

 沙織と呼ばれた長身の少女は、はあと一つため息をつく。


「青葉……そんな調子だと単位落とすよ。」

「いやいや、第一書き方が分かりにくいよ。死んだ男が死んだ男がって、もっとわかりやすい書き方あったでしょ。」

 青葉が文句を言うと、沙織は何か考え込むような仕草をする。


「んー、じゃあ、分かりやすく言うと、全く自己と同一構成物質からなる非自己存在は果たして自己と同一かって話。」

「うわ、余計ややこしくなった」


 少なくともさっきと同じくらいかさっき以上には分かりにくい。青葉は四肢を投げ出してソファーに横たわる。そんな彼女を見かねて、沙織は再び真剣に考える。


「要は自分と外見も中身が全く同じだけど自分とは違う生き物が現れたらどうするかって話。」

「おお、分かりやすい。サオリ、あんた実は良かったんだね。」

「うるさい。」

 沙織は軽く青葉の頭を叩く。青葉は叩かれたところをさすり、大げさに痛がる。


「いってー、やめてよ、今頭怪我してんだからさ。」

「いやまぁ確かに馬鹿は頭の怪我だけど……。」

「違うわ!物理的に怪我してんの!」

 青葉の嫌がり方が本気だと感じ、沙織も表情を変える。


「あれま、またどしたの?」

 沙織の質問に、青葉も不思議そうな顔をする。


「なんか家の近くの電柱に頭ぶつけた?みたい……。」

「みたい?」

「いや、何か大家さんによると、朝ごみ捨てにでたら電柱の前で私が寝てた……らしい。」

「馬鹿にアル中……こりゃ救いようないな。」

「なんだと!」

 文句は言うが、実際否定しきれないのが嫌なところ。青葉も表情だけ不満そうにして、押し黙る。沙織も追撃の手を緩めない。


「昔の青葉は優等生だったのになー。どこでこうなっちゃったのか。」

「うるさいなぁ。」

 青葉も、段々反論の内容が薄くなってくる。沙織も、これ以上は可哀そうだと思ったのか、そんなことより、と話題を変える。


「それより、レポートは良いの?題材が見つかんないって泣きついてきたのは青葉でしょ?」

「あ、そういやそうだった。」

「そういやって」

 沙織は再度ため息をつく。


「いやー、やっぱり部室が居心地よくってさー」

 申し訳なさが混じった声で、青葉はてへへと言う。


「っていうか哲学取ってない私に頼むより、哲学もっと詳しい人に聞いた方いいんじゃないの ?」

「例えば?」

「うーん、あ!加藤先生とかどう?」

 悩んだ末に沙織が名前を出したのは、哲学科の老教師だった。課題に困った生徒にも優しいと評判だ。しかし、青葉の反応は芳しくない。


「えー、よりによってカトキチ?」

「なんでよ、評判良くなかった?」

 意外そうにする沙織、今度は青葉が唸る番だ。


「いや、昔は良い人だったらしいけど、なんか今年に入ってから急に厳しくなったんだよねー。ちょっと遅刻しただけですーぐ怒鳴るし」

「へー、そうなんだ。哲学取ってなかったから知らなかった。」

「お陰様で何人か単位でない可能性だって出てるんだよ、もー大変。」

 沙織はふむふむと考えた後、はっと、何か思いついたような表情を浮かべる。


「なるほど、つまり楽単科目から落単科目に様変わりってこと?」


 思わず青葉は白い目を向ける。沙織は慌ててフォローに入る。

「あー、これはつまり楽な単位っていうのと、単位を落とす落単がかかっててね?」

 必死のフォローもむなしく、青葉の表情は冷たいまま。


「沙織……」

「……何よ。」


 強張った沙織に、青葉は残酷な事実を突きつける。

「……そういうの、オッサン臭いよ。」

「青葉にはこのユーモアが分からないか。」

 やれやれと言わんばかりに、手のひらを上に向けるジェスチャーをするが、所詮強がりに過ぎない。青葉もその仕草を一蹴する。


「一生分かんなくていいよ、後同い年でしょ。」

「あーあ、椎菜だったらすごい笑ってくれるのになぁ。」


 沙織のその何気ない一言は、青葉を沈黙させるには十分だった。沙織も自分の湿原に気が付き、部室は少し重い空気が流れる。そんな空気を換えるため、青葉はゆっくりと口を開いた。


「……椎菜の奴、いつになったら大学来るんだろうね。」

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