第5話 桃色の通学路

 時刻は午前7時50分、悠斗の通う高校は8時20分までに着席すれば良い。初夏の陽気を肌で感じながら、静かな住宅街を一人寂しく歩く。


「……昨日は散々だったな」


 その起因である金色に染まった髪を弄りながら、小さく呟いた。クラスでは避けられ、声をかけられたと思えば会話が出来ないやつだったのだ。


 ただ、なんとかなるだろうと思う程度には楽観的だった。そんな風に思えるのは、あいりのおかげだろうか。


「昨日は災難だったね〜」と慰めるような声が聞こえてくる。


「まぁ、あれが普通の反応だよな……」


 金髪が悪いのだと、どこからか聴こえてきた幻聴を慰めに、悠斗は歩く。


「悩みすぎるなよ、金髪少年」

「いや、別に悩んでるわけじゃ……」


 幻聴がまだ続くのかとそれに答えながら、足を止めた。


「え? 」


 その声の主を探すように横を見下ろせば、桃色の髪が風になびく。二つに分けられた短いツインテールが左右に揺れ、制服であるワイシャツの胸元は大きく開かれていた。


「おはよう柊君!人生は行動がすべて!全速前進だ!」


 その少女は右手を軽く挙げて、その細い腕で小さく敬礼のようなポーズをとった。


「お、おう」

「そうそう!グッジョブ!」


 少女は、親指を立てて白い歯をキラリと光らせた。その勢いに、悠斗はたじろいぐ。


なんだ?この不審者は……。


 思わず後ずさるが、少女は気にする素振りもなく、


「ふーん、なるほどねぇ~」


 瞳をキラキラさせながら、納得するかのように頷いた。一体何なんだ……と、その奇抜な行動にドン引きしていると、少女はその大きな瞳で、悠斗の顔を覗き込む。


「ねぇねぇ?どこから来たの?」

「どこって……家から?」


 その勢いにまた一歩後ずさりながら答える。この桃色髪の少女に見覚えがなかった。

 ただ、どこかで見たような……と、そんなデジャブを感じる。


「違う違う、転校生だよね?前はって意味〜」

「あぁ、東京だよ」


 違和感を感じながらも素直に答えた。なにせ対人スキルが皆無なのだ。


「うわぁ、大都会じゃん。こんな時期に珍しいね。親の転勤?」

「まぁ、色々あって…一人暮らし」


 主導権は少女にあるようで、悠斗はたじたじになりながらも、なんとか答えた。その答えに満足したのか、少女はまた親指を立てて白い歯を見せる。

 その屈託のない笑顔に思わずドキリと鼓動が早まる。


「いいね!いいね!好き放題出来る!」

「そうか?」


 現実はそう甘くないぞ。掃除に洗濯、食事の用意などやるべき事は多い。

 そもそも悠斗は、逃げ場を求めただけだった。


「ウチは家族多いから、ぎゅうぎゅうの牛小屋だぜ」

「…へぇ」


 牛小屋に駄洒落をかけてるのだろうか?少女は、苦笑いを浮かべる悠斗に「あれ?」と首を傾げる。

 そんな一瞬の間が先程から浮かんでいた疑問を思い出させた。


「ところで、誰?」

「覚えてないの?教室に居たんだけどな~」


 少女は、腕組みをしながら首を捻る。教室という事はクラスメイトなのだろうか?


「いたっけ?」

「ガーン!めっちゃショック!」


 そう言って大袈裟にのけ反った。そのオーバーリアクションに、思わず苦笑いを浮かべる。

 昨日の事を思い出してみるが、初夏を感じさせない冷たい空気に迎えられ、クラスメイトの顔をろくに見ていない。思い出したら胸が痛くなってきた……。


「すまない」

「しょうがないなぁ~もう。許してやんよ」


 悠斗の肩をポンポンと叩きながら、少女は満足そうに微笑んだ。


「君が教室入って来た時、マジで興奮しちゃったんだよね」

「え?なんで?」


 少女は目をキラキラさせながら、笑顔で両手を軽く叩く。


「うぉ~ヤンキーだ!本物初めて見たすげぇ~!って」

「……俺はヤンキーじゃないぞ」


 悠斗は思わず溜息をついた。その溜息を、少女は「またまたぁ~」と笑い飛ばす。


「昼休みカツアゲしてたじゃん?失敗してたけどね〜あはは」

「してねーよ!」


 咄嗟に否定しながら、なんの事かと記憶を辿る。教室での記憶……カツアゲ……もしかして……。


「ウチの目は誤魔化せないぞぉ」

「いやいや、違うんだって!」


 あれはなけなしの勇気を振り絞って、一緒に昼飯を食べないかと声をかけたのだ。そして、見事に玉砕した……。


「あ、そういえば」


 そんな悠斗を他所に、少女は何かを思い出したかのように手を叩いた。


「放課後、こばとに絡まれてたよね」

「こばと?」


 悠斗は首を捻った。いったい誰の事だろう?


「牛乳瓶の底みたいなメガネ」


 少女は両手の指を丸めて眼鏡のような形を作ると覗き込む。


「ああ、あの変なやつか?」

「そう!あの変人!」 


 悠斗の答えに満足したのか、少女はウンウンと首を縦に動かした。その表情は喜びに満ち溢れている。


「あのメガネ、こばとって言うのか」

「あたしがボケたら、クソ真面目にツッコんでくんの。面白いヤツだよ」

「そんな愉快なイメージは無かったけどな」


 どちらかと言えば恐怖を感じたのだ。


「こばと、布教したいアニメがいっぱいあるみたいなんだよね」

「アニメやら二次元やら、よくわからない事を言われたな」


あれは布教活動の一環なのか?


「三度の飯よりアニメが好きみたい」

「……はは」


 思わず苦笑いが漏れる。オタクに偏見はないが、あの狂気じみた迫り方は、さすがにと感じてしまう。きっとあいつも友達がいないのだろう。

 悠斗の乾いた笑い声に、少女はククッと笑う。


「君もオタクの世界においでよ~」


 冗談なのか本気なのかわからない声色で、小さく手招きをした。悠斗はその言葉に、また苦笑いを浮かべる。


「勧誘はほどほどにしてくれ」

「おぉ!ありがとう!こばとすっごく喜ぶと思う!」


 悠斗の右手を両手で掴み、少女はブンブンと振った。


「え?」


 やんわりと断ったよな?と思いながらも、その勢いに思わずたじろいでしまう。あの瓶底メガネと仲が良いのだろうか?

 だが、屈託のない笑顔で喜ぶ少女を見て、否定するのを諦めた。


「ヤンキーなのにやっぱ怖くないね。もしやマイルド路線?」

「いや、これは……」


 茶髪にしようとしたら金髪になった。……なんて言ったら更にいじられる気がする。


「でもヤンキーならもう少しキャラ作った方が良いよ?」

「だ・か・ら!ヤンキーじゃねぇっての!」


 思わず大声を上げてしまった。


「あはは。良いツッコミするね!」


 だが、少女は悠斗の反応に親指を立てて、白い歯をキラリと光らせた。だから、そのドヤ顔やめろ。思わず心の中でツッコむ。


 そんな事を考えていると、右手を軽く上げ敬礼のようなポーズを向けてくる。


「ではさらば!健闘を祈る!」


 唐突に告げるとエンジン音を真似るように口を鳴らし、両手を広げて駆け出す。その小学生のような後ろ姿に悠斗は苦笑い浮かべた。


「あんなやついたよな」


 子供時代に一人はいるような、無駄に元気なやつ。幼少期の記憶が抜け落ちてる悠斗だが、どこか懐かしい——そんな気持ちを感じた。


 もっとも彼女は立派な女子高生。ただ、そんな懐かしい気持ちにさせる少女に、惹かれるモノを感じたのだ。


「あ、名前聞き忘れた」


まあ、クラスメイトなら昼休みにでも聞けるか。


 ようやく静寂を取り戻せた通学路を、ゆっくりと歩くのだった。

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