全肯定の美少女が幽霊なんて些細な問題だ!
少尉
第1話 同居人は訳あり美少女
——それは目に見えないけど、確かに存在して、触れられないけど、確かに感じられる。
誰もが欲しがるけど、本物と偽物が混じったそれは、とても気難しい。
本物だと思っていたら、偽物に変わるからだ。
だけど、今日も世界はそれを確かめたくて、動いている。
***
「やっちまったなぁ……」
家賃6万5千円。
駅から徒歩1時間。
鉄筋コンクリート造の4階、角部屋2LDK。
時刻は、街が動き出す朝7時。
築4年を証明するかのように、シミ一つない鏡は事実を、ただ淡々と告げていた。
「……マジかよ」
鏡の中の少年と大人の狭間のような姿の人物『悠斗』は、右手で下品に染まった髪を、認めたくない事実のように乱雑にかきあげた。
「ゆうちゃん、ドンマイだよ!」
表裏を感じさせない少女の声が、耳元で悠斗を励ます。
洗面化粧台には、悠斗の姿しか映っていない。
——つまりこれは、幻聴だ。
悪い方向に、ドラマティックな悠斗の人生。
それを少しでも変えようと、遅咲きの高校デビューを飾ろうと決心したのが、昨日の夜8時。
初夏に差し掛かろうかという辺りは暗く、狭い路地で入り組んだ住宅街の隙間を縫うように点々と広がる田んぼからは、カエルの合唱会が開催されていた。
引越してきたばかりの悠斗は、その迷路のような細道を、希望の光に導かれるように駆け抜けた。
辿り着いた先は、片道二車線に工事中の道路に面したドラッグストア。
田舎——とは言っても、人口70万の地方都市——には必要不可欠なその店内に駆け込むと、黒いカゴを左手に握り、目的の棚へと進む。
ヘアカラーと掲げられた棚には、様々な色が囁くように、悠斗を誘惑していた。
「……無難なやつにしとくか」
手にしたのはアッシュブラウン。それをカゴへと放り込む。ただ、そこで今は遠く離れた母親の声を思い出した。
——あ〜最悪、やっぱ美容院じゃないと染まり悪いよねぇ
ロクな思い出一つ作らなかったやつも、たまには役に立つもんかと、もう一つの箱も投げ込んだ。
そうして2つの箱を手に部屋に着いたのが、夜9時前。
幻聴と幻視を無視して、悠斗はアッシュブラウンの箱を早速開けたのだ。
30分後。
「全然、染まらないじゃん……」
水気を帯びた黒髪は、何の変化も見せる事なく、その見慣れた黒を主張している。
「おかしいね〜?不良品だったのかな?」
程よく鍛えられた裸体のまま洗面化粧台の前に立つ悠斗に、少女の幻視が、幻聴を奏でる。
悠斗は、幽霊を信じない。
悪い方向にドラマティック——それが過去最大級に襲いかかっている最中の悠斗は、自分は疲れているのだと、言い聞かせた。
そして、雑念と幽霊を振り払うように、タオルで入念に水気を飛ばすと、2つ目の箱に手をかけた。
その結果が、今のこれだ。
パッケージの見本通りに色の抜けた髪は、金色に輝き、素人仕事を感じさせるムラのあるコントラストは、その野蛮さを隠そうともしない。
「ったく、田舎のヤンキーかよ」
高校デビューとは言っても、ここまで派手にしたかったわけじゃない。髪色自由、ついでに言えば名前を書くだけで入学できる高校なのを利用して、少しお洒落をしたかっただけなのだ。
「ゆうちゃん、遅刻しちゃうよ〜」
「うるせーな、母ちゃんかよ」
「うぅ……」
やっと自由になれた身に、水を差すセリフ。幻聴に悠斗は思わず、悪態をついてしまった。
怒鳴られた少女は、今にも泣きそうな程、そのクリッとした大きな瞳に涙を浮かべている。
だが、悠斗は幽霊を信じない。
最大限に疲れ、精神的に参ってた自分が生み出した幻聴なのだと、それを無視する。
学校指定のブレザーに袖を通し、未練がましく鏡の前に立つ。目元にかからないようセンター分けした長めの髪は、下品な金色に染まり、どこからどう見ても、立派なヤンキーだ。
「……はぁ」
自分より奇抜な髪色がいる事に淡い期待をしつつ、薄い学生鞄を持つと、部屋の扉を開けた。
遮光のよく効いた黒いカーテンから覆い隠していた世界の光が眩しく差し込む。
「ゆうちゃん、いってらっしゃい〜」
閉める間際の扉から、幻聴が漏れる。
「……はぁ」
また大きく吐き出される溜息。
それは、4階だというのにエレベーターのないこの建物に向けられたものであり、数日前に現れた幽霊に向けられたものであり、その全ての元凶である自分の人生に向けられたものであった。
悠斗は、これから数えきれない程、行き来するだろう階段を降りながら、それを思い返していた。
悠斗には、父親がいなかった。
正確には、悠斗が産まれる前に、母親と別れたらしい。小学校低学年までこの街で育ったが、母親の再婚と共に街を離れたのだ。
ただ再婚相手のせいでその後も転校を繰り返した為、昔の事をあまり覚えていない。
再婚先の環境は最悪だった。それが、高校2年のつい先日、一変したのだ。
一言で言うなら、悠斗の実の父親は資産家であった。そして、一度もその顔を見る事もなく逝ったのだ。
そんな顔も知らない父親に、何も感じる事はない。ただ、遺産が転がり込んできて、喜んで家を出たのだ。
自分と同じ目的地に向かう、お揃いの制服を着込んだ生徒達に目を向ける。
悠斗と同じように一人で歩く者。仲良さそうにグループで歩く者と様々だ。
「……俺は変わるぞ」
その一言が、間違った方向に飛躍した高校デビューという思いつき。
悪い方向にドラマティックな人生と決別する為の校門が、出迎えるように悠斗の先へと現れていた。
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