第43話 心拍数

 翌朝、目が覚めた私はトウキの逞しい腕の中にいた。

 そうだ、昨日はオオカミの姿のトウキを抱きしめながら寝たんだった。

 フワフワで温かくていい匂いで、すごく癒やされた。

 もうちょっとこのままがいいな⋯⋯

 私はトウキの厚い胸板に頬を擦り寄せた。


 ⋯⋯⋯⋯あれ? 腕? 胸板?

 手の感触は⋯⋯フワフワじゃない。

 目の前にいるのは⋯⋯⋯⋯人の姿のトウキだった。


「え!? なんで!?」


 叫びながら、飛び起きる。


「シャガ様への定時報告のために一度ここを離れたんだ」


 トウキは身体を起こしながら説明してくれる。

 そっか、そういえばそんな事を言ってたっけ⋯⋯じゃなくて。


「だからって、人の状態でそうしなくってもいいじゃない!」


 一気に鼓動が速くなり、恥ずかしさで顔から火が出そうだ。


「サクラが寝ぼけて抱きついて来たんだろう。気持ちよさそうだったからそのままにしておいた」

 

 トウキは少し顔を赤くしながらも、落ち着いた声で言った。


「⋯⋯ごめんなさい」


 いたたまれなくなった私は、逃げるように部屋を出て居間に降りた。



 そして気分を落ち着けるために、ソファで爪の手入れをしていたミズキを捕まえて、雑談をしたあと、流れでゲームを始めたのだった。



 目の前にあるのは積み上げられた木製のブロック。

 そのブロックタワーの中から順番に一人一つずつブロックを抜き取り、一番上に乗せていく。

 徐々にバランスを失っていくタワーを倒してしまった人が負けというわけだ。



「駄目だ、グラグラだ」


 どうやら私は怪しいブロックを狙ってしまったらしい。


「姉ちゃん、そこまでずらしたんならもう駄目だよ。最後まで抜いて」

 

 ミズキはこういうとき容赦がない。


「いくよ」


――ガラガラガラ


 タワーは勢いよく崩れていった。


「また姉ちゃんの負けー」

「お願い。もう一回」


 気を紛らわせたくて始めたゲームだけど、完全にチョイスを間違えた。

 なんでこんなにも集中力が必要なゲームにしてしまったんだろう。


 負けた人が一番手というルールなので、またもや私からのスタートだった。


「こういうのは最初が肝心だから」


 一番下の段の端のブロックを引き抜くことにした。


「後で自分の首を締めないといいね」


 ミズキはタワーの重心やブロックの大小を見抜くのが上手いのか、一切の迷いなくブロックを引き抜いていく。


「じゃあ、トウキの番だね」

 

 私が声をかけると、トウキは大きい身体からは想像できないほど繊細な手つきでブロックを引き抜いた。


 参加者が三人だけなので、すぐに順番が回ってくる。

 何度もブロックを引き抜く内に、下の方を支えるブロックが減り、重心はどんどん高くなっていった。

 

「これもうどこを抜いても倒れるよね?」


 私は二人に同意を求めた。


「俺ならここ、狙うかな」


 ミズキが助け舟を出してくれた。

 指定されたそのブロックは、ほとんど抵抗なくするりと抜けた。


「やった!」


 気が緩んだ私は思わず喜びの声を上げる。


 すると⋯⋯


――ガラガラガラ


 タワーは崩れてしまった。


「ははっ! そこで崩れるって、なにやってんの!?」


 ミズキは笑っていた。

 

「だって、やっと勝てると思ったから⋯⋯」


 私の失態にトウキも低く静かな声で笑っていた。


 

 場の空気が和みリセットされたと安心した所で、ミズキが出かけていき、また二人きりになった。

 居間には誰もいないので、結局私の部屋に帰ってきた。


 特にやることがないので、今はジグソーパズルをして遊んでいる。

 完成すれば、森の妖精の世界が描かれた幻想的な絵画になる予定なので、額縁に入れて飾ろうかと思っていた。


 トウキは真剣な表情で静かにピースを埋めている。

 集中しているトウキは鋭い目をしているけど、私を見つめるときはあの目が優しくなるんだよね。

 こうやって見ると、指の動きは繊細なのに、身体つきは男らしくて逞しくて⋯⋯

 さっきまで私はあの身体に包み込まれていたんだな。

 

 一生懸命忘れようとしていたことをあっさりと思い出してしまった。

 私が膝を抱えて顔を伏せているとトウキが近づいて来た。



「どうしたんだ? 呼吸が荒いが⋯⋯」


 トウキは心配そうにこちらを見ている。


「いや、なんでもない、なんでもない。どうぞ、続けて?」


 私はパズルの方へ戻るように促した。

 しかし、さらに顔を近づけて観察される。

 後ろめたい妄想をしていたことを隠すために、慌てて目を逸らした。


 すると、トウキは心配そうな表情から一転、鋭い目で私を射抜いた。


「そうか。以前のサクラはインテリが好みだったが、最近は屈強な男が良いんだったな。俺はサクラの期待に応えられそうか?」 

 

 トウキの声がいつもより低く響く。

 そうだった。最近見た映画の影響でファンになった俳優さんの話をシロちゃんにしたんだった。


「そんな事言ったかな? よく覚えてないなー」


 私は目を逸らしたまま答えた。

 

「⋯⋯⋯⋯」


 トウキは何も言わない。

 よし、なんとか誤魔化せた。

 そう思って安心した瞬間、突然正面から抱きしめられた。

 思わず悲鳴を上げそうになる。


「鼓動が速くなっている。まるでウサギみたいだ」


 この状況はいったい何なのだろうか?

 真面目で落ち着いているイメージのトウキがこんな強引に⋯⋯


「ウサギの心拍数は少なくとも一分間に150回前後、多くて300回ほどとされているから。今の私はせいぜい100回前後で、ウサギには届かないかな〜」


 私はよくわからない言い訳をしていた。


「だが人間の心拍数は平常時で60回前後だ。それが100回前後まで増えているということは、興奮状態にあって交感神経の働きが高まっているということで⋯⋯」


 誰だ。こんな知識をこの悪魔に教えたのは。

 ⋯⋯⋯⋯私だ。

 きっと看護学校で習ったことをシロちゃんに話したのだろう。 


「お願い⋯⋯助けて⋯⋯」


 私はこの状況から逃れようとした。


「駄目だ。明確な説明を受けるまで離すわけにはいかない」


 結局、私は半べそをかきながら、この生理現象の理由を白状する羽目になった。




 この日を境に、私たち二人の関係は変わり始めた。


「サクラ⋯⋯」


 トウキは甘い声で私の名前を呼んだ。

 逞しい腕で強く抱きしめられると、心臓が激しく波打って、息が上手く吸えずに苦しくなる。


「俺のサクラ⋯⋯きれいだ⋯⋯」


 トウキは私のうなじに手を添えて、上を向かせてキスをした。

 徐々に呼吸が乱れ、胸が甘くしびれて、身体の力が入らなくなってくる。


「ねぇ、やっぱりこんなのおかしいよ。私たち友だちだったよね⋯⋯」


 私を見つめる彼は、まるで獲物を狙うように鋭い目をしている。


「それを打ち破ったのはサクラだ。俺はずっとサクラのことを命がけで守ってきた。少女から大人へと成長する姿を見てきた。いつか触れたいと、愛されたいとずっと願っていた」


 トウキは再び唇を重ねてくる。

 時に優しく、時に情熱的に。

 私はこんなにも愛されていたんだ。


「私も、もっと触れたい⋯⋯」




 それからも私たちはキスまでの関係が続いた。


「あっ⋯⋯ごめんね⋯⋯」


 深く口づけられると愛しさに溺れて、頭が真っ白になり、その背中に爪を立ててしまいそうになる。


「構わない。我慢しなくていい」

「でも、傷つけたくないから⋯⋯」


 自分にこんな悪い癖があるなんて、今まで気がつかなかった。

 ここまで我を忘れてしまうなんて初めてだった。


 それからトウキは私に言い聞かせるように、何度も愛を囁いてくれた。

 こんな事を繰り返すうちに、私はどんどんこの悪魔に夢中になっていった。

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