第27話 お返し

「ファンツス様⋯⋯これは問題です⋯⋯」


 サルビアは深刻そうな表情で言った。

 そう。これは大問題だ。

 今日は3月13日。ホワイトデーの前夜だ。

 いや、前夜だったが、とっくの昔に日付は変わり、当日になってしまっている。


 エリカに最高のバレンタインデーをプレゼントしてもらった俺は、柄にもなくお菓子作りに挑戦している。

 クッキーは初心者にも易しいという情報を得た俺は、レシピを調べ、材料も器具も完璧に揃えてあった。

 しかし、初心者向けだというこのレシピには意外にも専門用語が多く、戸惑った俺はサルビアに監督を依頼した。


 工程は問題なくこなせたと思う。

 計量は何度も確認したから間違っていないだろう。

 材料の温度や混ぜ方に関しても、悪くはなかったはずだ。


 可愛いエリカのために、可愛いクマの形に成形した。

 そして、オーブンに入れること15分。

 取り出した可愛いクマのクッキーは⋯⋯化け物と化していた。

 

 焼ける過程で歪に膨れ上がったそれは、目が異様に大きく、白目を剥いているように見え、口のパーツは吐血でもしているかのように流れている。


 どうしてこんなことになったんだ⋯⋯


「ファンツス様⋯⋯いかがなさいますか⋯⋯」


 サルビアはこの惨状に表情が固まっている。


 当然、これをエリカに渡すのは無しだ。

 今から作り直すか?

 だが材料がもうない。

 朝イチに買い出しに行ってリベンジするか?

 でもそれだとエリカに見つかってしまう⋯⋯


 ふとクマの横を見ると、サルビアが成形したシンプルな丸型やチェック柄のクッキーは上手く焼けているようだ。

 

「サルビア⋯⋯これを分けては貰えないだろうか?」

 

 俺はダメ元で聞いてみた。


「もちろん構いませんが⋯⋯よろしいのでしょうか⋯⋯」


 本当によろしいのだろうか。

 サルビアが仕上げたクッキーは俺の手作りと言えるのだろうか?

 でも、成形直前までは全部俺がやったんだ。俺の手作りなんじゃないか?

 自問自答を繰り返した結果⋯⋯


 今年は買った物にしよう。

 来年また作ればいい。

 俺はそう結論付けた。



 その後、深夜まで監督をしてくれたサルビアにお礼を言い、俺は一人で後片付けをした。

 クマの化け物は今日明日にでも自分でこっそり食べようかと思っていたが、サルビアが欲しがったので渡すことにした。

 サルビアはあんな不気味なお菓子が好きなのだろうか。

 悪魔の好みは分からないものだ。



 その日の夜

 俺はエリカの部屋を訪れた。


「エリカ、バレンタインデーの時はありがとうな。これはそのお返しだ」


 俺は昼間に駅前の専門店で購入したチョコレートを渡した。


「開けてもいい?」

「もちろん」


 俺が選んだのは、ハート型やネコ型などの可愛らしいチョコレートの詰め合わせだ。

 

「かわいい! ありがとう! でも今朝、水切りカゴにお菓子作りの道具が干してあったから、てっきり作ってくれたのかと思ってた」


 それは盲点だった。

 手作りクッキーが成功していれば、サプライズで渡すつもりだったが、どうやら詰めが甘かったらしい。

 

「あぁ、ちょっと失敗してしまったんだ。慣れないことはするもんじゃないな。また来年、挑戦するから」


 白状した上で、さり気なく来年の約束も取り付けようとする。


「ほんと!? じゃあ、来年楽しみにしとく! あ、そうそう。サルビアからも義理チョコのお返しをもらったんだけど、封はレンの許可を得てから開けてって言われたのよね。さすがのレンも義理チョコに嫉妬したりしないわよね?」

「あぁ、俺の器はそこまで小さくない」


 まぁ、あくまで"サルビアに対しては"だが。


「じゃあ、開けちゃおっと。メッセージカードも入ってる。なになに? 昨夜、ファンツス様が⋯⋯」

「おい! 待て!」


 メッセージカードを読み上げるエリカから、素早くサルビアの義理チョコを取り上げる。

 書き出しからして嫌な予感しかしない。


 そっと中を覗くと⋯⋯

 クマの化け物が入っていた。


「ちょっと、返してよ! それは私のよ!」

「駄目だ! こんなものを見たら呪われる。目が潰れるかもしれない」

「いいから! レンが私のために作ってくれたんでしょ?」


 エリカは俺から袋を取り上げて中を覗いた。

 俺は現実から目を背けるため、エリカに背中を向けた。


「ははっ! ははははっ! なにこれ? あははっ!」

  

 背後から聞こえる大きな笑い声。

 ちらっと振り向くと、やはりエリカはそれを見て大笑いしていた。


「笑うなよ」

「ごめん! あははっ! 苦しい!」


 エリカは本当に苦しそうに笑っている。

 俺はエリカに背中を向けたままその場に座った。

 こうなったらエリカが慰めてくれるまでへそを曲げてやる。


 しばらくして、笑い声が止むと後ろからふわっと抱きしめられる。


「怒ってる?」 

「あぁ」

「笑ってごめんね?」

「あぁ、ひどいよな」


 しばらく沈黙があった後、エリカは俺の顔を覗き込んできた。

 不機嫌そうな顔をしてやろうかと思っていたが、ついつい頬が緩む。


「レン、ありがとう。これ、食べてもいい?」

「まぁ、そのために作ったからな」


 俺が答えるとエリカはクッキーを袋から取り出して、俺の手に乗せた。


「食べさせてくれないの?」


 エリカは上目遣いで俺を見つめている。

 この表情に敵うわけがない。


 俺はクッキーをエリカに食べさせた。


「美味しい。レン、美味しいよ」


 エリカは俺が作ったクマの化け物を完食してくれた。

 何度も美味しい、美味しいと笑顔で言ってくれた。


 俺は前にエリカが言ってくれた意味が分かった気がする。

 一生懸命作った料理を笑顔で食べてもらえると、こんなにも満たされた気分になれるとは今まで知らなかった。

 それに、いつも俺のために手間のかかる料理やお菓子を作ってくれるエリカが愛おしくなった。



「悪かったな。仲直りだ」


 俺はエリカの頬にそっとキスをした。


 するとエリカは俺の膝の上にまたがり、首に腕を回し、ついばむようなキスしてくれた。


「レン、大好き。もっと好きになった」


 エリカは俺のことを愛しそうに見つめている。

 

「俺も、大好きだ。これ以上ないくらい好きだ」


 エリカは俺の駄目なところも、丸ごと愛してくれる。

 そのことが嬉しくて、さらに愛おしさが増していくのを感じた。

 これ以上エリカを好きになったら、俺は一体どうなってしまうんだ?


 目は口ほどにものを言うというから、きっと俺の目もすごく愛おしそうにエリカを見ているのだろう。

 エリカにもこの思いがちゃんと伝わっているだろうか。

 そんな事を考えながら、エリカの瞳を見つめ返した。

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