クズで冷徹な御曹司は、キケンな沼です

またり鈴春

第1話 ♡-100からのstart


「キャー、響希様だわ!」

「こんな広い学校で会えるなんて、運命!」

「今日も見目麗しいわぁ……」



女子達が目をハートにして、見ている人物。


名前を、

城ヶ崎(じょうがさき)響希(ひびき)。


透き通るようなキレイな茶髪。

切れ長の瞳に、しゅっとした鼻。

そしてモデルのようなスタイルの良さ。


そして……



「みんな、おはよう」



ニコッ



「キャー!」



この甘いマスク。


見る人を全員虜にしていく城ケ崎先輩は、まさに王子様。


女子にも男子にも、先生にも。分け隔てなく接する優しさは終わりがなく、城ケ崎先輩と関りのある人は、みんな彼の虜になってしまう。



かくいう私も。

そのうちの一人なのです。



「はぁ~本当にカッコよかった。本当にカッコよかった!」

「二回も言わなくていいから」

「だって芹ちゃん、もう直視できないほどカッコよかったんだよ! 城ケ崎先輩!」



興奮気味に喋る私を、呆れた顔で見る

仁田(にた)芹(せり)ちゃん。

高校に入ってから仲良くなった大親友。


腰まである黒髪ロングが似合う、クールビューティな美人さん。



「そりゃ芹ちゃんくらい美人だったら、カッコイイ男の人が山ほど声を掛けてくれそうだけどさぁ。並み中の並みの容姿をしている私からすると、城ケ崎先輩……いや、城ケ崎王子は、直視できないほど眩しい存在なわけですよ」

「自分の事を〝並み〟なんて言ってるけどさぁ。大企業のご令嬢・ご子息が多いこの学校で、三番目に金持ちな凪緒のどこが〝並み〟なんだか。いっそ、その権力使って城ケ崎先輩の事をオトしちゃえば?」

「その城ケ崎先輩こそが、この学校で二番目にお金持ちなんですけどね、ははは……」



そう。この学校には「お金持ち&権力ランキング」なるものが存在していて……。なんでそんなものが存在してるかというと、日本の経済を支えるトップ3の子供たちが、偶然にも同じ学校に一堂に会すという奇跡――


を面白おかしく思った生徒の一部が、いつの間にかランキングを作ったのだ。


一位は三年の時山(ときやま)先輩。

二位は二年の城ケ崎先輩。

三位が、一年の私。


私こと丸西(まるにし)凪緒(なお)は、実はお金持ちで、お嬢様だったりする。


と言っても、お父さんが成り行きで始めた事業がたまたま上手くいってるだけで、安定はしていない。つまり、一寸先は闇な「成金」なわけです。



「だけどお嬢様には変わりないじゃん? 私は容姿がどうのこうのよりも、お金持ちの家の子に生まれたかったなぁ~」

「いやいや芹ちゃん、親がお金を持ってるだけで、私には一円も回ってこないからね? それに、将来は〝跡を継げ〟なんて言われそうで、良い事なんて一つもないって~」


「そうなの?」

「そうだよ。髪を茶色に染めるのだって、すごく説得したし。やっとセミロングの長さまで伸ばせた~と思ったら、〝だらしない。早く切りなさい〟なんて言われるんだよ。もう最悪」



芹ちゃんが「うわ」と顔を歪めた。

うん、正しい反応。



「ね、お金持ちなんて良い事ないでしょ? この先も悪い事しかなさそうで嫌だなぁ」



――――と芹ちゃんと話していたのが、一か月前。



今はGWも終わり、一学期の中間テストも何とか乗り切って気が抜けた六月。そろそろ梅雨にさしかかる、という季節に。なんと私は、



「本日は私たちのためにお集まりいただき、ありがとうございました。未熟なふたりではございますが、温かい家庭を築いてまいります。今後とも何卒よろしくお願いいたします」



憧れを通り越してLoveの感情を抱いているあの城ケ崎先輩と、婚約していた。



「今日という良き日を迎えられたのは、ひとえに皆さまのおかげです。これから結婚式などでお力をお借りすることもあると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」



振袖を着た私が、深々とお辞儀をする。すると、先にお辞儀していた城ケ崎先輩と、頭が畳につきそうな低い位置で目があって……



「(ニコッ)」

「ッ!」



ただでさえイケメンで光っている城ケ崎先輩が、今日は一段とカッコよくて輝ている。そんな先輩から、とんでもない笑顔を向けられた。その破壊力、宇宙並み。今までなかった二人の距離の近さやお揃いの婚約指輪――それらを意識して、のぼせてしまった。



「これからよろしくね、凪緒」

「よ、よろしくお願いします……っ!」



芹ちゃん、ごめんね。私、一か月前はあんな事を言ったけど、



――ね、お金持ちなんて良い事ないでしょ? この先も悪い事しかなさそうで嫌だなぁ



前言撤回。

お金持ちって、結構……ううん。

どころか、かなりイイかもしれない。




𑁍𓏸𓈒




「わぁ、ここだ。ココ」



梅雨に入り、毎日が雨続き。芹ちゃんは「勘弁してよね」と、部活のテニスが出来ないことに腹を立っていた。だけど、今の私なら、例え土砂降りの雨でも笑っていられる。なぜなら、



「今日から城ケ崎先輩と二人暮らし!」



婚約式が済んで一週間。お父さんから急に「必要最低限の物をこの箱の中に」と段ボールを渡された。


何がなんだか分からないまま用意をしていると、お母さんがお高そうなショッピングバッグを持って、私の部屋に入って来た。



『はい、これ』

『下着? レースや刺繍がいっぱい……可愛いね。貰っていいの?』



するとお母さんは「いいも何も」と、私が着ているワンピースの裾をチラリとめくった。



『こんな綿百%の下着じゃ、響希くんも喜ばないだろうしね』



哀れむお母さんの瞳の中に、私が好んで買ったクマのキャラクターがプリントがされている下着が写っている。



『ひゃあ⁉ お母さんのヘンタイ! それに、なんで城ケ崎先輩が出てくるの!』



するとお母さんは呆れたのか、ため息を一つ。



『なんでって……これから響希くんと一緒に住むんだから、そういう事も視野に入れておかなきゃ。綿パンに愛想つかされて婚約破棄になったら、大変だもの』

『へ?』

『まさか知らなかったの? 今あなたが荷物をまとめているのは、引っ越しするためよ。入居は明後日だったかしら?』



近くにいたお手伝いさんに「ねぇ?」とお母さんが聞くと、お手伝いさんは頷いた。昔から知っているお手伝いさんで、トヨばあちゃん(略してトヨばあ)と呼ばれている。



『いつかは出て行かれると思っておりましたが、まさかこんなにお早くなんて、寂しゅうございます』



と言いながら、トヨばあは私の手に小さな箱を手渡す。


ん? なに、この可愛い箱。



『これは香水です。なんでも、男の人がメロメロになるというもので。夜にお使いくだされ』

『なんで夜限定⁉ 絶対に怪しいヤツじゃん! どこで買ったのよ、トヨばあ!』



するといやらしくニタリと笑ったトヨばあは「最近は〝ねっとそっぴんぐ〟が趣味でして」とシワの彫りを深くした。


お母さんからは派手な下着。

トヨばあからは怪しい香水。


本来なら家に置いておくべきなんだろうけど、初めて家を出る心細さもあり、その二つは、今――私のバッグに入っている。



「えーっと、部屋は3501室っと」



大きなマンション。エントランスの周りには、なにやら豪華そうな石が積み上げられ、壁になっている。部屋番号を打って、体育館の扉のような大きなドアが自動で開く。そしてロビーへ。



「ここは……ホテル?」



見上げて首が痛くなりそうなほどの遠い天井。ヤシの木みたいな背の高い木が、何本も置かれてある。床は大理石かな? 黒色と白色が、うまい具合に合わさって、ピカピカ光ってる。



「家賃って、いくらなんだろう……」



どうやら同居を提案したのは城ケ崎家の方らしく「費用は全て負担する」とのこと。だけど、この豪華ぶり。ウチのような成金とは違って、城ケ崎先輩って本当にお金持ちなんだなぁ。



「お、着いたついた」



3501と書かれた部屋の前に来る。というか、この階って、この部屋しかなかったような……。



「階に一部屋だけって……どれだけ大きな部屋なんだろう? ってか、こういう部屋のことをなんていうんだっけ? えっと、」



そんな事を考えていた時だった。


ガチャ


いきなり部屋のドアが開く。


え、まさか城ケ崎先輩が直々にお出迎え⁉

そんなの嬉しすぎる!



と、目をハートにした私。

だけど、実際に目にしたのは……



「じゃあ、私そろそろ帰るからー。もう来るんでしょ? 例の婚約者」



髪の毛が綺麗にまかれてある、足の長い女性。短いスカート、若干着崩れた胸元。少し視線を上げると、首にあるアザがある。



「そう。もうそろそろ来るから、絶対会わないようにしてよー」

「はーい」



と女性が返事した時、私と目が合った。すると女性は「あ、見つかっちゃった」と。悪びれることなく、一言だけ残して去って行った。



「え……なに? どういう事?」



女性が私の横を通った時、むわっと香ったのは……色気の香り。しかも、その色気は、たった今さっき作られたかのような新鮮さがあって……。



「し、失礼します……っ」



まさか――と頭で否定するも、イヤな想像は止まらなくて手が震える。この中にいるのが城ケ崎先輩じゃなかったらいいのに、なんて。そんなことを思った。だけど、


ガチャ



「あ、もう来たの? 予定より早かったね」



玄関にいたのは、上半身裸の城ケ崎先輩。胸元や、おへその周りに、さっきの女性と同じアザがある。もしかして、あのアザって……世に言う「キスマーク」?



「入れば? あ、でも寝室は止めときなよ。まだシーツ変えてないし」

「ッ!」



カッ、と。体中に熱が回る。お互いの体についているキスマーク、寝室、シーツ。さっきの女性と城ケ崎先輩は、本当に――



「は~喉かわいた、水のも」



私と似た茶髪の先輩。少しだけウェーブかかっている髪は、王子様っぽくて素敵だって思ってた。だけど、その髪が今はすごくだらしなく見えて……。先輩の乱れた髪から、すぐに目を逸らした。



「アンタも入りなよ。ずっとそこにいるつもり?」

「さっきの、女の人でしたよね」

「……だったらなに」



質問をした途端、城ケ崎先輩の顔に影が落ちた。それは学校で見る先輩とは百八十度も雰囲気が違っていて……怖くて、思わず身震いしてしまう。



「先輩は、私の婚約者……ですよね?」

「……」


「なんで、女性なんか……っ」

「……はぁ~」



長いため息が、先輩から零れた。かと思えば、いきなり私の腕を掴んで、


バタン


私を中に入れ、玄関の扉を閉める。さっきまでのお気楽な私だったら「わー、中も広い~」なんて興味津々で部屋を見ていただろうけど。今は、私を掴む城ケ崎先輩の手から目が離せない。



「言っておくけどさ」



ギリッ、と。私の腕を握る手に、力を込める。先輩の爪が少し食い込み、思わず顔が歪んだ。



「アンタとは形だけの仲だから。俺は、これまで通りの生活を続けるよ」

「〝これまで通り〟って?」

「――……見る?」



言うやいなや。先輩は、私に「靴を脱いで」と言った後、強引に廊下を進んでいく。連れてこられたのは、さっき先輩が「行かない方がいい」と言った寝室。


ボスン


ベッドの上に、私を放り投げた先輩。あっけなく横たわった私の上に覆いかぶさるように、足と手を置いた。



「先、輩……?」

「さっき、この部屋で、俺があの女性と何をしてたか。アンタに分かる?」

「……へ?」



いきなりの質問。答えは、嫌というほど分かってしまう。でも答えたくなくて、腹が立って。プイと、先輩から顔を逸らした。



「おーおー。さすが丸西家のお嬢様。ウブなこって」

「……違います。恥ずかしいじゃ、ありません」

「ふぅん、じゃあ何?」



「なに?」と聞きながら、先輩が近づいてくる。先輩のウェーブした髪が、私を挑発するように頬に当たった。



「私は……傷ついてるんです。憧れだった先輩が、」

「〝理想と違いました〟って?」

「……はい」



だって、その通りじゃん。学校では王子様なのに、家では婚約者じゃない女性と体の関係を持つ最低男だったなんて。



「傷つくのは勝手だけどさ。アンタが持つイメージって、アンタが勝手に作った幻想でしょ?」

「幻想……?」


「勝手に夢みちゃって、勝手に傷ついて。挙句の果てには〝私傷つきました〟ってさ。なんだよソレ。そこに少しでも俺の意見って入ってんの?」

「え……」



入って、ないけど……。でも、なにこれ。なんで「私が悪い」みたいな流れになってるの……?



「でも、婚約者がいる身で他の女性と〝そういう関係〟になるのは、やっぱり間違ってます……っ」

「ウザ、正論なんていらないし」

「ッ!」



ねぇ、芹ちゃん。私、今まで何も知らなかったよ。学校で甘い笑顔を振りまく王子様の素顔が、こんな最低なクズ野郎だったなんて……っ。


ガラガラ――と。王子様バージョンの先輩が、音を立てて崩れていく。やっぱりお金持ちなんて、ろくなもんじゃない。こんな最低クズ男と結婚させられるんだから。



「ケモノを見る目で、俺を見ないでくれるかな。欲求に素直と言って欲しいね」

「……もう、いいです」


「お、やっと理解してくれた? 話が早くて助かるよ。じゃ、これからも女の子が出入りするけど、アンタは気にしないでいいから。ただ黙って、見なかったフリしてて」

「――」



ニッコリ笑った笑顔が、学校で見る王子様の笑顔そのまま。だけど今その笑顔を見せられるのが、どうしようもなく腹が立つ。学校のみんなを騙して、婚約者を裏切って……どうして普通でいられるの?


パチン



「……痛いんだけど」

「へ?」



あれ? 今、何が起こった?私の右腕が上がってる。先輩の左頬が、ちょっと赤くなってる。まさか、私……叩いたの⁉



「え、あ、す、すみません……!」

「仮にも婚約者を叩くなんてビックリ」



思い切り叩いてしまった――というのに先輩は痛がるどころか、ニヤリと笑うだけ。しまいには「おもしろ」なんて言って、覆いかぶさったまま、私の頬に手を添えてきた。



「ちょっと気が変わった。さっきの女性に代わって、アンタが俺の相手する?」

「は⁉ 絶対にイヤです!」



絶対に、の所を強調した私を見て、先輩の笑顔が曇る。整った顔だけに、それだけで怖さ抜群。だけど、私だって怒ってる。ビンタもしちゃったし、あとは野となれ山となれ。この際だから、言いたいことは言っておこう!



「学校での王子様バージョンの先輩ならまだしも、こんな汚らわしいクズ男と、あんな事やこんな事するなんて……絶対にイヤ!」

「ねぇ、さっき俺を〝クズ男〟って言った?」

「言いました、だからサッサと私から退けてください!」



キッと睨むと、先輩は面白くなさそうにため息をつく。というか、すごく面倒くさそうだ。



「そんなにキャンキャン吠えられると、逆に萎えちゃうんだよなぁ。もう少し俺に気がある素振りをしてくれた方、が…………」

「……先輩?」



ある一点を見たまま、先輩は固まった。

まさか、この修羅場に、ご両親が来ているとか⁉


と思ったけど、部屋にいるのは私たちだけ。

じゃあ一体、何を見てるの?



「セクシーな下着に、男をメロメロにする香水を常備なんて。アンタもさ、俺のコト言えないんじゃないの?」

「……へ?」

「こーれ」



先輩が手にしてたのは、お母さんがくれた下着と、トヨばあがくれた香水。そっか。さっき先輩が見ていたのはコレか。私がベッドに投げられた時、バッグから飛び出しちゃったんだ!



「そ、それは違うんです! 私のではありません!」

「アンタのカバンに入ってたのに〝自分のじゃない〟なんてウソ、通じるわけないでしょ」

「とにかく違うんです!」



先輩が持っているブツを、何とか取り返さないと!限界まで手を伸ばせば、きっと届くはず……!


と思ったけど、


ドサッ



「お嬢様育ちでも意外に積極的……」

「ち、違います、事故です!」



体を起こしたのはイイものの、フカフカ過ぎるベッドがアダとなり、今度は私が先輩を押し倒してしまった。


わぁ、何やってるの、私……っ!クイーンサイズのベッドの上、二人の体に沿ってシーツのシワが出来ている。



「どうしても返してほしい?」

「どうしても返してほしいです!」


「ふーん、なら。お手並み拝見といこうか」

「へ? ぶっ、わぁ!」



先輩の面白がる顔が見えた瞬間、顔の周りにかかる霧。いい匂い……って、コレ! トヨばあがくれた香水じゃない!



「なんで私にかけたんですか⁉」

「こんな得体の知れない物、俺にかけられちゃたまんないからね。どんな代物か試してみようと思って」

「だからって、――!」



瞬間ドクンと。心臓が、大きく跳ねる。かと思えば、温かいスープでも飲んだかのように、体がホカホカ温かくなってきた。



「ッ、熱い……っ」

「これに着替えたら? はいドーゾ」



押し倒されたままの先輩が腕を上げ、新品の下着をぷら~んと持っている。腹が立ったから下着を叩き落そうとしたけど、上手く焦点が定まらない。スカっと、無念の空振り。



「おーおー辛そうだねぇ、婚約者サン?」

「……っ」



私に推し倒され不利な状況だというのに、先輩は悪魔の顔をして、腹立つ笑顔をくっつけている。この男、正真正銘のクズだ!



「効果が切れたら、覚えててくださいよ……っ」

「いーけど、いつ効果が切れるの? すっごく辛そうだから、もう体がもたないんじゃない?」

「放っておいてください、時間が経てば治ります……!」



知らないけど……!きっと効果はすぐ切れる。そうだと言ってほしい。ね、トヨばあ!



「はぁ、はぁ……っ」

「……はぁ。仕方ないなぁ」



刻一刻と息が上がっていく。そんな私を見て、先輩はとんでもない事を言い出した。



「俺を使いなよ」

「……は?」


「だから、俺を使ってアンタが楽になるなら、いくらでも協力するって言ってんの」

「!」



ドキンッ


一瞬だけ、胸がときめいた。まさか、そんな事を言ってくれるなんて……。


だけど。その一秒後に我に返る。忘れちゃいけない。この人は、クズ男なんだから!



「先輩から見たら、今の私は、さぞ〝ちょうどいい〟でしょうね……っ」

「どういう意味」

「だって、そうじゃないですかっ」



言ってて虚しくなる。でも、わざわざ女性を家に呼ぶような人だ。例え相手が私であろうとも〝そういう展開になればラッキー〟って思ってるに決まってる。って、そう思ってたのに。



「ばーか」



両頬に触れる、先輩の冷たい手。真っ赤に染まった私の顔は、絶対ヘンで笑えるはずなのに……先輩が私を見る目は、真剣そのものだった。



「婚約者が困ってる時に助けないほど、俺は冷徹ではないんでね」

「どういう……――あッ」



気付けば、耳、首筋、瞼、鼻の頭。次から次に、キスの嵐。ちゅッ、ちゅッとリップ音が響いて……イヤな音って思った。さっきもこうやって、女性の人とキスしたのかな?なんて。そんな事を思って悲しくなる。


だけど、



「口には〝しない〟であげる。お嬢様だしね」

「あ……っ」



リップ音や先輩の声を聞いてると、モヤのかかった頭が、不思議とクリアになっていく。悔しい、なんで先輩なんかに……っ。だけど気付けば、荒かった私の呼吸は通常に戻りつつあった。体の火照りも、時間が経つごとに治まってる。



「まさか、効果が切れた……?」



よ、良かった。すごく一時的なモノだったんだね。けど、すごい即効性……恨むよ、トヨばあ!効果が切れたことに安心して「はぁ」と深いため息が出ちゃう。良かった、これ以上キスなんてされたら、私――



「ん?」



私――の後は、なに?先輩にキスされたら、私って、どうなるの?



「考え事? 余裕だね、凪緒」

「っ!」



ハッと意識を戻すと、私の下にいる城ヶ崎先輩。いつも「カッコイイ!」と連呼してた憧れの人は、今や私が組み敷いている。


近すぎる距離。先輩の裏の顔さえ知らなければ、この距離を幸せに感じるはずだったのに。いま抱く感情は、とっても複雑。



「……最悪ですよ、もう」



婚約者である私を裏切っておきながら、申し訳ないと微塵も思ってない先輩。心無い人と婚約しちゃったな。最悪だな、って。そう思ってるのに……



――これからよろしくね、凪緒

――考え事? 余裕だね、凪緒



先輩に名前を呼ばれると、どうしても反応してしまう。胸の奥が、ぴょんって跳ねるような。小さなことで喜んでる自分を、嫌でも見つけてしまう。


これが「惚れた弱み」って言うのかな?

すごい癪だけど……!



「んー、このまま先に進んでもいいけど、ムードがなぁ。やっぱ新しい下着つける? ちょっとは盛り上がりそう」

「こ、のクズ男……!」



前言撤回。やっぱりこんなクズ男の事、何とも思わない。ただ不快なだけ……!



「入居早々、もう出て行きたくなりました……」

「俺の婚約者は根性がないなぁ」

「…………婚約者」



そういえば、さっき、



――婚約者が困ってる時に助けないほど、俺は冷徹ではないんでね



「一応、私を婚約者と思ってくれてる……のかな?」



私は他の女の子とは違うんだって思うと……少しだけ、嬉しくなってしまった。あぁ、私ちょろすぎる……っ。



「って先輩、何してるんですか?」

「何って、脱がせてるんだよ。下着を着替えなきゃでしょ?」

「こんの、変態!」



今度こそ、パシッと下着を叩き落す。すると先輩は「残念」と、妖艶な動きで唇をペロリと舐めた。その動作を間近に見てしまったからか、なんなのか。また胸の奥が、性懲りも無くぴょんと跳ねた。

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