第2話


 その次の昼前のことだった。薬草を採って帰ってすぐ、また少し遠くから蹄の音が聞こえ始めた。


 ……また、昨日の騎士だ。


 やはり、“聖女”だと言い張って連れて行くつもりなのだろう。リサは徹夜で整理しておいた棚を見上げた。当面の薬は作っておいたし、器の下に名前を書いた紙を置いておいた。カスパーが字を読めるので、もしリサがいなくても理由に気付いて薬を配ってくれるだろう。


 蹄の音が小屋のすぐ隣までやってきて止まる。リサは諦めて身支度を整え始めた。期待されるような聖女の力は使えないけれど、怪我の治療に役立つ薬は用意しておいた。せめてこれで、怪我に苦しむ人が少しでも減ればいい。


 コンコン、とぶっきらぼうなノック音が響いた。リサは溜息交じりに扉を開け――驚いた。立っていたのがユリウスだったからだ。


 昨日は「聖女なんていない」と兵を引き上げさせたのに、気が変わったのだろうか。


「……なんでございましょう」

「出掛けるか?」

「え?」

「出掛ける予定があるのかと聞いている」


 ……暇なら軍に来いと、そういう意味か? 困惑して首を傾げていると、ガラッと木々の転がる音がした。見れば、その足元に木材の入った袋が落ちている。


「……あの?」

「昨日、うちの部下が扉を壊しただろう。修理しにきた」


 修理……? リサが目を丸くするのも気に留めず、ユリウスはぶっきらぼうに「扉を外すから下がれ」と顎で指示した。


「……もともと立て付けが悪かっただけですから、壊されたというわけでは」

「俺にはそれを知る術はない」


 つまり、可能性がある以上は責任を取ろうということか。おそるおそる後ずさると、ユリウスは蝶番から扉を外す。口調のわりに仕事は丁寧なようだ。


 まだ状況を飲みこめずにいるリサの前で、ユリウスは、扉を入口に合わせ、持ってきた木材を当てたり外したりして具合を確かめる。しまいには小屋の前に座り込んでカンカンカンカンと木槌の音を響かせ始めた。


「……あの」


 リサは声をかけたが、無視だった。黙々と扉を直している。


 雨は今朝やんだばかりで、小屋の前は泥だらけだ。それなのに、騎士の中で最高位の身分にありながら、扉を修繕するためならとそこにためらいなく座り込んで服を汚している。


 カスパーのいうとおり、確かに悪い人ではないのかもしれない……。じっと後ろ姿を見つめていると「……“聖女”」突然その単語を口にされ、昨日と同じように跳び上がってしまった。


「……いえ、私は――」

「“聖女”ではないのなら、村の老人どもにはっきりそう伝えろ」

「え?」

「連中は“聖女のよ・・うだ・・”と言っているだけかもしれんが、俺の部下が聞いたように、確かにこの村には“聖女”がいるという噂がある」


 ゾッ、とリサの背筋に悪寒が走る。ユリウスは手を止めず振り向きもしなかったが、まるでリサの表情を見ていたかのように「もちろんこの近辺まで来て初めて聞いた話だが」と付け加えた。


「いずれ王都に噂が届かないとも限らん。今のうちに“善人”とでも名前を変えておけ」

「それは……私はまったくもって善い人間ではないので自称するのはおこがましいのですが……」

「そんな話はしていない」


 カンッと木槌の音が響き、リサは口を閉じる。ユリウスもそれきり黙って扉を直し続けた。


 ほんの数十分後、ユリウスは仕事を終え、扉をはめ直した。ギイギイとまだ木の軋む音はするが、小屋の入口の形にぴたりとはまる。なにより、ユリウスが持ってきた柔らかいベルトのようなものが扉の下についたお陰で、扉を閉めると部屋が密閉され、ほんのわずかな隙間風しか入らなくなった。


「すごい……」


 リサは馬鹿みたいに何度も扉を開け閉めした。そのたびに、ヒュオッと短い風の音がして、侵入してくる冷たい風を締め出すように扉が閉まるのが分かる。これなら今年の冬は凍えずに済むかもしれない。


「あの……、ありがとうございました」

「壊したのはこちらだ。じゃあな」


 めいいっぱい明るい顔をしたつもりだったのだが、ユリウスはにこりともせず、しかも踵を返した。


 しかし、壊れてもいない扉を修理するとおりこして今までよりよくしてもらったのに、何もお礼をせずにいるわけにはいかない。リサは「お待ちください!」慌てて引き留めながら小屋に引っ込み、連行されるときに備えて準備しておいた荷物を掴んだ。外に戻れば、ユリウスは既に馬にまたがって怪訝な顔をしている。そこに、薬の入った袋を差し出した。


「……扉のお礼です。瓶に入っているものは痛みがひどいときに一匙、水に溶いてお飲みください。三日以内に使いきって、古くなったものは捨ててください。袋に入っているものはよく洗った傷口に貼ってお使いください、こちらは葉の色が変わらない限りは使えます」

「扉は詫びだと言った。礼は要らん」

「でも、もともと壊れていなかったと言ったじゃありませんか。それに、どうせ数日で使い切らなければいけないものです」


 じろ……とユリウスは袋を睨んでしばらく黙っていた。


「……そういうことなら、いただこう」


 ひょいと片手が軽々と袋を取り上げた。瓶も入っていてそれなりに重たいはずだが、さすが騎士団長だ。


「……昨日いらした方々がおっしゃっていましたが、死傷者の数が多いのですか?」

「この村までは被害は及ばん」


 死傷者の数が多い、つまり紛争は激化している、したがってこの村も巻き込まれるのではないかと危惧するかもしれないが、その点は心配ない、と……。間をすっ飛ばした返事にはいささか反応が遅れてしまった。リサとしては、もっと純粋に騎士団の状態を心配したつもりだったのだが。


「では、昼時に邪魔した」

「あ、いえ……ありがとうございました……」


 颯爽と馬を駆る後ろ姿を見送りながら、リサは扉の前で立ち尽くす。


 やっぱり、悪い人じゃないのかもしれない。それでも、聖女だと騎士団に連れていかれるのはごめんだ。

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