追放された偽物聖女は、辺境の村でひっそり暮らしている

縹麓宵

第1話

 匂いたつ土の香りに、薬草を摘んでいたリサは顔を上げた。その瞳は曇りのない春空、髪は春の穏やかな日差しの色。ただ、見つめる先の空には分厚く濁った雲が流れ、眩しい太陽はその姿を隠そうとしていた。


「……濡れる前に帰らなきゃ」


 念のためカゴに布をかけ、小屋へと急ぐ。うなじの後ろで結んだ三つ編みが、パタパタとしっぽのように跳ねた。


 すると、ちょうど扉の前にカスパーがその隻腕で杖をついて立っていた。カスパーはリサの家から少し離れたところに住んでいて、年のせいか膝が痛くて仕方がないといつも嘆いている。


 リサが駆け寄ると、気付いたカスパーが振り向き、その白い眉尻を嬉しそうに下げた。


「ああ、リサ。よかった、留守かと思ったんだけれど」

「ごめんなさい、ちょうど薬草を摘みに行っていまして。もしかしてしばらく待っていらっしゃいました?」


 挨拶もそこそこに扉を開け、リサは椅子を勧める。カスパーは膝が悪くて長く立っていられないし、なによりもうすぐ雨が降るから普段より痛みがひどいはずだ。


「ありがとう、リサ。大丈夫だよ、本当に来たばかりだから」

「お薬が切れましたか? それともなにか別に気になることが……」

「いや、いつもの薬をもらいに来ただけだよ。リサのお陰で、膝の痛み以外はすっかりよくなってね」


 カスパーは左足の膝小僧の内側を撫でる。いつもの症状だと確認できたリサは「それならよかったです」と摘んだばかりの薬草を脇に置いた。


「お薬をご用意しますから、少しお待ちくださいね……あら」


 調合済みの薬を棚から取り出しているとき、リサの耳に、遠くから蹄の音が届いた。


「……馬の音がしませんか?」

「ん? 私には分からんよ、年を取ると耳が遠くてねえ」


 いいや、間違いなく聞こえる……。リサは薬を置き、注意深く耳を澄ませた。二頭以上いるし、その音はどんどん近くなっている。この小屋は辺境の村のそのさらに端で、何かの通り道というわけでもない。ということは、目的地はこの小屋……。


 もしかして、バレてしまった。さっと顔から血の気が引くのを感じたとき、ドンドンドンとけたたましいノック音が響いた。


「聖女はここか?」


 次いで、バンッと大きな音と共に扉が開けられた。あまりの乱暴さに、開けられたというよりは蹴り上げられたかのようだった。古く粗末な扉は、ギイギイと揺れながら、前後だけではなく上下にも揺れていた。


 やってきたのは騎士の二人組だった。固まっているリサととぼけた顔で振り向くカスパーを見比べ、彼らはリサに対してまなじりを厳しく吊り上げる。


「貴様……貴様が聖女だな? 今すぐ来てもらおう」

「ち、違います……私は、聖女ではありません」


 ふるふるとリサは弱々しく首を横に振った。騎士の一人が「嘘をつけ!」と声を張り上げる。


「この村に聖女がいると聞いた。村の病人や怪我人を治療して回っているようだな。ここから10キロと離れない国境沿いで紛争が生じ、死傷者が多くでた。いまは沈静化しているが、このままではこの村も危ないのだぞ。それを、ただ一人の老いぼれの治療に忙しいからと嘘をつくのか?」

「いえ、それは誤解でして……私はあなた方が求めるような聖女ではなく」

「騎士様、この子のいうとおりです」


 ゆっくりとカスパーが腰を上げ、それを見たリサは慌ててその腕に手を置き押しとどめようとする。しかし、カスパーは老人とは思えない強さでリサを制しつつ立ち上がった。


「この子はなにも特別な力で我々を治してくれるわけじゃない。そこをご覧ください、これでもかと葉っぱが並んでおるでしょう。この子がそこの山で摘んでくるもんです」


 騎士の視線は疑うように棚を一瞥する。カスパーもその視線を追って「あの葉っぱを擦って、それはもう苦い苦い薬を作るんですよ」と冗談交じりに顔をしかめた。


「しかし、その薬がよく効きましてね。うちの村では少々怪我してもそんなおおごとにはならんくなったし、そこのばあさんは腰が痛まんくなったし、あっちの子どもが元気に生まれたのもそう。私も、ない腕が痛むことはなくなりました。だからうちの村では、この子を聖女のようだと言っとるんですよ」

「ふん、詭弁だな」


 失ったはずの腕が痛むことは仲間からよく聞いて知っている。だからこそ、それを和らげるなど聖女の特別な力によるものに違いないと、騎士は一蹴した。


「そのような薬があるものか。大方、薬草を煎じるふりをして聖女の力を使っているのだろう」

「もしそうなら、この子は落ちこぼれの聖女ですぞ。なんたって薬は苦いし、飲んでも立ちどころに傷が癒えるわけではありませんからなあ」

「いま痛みが消えたと言ったではないか」

「そりゃ、薬を飲んでる間だけですな。正確には薬をちゃんと飲んで、何日か経ったらちょっとマシになっとる。もちろん我々年寄りにとってはありがたいことですけども、それだけですからなあ」


 困ったもんだと言わんばかりにカスパーはかぶりを振った。


「それでももし聖女なら、酒を薬に変えてくれんかねえ」

「カスパーさん、お酒は駄目だって言ってるでしょ!」


 ホッホッホと笑ってはいるが、あながち冗談でもなさそうだ。かばってくれたとは分かりつつも、リサはつい呆れてしまった。


 騎士たちは顔を見合わせる。確かに薬草が置いてあるし、もしかすると本当に聖女ではないのかもしれない。しかし、カスパーがリサのために嘘をついている可能性もある。なにより騎士団が危機に瀕しているのは事実だ。


「話は分かった、だが一度騎士団まで来ていただく」

「え……」

「我が国の状況をその目で見てもらう。そうすれば気も変わるだろう」

「だ、だから私は、聖女ではないのです! 離してください!」

「やめなさい!」


 リサは問答無用で腕を掴まれ、それを止めようとしたカスパーは思わず杖を離してしまい、盛大に転んでしまった。


「カスパーさん! 離してください、カスパーさんは膝が悪いんです!」

「お前が大人しく来ればいい話だ! いいから来い!」


 痛い……! 抵抗したその腕に爪が食い込んだ。


 もしこのまま連れていかれてしまったら、カスパーさんの薬はもちろん、他の方への薬も処方することができなくなる……! リサは頭の中に村の人々の顔を浮かべ、薬の処方順序を素早く確認した。


「カスパーさん、カスパーさんの薬は棚の2段目、右から3つめです。申し訳ないんですが、明日か明後日にはピーアさんがいらっしゃるのでそのときは3段目一番右側の薬とそのすぐ下の薬を合わせていただいて――」

「こちらは急いでいるんだ! 喚いてないで早く――」


 そのとき、再び蹄の音が響いた。騎士まで含めてそろって顔を向けると、まるで疾風のような勢いで馬が駆けてくる。


 騎乗の男が騎士だと気付いたリサは、ますます体を硬くした。服の様子からして彼らの上官、ということは、彼らが手間取っていることを知り加勢しに来たのかもしれない。今度こそ、聖女として連れていかれてしまう……。


 開け放たれた扉の前で馬が止まる。濃いブラウンのたてがみの立派な馬だった。そこに乗る男は、無愛想で粗削りながらも凛々しい顔をしている。髪の色は馬とおそろいだ。


「村での略奪は団規違反だが?」

「も、申し訳ございません、ユリウス騎士団長!」


 静かな怒った声に、騎士は慌ててリサの腕を離すと共に敬礼した。リサも、自分が怒られているわけではないと分かっても背筋を震わせた。


「しかし略奪などではなく、こちらの村に“聖女”がいるとの噂がございましたので、騎士団のために連れて参ろうと考えた次第でございます!」


 でも、この現場に駆けつけて真っ先に略奪を疑い騎士を咎めるなんて、話の分かる方なのかな……? カスパーのそばに屈みつつ、リサは見ず知らずの騎士相手に、胸に淡い希望を抱く。


「……“聖女”だと?」


 が、その単語を聞いた瞬間に親の仇を見つけたがごとく歪んだ顔と、なにより吐き捨てるような言い方に、再び跳び上がってしまった。まるで聖女を憎んでいるかのようだ。


「は、はい。もちろん、ユリウス騎士団長が“聖女”の存在を否定していらっしゃるのは存じ上げております。ですが、この村ではあらゆる病や怪我を治してまわる聖女がいるという噂でありまして、現にこの女がそうだと……」

「現に? なにか証拠でもあるのか」


 ユリウスと呼ばれた騎士は、そこで騎士達の後ろに視線をやり、馬から降りた。騎士はすぐに道を開けたが、リサは慌てて扉の前に立ちふさがる。


「……なんだ」

「……私は聖女ではありません。お引き取りください」


 真っ黒い目に見下ろされ、思わず後ずさりしてしまいそうになった。しかし、聖女を毛嫌いしているのかなんなのか知らないが、薬の棚を荒らされてはたまらない。


「貴様が聖女かどうかなどどうでもいい」

「きゃっ」


 そんなリサの肩を掴み、ユリウスは半ば無理矢理小屋の中に入ると――その場に屈み、カスパーに肩を貸して助け起こした。


「やあ、すみませんね、どうも」

「隻腕で杖をつきながら地面に這いつくばるのはやめておけ。背中と腰もやりたいなら別だがな」


 そのまま、カスパーをもとの椅子に座らせ、杖も持ちやすい位置に引っ掛けてやる。唖然とするリサを無視し、ユリウスは騎士2人に向き直った。


「“聖女”の噂があるとのことだが、具体的にどういうことだ。大方“聖女のようだ”という話ではないのか」

「は……それは……そうかもしれませんが」

「しかし、現にどんな怪我も病も治すのだと……」

「どう治している。長々とまじないでも唱えているのか? それとも、神々しい光でも放つのか?」


 そうだというのならば、確かに聖女と認めよう。そう馬鹿にしたように鼻で笑われ、騎士達はさらに口籠った。


「……そういった話は、ありませんが……」

「大体、この老人を見れば分かるだろう。聖女なら彼の腕をもう一度生やしてやればいい。それをしていないということは、そんなことはできないということだ」


 そのとおりだ。騎士達は再び顔を見合わせた。本物の“聖女”がどんなにすごいのかは知らないが、もし彼女が“聖女”なら、この老人はもっとピンピンしているはずだ。腕は生えないとしても、杖をつかねば歩けないというのはおかしい気がする。


 早とちりだったかもしれない……。そんな空気が流れ始めたところで、ユリウスはリサに顔を向けた。


「貴様は聖女ではない。そうだな?」


 そんなことある・・はず・・がな・・――そう言いたげな強い意志を感じる瞳に、リサは文字どおり生唾を呑んだ。


「……はい。違います」


 騎士達の顔には落胆が浮かんだが、ユリウスはまったく構う様子なく「分かったら早く戻るぞ」と外へ顔を向けた。


「雨が降る前に陣営を整えておく必要がある。こんなところで油を売っている暇があるなら木でも運んでいろ」

「は、失礼いたしました」

「俺ではなく、家主らに謝ったらどうだ」

「……失礼しました」


 上官に言われて渋々頭を下げる彼らに、リサは口も開かずにおいた。


 ユリウスは「早くしろ」と部下を追い立て、小屋の外に出てから二人に向き直る。


「部下が迷惑をかけた。すまなかったな」


 にこりとも笑わず、そのわりに騎士達のかわりにしっかりと頭を下げる。今度のリサは、その姿に呆気に取られたせいで「あ、いえ……」程度しか声が出なかった。


 その顔は扉を閉めるときにいささか歪み、しかしそのまま出て行った。


「……災難だったなあ」


 蹄の音が去るのを聞いた後、カスパーが溜息を零した。


「……ごめんなさい、カスパーさん。私のせいで面倒事に巻き込んでしまって」

「せいだなんてとんでもない、勝手にやってきたのは向こうだからね」

「どこも打ちませんでしたか? ちょっと見せてくださいね」


 カスパーのことだから、怪我をしてもなんともないと言うに決まっている。リサは慎重に袖を捲り、そっと様子を確認した。


「しかし、紛争が起こっていたというのは困るね。村に戦火が及ばなければいいんだが」

「ええ、本当に。……死傷者も多いということでしたね」


 あらゆる怪我や病を無限に治癒する力など持っていない。でも、薬草の心得くらいはある。もし、自分が手伝うことで少しでも楽になる人がいるのなら……。それに、またこうして小屋にやって来られて、カスパー以外の人達にも迷惑をかけられては困る。


 リサがそう悩んでいることに気付き、カスパーは穏やかな目を優しく細めた。


「リサ、君は優しい子だから気にしているんだろう。私達のことは気にしないでいいんだよ」

「……そんなわけにはいきません。もし騎士団の方々がこの村を荒らすようなことがあったら」

「さっきのユリウス殿が統括しているなら大丈夫だろう。年寄りに優しい者に悪者はおらん」

「それは……そうですが……」


 リサの頭には、ユリウスが真っ先にカスパーを助け起こした様子が浮かぶ。しかし、自分に向けられた視線はどういう意味だったのだろう。憎悪とまでは言わないし、嫌悪とも違う……あれはいったい……。


「まあリサ、そう気にすることはないさ。どうせこの村には略奪するようなものもない」


 カスパーは呑気に笑うが、そう言われても気になるものは気になるのだ。リサは空と同じように暗い顔をしたままだった。

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