【アップ】2024年9月1日礼拝説教/讃美歌とMynoteもあります
天川裕司
【アップ】2024年9月1日礼拝説教/讃美歌とMynoteもあります
【本日の礼拝メッセージ】
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【ブログ】
ブログを見て下さると、聖書や讃美歌の歌詞などもご覧になれます。
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前奏
招詞 詩編127編1,2節
詩 編 歌 65編6節
歌声は全地に 響き渡らん
開 会 祈祷
主 の 祈り(週報裏面)
十戒・祈祷(週報裏面)
子ども説教
スコットランド教会新カテキズム
「従順の規準:十戒、十の言葉」
こどもさんびか
みんなでたたえましょう[改 8(1,2 節)]
牧 会 祈祷
讃 美 歌 10番
聖書
使徒言行録20章17〜24節
エゼキエル書34章23〜31節
説教
「教会の長老たちへ〜牧会の心を学ぶ」
宮武輝彦
祈祷
讃美歌 354番
使 徒 信条
聖 餐 式 配餐(パン・坏)
感謝のささげものと執り成しの祈祷
頌 栄 544番
祝祷
報告
讃美歌~♬
わがたまたたえよ(主なるかみを)~讃美歌10番~
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1
わがたまたたえよ 主なるかみを
うちなるすべては 御名をあがむ
2
わがたまおぼえよ あたえられし
たえなるめぐみは 主のものなり
3
われらのつみとが すべてゆるし
くるしみなやみを いやしたもう
4
くつべきいのちを 主はあがない
やさしき御手もて ささえたもう
5
みたまをそそぎて 鷲のごとく
いのちとちからに みたしたもう
讃美歌354番(歌詞付)54年版「牧主わが主よ」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=CgOoFG-Qvkk
1) 牧主(かいぬし)我が主よ 迷う我らを
若草の野辺に 導き給え
我らを守りて 養い給え
我らは主のもの 主に贖(あがな)わる
2) 良き友となりて 常に導き
迷わば尋ねて 引き返りませ
我らの祈りを 受け入れ給え
我らは主のもの ただ主に頼る
3) 赦(ゆる)しの御誓(みちか)い 救いの恵み
清むる力は 皆(みな)主にぞある
我らを贖い 生命(いのち)を賜(たま)う
我らは主のもの 主に在(あ)りて生(い)く
4) 御慈愛(みいつくしみ)をば 我らに満たし
今より御旨(みむね)を なさしめ給え
我らを憐れむ 御恵(みめぐ)み深し
我らは主のもの 主をのみ愛す
2024年9月1日 礼拝説教 中心聖句
パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話した。
使徒言行録20章17,18節
わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わが僕ダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる。
エゼキエル書34章23節
はじめに
キリストの任職を与えられた牧師と長老の共同的責任を担う牧会の心を学びたい。
1
「パウロはミレトスからエフェソに人をやって」とは、あえて回避したエフェソ訪問のため、伝令を送ったこと。パウロは、エフェソ「教会の長老たちを呼び寄せ」、勧告(別れの説教)し、祈りを共にした。「長老たち」とは、「群れの監督者」(28節)。「長老たちが(そばに寄り)集まって来たとき」「こう話した」。過去の事を述懐して語り出した。「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあながたたと共にどのように過ごしてきたかは、(あなたがたも)よく存じ(のとおり)です」と言う。パウロは、キリストの再び来られる日を覚え、お互いに離れていても、一つ一つの群れを覚えて、キリストの体である教会の健全な成長と神の栄光をたたえて祈り、書簡でその思いを伝えた(フィリピ1章5,7節、エフェソ1章22節)。
つまり、「よく存じのとおり」とは、ただ、一方的に、長老たちが受けとめた事を指しているではなく、絶えず、主の御前にある祈りと献身において、苦しみを共にして来た同労者として、長老たち自身も、共に、牧会における責任を共に担ってきた、キリストのための苦しみと霊的戦いを恵みとして思い起こすもの(同1章29節)。
2
続く「すなわち、自分を全く取るに足りないものと思い」とは、「謙遜の限りを尽くし」(口語訳、新改訳)とも訳される。パウロは、キリスト・イエスの僕として、「涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかってきた試練に遭いながらも、主に」仕えてきた。それは、パウロ自身が、使徒としての権威を誇ることなく、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣」(ローマ12章15節)く者として、キリストの体である教会の一致と平和を世のただ中で証し続けた。じつに、イエス・キリストご自身、「肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられ」、「御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれ」た(ヘブライ5章7,8節)。「役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました」。教会の礼拝における説教も、諸集会、家庭集会における聖書の学びも、その本質は同じ。それは、福音の真理(キリスト)を学ぶことであり、キリストの教会を建て上げるにふさわしい学びを重ねること。
3
「神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰」とは、パウロが伝え、教えてきたことの具体的な内容の要点。それを、「ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証してきた」。悔い改めは、単なる反省ではなく、罪と悲惨を自覚し、キリストにある神の恵みを理解し、神に立ち帰ること。信仰も、単なる信心ではなく、主イエスを「わたしたちの主」と告白し、信じ、従うこと。使徒パウロは、同胞ユダヤ人にも、異邦人であるギリシャ人にも、分け隔てすることなく、命に至る悔い改めと主イエス・キリストの内にあるまことの信仰を証し続けた。「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名(イエス・キリスト)のほか、人間には与えられていない」(使徒4章12節)、「神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとり」(テモテ一2章5節)との福音を、パウロも、使徒たちの一人として、教え、証しした。
おわりに
主は自ら、「彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる」。「わが僕ダビデ」こそ、キリスト。大牧者キリストを謙遜かつ忠実に証しする、福音に生きる教会をこそ。
(Mynote)
二〇二四年九月一日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『スコットランド教会新カテキズム』
「私達の従順の基準はなんですか。」
「十戒と呼ばれる、十の言葉です。」
神様はイエス様を人の間に遣わして下さり、そのイエス様を救いと道徳の基準にして下さった。即ち、イエス様は十戒を完璧に守られ、その為に私たち人間は救われる土台を得たのである。その罪の無いイエス様が全ての人の為にその罪を贖い(清め)、背負って下さり、その罪を神様の御前で許される様にして下さったからである。だから私たち人間は、そのイエス様に従い、イエス様のあとを付いて行く形で精一杯、十戒に在る教えを守る努力が必要である。
(公同礼拝)
『使徒行伝』(第二〇章一七〜二四節)
『エゼキエル書』(第三四章二三〜三一節)
本日は月の第一目の日曜日であり、聖餐式の日である。その事を覚えて、神様の御前で礼拝の恵みに与りたい。
『エゼキエル書』ではダビデの事が記されており、これは牧者(ぼくしゃ)の事で、即ち、神様の御前でその使徒として仕事に与り、その任務(使徒としての仕事)を全うする者の事である。牧者は神様に与えられた仕事を全て果たす者であり、この「果たす」と言う点に注目し常に心を向けて、神様に従い、信仰に沿う事が大事になる。
そして神様は、この牧者の行く手を悉く守られ、必要なものをその時々、また前以て与えて下さり、人との関係さえも全て、その使徒としての働きに必要な形として下さる。
『使徒行伝』では同じく牧者としてパウロの事が記されて居り、パウロもまた神様に使徒として遣わされ、その行く手の様々な所で必要なものが与えられ、譬え苦難が(人の目から見て)訪れようとも、それに不安・恐怖・苦しみを覚える事なく、ただ神様の平安の内に兄弟姉妹共に在る形で守られた。
詰りこの両箇所では、夫々の時代に於いて働く使徒の事が記され、どの時代に於いても使徒として働かせる上では必ず神様がその人(使徒・牧者)を守られ、その任務を全うさせて下さる。その任務の全うは、その人のみならず周りに集う(その働きに依り救われた)人達をも救い、神様の平安の内に永遠の命を与る者とされる。この事を本当に常に変わらず信仰を以て信じられるかどうか?この点が重要になる。現実に於いて生活する内、全ての人は罪人であるため必ず現実の誘惑に惑わされ、罪に安らぎと刺激を見、それに縋る習性がある為、ただ信仰に歩む事に躓きを覚えるからだ。だからこそ全ての人にとって揺るがない不動の信仰の内実が必要となり、その力と働きは神様の御力と聖霊から成る。
パウロはこの使徒の働きに対し、命を惜しむ事無くただ「全う出来れば良い」とした。この現実に於ける日常の仕事でも、様々な職場に於いて「言われた事をちゃんとして居るかどうか」が問われる。例えばレストランでの仕事では、「水をあのテーブルに持って行け」と上司から言われた場合、常勤・非常勤・アルバイト・パートを問わず、その通りにしたかどうかが問われる。同じく仕事の出来・不出来に於いては、その水を「テーブルに持って行く事」が問われる唯一の点となり、どんな理由があるにせよ持って行ってなければ、その人は仕事をした(任務を全うした)とは成らない。
この任務・仕事の全うの有無のポイントが、ダビデやパウロが為した使徒としての働きにも同じく言えるのである。そしてこの点を以てパウロは、
「ただ、聖霊が至る所の町々で、私にはっきり告げて居るのは、投獄と患難とが、私を待ち受けて居ると言う事だ。しかし、私は自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神の恵みの福音を証(あかし)する任務を果たし得さえしたら、この命は自分にとって、少しも惜しいとは思わない。」(『使徒行伝』第二〇章二三〜二四節)
と語ったのである。
牧者とは、全ての人(神様がその時々で与えて下さる隣人の意味)を神様の方向へ導く監督者である。この監督者は皆の最後に付いて歩き、信仰から反れる者が無いかどうかを常に見守り、外れる者があればその人の傍へ行き必要な事をする。全ての人のあとに付いて歩く者であり、全ての人に仕える者の事である。
そしてこの牧者・監督者を立て、信仰に於いて働かせるものが聖霊であり、この聖霊の働きが無ければ、それは使徒の働きではない。この点に注意が必要である。必ずイエス様に繋がり、キリストの真実に繋がり、神様の守りの中で歩まされる事が必然と成る。
「御言葉には、あなた方の徳を立て、聖別された全ての人々と共に、御国を継がせる力がある。」(『使徒行伝』第二〇章三二節)
パウロは自分が去った後、必ず自分が集めた者達の中に狂暴な狼が入り込んで来て、容赦なく群れを荒らす様になる事を知って居た(神様から教えられて知って居た)。また更に、集めた信仰厚いと思われた人達自身の中からも、いろいろ曲った事を言って、弟子達を自分の方に、引っ張り込もうとする者らが起こるとも教えた。
だから全ての人は正しい信仰に於いて、常に心と目を覚まし、神様が(パウロを含む)預言者を通して教え諭して来た事を、忘れるなと言う。それを忘れては信仰の土台が無くなる事を意味し、必ず人はその様に迷い、暴力に訴え、暴力に従い、利益に訴え、利益に従う様になり、信仰を忘れた存在になるからである。これは悪魔の業に在る。悪魔は、選民(神様に選ばれた者・クリスチャン)をも惑わそうとする者である(『マタイによる福音書』第二四章全節、又、二四節を参照)。
教会の牧師や長老・執事(牧者)は、使徒として、神様の下(もと)で与えられたその任務を全うする者達である。この任務の全う・使徒としての働きは、全てのクリスチャンにも与えられるものに在り、遣わされる事を神様に常に祈り願い、信仰に沿える様にと正しい心と姿勢で願えば、必ず神様がその人を遣わして下さる。そしてその遣わされる者と、遣わされた者の周りに集まり、その信仰に救われる事を祈り願う者達も救われる。信仰に於ける大事は、先ず謙遜である。人に仕える心とその姿勢であり、これの対象は傲慢である。神様の前で自分の何足るかを問う以上、先ず誰でも傲慢には成り得ない。傲慢な者とはその時々に於いて信仰から外れた者であり、これは自分で自分を律し、神様に許しを求める上で、正しい信仰を持てる様に祈り願う事が必要となる。
この場合でも、(誰にとっても)悔い改めが必要であり、この悔い改めとは単に謝罪する事でなく、自分がその前後で変わる程の事、悔いて(謝罪して)その後の行動を改める事に在る。ただ頭を下げて謝罪する・反省するだけなら猿でも出来るもので、また偽装する事も出来るのだ。
大事は信仰に於いて心の問題に在り、その人の内面に在るからその後のその人の言動も変えられる程のものになり、この悔い改めの心と姿勢から、正しい信仰の姿と内実が与えられる。そう信じて、とにかくイエス様のあとを付いて歩める努力をし、常に神様に救いの機会と土台が与えられて居る恵みを覚えて感謝し、喜び、その正しい信仰に歩める様にと祈り願う事が、全ての人にとって大事となろう。救いは神様から来る。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Caffe〜
榎本保郎牧師 ミニ説教10 「明日はどんな日か 私は知らない」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=rJUFXbbJves&t=24s
「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=z9vDQmnHlOQ
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop
不思議のパルプンテ
https://www.youtube.com/@%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%86/videos
(お暇な時にぜひどうぞ)
【アップ】2024年9月1日礼拝説教/讃美歌とMynoteもあります 天川裕司 @tenkawayuji
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