12.縦ロール令嬢(後)

 縦ロール令嬢の言葉に刺さるモノや後ろめたく思うモノなんて、シャオヤオにはこれっぽっちもない。

 本人は最高に決めているつもりなのだろうが、迫力も感じない甲高い女の声なんてなんてただ煩いだけである。

 だからと言って、引っ叩いて物理的に黙らせるのは無しだ。シャオヤオとしては一番手っ取り早くて楽なのだが、お姫様としてはダメだろう。それくらいは分かる。

 このまま無視してやり過ごす、と言う手が一番良いか。しかしここまで盛り上がっておいて、それで終わるのは些か興醒めだろう。目的は知らないが、エリム夫人が“珍しい事”をしているのだ、ならそれに乗ってシャオヤオも珍しい事をしてみるのも一興かもしれない。

 面倒事はお断りだが、エリム夫人達の背に隠れてひたすら黙っているのもそろそろ飽きてきたところだし。


「厳しいお言葉、痛み入ります」

 

 シャオヤオが口を開くと、エリム夫人達が少しだけ目を見開いた。周囲からも、姿は見せども専属の使用人以外には一度も口を開かなかった姫の予想外な発言に驚く気配を感じる。

 当然だが、縦ロール令嬢も虚を付かれたような顔になっている。それだけで彼女は自分が一方的に捲し立てられる立場だと思っていたのが分かる。甘い甘い。反撃の可能性を考慮せず喧嘩を吹っ掛けるなんて、エリム夫人の台詞ではないが箱入りも良いところだ。


「自分の生まれと育ちは誰よりも私自身が分かっています。帝国皇太子の婚約者なんて、私には過分過ぎる立場である事も重々に」

「そ、そう。それなら今からでも遅くありませんわ。すぐにでも辞退を」

「ですがそれでも、私にも私なりに引けない事情と言うモノがあります」

 

 シャオヤオはニッコリと笑みを作る。エリム夫人に教えてもらった、特に親しくもない人用の、隙のない笑みを。

 頭の中では、暗殺者である事とまかり間違って皇太子の婚約者なんてものになってしまった本来の事情はちょっと横に避けて、サモフォル王国の姫の事情と設定を引っ張り出す。


「亡き母の祖国サモフォル。私にとっては一度もその土を踏んだ事がない異国ではありますが、長い内戦で苦しむ国民達の苦しみは、私自身幼き頃より戦火を逃れてあちらこちらへと難民暮らしをしていたので痛い程よく分かる」

 

 ただの偶然だとは思うが、難民の一団の中で育ったなど姫の設定はシャオヤオの生い立ちと近いモノになっている。その頃の情勢から特に珍しくもなく、戸籍等書類上の関係で都合が良く、また同情も引けるので組み立てやすい設定なのだろう。

 あまりにかけ離れた生い立ちだと何かの拍子にボロが出てしまいやすいので、やり易くはある。


「幼子心に母がよく遠くを見ていたのを覚えています。その頃は新しく立ち寄った場所の風景を眺めているのだと思っていましたが、今にして思えば、それはサモフォル王国がある方角。母の心から祖国が消えた事は一度としてなかったのです」

 

 そこに少しばかりアレンジも加えて。


「既に儚くなってしまった母に親孝行する事は叶わない。ならば母の心に最期まであった、母の祖国に何かの形でも役に立てるのなら、母が少しでも心安らかに眠る事が出来るのなら、私は喜んでそれを行う。その思いと覚悟で私は此処に来ました。例えそれを恥知らずと言われようとも」

「そ、そんな薄っぺらい思いなんて貴族では覚悟とは言いません事よ」

「何とでも。形にして見せる事が出来ない以上、その真偽は自分で決めるしかないのですから」

 

 おお…、観衆から感銘の声が上がる。掴みは上々。皇太子も言っていた、亡き母の祖国の為に茨の道を選んだ健気な姫の物語、民衆はそう言うモノが好きだと。


「私からも貴女にお聞きしても?」

「な、何かしら?」

「貴女は先程、自分なら命を断ってでも辞退すると言いましたね」

「ええ、勿論です。誇り高き帝国貴族ならば当然です」

「つまり貴女は自身の誇りを優先し、領民や国民を守るつもりはないと言う事なの?」

「え?」

「伯爵家なら領地とそこに住まう領民を抱えていると思うのだけど。例えば貴女に身の程知らずで、帝国貴族の誇りを傷付ける屈辱的な婚姻話が持ち上がったとしましょう。貴女がそれを受ければ領民や多くの帝国民が救われる、逆に断ったらとても苦しむ事になる。そんな婚姻話。貴女は、断ってしまうの? 誇りを優先して」

「何を意味の分からない事を。どんな状況か分からないけれど、伯爵令嬢たるわたくしが辱められるくらいなら、わたくしを守る為に平民達は自ら率先して苦しみを受けるべきです。わたくしが救われないのに平民達が救われるなんて、あってはならない事なのですから」

「…ふーん、そう。貴族とは、領主、皇帝とは、いざと言う時に己を犠牲にして民を守る者。その責任を一身に背負う者だと思っていたのだけどね。だからこそ平民はその時の為の保険料として汗水たらして得た財を税として納めている。でなければ、好き好んで気位だけの生き物をわざわざ飼う事なんてしないわよ」

「なっ!? 無礼なっ」

「黙って」

 

 シャオヤオは扇を突き出して、何かを言おうとした縦ロール令嬢の口を閉じる。言うまでもないが、口の中に捻じ込むなんて、そんな勿体ない事はしていない。

 後はちょいとばっかり殺気を乗せて微笑むだけ。


「貴女が言う帝国貴族の誇りを軽んじるつもりはないけれど、平民だろうが貴族だろうが人である以上、誇りを食べるだけでは生きてはいけないのよ、お嬢さん」

 

 ゴクリと、縦ロール令嬢が唾を飲み込む音が聞こえた。

 後ろではエリム夫人が満足そうな笑顔で頷いているので、及第点は貰えそうだ。

 これで縦ロール令嬢の相手は終わりとする。彼女の価値観はシャオヤオとはかけ離れ過ぎていて、これ以上続けたところで主張は平行線を辿るだけだろう。無意味だし、面倒だ。

 そう思ってエリム夫人に視線を送ると、心得たように頷きでもって返された。

 シャオヤオは縦ロール令嬢に向けた扇を下ろして、彼女に背を向ける。

 と。

 

 リンッーーー

 

 鈴の音? 嫌に耳に響いた。まるであらゆる音の隙間を縫って、的確にシャオヤオの耳に滑り込んで来たかのよう。

 無意識の内に発生源を探ろうとしてシャオヤオが振り返ると、縦ロール令嬢の後方からこちらに迫ってくる人影を視界に捉えた。ローブだろうが、頭から布を纏っていて容姿は分からない。だが、その体勢は何かを構えるように持っていて、状況から考えて刃物以外にはない。

 暗殺者としてのシャオヤオの勘が騒ぐ。

 縦ロール令嬢を狙っているかのようで、彼女を隠れ蓑にしているだけ、実際の狙いはシャオヤオだ。

 人々の視線はシャオヤオと縦ロール令嬢に集まっている。一部護衛や警備の騎士が気付くが、位置的に彼等が捕らえるより先にローブの奴はシャオヤオの元へと辿り着く。

 だったら。


「退きなさい!」

 

 シャオヤオは縦ロール令嬢を横へと突き飛ばす。

 これでローブの奴との間に障害物は無くなった。シャオヤオの思った通り、奴は短剣を構えている。刃渡りは短く、縦ロール令嬢諸共シャオヤオを串刺しにするつもりは流石になかったようだ。

 シャオヤオに気付かれた事で一瞬の躊躇を見せたが、狙いであるシャオヤオまでは既に三歩程度、邪魔者もいない、ここで止める選択はシャオヤオだとしてもない。案の定、一歩の内に短剣を握る力が強まったのが見えた。

 このまま飛んで避けると言う手もある。だがそうなると、今シャオヤオの後ろにいる使用人達の方へと奴の短剣が止まらず向かってしまう恐れがあった。

 ならば、避ける以外の選択肢を取るのみ。

 縦ロール令嬢を突き飛ばしてから、ローブの奴が更に一歩近付いてくる間に踏み込んだ片足を軸に身体を回転させる。そして勢いを利用してもう片方の足を短剣…を持つローブの奴の手へ的確に狙いを定めて蹴り上げた。

 

 ガキンッ!

 

 ローブの奴の手から短剣が離れる。シャオヤオの行動は完全に想定外だったのだろう、立ち止まれず、勢いも殺せず、驚きの表情でローブの奴はそのままに突っ込んでくる。

 まだまだ! シャオヤオもそこで止まらない。

 蹴り上がった足を重力と自分の意思で引き戻してそのまま眼前のローブの奴の頭上へと力一杯に、落とす。

 

 ドゴンッ!

 

 ローブの奴の頭に踵落としが炸裂した音と奴が地面へと叩き付けられた音が、ほぼ同時に響き渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る