第44話

 男は目を覚ました。体中に疲労とダメージが蓄積されており、特に頬のあたりがずきずきと痛む。激しく揺れた脳を必死で動かしながら、ボヤついた視界を綺麗にする。


 彼は仰向けになって倒れ込んでいた。その目に映ったのは、彼の周りで自分を見下ろしている人たちの姿だった。


 全員見覚えがある。

 複雑な表情で、怒りも内包した天使3人。特に金髪ではつらつハツラツとした女性が、今にも殴りかかってきそうな勢いだった。だが、他の2人に押さえ込まれて、少し離れた場所に移動していた。


 他には、人間の少年と、赤髪の女性が立っている。赤髪のほうは、なんだか疲れているのかあくびをしていた。

 少年の方は違う。彼が目覚めた瞬間、「良かった」と感じたのか、少し唇が緩んだ。


 そして、最後に2人の豪魔が並んでいた。角と黒い肌は、男と一緒だ。どちらも同年代の女性。嫌というほど見た顔だ。


 天真爛漫で、引き締まった脚が特徴的なほうは、彼が目を覚ましてとても嬉しそうだった。


 もう1人のほうは、様子が違う。彼が目を開けた瞬間を見ていたが、どう声をかけていいものか分からずにいた。


「っお、グべが起きたよ。はは、殴られて痛そう」


 目覚めた豪魔・グベラトスの頬には、強烈な拳のあざが残っている。意識を飛ばすほどのダメージ。スキルを使用していれば、下手をすると死んでいたかもしれない。それぐらい、素の彼の肉体は脆いのだ。

 彼の発動する【いざないの手】は、この世界のレベルアップシステムと相性が悪い。レベルアップするために必要な経験値は、主に生命の命を奪った際に、膨大な量を得られる。なので、いざなう、自分の力に変えるという行為は、あまり経験値を得られない。

 もともと副業で冒険者をやっていたこともあり、グベラトスは初心者と中級者の間を行き来するようなレベルの戦士だ。


「……やられたんだな」


 グベラトスは上半身だけを起こして、片膝をついた。その後、自分の首を手で触れる。そこで、纏っていた【いざないの手】が綺麗さっぱり消えていることに気がつく。

 彼もまた、解放された1人なのだ。


「……グベラトス。色々聞きたいことはある。けど、今一番知りたいことだけ聞くよ?

 なんで、なんであの絵を取り込んだりなんかしたんだ?」


 豪魔の女性・魔拳のヨツイが言葉を選んで問いかけた。

 彼女は知っていた。【いざないの手】は意思を持っているかのような動きをするが、それは本体であるグベラトスの指示を忠実に実行しているだけ。あの手が勝手に何かを取り込むようなことはなかった。


 しかし、今回は特例だ。あの絵に宿った、不の念がグベラトスと【いざないの手】に反して暴れていた。まるで生きているかのような動きで、様々な物を取り込んだこともあっただろう。


 だがそう考えたとしても、最初は違うはずだと。あの絵を取り込む前までは、正常な脳でものを考えるグベラトスのままだ。

 つまり、何かを思って、あの絵画をいざなったということになる。


「……あの基地に、持って帰ったんだ。何気なく眺めていた。そしたら俺を呼ぶ声が聞こえたんだ。

 直感的に分かった。これは先祖の声だと。あの絵に込められた意志なんだと。

 それと同時に……、あれをいざなえば後戻りできなるだろう、とも思ったよ」


 グベラトスは思い出す。秘密基地であの絵画と向かい合った時の事を。使われていない倉庫を掃除して、絵画と出会った時から、彼は異様に惹かれていた。


「やっぱり、最初はお前の意思だったんだね。きっと暴走していた時の事、そこまで覚えていないんでしょう? 全然、目が違うもん」


 グベラトスの瞳は、サファイアのような明るさのある水色だ。しかし、【いざないの手】に支配されていた時は、泥水のようにひどく濁っていた。それを比較しただけでも、グベラトスが自分の意思で動いていなかったことが伺える。


「ああ。けど、断片的には覚えている。……お前たちにしたことも、これからやろうとしていたことも。

 ……すまなかった。今はそれしか言えないけれど」


 立ち上がる事すらもままならないグベラトスは、その場で深く頭を下げる。まともに幼馴染たちの顔を見上げられなかった。どの面下げて、彼女たちと話せていいのか。


 そんな壁をぶち破るのは、もう1人の幼馴染のほうだった。いつだってそうだった。彼ら3人が喧嘩をすることがあっても、パルクーが能天気に話しかけてくる。


「でもさぁ、なーんか腑に落ちないっていうか。グべって、そんなに先祖のこと敬うタイプだったっけ?

 そりゃあ、皆墓参りとかはしているけどさ、そんなもんじゃないの?

 あの絵だって、ずっと埃かぶっていたわけだし」


 これは、ヨツイも感じていた謎だった。我を忘れて暴れまわっていた理由は分かった。けれど、そうなった最初の理由に納得がいかなかった。どうして、絵画をいざなうという、不可思議な行動に出たのか。


 その答えは、今になってグベラトスは理解していた。


「……そうだよな。そうなんだよ。俺はさ、先人たちの歴史なんてよく知らずに、平和に暮らしていた。

 家族も、友人もいて、他種族とだってなんのしがらみもなく接しあえる。旅だって自由だ。冒険者になるのも、農家を手伝うのも、俺次第だ」


 少し顔を掲げて、幼馴染たちと天使たちの姿を目に入れる。彼は積極的に他里と関わるようなタイプではないが、天使たちと話したことも何度かある。


「……けど、かつての豪魔は違う。血にまみれた時を過ごしていたんだ。

 俺は、俺は、平和な自分が憎くなった。何不自由なく生きている自分が……。

 だから、あの絵をいざなったんだ。

 ……先祖の無念があるならば、俺の体を使って果たしてやりたい、ってな」


 これが今回の事件が起きた最初の動機。天使の里消失から露見したテロ行為。その根幹にあったのは、やはりかつての豪魔への思いだった。けれど、それはあの時彼が語ったような、物騒なものではなかったのだ。

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