第5話

 豪魔の砦から、崖を上り下りすると、そこからは一気に様変わりした風景が広がっている。


 ここは「天国草原」と呼ばれる場所である。ピンク色と緑色の植物が一面に生い茂っており、風にそよぐ草花たちは、幻想的な光景を描き出していた。ピンク色の花を咲かせるエルドリアンの群れは、葉が薄いベールのように繊細で、太陽の光を透かして輝いていた。


 一方、緑色の植物はヴァーリスという名の草で、その太い茎と大きな葉が特徴的だった。ヴァーリスは草原全体を覆い尽くし、その濃い緑色がピンク色のエルドリアンと見事なコントラストを成している。葉の表面には細かな毛が生え、風に吹かれると柔らかく波打った。


 草原の中心には、巨大な桃色の花を咲かせるアルカナリアの木が立っていた。色の名前は正確にはマゼンタ。高さは10メートルにも及び、その枝からは無数のピンクの花が垂れ下がり、甘い香りを放っている。


「ふんふ~ん。歩くのサイコー。ボク、ここ大好き~」


 のんきなことを言いながら草原を散歩するのは、豪魔の女性だった。しかし、ララクたちと最初に会ったヨツイという人物とは別人である。

 黒い肌や発達した筋肉は同じ特徴だが、幼さの残る成人女性で、髪は丸い形をしており、目の色は赤く輝いている。


 彼女は右腕と右足を同時に前に出し、その後左足と左腕を一緒に振っている。左右の手足を同時に大きく動かしながら、集団の先頭を闊歩している。


「えーと、パルクーさんでしたよね。お元気な方ですね」


 陽気な歩く豪魔女性の名前は「パルクー」。彼女は案内人ヨツイと同じ冒険者パーティーに所属している。二つ名は炎足えんそくのパルクーだ。


「あの子は、生まれた時からあんななんだ。でも、戦闘能力は高いよ」


「幼馴染ってやつ? いいよね、友達とパーティー組むの」


 ゼマは、昔からの付き合いというヨツイとパルクーの関係が微笑ましく思えた。狭い村だと、実生活でも交流のある人物と仲間になることはよくある話である。


「そういえば、ララクとゼマはどうして仲間に? そっちも昔からの付き合い?」


「違う違う。まだ会って3か月も経ってないんじゃない」


 ゼマの言うように、ララクと出会ったのは数か月前である。年月で見ると短いが、旅をして昼夜共に一緒にいるので、時間としてはそれなりに長い。


「ボク、人よりスキル数が多いんですけど、回復スキルは微妙でして。それで回復職ヒーラーを募集したら、ゼマさんが来てくれて」


 大量のスキルを獲得したララクだが、実はキズやダメージを癒す回復スキルはほとんど持っていなかった。あるのは初級の【ヒーリング】のみ。

 彼が所属していたパーティーはヒーラーを求めてララクを加入させた。つまり、全員回復スキルを所持していなかったのである。

 そのため、かつての仲間から引き継いだスキル軍の中には、回復手段がなかったのだ。


「へ~、もしかしてララク、見かけによらず強いタイプ?」


 話を聞いてヨツイは、ララクがそれなりの実力者なのではないかと考えていた。スキル数が多いということは、レベルが高い可能性があるからだ。基本的にスキルは、レベルアップで獲得する。


「まぁ、自信はありますかね」


 謙遜しつつ否定はしなかった。まだまだ多くのスキルを使いこなせていないと思っており、自分では未熟者と感じている部分もある。


「いいね、時間があれば一手合わせてみたいもんだ」


 彼女は冒険者であり、魔拳まけんのヨツイと呼ばれもしている。彼女も自分の力に一定の自負を持っている。


 雑談をしながら4人が移動していると、戦闘にいる炎足のパルクーが少し歩行速度を緩めた。前方を見つめて、首を何回かかしげている。


「どうした、パルクー。ドラゴンでも見つけたか~?」


 冗談交じりに魔拳のヨツイは質問する。ドラゴンは伝説的な存在。こんな偶然に出会える相手ではない。

 けれど、まるで未知のモンスターに出会ったかのような、不可解な顔を炎足のパルクーはしていた。


「ねぇ、もうそろそろ里が見えてくることろだよね。なんかさ、でっかい木も里の近くにあったよね」


「ちゃんと分かってんじゃん。どうしたんだよ……って、あれれ? おかしくない?」


 魔拳のヨツイは、幼馴染のパルクーの横に並んだ。2人は前を注視するが、いくら探しても里らしきオブジェクトはなかった。ずっと平らな草原が広がっているだけである。


「……(なにか様子が変だな。ボクも探してみるか)」


 ララクは道案内人の2人が困惑している表情を見て、何か異常なことが起きているのではないかと、緊張を感じ始める。


「【視力強化】」


 ララクは、視力を大幅に上げるスキルを発動。彼の体内に眠る魔力が、彼のつぶらな瞳に流れ込んでいく。


 ラクは広大な草原の奥に目を凝らし、遠くにわずかに動く影を見つけた。草の海を渡る風が、その人影をゆらめかせ、まるで幻のように揺らいでいた。草原の緑とピンクに包まれたその場所で、ララクはじっとその影を見つめた。


 人影は三つ、互いに離れた位置に立っており、何かを見守るように静かに佇んでいた。それぞれが異なる姿勢で、首を激しく動かしているように見えた。

 人の形が分かるだけで、細かな表情などはまだ掴め切れていなかった。おそらく体格的に、3人とも女性であることは感じ取れた。


「誰か、いますね。もしかして、あの人たちが天使なのかも」


「ほんと? でもなんで、里が見えないんだろ……」


 魔拳のヨツイはさらに分からなくなった。天使がいるのに里が見つからない。どういう状況なのか理解できなかった。


「行ってみるしかないでしょ。ほら、走った走った」


 悩み足を止めてしまった豪魔の2人を見て、ゼマは彼女たちを追い越す。そして軽やかに走って、人影の元へとぐんぐん進んでいく。


「っあ、ズルいよ! ボクも走る!」


 何がズルいのかはよくわからないが、火が付いたパルクーはゼマの後を追っていく。


「ゼマさんらしいな。……ヨツイさん、ボクたちも行きましょう」


「そうだね、ここで迷ってても仕方ない!」


 ララクとヨツイも、先陣の2人を追って草原をひた走る。小枝などがあまりないので、天国草原は快適に走ることが出来る。


 4人がララクが発見した人影の近くへ移動すると、そこには衝撃的な光景が広がっていた。旅行者のララクとゼマはあまり驚いていなかったが、豪魔のヨツイとパルクーはひどく混乱している。


「……っえ、嘘でしょ。里が、ない?」


 魔拳のヨツイの目に入っていたのは、ぼっかりと大きな大きな穴が開いたかのように、さら地が広がっているからだ。ピンクと緑の鮮やかな草木は消えて、赤茶色の大地が見えてしまっている。皮を削がれた獣を見ている気分になる。


 天使の里は見えなくなったのではない。

 忽然とこの場所から、姿を消したのである。

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