はじめに

 2034年8月30日。


 シカゴで開催されたDungeon Technology Expo、DeXpoデクスポ会場を、私はプレスバッジを手にうろついていた。


 コロンビア大学を卒業後、D.C.ジャーナルで記者として働き、紛争地域特派員としてキャリアを積んだ後、アメリカに帰国して初めて与えられた仕事だった。出展企業の一つ、Japan Dungeon Company、JDCのCEOである藍ヶ原律人あいがはらりつとのインタビューを命じられたのである。〈ダンジョンの父〉として名高い、全世界的なセレブである藍ヶ原へのインタビューは心躍る仕事のはずだったが、当時の私は少し、いやかなり、ふてくされていた。


 昨日まではむき出しの命がぶつかり合い、ともすればその火花で焼死しかねない紛争地帯を這いずり命がけの取材をしていたというのに、今日からは、エアコンの効いた社用車で一度も空爆されたことのない場所に赴き、個人資産数10億ドルを持つビジネスマンの記事を書けというのだ。これが会社なりの温情、休養を兼ねた仕事であることは理解できたが、鼓膜にはまだ、すべてが終わったあとにライフルの薬莢が瓦礫を転がっていく虚しい音がこびりついていた。


 展示を見て回っても、あまり心は動かなかった。なるほど、ダンジョン産ポーションは再生医療や認知症治療にすさまじい発展をもたらしたのだろうが、自慢げに「もう5人殺した。あと5人殺せば女がもらえる」と言っていた隻眼の12歳の男の子に行き渡るまで、あと何年必要だろうか。私はぼんやり、そんなことを考えていた。


 アポイントメントの時間になってJDCのブースに赴き、ビジネスカードを見せ日本式のお辞儀をしてみせると、受付の女性は丁寧に商談用スペースに案内してくれた。彼女が言うには間もなく藍ヶ原が来るとのことだったが、ブースの壁越し、なにやら日本語で剣呑な雰囲気の会話が聞こえた。どうやら昨日から藍ヶ原と連絡がとれないらしい。これはかなり待たされるだろう、ひょっとしたら長時間待たされた挙句別日に改める最悪のパターンかもしれない。


 私は覚悟を決め、硬いパイプ椅子に本格的に腰を落ち着けた。そして、ふいに時間の開いたジャーナリストなら誰もがするであろうことを始める。メモしておいた、いつか書きたいと願っているテーマを見つめ、それを出版するにはどうしたらいいのだろうかと思いを巡らせ――そして、今はできない理由をあれこれ並べ立てる。当時の私が考えていたのは、紛争地域における貧困と先進国における貧困を比較し、その差異と同質性を社会学の観点から考察し解決策を提示する、といったようなテーマだった。こんな本を書かせてくれる出版社はどこにもないだろう。


「Hai,Do-mo!」


 次の瞬間、青年が目の前にいた。

 約束の時間ぴったりだった。


 藍ヶ原律人。二十代にして時価総額200億ドルの企業JDCのCEO。ティーンエイジャーにしか見えない顔と飄々とした物腰。使い込まれた革鎧と腰に下げた小剣。それからなんといっても世界で12人だけが使える【転移】スキル。少々面食らったモノの、挨拶をすませると早速インタビューを始めた。JDCブースの目玉、今後の展望、アメリカ展開の狙い、ダンジョン社会の問題点、などなど。


 藍ヶ原は非常に気さくで、ジョークを好み、アメリカの古いサブカルチャーにも詳しく、インタビューは和やかに進んだ。私はすっかり彼が好きになってしまった。互いの学生時代にプレイしたTRPGの思い出(彼はクトゥルフ神話TRPG、私はD&D4e)、指輪物語映画版のエクステンデッドバージョンと通常版の違い(そして映画版ホビットについて)、コミコンで見つけたクールなグッズ(kraftwerk風X-MENのTシャツ)についてシンダリンを交えながら話し、相手を嫌いになるのは難しい(訳者註※①)。


 30分ほど経過すると、彼はおかしなことを言った。その頃になると私たちは打ち解け、日本語で会話していた。Vtuberのファンになって学んだ日本語が仕事で役立つ日が来るとは、と内心で感動していたので、その質問には少し、不意を突かれた。


「それで……君は誰だと思ってる?」

「誰、とは?」

「ダンジョンマスターさ」


 しばらくキョトン、とした後、私はニヤリと笑った。




 ダンジョンマスターは誰だ?




 大迷宮時代エイジ・オブ・ダンジョンと言われるこの10年で、さんざん繰り返されてきた問いだ。誰が、どうやって、なぜ、地球にダンジョンを作ったのか、管理しているのか。科学的な見地から、宗教的な見地から、あるいは陰謀論的な見地から数千通りの答があるものの、そのどれ一つとして確たる証拠は存在しない。故にどれも同じだと言っていいだろうし、何を言ったとしても大して違いはない。


 だから私は軽く答えた。


「さあ? 今のところは、あなたっていう気がします」


 そう聞くと、彼は少し笑って答えた。


「僕がダンジョンをゼロから作るなら、もっとうまくやるよ。少なくとも、ダンジョンの中はもっとエキサイティングにできるはず」

「どんな風に?」

「一番高い山のボスを倒したら他種族に転生できるようにするね」

「ダークケイブエルフは弱化調整ナーフしてくださいよ」


 大学時代に私の進級を危うくしていたMMORPGを引用して言われ、私もそれで返し、顔を見合わせ笑った。取材対象に過度な好意も嫌悪も持たないのは優秀なジャーナリストである条件の一つだろうが、本当に、彼を好きにならないのは難しい。


 インタビューは問題なく終わり、去り際、彼はもう一度言った。


「日本の探索者の間だと、常識になってることが一つ、あるんだけどね」

「なんです?」

「ダンジョンマスターは日本人だって」

「そうかもしれませんね、ダンジョンの中は日本のサブカルチャーが多すぎる。もう少し、英語圏のものも増やしてほしいですよ」

「たとえば?」

mellonで開く扉が(訳者註※②)必要です」

「まったくだ」


 そう言って私たちはまた笑い、別れた。いつか老人になったら一緒にWarhammer40k(訳者註※③)を始めよう、と約束し、メールアドレスを交換した。日本の歴史を変えてきた傑物たち、その中でも、人たらし、と言われるような種類の人間に、彼は近いのかもしれない。そのときは、そんなことを思っていた。




 ダンジョンに転生システムが実装されたのは、その1週間後。

 エルフ語、シンダリンで「mellon」と唱えて開く扉と共に。




 迷宮メイのフェーズ5宣言と共に、人口10,000人以上の国連加盟国すべての首都にダンジョンが発生したニュースに押され、このマイナーアップデートはあまり話題にならなかった。だが私がそれを知った時、藍ヶ原との会話を思い出したのは言うまでもない。すぐさま彼に連絡をとろうとしたが、それよりも先に、彼からのメールが来ていた。




 件名は、ダンジョンマスターの件。




 本文は、たったのワンセンテンス。




『僕らはヤツを本気で探してみる必要があるんじゃないか?』




 だから、私もワンセンテンスで返した。




『今すぐそちらに向かう。』




 返信を待たず、私は日本に飛んだ。




 フライト中はずっと、これから世界中を回ることになるから、その取材費をどうやって工面するかを考えていた。幸いにして社に「〈ダンジョンの父〉が協力してくれるから、ダンジョンマスターを探す本を書こうと思う」と告げると、編集長であるエリック・スガディヤ直々に「見つかるまでやれ。やり切るまで出社するな」との言葉をもらった。ジャーナリズムの現場からタフさとラフさが消えて久しいが、彼のようにその二つを併せ持つボスの下で働けるのは実に幸運だ。


 これから始まるのは大迷宮時代エイジ・オブ・ダンジョンの歴史、そしてダンジョンマスターの捜索記録、つまり、ダンジョンにまつわるあらゆる人々の声だ。その声が導く先で、私は、ダンジョンマスターを見つけたと思っているが……その証明をせよ、と言われれば逃げ出すしかないだろう。あなたはこの本をよくあるダンジョン陰謀論本だと思うだろうし、実際私も、この本はそういった陰謀論と何が違うのかと尋ねられれば、実際に取材して資料をあたって調査をした、以外に言えることはない。調査報道と陰謀論の違いはそれだけだ。


 だが、ここに記されている声はすべて本物だ。


 〈ダンジョンの父〉〈世界最強のオタク少年〉〈性癖全ぶっぱマン〉……数々の異名を持つダンジョンの世界的権威である藍ヶ原律人の協力を得て、主に日本とアメリカ、それから中国とロシア、アフリカ、そしてもちろんインドネシアで、あらゆるダンジョン関係者に取材し、実際にダンジョンを探索し、人々の声を集めた。


 政府が降ろした秘密のベールをこっそり持ち上げたし(合法的に)、誰からも省みられずキャビネットの中で朽ちていくだけだった記録を掘り返したし(大勢の協力者と共に)、実際に数カ月間、探索者として生活もした(絶対に二度とやらない)。


 ダンジョンテロリストと呼ばれる人々が何を考えているのか、迷宮自衛隊はなぜ世界に先駆けダンジョン技術を軍事テクノロジーとして取り入れることができたのか、日本の迷宮省がアメリカのダンジョン機構ADRAと秘密裏に交わしたと言われる契約はただの都市伝説に過ぎないのか、ダンジョンはなぜ国連の管轄にならなかったのか、どうして世界は迷宮メイの言うがままになってしまったのか、そもそもなぜ迷宮メイが存在したのか?


 この本の中で、ダンジョンマスター以外の疑問には、はっきりと答を出せたと思う。少なくとも、これが答だ、と信じている人々に問いかけることはできた。


 ダンジョンが地球に生まれて約10年。


 私たちの暮らしはもはや、ダンジョン抜きにして語れなくなってしまった。エネルギー政策、食料問題、外交関係、軍事テクノロジー、教育システム、すべてがダンジョン中心となりつつある。その是非を問うつもりはない。だがダンジョンによって変わった人々の暮らしと考え方、言うなれば、この大迷宮時代エイジ・オブ・ダンジョンにおける人類の常識は、記録しておかなければならない。これは、産業革命を迎えどのように社会が変質していったのか、あるいは、農耕を覚えた人類がどのように社会を構築していったのか、といったような、人類史の転換点なのだから。


 その過程でダンジョンマスターについても、調査できるだけ調査を重ねた。重ねて書くが、私は真実を見つけた、と思っている……だがこうして書き終えた今、私に言えるのは……リット(訳者註※④)、会社なんかほっといて40kやろうぜ、というようなことだけだ。




 できることならこの本(訳者註※⑤)を読み終えたアナタにも、そんな時間が訪れますように。




 では、始めよう。




※※※※※※※※※※※※

・訳者註※① 〝シンダリンを交えながら話し、相手を嫌いになるのは難しい〟

シンダリンはJRRトールキン著「指輪物語」におけるエルフ語の一つ。オックスフォード大学で英文学教授を勤め、古英語、言語の研究者であったトールキンが作成した人工言語。日本語をベースにエルフ語を学びたいという方は伊藤盡著「指輪物語エルフ語を読む」から。アメリカのコンベンションにはエルフ語しか喋らないエルフのコスプレイヤーがいるとかいないとか。


・訳者註※② 〝「mellonで開く扉が必要です」〟

「指輪物語」より。シンダリンで〝友〟の意。日本語カタカナ表記はメッロン、メロン、メルロンなど。元ネタはドワーフの住居であったモリアの西門、ドゥリンの扉を開く合言葉。門にはエルフ語で『Pedo Mellon a Minno(唱えよ、友と。そしてはいれ).』と記されており、何かしら合言葉が必要なのだと思いそうになるが、単純にエルフ語で〝友〟と言えば開く仕掛けになっている。


・訳者註※③ 〝いつか老人になったら一緒にWarhammer40kを始めよう〟

Warhammer40,000はミニチュアを使った対戦型ボードゲーム。日本で言うジオラマ、フィギュアを使い、TRPGやウォーゲームのようなルールに従い対戦する、ある意味でオタク趣味の王様。40kとも表記。日本では秋葉原に日本旗艦店であるWarhammer Store & Café Tokyoがある。訳者はまったくその存在を知らなかったが、入店した際はその熱気と歴史に圧倒された。


・訳者註※④ 〝リット〟

藍ヶ原律人のハンドルネーム、ニックネーム。


・訳者註※⑤ 〝この本〟

当投稿は今冬に、アメリカはMcCaffrey Publishersより出版された、Simon Karmanによるノンフィクション書籍『Cheated』の翻訳です。日本語訳書はタウンホールブックスより来夏に出版予定ですが、それに先駆け、プロモーションとしてカクヨムでの全文投稿を翻訳者が行っています。感想やレビューはすべて、翻訳者が英訳した上で筆者に届けていますので、コメントや☆、レビューをお気軽によろしくお願いいたします。訳文は第2章まで、15万文字ほどの書きためがありますので、毎日12:07に1節ずつ公開予定。第3章からは現在、翻訳作業を進めている最中ですので、どこで訳者が追いつかれるか、白熱のバトルです。

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