携帯電話
「ほらよ、買ってきたぞ」
「よお、待ってたぜ。相棒」
あのあと俺は河童に胡瓜をせがまれた。
『まだ説明してほしいのなら、それなりに時間が必要になる。だから絶対に胡瓜が必要だ。十……いや、二十だな。そもそも河童にとって胡瓜とは——』とか、聞きたくないことを長々と語り出したので、根負けして買いに行ったってわけだ。
それなりに時間がかかる……か。
こいつ……いつまでここに居座るつもりなのだろう。
「三本しかねぇじゃねえか。それに皮が固い。お世辞にも上等な品とはいえねぇな」
「わがまま言うなよ」
「いいか? 皮が固いのは『接ぎ木』が原因だ」
「確か……接ぎ木って、異なる植物同士の枝をくっつけるんだっけ?」
「そうだ。なぜ胡瓜と接ぎ木が関係しているのか……どうだ、聞きたいだろう?」
「いや、全然」
「なっ! そんな……」
全く興味が湧かないし、肝心な話が聞けなくなりそうなので、取り敢えず丁重にお断りした。
それよりも、なによりも、俺は河童の口臭に悩まされていた。
ただでさえ口臭が意味わからんくらい臭いのに、苦手な胡瓜と相まって毒ガスみたいになってる。
もう毒属性の河童なんて聞いたことがない。
お願いだから、マスクしてほしい。
生物兵器ってこいつのの為に生まれた言葉だろ。
さっきの将棋だって臭いで涙は出てくるし、嗚咽がずっと止まらなかった。
王手って云われる度に頭の皿に熱湯かけてやろうと思うくらいに臭すぎた。
あと将棋盤がヌッタヌタになり過ぎて駒が掴めなかったのも大きい。
「まあ長くなるしな。『接ぎ木』については後日話すとして……胡瓜のいいところの一つとして、歩きながら食べられることが挙げられるな」
どうやら胡瓜に対しての情熱は一線を画すものがあるようだ。
このままでは陽も落ちてしまう。
俺は河童の気が済むように話に付き合うことにした。
「まあ、食べ歩きは胡瓜じゃなくても出来ると思うけど」
「じゃあお前は歩きながら満漢全席食えんのかよ」
「……うっぜえ」
ダメだ。
これは生物兵器・毒河童のペースだ。
何言っても屁理屈で返してくるのが本当に腹正しい。
まともに相手をしていたら、どうにかなっちまいそうだ。
「とまあ、話は逸れたが」
「お前が逸らしてんだよ」
「まあまあ。イライラしなさんなって」
「死ね」
「要は胡瓜をつまみに、この森を案内しようって寸法よ」
「ああ——」
それは正直……助かるかも。
この家で暮らしていくのなら、この庭で何が起こっているのかを知ることは優先事項の一つとして挙げられるだろう。
それにこう見えて俺は動物が好きだ。
こんな森みたいな環境下であれば、もしかしたら狸さんとか梟さんなんかもいるかもしれない。
ふふふ、自分の庭にそんな可愛い動物さん達が生活を営んでいるとなると、想像するだけで胸が躍ってくる。
「狸はまだしも梟はどうだろうな。かなり珍しいぜ?」
「お前が一番珍しいけどな」
「珍しい? 何言ってんだ? それにしてもお前が動物好きだとはな……。俺の姿を見た時なんて堪らなかったんじゃないか?」
「いや、別に」
「照れんなよ」
「いや、照れてない」
「おま……すげぇ真顔じゃねえか。どうなってんだ。川を代表する動物っていたら俺だろがい」
お前は動物じゃない。
そもそも初登場時、森から気持ち悪くて這いずり出てきたじゃねえか。
よく川の代表面してられるな。
お前は妖怪だ。
もののけの類だよ。
しかし、心の中で一通りのツッコミをしながらも、俺はある意味で恐怖を感じていた。
この河童、あたかも自分が珍しい存在ではないかのような言い草だった。
それが意味すること……それはつまり、こいつ以外にも河童が存在しているということ他ならない。
そんなことあっていいのか?
今、令和だぞ。
時代は妖怪じゃないAIだ。
あ、こいつAIか?
アンドロイドなのか?
ならばギリギリ……かなりギリギリではあるが、容認してやらんでもない。
「よし、行くぞ。日が暮れちまう。う、うわああ!」
「っ! 河童!」
河童は突然走り出すと、最初の一歩で宙を舞った。
どうやら河童の分泌物は足の裏からも出ているらしく、豪快に縁側で足を滑らせのだ。
それはまるでバナナを踏んだおちょっこちょいの男の子みたいな見事な転び方だった。
「いったー!」
河童は後方一回転半捻りをしながら後頭部を打ちつけると、あろうことか、そのアイデンティティともいえる皿を床に打ちつけた。
「……何やってんだお前」
俺の目の前に、首がコロコロと音をたてて転がった。
ん?
首が……取れた!?
「ぎゃあああああああっ! 首、首!」
「えっ!? なになに!? 皿割れた!?」
「おまっ、皿割れたどころじゃねぇぞ! 首が取れてんじゃ……。おいお前、なんだその被り物は」
「……なんの話だ?」
「お前がちょっとした有名マスコットキャラなら、放送事故だぞ」
こいつ俺を騙してやがったな。
斬新な新手の詐欺師だ。
被害は胡瓜三本とはいえ詐欺は詐欺だ。
なんと自称河童を名乗る不審者は、河童の着ぐるみをその身に纏っていたのだ。
どうりでおかしいと思ったんだ。
なんか河童にしてはやけにデフォルメされてるし、ヌタヌタしてるけどよく見たら肌感がフェルト生地っぽいし。
「そこ、動くなよ。今警察呼ぶから」
「ちょっと待って!」
「いや、待たない……ん!? お、お前」
俺は河童を見て驚愕した。
顎が外れると思ったほどだ。
河童の首元からはビックリするくらいの美少女が顔を出していたのだ。
「な、ななな、なんだと!?」
え、ええー!
可愛い!
可愛すぎて直視出来ない!
「……お前、気持ち悪いぞ」
こんな超展開があっていいのか!?
確かに声は可愛かった。
それは認める。
だけど見た目の気持ち悪さから、そこには目を瞑っていたんだ!
引っ越した先でちょっと不思議な美少女と同棲生活が始まりますって、そんなことあっていいの?
曲がり角から満漢全席くわえながら走ってきた転校生のハシビロコウとぶつかるくらい訳わからん展開だぞ!?
「意味分かんねえよ」
「俺の台詞だわ、この、この……あの、お名前聞いてもいいですか?」
「河童って言ってんだろ」
「そんなわけ! ……あるわけないじゃないですかぁ」
「へい。とりあえず携帯よこしな」
携帯を?
なぜ急にそんなことを?
そうか……これは恥ずかしがるシャイな俺の携帯を「はい、私のアドレス。これでもう友達だね」という美少女の粋な計らいでは!?
俺はポケットから携帯を取り出し、河童に渡した。
河童は笑顔でそれを受け取る。
その美貌は正に絶世の美女だった。
ほのかに香った口臭は、今や薔薇の香りとなんら違わぬものだった。
「これをこうして。せーの、おっらぁぁぁっ!」
「……」
「ふう、これでよし」
俺の携帯と儚い夢は、河童の蛮行により見事に叩き割られました。
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