見えていなかったもの

姫宮未調

見えていなかったもの

「陛下の仰せのままに……」


そうなんでも微笑みながら答える妃に日々苛立ちを覚えていた。

少しくらい反抗しても首を撥ねたりしないものを……。私を暴君とでも思っているのだろうか。

「陛下がそう仰るのでしたらそれが正しいのでしょう」

「陛下のお考えが最良と思っております」

とばかり返してくる。


妃の城内の評判は良すぎるほどだった。誰に対しても優しく、物腰柔らかに接する。

「妃殿下は太陽である陛下に静かによりそう優しい光を放つ月のようです」

「妃殿下はなんとお優しいことでしょう」

誰に聞いても賞賛の言葉しかない。

非の打ち所のないを体現したかのような淑女に文句を言う方がおかしい。否定を一切せず、ただただ完璧。……それが無性にモヤモヤするのだ。


そんな苛立ちやモヤモヤを抱えながら5年共に過した。私たちの間に1人の王子と2人の姫が生まれていた。恐ろしく順調に。

1年目に王子、2年目に1人目の姫、4年目に2人目の姫。

……この完璧さに耐えられなくなってしまった。今まで苦手で断り続けていたとある伯爵の娘をめとる話を進めている。何も知らない。父親の感想なんぞ主観でしかないからだ。

妃とて、リズエラとて結婚式に初めて顔を合わせた。知らないままの政略結婚であることは同じだ。そこに居るから苛立つのだと思ったのだ。

───だから。

「……リズエラ妃よ、今までお勤めご苦労であった。籍を抜く。実家に戻られて家族、公爵家で余生を送るが良い」

隣には派手なドレスのサガン伯爵令嬢が笑っている。

「後妃にはこちらのマリカ・サガン伯爵令嬢と話を進めている」

きっと変わらず「陛下の仰せのままに」と微笑うのだろう、そう思った。

いつものようにすぐ返事が返って来ず、リズエラを見やる。……今にも泣き出しそうな悲しい表情をしていた。

私の中で警鐘が鳴り響く。と。

「……陛下の、仰せのままに」

いつもの鈴なり声ではなく、涙を堪えた少し枯れた声であの台詞が紡がれた。涙を湛えた微笑みで。丁寧にお辞儀をすると振り返ることなく去っていく。








「……こちらで大丈夫です。様、ありがとうございました」

御者がビクッとしながらもゆっくりと馬車を停めた。

「まだ邸宅には……。私の名前を? 」

「関わって下さった方、皆様のお名前を覚えております。当然でございます」

嫁がれる日に一度自己紹介したきりで、呼ばれたことなどなかったはず。

「妃殿下……」

「ダメですよ。私はもう廃妃です。リズエラ・アリンストン公爵令嬢……いえ、です」

ハッとして後ろを振り返る。リズエラが馬車を自ら降りようと扉を開けたからだ。

「差し出がましいですが! リズエラ嬢! なぜなのですか?! 」

まだ森の中だった。昼間とはいえ深い深い森だ。

「……私に帰る場所などありません。陛下にお伝えください。5年間、私はとても幸せでしたと」

荷物が少なかったことを危惧すればよかった。きっと公爵家に何かあるに違いない。

……慌てて降りる頃には、リズエラは消えていた。半刻ほど探し回ったけれど、彼女は見つからなかった。女性の足ではそう遠くには行けないはずなのに───。





「───公爵家までお送りしたか? 」

「それが……」

経緯を話している途中から、陛下の顔がハッキリ分かる程に青冷めていた。

「馬で行く! 場所を案内せよ! 」

少数の兵だけ連れて飛び出す。

「陛下? どちらに行かれますの? 」

マリカ嬢の声を無視して走り去る。






───数刻後、リズエラは奥深くにある湖に浮かんでいた……。

「リズエラ! リズエラ! 」

「陛下、危のうございます! 」

制止の声も聞かず、必死にリズエラの元に向かう。一緒に沈みかけた陛下を皆でリズエラと共に引き上げた。

「ゲホッゲホッ、何があった! 公爵家で! 」

違和感があったのに確認しなかったのは私の落ち度だ。息をしていないリズエラに縋りつき、泣きながら自分を責めた。

「……陛下、リズエラ嬢より『5年間、幸せでした』と伝えるよう申しつかりました」

「ああぁぁぁぁあ───────!! 」






「お帰りなさいまし、陛下! もう! どこにいってらしたんですの? まぁ! ずぶ濡れだわ! 湯浴みをなさ……」

「マリカ嬢、荷物をまとめてお帰り頂きたい」

「どういうことですの?! ……え、なぜ廃妃がいますの?! 」

リズエラを抱えていた。

「婚約の話は白紙にする。マリカ嬢をお連れしろ」

「待って! わけが分かりませんわ! 」

兵士に連れていかれながら叫ぶ。

「……アリンストン公爵家を調べろ。リズエラの味方が居れば匿え」

その後、リズエラは丁重に扱われ、厳かに葬儀が行われた。

(許されるのならば……願わくば君にまた出会いたい。次こそは間違えない)


葬儀後、知らされた事実。

リズエラはやはり、虐げられていた。知ろうともしなかった家庭環境。よくある前妻の忘れ形見。

後妻の夫人は優しい義母にはなりえなかったようだ。

「リズエラ様は……ここで、王城で幸せでいらしたのですね」

リズエラの専属侍女だったというサーニャ。使者の帰り際、話を聞き付けた彼女はこっそりと声を掛けたという。見つからないように最小限の荷物を纏めて着いてくるよう言われ、すぐに従ってくれた。話は王城でと言われ、言葉少なく了承してくれたのだという。

利発的な少女で、リズエラの公爵家での生活を分かり易く話してくれた。ずっと疑問であった『陛下の仰せのままに』を繰り返す理由さえも。

カリス子爵に聞いた『帰る場所は無い』理由も。

「リズエラ様は元々口数の少ないお嬢様でいらっしゃいました。本心で仰られていたと思います。……不器用な方で、多くは語れませんから」

同情を買う行為も性格上出来なかったのだろうと。帰ってくるなと言われてはいても。

「陛下がお尋ねになればお話されたと思いますよ」

全ては聞かずに置いた私が悪かった。

「葬儀に呼んでやれずすまない……。せめてここで侍女をしてくれまいか。たまにリズエラの話を聞きたい」

「はい、陛下の仰せのままに」

その言葉に嫌悪感を抱くことはもうなくなった。寧ろ愛惜しささえ感じている。懐かしさとも言うべきか。本人の口から聞けなくなってしまった悔いばかりが残る。

誰も私を責めてくれないのならば、戒めとしよう。








十数年後、陛下は戦争で命を落とす。

リズエラは5年もの間病に掛からずにいた。

「妃殿下は、いつ陛下のお召しがあってもいいようにと健康に気を遣われておいででした。全ては陛下の御為にと」

リズエラにつけていた侍女がリズエラ亡き後に教えてくれた。

「……少しくらい煩わせてくれればいいものを。心配もさせてくれなかったな。ふっ、私も不器用、だった、のだな───」

こんなにも彼女に執着していたなんて、居なくなるまで気がつけなかったと呟きながら息を引き取った……。















「……ん? ここは。何故寝台にいる? 」

コンコンと控えめにノックの音がする。

「入れ」

半ば条件反射のように応えた。

「陛下、おはようございます。急いで身支度をしましょう」

執事のセヴァスチャン・クロフォード侯爵が入ってくる。

「? なんのだ? 」

「寝惚けていらっしゃるのですか? 珍しいですね。ふふ、今日は殿をお迎えする日ではないですか」

「……リズ、エラ・アリン、ストン」

「覚えていらっしゃるじゃないですか。そうです、嬢ですよ。とても美しく聡明な淑女ともっぱらの噂です」

ベッドから飛び出し、姿見の前に立つ。

の私だ。

(まさか巻き戻ったのか?! 願いが叶ったのか?! ……おお、神よ。私にやり直しの機会を与えて下さるとは! )









礼拝堂でそわそわするのを隠すように佇む。もう少しで君に

音楽が厳かに始まる。もう少し……。

扉が開き、あの時と寸分変わらぬベールをしたウエディングドレスの女性がゆっくりとこちらに向かってくる。

……気がつけばよかった。不参列の理由など嘘だったと。本来ならば父親が引き渡す場面だった。そして、愛されていなかった彼女の精一杯の虚勢と、疑われまいと嘘まみれの理由を並べた偽善に。

ベールをゆっくりとたくし上げる。

待ち望んだ彼女がいた。

「───リズエラでございます」

ここで姓を名乗らなかったことすら忘れていた。

「エドワード・クリスタリア三世だ。……リズエラよ、私と生涯共にいてくれ」

私はリズエラを愛おしいとばかりに抱き締めた。

もう間違わない。

「……はい、陛下の仰せのままに」

何度だって聞こう。君の声で聞けるのならば───。


Fin


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