田沼 千絵

エピローグ




 週末、一人で映画を見に出かけた。  

 日の暮れた帰りの電車内は、移動すれば他人と袖が触れ合うくらいにそこそこ混み合っていた。

 停車のタイミングで運よく空いた目の前の席に腰を下ろすと、その駅から乗り込んできた2人連れの女の人たちが私の正面に並んでそれぞれつり革に掴まった。興味のないネットニュースを開いていた私の耳には、2人の会話が否応なしに届いてきた。



「聞いてよ、こないだ小学校の時の友だちが結婚してさ、今度結婚式があるんだけどね」


「小学校?すごい長い付き合い!」


「そこまで長いのは唯一その子だけだけどねー。それでさ、その出会いっていうのがちょっとすごくてさ」


「へ〜、なになに?」


「その子ね、小3の時にお母さんが亡くなっちゃってるんだけど、亡くなってからはいつも、お母さんにもらったキーホルダーを持ち歩いてたのね。小さいうさぎのぬいぐるみがついてるキーホルダーなんだけどさ、大人になっても社会人になってもずっと肌身離さず持ってて……」


「……うん」


「それをさ、ある時無くしちゃったのよ」


「えっ!そんな大事なものを無くしちゃったの?!」


「そうなの。休みの日に友達と遊んで、別れた直後にバッグの中に無いことに気づいたんだって。その後一人で心当たりの道とかお店とか全部探し回ったらしいんだけど見つからなくて……。私も実際何度も見たことあるんだけどね、長年持ち歩いてたからかなりボロボロでさ。もしどこかで誰かが目にしたとしてもゴミと間違われるくらいなんだよね。だから、それこそ藁をも掴む思いで最後に交番に行ったんだって」


「うん……」


「そしたらさ、交番に入るなり、そこにいたお巡りさんがそのキーホルダーを手に持ってるのが目に入って、思わずその子『それ私のです!』って叫んで」


「え〜!!よかったぁ〜!見つかったんだ〜」


「うん……。それでね、嬉しすぎて半泣き状態で事情を説明してたら、聞きながら感情移入したそのお巡りさんが『さっきちょうどあなたと入れ違いに出て行った人が届けてくれたんだよ!』って教えてくれて、それを聞いた途端その子、衝動的に交番を飛び出して慌ててその人のことを追ったのね」


「えーっ!」


「確かに人とすれ違った気はしてたみたいなんだけど、注意を払ってたわけじゃないから服装も特徴も何も記憶にないはずなのに、人が行き交う道を進んでたら、ある一人の人の背中だけ他の人と違うように見えて、不思議な絶対的確信でその人に声をかけたらしいの」


「うん!」


「そしたら本当に届けてくれた本人で!感激しながらお礼を伝えた後に『こんなにボロボロな物、ゴミだとは思わなかったんですか?』ってその人に尋ねたら、その人『こうなるくらいに大切なものだと思いました』って……」


「うわぁ……ていうか、ちょっと待って。それってれそうゆうことだよね……?その人がその……」


「そう!それが結婚した今の旦那さんなの!」


「うわっ、すごーい!ドラマみたい!!」


「でしょ?!しかもさらにすごいのがさ、これは付き合った後に二人で話してて知ったらしいんだけど、初めてお互いの目が合った瞬間、2人とも『この人と結婚する』って思ったんだって!」


「……それは本当に運命の出会いだわ……」


「ね〜!そんな経験してみたかったわ……」




 なにそれ、ほんとドラマみたい。

 そんなことって現実にも起こるんだ。


 



 運命の出会いか……





 その彼女たちは私と同じくらいの歳に見えた。話に出てきたお友だちに対して羨ましげな言葉を口にしているけど、2人とも左手の薬指にはしっかり銀の指輪をしている。つまり、そうは言っていても彼女たちもすでにそれぞれ運命の人と出会って結婚をしているということだ。




 同じ年頃の人たちが次々にたった一人の相手を見つけているのに、私にはいつまで経っても誰も現れない。

 私がいくら小デブで地味で足が短くたって、幸せになる権利は誰にでもあるはずじゃないのか。神々のオペレーションがきちんと機能してるとは到底思えない。



 ことあるごとに色んな場面で『人は見た目じゃない、人間はどんな人でもみんな平等だ』と耳にしてここまで生きてきた。だけどやっぱり、そんなわけはない。



 学校でも社会でも人に愛されるのはいつだって可愛い子だし、それが多少劣っていても、明るくて愛嬌があればそれもまた人の注目を集める。

 地味で無表情でコミュニケーション能力の低い人間が、そんな子たちを差し置いて陽の目を浴びる状況なんてまずない。




 可愛くもないし愛嬌もない私には、真面目しか取り柄がなかった。それしか出来ないから、勉強も仕事も、どんな時も自分に出来うる精一杯で頑張った。人見知りで人付き合いも絶望的に苦手だけど、それでも自らのキャパシティを大きく越えて頑張ってきた。



 そう、私はここまでずっと頑張ってきた……。だけど、それを認めてもらえたことも、誰かの特別な一人に選ばれたことも、たったの一度だってない。



 きっと世界というものは、そういうふうに出来ているものなんだ。特別な人だけ、選ばれた人だけが何かを得て、大抵の人間は何も得ること無く生涯を終える。

 さっき彼女たちが話していた、運命の出会いをしたそのお友だちは、そっち側の人なんだろう。





***





 平日の午前中、事務所に鳴り響く電話を一番に取ると、業務上では滅多に聞くことのない若い女の子の声がした。

 要件を聞くと、数年ぶりに出した事務員の募集に応募してきた子だった。面接の日取りを決め、会社の場所を簡単に説明して電話を切り受話器を置く。




 この子が運命の人だったりして……




 やめたはずの妄想をまたしてしまった。新入社員候補の子にまでそんなことを考えるなんて、どれだけ愛に飢えてるんだろう。



 だけど、ちょっと思ってみただけだ。本気の本気で考えたわけじゃない。そもそも本当に彼女が運命の相手なんだったとしたら、もう少し何かしらを感じそうなものだけど、可愛らしい声のその子に対して、私はなんにも感じなかった。




 もうやめよう。

 私はもう諦めたんだから。




 面接の日、14時に来る予定のその子は20分が経過しても現れず、面接のために現場を早く切り上げて久しぶりに事務所に顔を出していた社長は相当がっかりしていた。



「来る途中で嫌んなっちゃったかなぁ……」



 社長室の窓から外の景色を見下ろし、悲しげに呟く社長の湯呑みにお茶を注ぐ。



「田沼さん、ありがとうね」


「いえ」



 求人に経費をつぎ込んだにも関わらず、新しい人はなかなか決まらなかった。

 お給料に関しては申し分ないはずだ。休みだってしっかり確保されてるし、有給だって自由に取れる体制になっている。それなのに、問い合わせや面接希望の電話は来ても、最終的にはいつも向こうから辞退された。

 緑に覆われた、会社とは思えない怪しげな建物を目にして怖気づいてしまうのか、対応する私の陰気な雰囲気が入社をためらわせるのか、真相は分からないけど今回も私が電話を受けたし、なんとなく責任を感じる。


 

 社長は熱いお茶を飲みながら、鳥の一羽すら飛んでいない遠い空を眺めている。今度こそはとかなり期待をしていたのに、それが面接自体をバックレられたのだから落ち込むのも無理はない。



「もう来ないかなぁ……。みんなに申し訳ないなぁ、ただでさえ一人少ない中負担をかけてるのに。こんなことならみんなに3万づつはボーナス上乗せ出来たのになぁ……」



 3万?!

 3万もあったら一番安いシャンパンなら4本は入れられる。

 そうしたら愛ちゃんも喜んでそれなりのお返しを……



 って、私は何を考えてるんだろう。

 最近お金のことになるとすぐシャンパンで計算しようとする悪い癖がついてしまった。



「まだあきらめるのは早いですよ。うちの会社って一軒家に混ざって建ってるから分かりにくいし、案外近くで迷ってるのかもしれないです。私、下りて見てきます」



 意気消沈している社長が不憫で、かなり無理のある励ましの言葉をかけてから社長室を出たけど、実際のところは私も今から彼女が現れることはまずないだろうと踏んでいた。

 大体、もし本当に道に迷っているだけなら、それこそ電話の1本でもかけてくるはずだ。



『あきらめるのはまだ早い』か……。

 すべてをあきらめた私なんかが何を言ってるんだろうと、誰もいない廊下を歩きながら自分で自分を小さく嘲笑った。

 



 二ヶ月前、27歳の誕生日を迎えた私はその日を境にキリ良く色んなものをあきらめたばかりだった。



 おこがましい望みだけれど、人生でたった一人でいい、ありのままのこんな私を好きになってくれる人と出会いたい……。

 常に孤独がつきまとう人生を生きながら、子どもの頃からずっとそんなことを願っていた。

 その願望は大人になるにつれ大きく膨らんでいき、二十歳を越え、25歳の誕生日を越えてからは切望になった。



 それから約2年間、私はネットを通じて数え切れないほどの女の子と知り合った。その中の何人かの子とは実際に会ったりもした。



 プロフィールの時点では、小柄な身長に食いついてきてもらえることはたまにあった。だけど実際に会ってみると、大きなお尻に短い足というバランスの悪い体型を前に、相手がなんとなくがっかりしてるのが分かった。



 顔や体型をある程度寛容に捉えてもらえたとしても、他にも問題があった。私の声は平均的な女子よりもだいぶ低く、女らしさが著しくかけていた。自分では意識して明るく話してるつもりでも、ぶっきらぼうに聞こえてしまう話し方は25年ものの習性で、どうやっても直すことが出来なかった。



 でもそれだって、もっともっと努力をして意識をして、例えば声優さんみたいに別の人間になりきるほどの矯正が出来ないことはないのかもしれない。

 だけど、そんなことをして受け入れてもらえたとして、それは本当の私を受け入れてもらえたと言えるんだろうか?そう思うと、そんな努力をする気も無くなった。




 初めの頃、ネットで知り合ったその日から、毎日欠かさずにメッセージのやり取りをしていた子がいた。

 3ヶ月が経ち、お互いのことを色々と知った上でついに会う約束をして実際に会ってみると、話下手なこの私が驚くほどスムーズに話せて、文字だけだった今までの関係と変わらずにそこそこ馬が合う気がした。だけど、また近いうちに会う約束をして解散したその日の夜、時間をかけて考えたメッセージを勇気を出して送ったけど、もう返事が来ることはなかった。

 その子はそれまで、いつもほぼ同じ時間に『おはよう』と『おやすみ』の連絡をくれていたので、毎日その時間が来るたびに私は切なくてやるせなくて消えたくなった。



 向こうだって真剣に恋愛の相手を探してるんだとして、その相手が私じゃないと思ったのなら、一見冷たく見えるそんな行動も仕方のないことなんだ。もう何も生まれないと分かっている相手に時間を使うなんて建設的じゃない。

 しばらくの間散々落ち込んだ末に、そんな答えにたどり着いた。有り難いその経験のおかげで、それからの私は人間のそうゆうシビアな部分にも少しづつ慣れていった。



 今までの慎重過ぎた行動を改め、少しでも可能性がありそうだと思ったら逆に早い段階で会うようになった。ほとんどの場合、一度会ってそのまま自然消滅化するというのが決まった流れだった。

 それでも私はまだ希望を捨てていなかった。現実世界では女の子が好きな女の子に出会えることはなかなかなくても、ネットの中には無数にいる。この中に、私を心底好きになってくれる人がいるかもしれない……



 そんな希望を抱き続けて丸2年を前に私がゲットしたのは、沢山の悲しいエピソードと、結局私という人間を愛してくれる人なんて存在しないという現実だけだった。



 ヤケになった大雨の夜、初めて立ち寄ったレズバーで泥酔をし、『彼女なんかいらないから体の関係だけでも紛らわせてくれる相手がほしい』と、半分本音の入った愚痴をこぼすと、『それって私じゃだめかな?』と、ほぼ胸が見えているような服を着た愛嬌のいいその店の店長に驚くべき営業をされた。



 営業だと分かっていても嬉しかった。こんな私をそうゆう対象にしてくれるだけで、有り難く思った。自分という人間を否定され続けた私は、認めてもらえたことが本当に嬉しかった。



 ネットとの相手とも体の関係を持ったことは数回あった。でも、そのどれも本物のセックスとは言えなかった。相手は例外なく、仕方なく私を抱いていた。望む相手じゃなくても、そこまでの妥協をしたとしても、発散したい性欲というものが時にはある。それもある種、寂しさが形を変えたものかもしれない。無論、私にもあった。だから私も、虚しさや情けなさよりも優先してそうゆう行為に至ることもあった。



 でもやっぱり、事が終わり性欲が発散出来ると必ず、私は何をやってるんだろうと壮絶な自己嫌悪に陥った。

 愛ちゃんは、そんな私を沼から引き上げてくれた人だ。その場しのぎで傷を舐め合うような悲しいセックスではなく、お互いに得たいものを与え合ってする、至って健全なセックスをするようになった。

 愛ちゃんで事が済むようになり、私は特別な一人を探す虚しい日々にも完全に終止符を打った。ここには愛はないけど慈悲はある。こんな自分にはそれだけでも十分過ぎるほど有り難いことだと思う。



 そりゃ本当は、心から愛し合える人が存在するならその人としたい。愛ちゃんだってそうなはずだ。

 でもそんな人は世界のどこにもいないから。私にとってそんな人は存在しないから。

 運命の人というものは、選ばれた人にしかいないものだから。




 だから仕方ない。

 そもそも理不尽を感じて生きてきた私自身、完璧に可愛い子が好きなんだから、この世界のことわりに文句のつけようなんてない。






 一階に降りた。

 いるわけのない人を探して、辺りの道路を見渡す。例の彼女どころか、一人の歩行者も見当たらない。本当に東京かと思うほど静かな平日の昼下がりだ。



 会社の前に立ち、出来るだけ俯瞰で外観を見てみた。近隣の住人も、昔から長年住んでいる人以外は、緑で溢れるこの古い建物を不気味に思う人もいる。



「ここまで来て帰っちゃったのかな……」



 一人呟き、早々にあきらめて階段を上ろうとした時だった。レンタル用の植物を置いている一階のスペースの中にリクルートスーツを着た女の子の後ろ姿を見つけた。




 ……嘘……本当に迷ってたんだ……




 女の子はキョロキョロと両脇の植木を見回していて、まるで森の中で彷徨っている不思議の国のアリスのようだった。異様に美しい後ろ姿に導かれるように一歩前へ足を運んだその時、彼女はその足音に反応して振り返った。



「すみませんでした!」



 遅刻したことを全力で謝った彼女が顔を上げる。その瞬間、時が止まった。



 信じられないことだけどそれは真実だった。目が合った彼女を私は紛れもなく静止画で見ていた。驚くべきことに彼女の綺麗な長い髪まで物理の法則を無視して停止していた。




 そっか……運命の人と出会うっていうのはきっとこうゆう感じなんだろうな……




 あり得ない体験をしたにも関わらず、なぜか心は落ち着いていた。他人事のようにナチュラルに、私は受け入れていた。

 ただ今回の場合は、あまりにタイプの女の子を見て純粋に心を持っていかれただけだろう。だって、こんなにも可愛い子を私は見たことがない。そんな子が私の運命の人なわけがない。

 でももしこんな子が彼女だったら、私の人生は180度変わるだろうな……




「大丈夫ですよ、入り口、分かりづらいですよね。こっちです」



 

 頭で考えていることを微塵も出さずに私は淡々と案内をした。こうゆう時だけは自分のイントネーションの乏しい口調が心強い。


 

 大幅な遅刻に萎縮しているんだろう。彼女は黙ったまま静かに私の後をついてきた。そのまま2階への階段を上る。なぜか息が苦しい。毎日使っている慣れた階段なのに、一段一段足をかけるたびに鼓動が速くなってゆく。

 


「この上なんです」

 



 沈黙が気になり、少し振り返って補足をすると、彼女は少し緊張の混じった笑顔ではにかんだ。その顔が恐ろしいくらい可愛らしくて、たったそれだけで私はわけもなく幸せを感じていた。

 


 

 彼女なんてだいそれたことは望まない。

 もしこの子がこの会社に入ってくれたら、毎日この笑顔を見ることか出来たら、きっとそれだけで私の毎日は何かが変わる気がする。




 そんなことを考えながら、2階への階段を上っていた。














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