デリバリー・デイジー

SoftCareer

第1話 デイジーさん

「えっと……。

 百三十分に十五分のキャンペーンサービス追加で……二時間と何分だ?」

「二時間二十五分だよ」

「そっか……お客さん、頭いいね! 

 そんじゃスヌーズをセットするね……終了十五分前だから、三時五分前かな?」

「いやいや、それだとサービス追加分が飛んじゃうって!」

「はは……ごめん」


 東京の都心からちょっと離れたターミナル駅近くのラブホテルの一室で、今日はこんな会話から始まった。あたしは本当に頭が悪いから……でも今日は優しそうなおっさんでよかった。


「それじゃ、三万六千円先払いでお願いします!」

「ほら四万円。お釣り分かる? 四千円だよ」

 ちょっとからかう様におっさんが言う。

「もう。その位は大丈夫だって……お金の事だけはちゃんとしないと」

 

 あたしの名前はデイジー。もちろんこれは源氏名げいめいだ。デリヘル嬢をはじめてもう三年以上になる。うちのお店は年齢が自己申告で、最初に務めた時二十一歳と正直に申告したのだが、もうそれから三年は経ってるのに、ネットのホームページには相変わらず『デイジーちゃん・二十一歳』と書かれている。

 正直、うちのお店は、十八歳から二十代前半のピチピチギャルを揃えているのが売り物で、その日一日、本指名が入らないと自分がちょっと戦力外になりかかっているかもと焦ったりはするし、年齢をサバ読んでるってお客さんに露骨にがっかりされた事もある。

 それでも、小柄なロリフェイスでそれなりに均整の取れたバディと、それなりに熟練したテクニックで、わずかだが常連さんもいて、お店のランキングに入る事はないけど、なんとかやってる感じだ。

 でもさすがに、年齢的にもうこのお店はきついかな……もちろんもっと年上の女性を揃えたお店もあって、そっちに移るのは将来的にはやぶさかではない。

 でもやっぱ、女の子の平均年齢が若いお店のほうが、アガリがいいんだよね……


 ◇◇◇


「デイジーちゃんは、夜は入らないの?」

 ある日、あたしの数少ない常連のスギさんからそう質問された。

「えっ、スギさん。夜の方がいい?」

「いや、別にそうじゃないけど。デイジーちゃんの出勤予定は、ずっと前から昼間だけだなーって。酔っ払いが苦手とか……あっ。もしかして、同居の親に普通に会社行ってるとか言ってる?」

「ははは。親の顔はもう六~七年見てないわ。それに昔キャバクラいたから、酔っぱらいもそう苦手でもないし。でもね……そっか。スギさんだったら話してもいいかな。あたしね、託児所の送り迎えがあるんだ!」

「えっ? デイジーちゃん、子供いたんだ? いや、そりゃびっくりだ。へーっ、デイジーちゃんがねー。子供が子供作っちゃいかんなー」

 

 そう。あたしには来年五歳になる娘がいる。そもそもシングルマザーで、その子を朝、託児所に送り届け、そのまま日中この仕事をして、夕方には迎えに行かなくてはならない。だから、延長やロングも受けづらく、その辺も固定の上客が付かない原因なのだろうとは思う。

 でも朝は、託児所近くまでお店のドライバーさんが迎えに来てくれて、夕方も託児所の近くまで送ってくれるので、正直助かっている。でもこのデリドラさんとは、仕事の事以外で会話をした事はあんまりないな。

 

 そして顔なじみのお客さんには、つい自分の身の上話をしてしまうのだが、まあ大概はロクな結果にはならない。私が金に困ってんだろと言わんばかりに、俺の専属愛人にならないかとか、別で金払うから本番やらせろとか……そんなのお店にバレたら只じゃすまないし、だいたいあたしは今のところウリまでやる気はない。何をいまさらと思われるかもしれないが、ソープ嬢が唇は許さないって言うのと同じもんかもしれない。一児の母の最期の砦みたいな感じはしているんだ。まあ、よほどいい男なら別だけど……お店は何か客とトラブルがあっても間に入ってもくれるし、あたしが稼げるようにといろいろ気も使ってくれる。だから今の立ち位置は何かと都合がいいのも確かで、今後ともお店とは仲良くやって行きたいのだ。

 

 でも……その後、スギさんからの指名は無くなった。

 厄介そうな奴だと思われたかな。


 ◇◇◇


「ほらー。夜早く寝ねえから、ちゃんと起きらんないんだろ! 

 もうすぐ出かけんだから早く服着ろよ! 頼むよ……」


 朝。娘を託児所に連れていく時間が迫り、早く支度をする様に言うのだが、なぜか我が子は、服がもう目の前に出してあるのに、起きた後布団の上に座り込んだまま、ピクリとも動かない。あたしはこの子が大好きだし、滅多に手を上げたりはしないが、どうも少し発育が遅いのではないかと心配になる事がある。おとなしくて言葉も少ないのは、まあいいんだけど、言う事を聞いてくれないというか、理解してくれていないんではないかという焦り見たいなものがあって、つい言葉が荒くなってしまう。


 でも……あたしは、この子に寄り添って生きて行こうと固く誓っているんだ。

 なぜなら……あたしの親があたしに対してそうじゃなかったから……


 あたしは三人兄妹の真ん中に生まれ、父は学校の先生をしていた。母も、父と結婚するまでは学校の先生だった為かは知らないが、まあ、両親とも教育熱心な家庭だった。そして兄と妹は、父母の血を色濃く受け継ぎ成績優秀だったのだが、なぜかあたしはまったくそれを受け継がず、成績はいっつも最下位で、事あるごとに成績の事で親に叱られていた記憶しかない。

 そしてギリギリ地元の商業高校に入れたのだが、兄はすでに国立大に入学しており妹も有名私立中学にお受験で入学済だったため、父も母もその時はすでにあたしに絶望していたのがありありと判った。


 自分で言っちゃいけないとは思うけど、そんな家庭環境であたしは心休まる事がなく、学校のワルい仲間とつるみ始めたのも、必然だったんじゃないかな。

 頭は相当悪かったけど、顔やスタイルなどの見てくれは人並み以上の自負はあって、男友達をとっかえひっかえしながら渡り歩いていたら、高二の夏に妊娠し中絶したのだが、学校はそこで自主退学。父は烈火のごとく怒ってあたしに勘当を言い渡し、あたしは家を追い出され、その後、しばらく女友達の家を転々としながらキャバクラなんかで稼いで暮らした。

 

 子供を中絶した事は、あたしの心に大きな傷を残していて、もうこんな思いはしたくないって思っていたんだけど、一年位したら彼氏が出来た。羽振りのいい個人商店の若旦那で、その人のお陰であたしはキャバクラの売上成績上位の常連になった。もちろん、アフターも休日も彼と一緒に過ごす事が増え、本気でその人に惚れて、この人なら一生ついて行ってもいいとまで思った。


 そして十九歳の夏。あたしはその人の子を身ごもった。

 うれしくて、その人にその事を真っ先に伝えたのに……彼がこう言ったんだ。


ろせ」と……。

 

 あたしは、一瞬耳を疑った。あれだけ二人の時間を過ごしてきて、今更?

 しかし、結果は残酷だ。彼は妻帯者で子供も大きく、傍目には幸せな家庭のお父さんだったのだ。あたしには独身だと嘘をつき通していたのだが、よくよく考えれば怪しい所はたくさんあったのに……あたしが舞い上がっていて目がくらんでいたと言われればその通りだ。その後、彼の奥さんから不倫の損害賠償まで請求されたのだが、事を公にするとあたしもわめいて最終的に示談となり、双方完全に関係を断つという事で話がまとまった。


 お腹の子に関しては、堕ろそうかすごく悩んだ。でも最初の経験がそれを拒絶した。そしてあたしは、シングルマザーのままこの子を産み、夜の仕事が難しくなってキャバクラをやめ、デリヘルで日中働く事を選んだのだ。今更、時給千円のパートには戻れないと言うか暮らしていけないし、大体履歴書は中卒だし、商業高校でも何も資格を取っていない為、一般の企業にはほどんと最初から相手にされないのだ。


 そうまでして守って来た我が子なのだから、あたしがこの子を立派に成人させるんだ。日頃そう思って歯を食いしばっているのに……今日もこの子はあたしの言う事を聞いてくれない。まったく。涙が出ちゃうよ……


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