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 当日は、朝早くに、管理局のIDをぶら下げた人の良さそうなおっさんが、公用車で迎えに来た。

 最近では外周区画へ行くシャトルは廃止されてしまったとかで、保守点検用の内殻エレベータまで乗せて行ってくれるらしい。地上へ出るには南北に1基ずつあるそいつを使う以外に無いそうだ。

 どちらがいいかと訪ねられたが、首吊りと首切りのどちらかを選べと言われるようなもんだと答えると、おっさんは苦笑しながら、じゃぁ南にしますかと呟いて車に乗り込んだ。

 中心街に溢れる出勤の雑踏をすり抜け、運転するおっさんの他愛ない世間話に適当な相槌を打ちながら、郊外へ向かって暫く行くと、廃墟ばかりが立ち並ぶ外周区画へ出る。エレベータはその更に向こうだ。

 程なくして、街外れにぽつんと立つ管理棟の駐車場に到着すると、おっさんに促されて車を降りた。

 静かだ。見送りも断ったので、ここには俺たちしか居ない。振り返ってみたが、乾燥した埃だらけのゴーストタウンが広がるばかりで、懐かしの行政区画は遠く霞んで見えなかった。

 そして、目の前にはどこまでも続く鈍色の内殻。天井に投影された晴天の空が写っている為か、不思議と圧迫感は感じなかった。

 おっさんはその壁の一部に穿たれたドアらしき窪みに歩み寄ると、目の高さに埋め込まれた管理局のアイコンに指先を触れた。音も無くドアが開く。

「それじゃ」

 促す言葉に肩を竦めて軽く溜息をつくと、努めて何も考えずに中へ入る。

「成果を期待してますよ」

「そりゃどうも」

 差し出された手を握って御座なりに答えると、彼は軽く手を挙げたきり、振り返りもせずに戻って行く。

 俺もまた車が駐車場を出て行くのを見届けると、ドアを閉めて上向きの矢印に触れた。

 薄暗い照明の中、外の景色が透けて見える。静かに上昇を始めた視界の彼方へ、真っ直ぐ続く道を遠ざかって行く車。広大な灰色の街並みの向こうで、煌くビル群が霞んで行く。

 やがて眩しく輝く天井パネルを通り過ぎると、一転して視界は真っ黒に閉ざされた。

 地上まではまだ少し掛かるだろう。俺は床に座り込んで目を瞑ると、ライブラリやアーカイヴで仕入れた資料に、もう一度目を通しておくことにした。

 言語や度量衡は仕入れたものがそのまま使えそうだ。問題は社会システムか。

 アーカイヴで見付けたソーセンの報告書は、量が厖大な割には閲覧可能なファイルが限られていて、概要程度にしか使えないレポートには、「封建社会の萌芽期」としか書いていなかった。対応できるんだろうか俺。

 そう言えば、食料だって現地調達だ。どうすりゃいい。狩でもするのか? 何か参考になりはしないかと、ソーセン自身の地上での履歴をひっくり返してみる。

 出自を隠し行者として各地で見聞を広めた末、辺境国の神官に就任。後に首都へ上り皇帝付き神官団の司祭に抜擢か。

 凄いな。虫も殺さぬような穏やかな顔してたけど、なかなかどうして逞しいじゃないか。とすると、アーカイヴから盗み出した資料は猟官の為の貢物か?

 いや待てよ。不正アクセスは司祭就任後だ。

 じゃ、いったい何の為に……?




 あれこれと考えを巡らせていたつもりだったが、唐突に鳴り響いたアラームに叩き起こされた。どうやら到着したらしい。

 ぼんやりとした頭から眠気を振り落として立ち上がると、ドアを開けて恐る恐る外へ出た。

 出し抜けに強い陽光に照らされて目が眩む。だが、慣れた視界に飛び込んで来たものに、俺は息を呑んだ。

 空だ。投影じゃない本物の空! 凄い高さだ。遥か上空を、芥子粒のような鳶が甲高い声で鳴きながら飛んで行く。その更に上空を悠然と流れて行く白い雲。

 空気が濃い。空気だけじゃない。しっとりとした湿気が含む土や草や花の匂いは、都市の公園とは比べ物にならない程の濃度だ。

 時折そよぐ風に乗って、木々の枝や葉擦れの音、小動物や鳥の声も聞こえる。

 大きく伸びをすると、全身に森の気が満ちるようで、まるでクレイドルに浸かった後のような爽快感を覚えた。

 これが、「先史時代」の人類の住処……。あんなちっぽけな地下の缶詰生活を天国だなどと思っていたなんて、認識不足もいいとこだな。

 ふと見回すと、周囲に石積みの壁が巡らされていることに気付いた。辿って行くと、どうやら地上に突出したエレベータの出口を、ぐるりと囲んでいるようだ。

 元々は屋根もあったようだが、崩れ落ちて通路の両端に瓦礫の山を作っている。草で覆われていて気付かなかったが、よく見ると足元も石畳になっている。

 南に向けて緩やかに下る通路を進むと、更に壁があり、通路は柱廊になった。ここは大広間だったのか、柱廊を挟んで両側に広がる広大な空間にも石が敷かれている。

 いずれも崩れ落ち苔生して、古色蒼然とした遺跡の雰囲気満点。恐らく神殿か何かの跡地なんだろう。

 文明を失った地上人から見れば、森の中にぽつんと佇む、のっぺりとした得体の知れない箱は、畏怖の対象だったのかも知れないな。

 鳥の羽音に振り返ると、崩れた石壁の隙間から、木苺の枝が伸びているのに気づいた。

 日当たりがいいのか沢山実が付いてる。所々啄んだ跡があるのを見ると、毒ではないらしい。

 試しに一粒もぎ取って食べてみると、甘酸っぱい果汁が口の中に広がった。市販のものより味が濃い。豊かな森なんだな。

 夏の間に弓矢でも作って狩を覚えるか。川があれば釣りも出来そうだ。そう考えると、こっちでの生活も何だか暢気そうで悪くはないかも知れない。

 あちこち棘に刺されながらもどうにか一枝折り取ると、そいつを摘みながら、石畳の参道らしき道を辿ってみることにした。

 途切れながらも延々と続くこの道と、下草の中に時折見える獣道以外、道らしいものは見当たらない。

 鬱蒼と生い茂る木々はどれも幹が太く、切り株も見当たらないところを見ると、神殿が放棄されてから人の往来も何十年と無いようだ。

 近くに人家も無いようだし、当面の住まいはあの遺跡にするしかないか。

 唐突に風を切る音が耳を掠め、目の前の木に矢が突き立った。え? 矢?! 人がいるのか?

 立ち止まって辺りをきょろきょろ見回すと、第二第三の矢が立て続けに頭を掠めた。羽から鏃まで真っ黒に塗られた矢だ。

 さっきまでのピクニック気分を一発で吹き飛ばされた俺は、木苺の枝を投げ捨てて一目散に逃げ出した。

 ポロシャツにチノパンでスニーカーってのは正解だったかもしれない。何を着て行きゃいいのか判らなくて、儘よとばかりの休日スタイルではあったけど。

 木の幹に衝突したり、木の根や下草に躓いて立ち止まるたびに、姿なき射手は正確に狙って来る。獲物を狙う狩人か。いや、聖域に立ち入るものを追い払う守人かもしれない。

 もしかして、歴代の連絡員が帰還出来なかったのは、こんな風に地上人に殺されたからなのか。

 畜生。出て来たばかりでまだ何もしてないってのに、このまま死ぬなんて遣り切れないじゃないか。

 そろそろ息も上がって脚の筋肉も限界だが、止まる訳にはいかない。

 傷だらけになりながら闇雲に走り回る中、木々の間から差す陽の光を見つけると、なけなしの体力を振り絞ってダッシュする。

 が、いきなり開けた視界の中へ放り出された瞬間、突然足元が崩れてバランスを失った。

「ぅわあああああ……!!」

 勢い余って断崖から転げ落ちてしまったようだ。遥か下を流れる渓流の轟きを聞いたのを最後に、俺は気を失っていた。

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