第25話 覚悟

 夢咲は今ここに住んでるのは私だけだと言った。

 しかしここはファミリータイプの、恐らく3LDKほどあるマンションだ。


 さっきリビングに入ったときに目についた、おそらく家族であろう四人が映った写真がふと脳裏に浮かぶ。その写真の真ん中には長い黒髪のおとなしそうな女の子と短髪の爽やかな男の子、その脇に両親と思われる男女が笑顔で立っていた。

 恐らく黒髪の女の子は夢咲(ここでは奏絵といった方が良いのか?)だろう。今とはずいぶん雰囲気が違うが、その面影は今の彼女にも若干残っている。


 その写真の中の幸せそうな姿とは裏腹に、彼女が今ここに一人で住んでいるという事実がどうしても嫌な予感を僕に植え付ける。


 やはり今日の夢咲からはいつもの明るいイメージとはちょっと違う印象を受ける。


 それはもちろん風邪のせいでもあるんだろうけど、どうもさっきから彼女の言葉の端に若干の憂いのようなものが垣間見えるし、あまりにも質素なこの部屋の雰囲気がそれを際立たせている。



 僕は彼女がよく食べてよく笑う人なのを知っている。

 

 僕は彼女のおどけた態度の裏にある計算高さを知っている。


 僕は彼女が淡い色の中に混ざっていくつか派手な色の下着を持っていることも知っている。



 それでも僕は彼女が心の内に抱えるものを何一つとして知らない。



 もしかしたらそんなものは最初から無いかもしれない。

 それでも悩みや不安の全くない人間などいるだろうか。



 彼女が普段何を考え、何に悩んでいるのか。

 今の彼女が形成されるまでにどんな人生を歩んできたのか。

 そしてこれからの彼女がどんな未来を歩もうとしているのか。



 例えそこに負の側面があったとしても、全てひっくるめて僕は夢咲奏絵という一人の女性のことをもっと知りたいと思った。

 


 だから僕は意を決して彼女に尋ねる。



 「その、夢咲がここに一人で住んでるってのは……」

 「あ、もしかして嫌な想像しちゃいました?」

 「……うん」


 「安心してください。私の両親はちゃんと元気ですよ」


 「え、そうなの?」


 「はい。弟も大学の近くで一人暮らし中です」



 夢咲の両親は仕事の都合で今は大阪に、弟はここからは少し離れた関東近郊の大学に通っていて入学を機に一人暮らしを始めたらしい。

 両親の住む大阪の家は会社の借り上げ社宅という扱いで格安なため、夢咲は親が分譲で購入したこのマンションにそのまま残っているそうだ。

 

 僕は僕を勝手に支配した嫌な予感が外れてくれたことに正直ほっとした。

 それでも彼女が心の底に抱えた、僕には言えない何かを持っていそうなことはその雰囲気からどことなく感じていた。


 でもそれを知るべきはきっと今じゃない。

 彼女が話したくなったとき、それがその時なのだろう。



 「そっか、それなら良かったよ」

 「すみません、勘違いさせるような言い方しちゃいまして」

 「いや、僕が勝手に勘違いしただけだから」


 そう言ったところで僕は夢咲の背中を拭き終えた。


 「じゃあ僕は一旦部屋を出るから着替え終わったらLiMOライモで教えて」


 「先輩……まだこっち、拭いてもらってませんよ?」


 夢咲は胸元を手で隠しながら僕の方に半身になり熱のこもった視線を送ってくる。


 「おい! さすがにそれはダメだろ!」

 「えー。私、先輩なら……いいですよ?」

 「誘惑する元気があるなら自分で拭きなさい!」

 「先輩の意気地なし……なんて、冗談が過ぎましたね!」 

 「勘弁してくれ……」

 「はーい、すみません」

 「それよりご飯は食べる? レトルトのおかゆだけど」

 「ありがとうございます。食べたいです」


 僕は少しいつもの調子に戻った夢咲の様子にちょっと安心しつつ部屋を出る。


 しかし一人になった途端、彼女の腕では隠しきれていなかったその魅惑的な柔らかさを思い出しては廊下でただただ悶々としていた。


 結局いつものごとく夢咲のペースに飲まれてしまったと反省しつつ、たくさんある引き出しからなんとかお椀と鍋を探し出すと、おかゆとフルーツゼリーを用意して着替えが終わった夢咲の元へと運んだ。


*

 

 「ご飯持ってきたぞ」

 「ありがとうございます」

 「食べられる?」

 「いえ……」

 「大丈夫か? まだ食欲ない?」

 「食べさせてもらわないと食べられません」


 おいおい、何を言ってるんだ? 


 「だから、あーんしてください」


 「熱いし多分食べづらいぞ」


 「じゃあふーふーしてください」


 (絶対食べづらいし、ちょっと恥ずかしいだろ……)


 そう思いながらも、言葉とは裏腹にパジャマでベッドに座るその儚げな姿に僕はただ彼女に従うほかなかった。


 これくらいのわがまま、いくらでも聞いてあげよう。


 「わかったよ」


 「ありがとうございます」


 僕はれんげで少しの量のおかゆを掬いあげると、ご所望の通りふーふーして十分に冷ましてから夢咲に食べさせてやる。


 「はい、あーん」


 彼女には少し大きなれんげの先からその小さな口へとおかゆが流れ込んでいく。


 「やっぱりちょっと食べにくいですね」

 「だから言ったろ?」

 「でも、だからこそ嬉しいです」

 「なんで?」


 「先輩が私のためにしてくれてるんだなって伝わってきますから」


 ああ、本当にこの子はズルいな。

 それを言われたらもう断れないじゃないか。


 結局僕は最後まで夢咲にふーふーとあーんをしながらそのおかゆを食べさせたのだった。

 恐らく普通に食べる三倍ほどの時間をかけてゆっくり、ゆっくりと。


*


 「すみません、少し寝ても大丈夫ですか?」


 おかゆとゼリーを食べ終わった夢咲はベッドで横になってそう告げると小さく欠伸をする。


 「もちろん」

 「あと、すみません。冷えぴっぴ欲しいです」


 「冷えぴっぴ?」

 

 「あ……冷却シートです」


 夢咲家ではどうやら冷えぴっぴで通っているらしい。


 「あぁ、わかった。ちょっと待ってて」


 僕は食器をシンクに置いて水に漬けると、冷蔵庫の中から冷却シートを取り、再び夢咲の待つベッドへと向かった。


 「お待たせ。はい、冷えぴっぴ」

 「……もう、それは忘れてください」


 僕は彼女のおでこにゆっくりと通称冷えぴっぴを貼る。


 「ひんやりして気持ちいいです」

 「ならよかった」

 「先輩?」

 「どうした?」


 「……その、手を握ってもらえませんか?」


 布団の中から小さな掌が顔を出して、僕の手に包まれたいと意思表示をしてくる。


 「わかった」

 「ありがとうございます」


 僕は彼女の手を片手でゆっくりと握ると、しばらくしてからもう片方の手で目を瞑った夢咲の髪をそっと撫でる。



 「おやすみ……奏絵」



 まだまだ彼女の一部しか知らない僕だけど、その穏やかな笑顔をこれからも見ていたいと思った。


 彼女が心の内を誰かに明かすとき、その誰かが僕であればいいなと思った。

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