第34話 めざせ百合本マスター

「春佳? ねえ、春佳ってば」


 そう名前を呼ばれてわたしははっとした。

 目の前にはすみれの顔。手元には唐揚げ弁当。


「ぼーっとしてたよ。唐揚げが転がり落ちそうになってた。落としちゃ勿体無いよ」


 すみれに指摘され、わたしは慌てて箸で摘んだ唐揚げを口に放り込んだ。それを咀嚼し、飲み下してわたしは告げる。


「ごめん、すみれ」

「いや、謝る事じゃないけどさ。春佳、最近そうやってぼーっとしてる事多いよ?」

「そ、そうだった?」


 しらばっくれるわたし。確かにすみれの言う通り最近上の空になってる事が多かったかもしれない。そしてついさっきは百合が描けなくなってしまった事について頭を悩ませていた。いつもわたしは授業中に板書を取るのではなく百合を描いているのだが、それも出来なくなってしまったのだ。なので仕方無く板書を取っていた。人に言ったら「いい事じゃん」と言われそうだが、わたしにとっては大問題だ。


「何か悩みでもあんの?」

「いや、別に……」

「むー……なるほど。さては、恋……ですね?」


 悪戯な笑みを浮かべてすみれは言った。


「恋って」


 わたしは小さく笑いながら言った。


 恋。その言葉でわたしの脳裏に昨日の美景とのキスが浮かび上がる。その動揺を取り繕うためにわたしは咄嗟に笑った。


 なんでそこで美景が出て来るわけ。


 違うでしょ。あれは恋人同士がするキスじゃなくて、百合を描く為に仕方無くしたキスだから。


「恋の悩みならこの恋愛マスターすみれ様に相談するといいよ。その恋、成就させます」

「あんた恋愛マスターじゃないでしょ」


 すみれの恋人の話なんて聞いた事が無い。


「否。我こそが恋愛マスターなり……。私が今までに何本の百合アニメを観て、何冊の百合漫画、百合小説を読んで、何本の百合ゲーをプレイしたと?」


「学習元が偏り過ぎてる」


 そんな事だろうと思ったよ。


 それからすみれは『めざせ百合本マスター』と名付けられた替え歌を歌い始めた。


「百合本ゲットだぜーッ!」


 イントロを歌い始めるすみれ。馬鹿な事やってるな。


 だが、不意に気付く。もしかして。


 すみれは、百合の話をすればわたしが元気になると思ったのではないだろうか? 悩みを抱えて上の空になっているわたしを見かねて、元気付けたかったのではないだろうか?


 残念ながらすみれは見当外れだ。でもその見当外れの原因はわたしが「百合を描いているけど本当は百合が好きじゃない」という秘密をすみれに打ち明けていない事にある。だから、わたしが100パーセント悪い。


 すみれに対して強い罪悪感を覚える。彼女の優しさを裏切っているような気がした。


「たとえアニメイトの中メロブの中ゲーマーズの中ビッグサイトの中〜♪」


 いやその替え歌だいぶ無理あるだろ。

 それでもすみれはその替え歌を中断しなかった。


 ふと、思う。すみれに今のわたしの状況を話したらどうなるだろうか。「実はかくかくしかじかで美景って女と百合をする事になって、それで昨日はそいつとキスをしてきた」って言ったら。


 流石に引かれるかな? それともびっくりしてその場にひっくり返るかな?


 どちらにせよ、黙ってるのが吉だな。


「かならずゲットだぜ〜♪ 百合本ゲットだぜイェイェイェイェイェイェイエ〜〜!!」


   †


「ダメだ……やっぱり描けない」


 その次の日、わたしはパソコンに向かい、ペンを握るもそこから百合を描く為の一歩を踏み出す事が出来なかった。


 水曜日に美景とキスをして、今日が金曜日。これが風邪のように一過性のものであってくれればまだ良いのだが、そうではない重篤な病の可能性も出て来た。


 このままずっと百合を描けなかったら。そんな恐怖がわたしを蝕んでゆく。考え出すと、底無し沼に沈んでゆくかのような感覚がした。


 どうする。どうすればいい。わたしがまた百合を描けるようになるには、一体どうしたら。


 ふと、わたしは細い光明を見出した。あまり気は進まなかったが、背に腹は変えられないだろうという事でわたしはそれを即決行した。


 わたしはスマホを手に取ると、『NINE』で美景に電話を掛けた。


『は、はい! どうしましたの、お姉さま! 何か御用がありましたら、なんなりとお申し付け下さいまし……!』


 爆速で電話に出た美景は早口でそう言った。何だか怯えてるようだ。何ビクビクしてるんだ? ――って思ったけど前にわたしが電話を掛けた時にいきなり「殺すぞ」って言ったからか。


「……実はわたし、百合が描けなくなって――」


 美景に対し、自らの身に起こった事を打ち明けた。美景は最後まで黙ってその話を聞き、わたしが話し終わると言った。


『なるほど……そのような事が。少し、性急に百合を進め過ぎたかもしれませんわね。わたくしの落ち度でもありますわ。申し訳ありませんわ』


 電話の向こうで、美景が真摯な謝罪をしているのが分かった。


「いや、そんなに謝る事じゃ……わたしが弱かったからだし。その身の丈に合わない事をしたから……」


 肩をすぼめる美景に対して暴言を吐き掛けるほどわたしは鬼畜ではないのでわたしはそう言った。


「それで、本題だけど、知恵を貸して欲しいんだ。どうすればわたしはこの状況を乗り越えられる? どうすれば、また百合が描けるようになる?」


 問い掛けの後、暫くの沈黙があって、それから美景は答える。


『ただがむしゃらに前に進もうとするだけでは解決しない事がある、という事を認めなくてはいけませんわ』

「うん……その通りだね」


 その事はこの数日間で強く実感した。


『ですが、ほんの些細な切っ掛けから物事があっさりと解決されてしまう、という事も良くある事ですのよ。必死になって探してた探し物が、探すのをやめた時に見つかる事も良くあるって井上陽水が歌っていましたわ』


 確かに。井上陽水は偉大だな。


『お姉さま、明日のご予定は空いていまして?』


 出し抜けにそんな事を問う美景。明日は土曜日。特に予定は無い。


「空いてるけど、なんで?」


 わたしが問うと、少し弾んだ声で美景が言った。


『デートを、するのですわ』

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