序章 それは人生を狂わせる出会い

 わたしの目の前には一人の女が居た。


 そして、わたしは女だ。つまりこの場には二人の女が居る。


 その女の長い金髪が照明に照らされて輝いている。サファイアのような色をした大きな瞳は真っ直ぐにこちらを見ていた。肌は雪を浴びたように白い。


 妹尾せのお美景みかげ。それが彼女の名前だ。


 そして美景は高校二年生で、わたしより年下で、百合を描く神絵師だった。


 美景が細く口を開く。


「さあ、早く――『お姉さま』」


『お姉さま』。その言葉の響きがわたしの鼓膜に纏わり付く。苛立ちに似た感情が込み上げて来る。


 ふざけるな。何だこの状況は。

 そう思いながらも、わたしは決心を固める。

 

 いいだろう。こいつと。そのつもりでここに来た。

 それが百合を描く為に必要な事ならばやってやる――。


 わたしはゆっくりと手を前に出した。すると、それを見た美景もこちらに手を出して来る。

 わたしの指。それに美景の細い指が触れる。

 そして指と指が絡まる。

 雪を浴びたような美景の白い肌はしかし、確かに微かな熱を持っていた。


 わたしたちの両手の指と指が完全に絡まる。解けないように、強く結ばれる。


 それは、恋人繋ぎと呼ばれるものだった。


 眼前で不敵に笑う美景。一方でわたしはどんな表情をしているだろうか。


 そう――わたしは、二日前に会ったばかりのこいつと。年下で神絵師のこいつと、ことになったのだ。


   †


 わたしが百合に出会ったのは小学六年生の時だった。


 背伸びをしたい年頃だった。わたしの所属していた友達のグループで深夜アニメを観る事が流行った。深夜アニメというものに当時のわたしたちは魔力を見い出していた。

 深夜アニメはゴールデンタイムに流れるアニメとは違った。深夜アニメにハマった当時のわたしは「あんなもの子供が観るものだ」と思った。


 深夜アニメには過激な表現のものが多数あった。それらも確かに魅力的ではあったけれど、わたしを強く惹き付けたのは流血ではなかった。


 可愛い女の子が沢山出て来るアニメ。


 それがわたしにとってブラックホールのような強い引力を有していた。


 その時のわたしの熱狂を言語化する事は難しい。別にゴールデンタイムのアニメにだって可愛い女の子は出て来る。けれど、わたしは深夜アニメの女の子に強く惹かれたのだ。

 萌え、というやつだろうか。深夜アニメの女の子は少女としての魅力が強調して描かれていた。下着姿の女の子が画面に映る事もあった。


 そして、そのようなアニメの女の子を見ている時に覚える感情はある種の背徳感だった。自分はいけないものを見ているのかもしれない――そんな感覚がわたしを高揚させた。きっと友達も同じだっただろう。ストーリーの出来とか、作画の良さとかはどうでも良くて、その背徳感を感じられるかどうかが重要だった。


 わたしたちはお互いに良い深夜アニメを教え合った。そうしてわたしたちは何本ものアニメを見た。


 そのうちに、わたしたちの間に独特なヒエラルキーが構成されるのを感じていた。「皆が知らない深夜アニメを知っている事が偉い」――誰もそんな事は名言していなかったが、確かにそのような空気があったのだ。


 他の子からわたしの知らない深夜アニメをおすすめされる時、わたしは悔しさと焦燥を感じていた。わたしがもっと良い深夜アニメを皆に教えてやる。そう思ってわたしは買って貰ったばかりのスマホを駆使し、皆がまだ知らない深夜アニメを探す事に躍起になった。


 そうしてその邂逅は訪れた。


 そのアニメのキービジュアルでは可愛らしい女の子二人が見詰め合っていた。

 わたしはそこにオーラのようなものを感じた。このアニメは良い筈だという確信を抱き、スマホの小さな画面で視聴を開始した。


 そのアニメの一話目を見ている間、わたしの口角は上がりっぱなしだった。やはりわたしの目に狂いは無かった。このアニメならば皆を唸らせる事が出来るに違いないと思った。


 そして一話目の終わりが近付き、そろそろエンディングテーマが流れようかという時。


 二人の少女は互いに近寄り、手を絡め合った。お互いの視界の中心に相手を収める。


 そして二人の顔が近づいてゆき――。


 二人はキスをした。


「え……?」


 女と女がキスをしていた。


 わたしは呼吸を忘れ、ただスマホの画面の中の二人を凝視していた。呆気に取られたわたしの耳にエンディングテーマの曲は入って来なかった。いつの間にかシークバーは端まで辿り着いており、画面は暗くなっていた。それでも、その漆黒の中に唇を重ねる少女たちの姿を鮮やかなままで見る事が出来た。


 わたしの中で何かが激しく音を立てて瓦解していくのが感じられた。それは恐らく、「常識」などと呼ばれるものだった。


 これが、わたしと百合との出会いだった。


 わたしは、初恋より先に百合を知ってしまった。


 思えば、この時からわたしの人生は狂っていったのだ。

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