異世界で俺だけがSFしている…のか?

時空震

第1章 -迷い込んだ異世界-

第1話 新たな目覚め

 俺は今、熊に襲われている。

 山歩きや滝見といった自然に接する趣味を楽しんでいたのだが、山奥で月の輪熊に遭遇してしまった。


 便意を催したので、遊歩道から外れて草むらに入り用を足していた。が、運悪くそこに熊がいたのだ。多分、熊鈴を鳴らして歩く俺を警戒して熊はジッとそこに潜んでいたと思われる。俺はそこへノコノコと行ってしまったのだ。


 熊は俺が向かって来たと思ったのだろう、突然立ち上がると俺に襲い掛かってきた。俺は用を足す事しか考えていなくて、まったくの無警戒だった。

 一応装備として刃渡り20cm程の山菜用ナイフと熊撃退スプレーを準備していたが、パニックになった俺は何も出来ずに、ただ熊の攻撃を受けてしまった。


 ガッ!


 熊の鋭い爪が俺の顔を捉えた瞬間、あ、死んだ!と思った。


 用を足している最中に殺されるとは、いかにも俺らしくて無様な死に方だ。薄れ行く意識の中で走馬灯を見ながら、これで俺の人生も終わりだと悟った。


 思えば実に詰まらない人生だったと思う。

 就職してサラリーマンとなってからは、ひたすら味気ない日々を送ってきた。面白くもない仕事を淡々とこなすだけの日々。何となく生きて、結婚して、離婚して、ただただ漠然と生きて来ただけだった。



 妻との離婚を期に山歩きを始めて、自然を見て聞いて触って体験する面白さを知った。ようやく生きる楽しさを覚えたというのに、こんな最後を迎えるとは、俺の人生は本当にしょうもない。

 子供も無く、兄弟も親戚も疎遠になっている。俺を心配するものは誰もいないのが救いだ。これといった心残りも無く、俺の意識は途切れた。



 高梨栄一、享年63歳。

 日本のとある山中にて死亡。





             ☆   ☆   ☆






 キンコン…キンコン…キンコン…


 何処か遠くでアラームが鳴っている。

 何となくだが、昔の自動車にあった速度超過の警告音に似ていた。薄ぼんやりした意識の中でそんな事を思っていた。


 ガズッ!ドガッ!ドガッ!ガン!ガン!


 突然打撃音がして、それと同時に衝撃が伝わってくる。

 意識がハッキリしてきて、うるせぇなぁ!と思い目を開けると、目の前に熊がいた。


 なんだ!?

 俺はまだ熊に襲われている…のか?


 周りを見渡すと、俺は上下左右前方後方と6方向全てに囲まれた狭い箱のような物の中に横たわっていた。上方向の半分ほどはガラスのような透明の窓になっている。

 棺桶の中にいるのだろうか?

 それにしては、周りの壁がメカニカルな感じがする。もしかして、集中治療カプセルの中にいるのか?


 熊はその透明の窓を叩いていた。

 恐怖心に襲われたが、痛みなどの実害が無いので割りと冷静になって状況を見る事が出来た。

 よく見ると、熊は俺を殺したと思われる月の輪熊ではなく、その数倍はあろうかというとてつもなく巨大な熊だった。


 グリズリーかと思ったが、何か微妙に熊とは違う生き物にも思えた。真っ黒な毛をフサフサに生やしていて随分と体毛が長いが、全体的に熊という感じなので、取り敢えずは熊でいいだろう。


 なぜ熊が俺の入っているカプセル(?)を襲っているのか?

 いや、そもそも俺はなんでカプセルに入っているのか?

 重体の俺を誰かが見つけて病院に搬送してくれたのだろうか?


 カプセルから見える範囲では、病室というより研究所という感じがする場所に俺は居るようだ。天井からは様々な器具が吊るされていて、巨大なスクリーンが様々なグラフのようなものを映し出している。


 集中治療室なのか?

 いろいろと考えている間にも熊の攻撃は続いていて、そろそろカプセルも不味い状態になりつつある。熊は獰猛な唸り声を上げて、ひたすら強烈な爪で引っ掻いたり叩いたりしている。


 幸い俺の体は五体満足で自由に動くようだが、狭いカプセルに横たわっている状態ではどうしようもない。もし熊の攻撃がカプセルを壊したら俺はそれで終わりだろう。

 俺は熊に襲われて二度も死ぬのか…何とも因果な人生だ。


 そして、ついに熊の巨大な爪がカプセルの蓋を切り裂いた。

 俺は再び死を覚悟したが、カプセルの蓋が競り上がって開き、熊を押しのける形になった。俺は横に転がるようにしてカプセルから出て床に落ちた。

 熊がよろけている間に俺は立ち上がって熊のいる場所とは反対側に走って逃げた。

 今の俺は全裸だ。


 熊は体勢を立て直すと直ぐに追いかけてきた。

 俺のいる場所は20畳ほどの広さの部屋で、壁中に様々なモニターと思われるパネルやらスイッチ類が据え付けてあったが、殆どが破壊されていた。

 チラリと一瞬だけ見えたが、部屋の中には俺が入っていたのと同じカプセルが幾つか並んでいた。


 走る方向に解放されているドアが見えたので、俺はそっちへ向かった。多分、熊が入って来たドアだろう。

 ドアを抜けると体育館ほどもある大きな部屋に出た。

 そこには俺が入っていたのと同じようなカプセルが沢山並んでいて、ほとんどが破壊されていた。この熊がやったのだろう、中には食い荒らされた死体があった。


 逃げながらチラッと見ただけだが、中には人の形はしているが人間と思えない死体もあった。

 何となくだが、ネアンデルタール人とか北京原人とか、図鑑で見た事があるような旧人類に似た者もいたように思う。他にも様々な種類の人間っぽい生き物の死体があったが、ゆっくり見ている暇はなく、熊が今にも追いつきそうだ。


 俺は必死に走った。また熊に殺されるなんて冗談じゃない。

 幾つかの大きな部屋を通り抜けてきたが、どこも熊に破壊された跡があった。

 あいつは一体何なんだ?


 熊が建物に侵入するという話はたまに聞くが、こんなにも破壊の限りを尽くすものなのか?

 しかも体長は4mをゆうに越すようだが、こんなデカイ奴が建物の中に入れるものなのか?

 今まで薄ぼんやりと暗い中を走っていたが、向こうに明るい光が漏れている場所があった。


 後ろを振り向くと、熊は今にも追いつきそうな所まで迫っていた。

 意外と足がのろいのか?

 もう全速力で走る事が出来ない老体に追いつけないとは、図体がでかいだけなのか。そのお陰で命拾いしているのだが。


 いや違う。俺は全速力で走っている。

 最初は重く感じていた体が、今は羽が生えたように軽く感じる。こんな感じは青年期以来だ。


 走りながら廊下を曲がると明るい部屋に出た。

 そこは倉庫のような場所で、部屋の隅にはコンテナのようなものが積み上げられていた。しかし問題なのはそこではなく、部屋の中央にある魔方陣のような模様が描かれた直径10mほどのサークルが目を引いた。


 何やらステージのようにも見えるそれは、4方向に設置された機材から光を浴びて輝いていた。今までは俺が目覚めた部屋以外、どこもかしこも殆どが廃棄されたような感じだったが、そこだけは生きて活動しているような感じがした。


 そして、その周りには数体の小人のような死体が食いちぎられた状態で転がっていた。それは緑色っぽい肌をしていて、腐りかけていた。


 チラッと振り返ると、熊はもう今にも爪が届きそうなところに迫っていた。

 息遣いの荒さと獣臭さが感じられ、それ以上に怨念のような禍々しい気迫を感じる。心なしか、物理的な圧迫を受けているような気がする。

 俺はとにかく逃げる事だけを考えて力の限り走った。


 光り輝くサークルの上を通過した時だった。体がフワッと軽くなったと感じると、目の前が反転した。

 一瞬の時間すらも感じなかったと思う。


 次の瞬間には周りは森になっていた。

 木漏れ日が射す薄明かりの中、周囲は大樹が密集して立ち並び、鳥や獣が鳴く声が聞こえていた。また、様々な自然の匂いに満ちていた。


 何だ、どうなっているんだ?

 俺の足元には建物の中にあったものと同じようなサークルが描かれていた。


 しかし、考えている余裕は俺にはなかった。

 熊は俺の直ぐ後ろにいて、今にも襲い掛かろうとしている。場所は変わったようだが、状況は何も変わっていなかった。


 熊が前足を振って爪が迫ってきた。

 俺は紙一重で躱してバックステップを踏んだ。

 が、なんとそれで体が宙を飛んで2mほど下がっていた。軽く蹴っただけなのに。さっきから走っている内に徐々に体が軽くなっていくのを感じていたが、これには驚いた。


 自分の行動に驚いていると、熊が立ち上がって迫ってきた。両方の前足を猛スピードで振り回しながら攻撃してくる。

 俺はもう一度バックステップで距離を取る。今度は強めに蹴ったので、4〜5mは飛んだ。


 しかし、熊は立ったままの状態で距離を詰めてきた。

 軽くスキップするような仕草をしただけなのに、巨体が滑るように移動したのだ。

 あ、ありえないだろう!

 信じられない動きに俺は唖然とするが、熊は容赦なく攻撃を続ける。


 10cm以上はある5本の爪が、俺の頭部ギリギリの所を掠めていく。

 熊は何度も何度も前足を振って俺を攻撃してくるが、俺は紙一重のところで躱し続けた。

 信じられない動きをするのは俺も同様だった。素早く振り下ろされる熊の腕の動きがはっきりと見える。熊の爪を掻い潜る動きを俺の体は容易にこなした。


 凄い!どうしたんだ俺の体は!


 さっきはこれよりも小さく動きも遅い月の輪熊に、為す術無くやられたというのに。

 訳が分からないが、とにかくこの巨大な熊と戦えているのは確かだ。


 ほんの少しだけ余裕の出来た俺は反撃を試みた。熊が右前足を振り抜いた後に左側に回りこんでパンチを放った。パンチは熊の脇腹にクリーンヒットして、体毛の上から肉に食い込む感触があった。


 しかし、体格差と体重差は如何ともしがたく、漫画のように熊が吹き飛ぶような事は無かった。

 熊は何のダメージも負っていない様で、むしろ俺の方が手首に痛みが走ってしまった。


 それでも熊のプライドが傷ついたのか、「ぐおおおっっっ!!!」と吼えてさらに数段早い攻撃を繰り出してきた。

 周りを見ても武器になりそうな物は無い。俺には逃げるしか選択の余地は無かった。


 俺はバックステップで距離を取ると、熊に背を向けて一目散に走った。

 幸い、森の樹々は密集して生えているので、あの巨体が通れない隙間を抜ければ逃げられると考えた。


 今まではサークルの上で戦っていたが、俺が走ってサークルを離れ、熊も俺を追いかけてサークルから出ると、サークルは最初から無かったかのように忽然と消えた。

 後には地面を這うように木の根が剥き出しになっていた。不思議に思いはしたが、とにかく今は熊から逃げるのが先だ。


 俺は猛ダッシュを掛けて地面を蹴った。

 途端に、地面から浮き出た木の根や落ちていた枝に裸足の足に食い込んで切れた。激しい痛みを感じたが、俺は無視して走り続けた。


 俺の身体は、信じられないスピードで前に進み森の中を疾走した。

 しかし、熊もまた劣らぬ速さで追ってくる。

 熊の通れない隙間が開いている空間を探し、俺は目を凝らして前方を注視した。


 50mほど先に大木が僅かな隙間を開けて並んでいるのが見えた。

 俺はかろうじて通れそうだが、熊は大木を迂回しないと向こう側には行けないだろう。それで少しは距離を空けられるはずだ。


 ようやく活路を見出し、俺は足の痛みを堪えながら、さらに力を込めて大地を蹴った。そして、何とか熊に追いつかれる事なく、俺は大木の隙間を通り抜けた。勢いを殺さないと熊は大木に激突するはずだ。


 が、しかし、信じられない事が起こった。


 熊は体を捻るように横にジャンプすると、空中で方向を変えて大木の外側をスレスレに迂回して降り立った。

 スピードは全くといっていいほど落ちていなかった。


 ありえない!


 ありえない! ありえない!! ありえない!!!


 何の支えも無しに熊が空中でカーブを描き、方向転換をした。

 そんな事、出来る訳が無い!


「何だってんだ一体⁉ どうなってるんだよぉぉぉーーーっっっ!!!」


 熊は何事も無かったかのように迫ってくる。

 俺は夢を見ているのか?


 もしかして、俺は今病院の救急治療室で手術を受けているのだろうか?

 しかし、この足の痛みは事実だ。ズキズキと肉を抉られるような激しい痛みに、今にも気を失いそうな程だ。


 熊はどんどん迫ってくる。

 熊の体躯が異常に大きく見えて、物凄いプレッシャーを放っているように感じられる。俺は恐怖に駆られ、パニックに陥って大声で叫びながら逃げる。

 もうどんな風にどんな所を走ったなんて全く覚えていない。ただひたすら怖くて怖くて仕方がなかった。



 気が付くと、俺は崖っぷちに追い込まれていた。切り立った崖の上に立って後が無かった。

 脇には幅10m以上の川が流れていて、滝となって勢いよく真直ぐに落ちていた。落差は50m以上あるように見えた。逆側は岩山になっていて、ほとんど垂直に切り立った岩が壁となっていた。

 熊は状況を楽しむかのようにジリジリと俺に迫ってくる。

 俺には熊と戦う気概は残っていなかった。


 逃げ道は2つ。

 川を飛び越えて向こう岸に行くか、崖を飛び降りて滝壺に身を投げるかだ。

 果たして逃げ道といえるのか怪しいところだ。

 何故か身体能力が上がっているとはいえ、10mを超える川を飛び越えられるのか?

 とてもそうは思えなかった。


 この流れの速い川に落ちたら、水に流されて滝壺のど真ん中に落ちてしまう。そうなれば浮かび上がる事は無いだろう。


 崖を飛び降りたとして、50m以上も落下して上手く滝壺から少し離れた流れのところに着水できるのか?

 着水できたとしても、その衝撃に体が耐えられるのか?

 判らないが、決断の時は迫っていた。


 熊が立ち上がって攻撃を仕掛けてきたので、俺は意を決して崖から飛び降りた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る