第6話 天空鬼

 ダイブした後、「落ちた」と思うのは一瞬。

 体は確かに下へ下へと落下しているのに、地上の方から押し上げられるような風を感じる。二つの力が拮抗し、まるで空に浮かんでいるかのようだった。

 タイクウは、両手両足を大の字に広げて体勢を安定させる。


 視界に入る全てが、透きとおった青色をしていた。空と大地の境界線が、緩く弧を描いている。まだ地球上にいるはずなのに、この星が球体であることを知らしめる光景。装備のおかげで、冷たい空気はそれほど感じない。視界一杯にわたあめのような雲と、群青色の空が広がっている。

 彼は自分のすぐ下にいる夕陽に目を向けた。ほんの一時、今だけは彼にこの光景を楽しんでほしい。


『聞こえるか、依頼人。あと、タイクウ』

 不意に耳元でヒダカの声が響く。次いで驚いたような声が上がり、恐る恐ると言った調子の夕陽の返事が聞こえてきた。

『は、はい』

『僕も大丈夫だよ』

 ヒダカは今、タイクウたちよりも少し先を降下している。通信の感度は良好のようだ。


『一分弱で、ヤツらが多く生息する高度四千メートル付近に辿り着く。そうなりゃ途端に、地獄絵図ってヤツだ。今の内に、この空の旅を楽しんどけよ』

『後、荷物の方は大丈夫? 今更だけど、しっかり装着されてる?』

『はい、大丈夫です!』

 藍銅鉱アズライトは二人しかいない為、当然のように地上へ持って行ける荷は限られてしまう。夕陽に許されたのは、彼自身が前側に背負えるバッグ一つだけだ。

 依頼人の事情によっては、ヒダカやタイクウも追加で荷を背負うこともあるが、戦闘行為の妨げになってもいけない。二人は必要な装備以外手ぶらである。

 夕陽は、父親が亡くなってかなりの物を処分したのだと言う。荷物の選別はそれほど苦労しなかったのだと、どこか寂しげに笑っていた。


 会話をしている間にも、三人の体はどんどん下に向かって吸い寄せられていく。そのスピードは時速三百キロメートルを超えている。

 次第に雲間から見えてきたのは、瑠璃色をした大海だ。まさか超高層ビルの立ち並ぶ、都市のど真ん中に降り立つわけにもいかない。彼らの最終目標地点は、その大海を埋め立てて造られた元空港の滑走路。元々彩雲と地上との定期便が運航していた場所だ。

 体感上、実に優雅な空の旅は、ヒダカの通信によって終わりを向かえる。


『そろそろ、お出ましだ……!』

 前方に浮かんだひときわ大きい雲の中から、何か黒い塊が見えてくる。次第に輪郭を現したのは、全ての元凶の群れだった。

 その全身は鋼色。体長は二メートルから三メートル、シルエットだけなら人に近い形をしている。背には蝙蝠のような両翼を羽ばたかせ、両手足は丸太のような太さだ。そして最も特徴的なのは、余りに大きなその口。ホオジロザメや、かの有名な肉食恐竜を思わせる強靭な顎と鋭い牙で、その異形は数々の航空機を食らい尽くしたのである。

 数十体を超す数のそれが集まり、大きな塊となって、タイクウたちの行く先に立ちふさがっていた。


『ヤツらは何故か機械が好物だが、人も襲わねぇワケじゃねぇ。分かってると思うが、十分気をつけな』

 ヒダカの言葉を受けて、夕陽のひきつったような声が漏れ聞こえてくる。不安、緊張、恐怖。

 それを吹き飛ばすように、ヒダカの声が豪快に鼓膜を震わせた。


『ああ、ビビらせたか。安心しな、依頼人! 今からあのど真ん中に風穴ぶち開けてやる! 瞬きしてる間に抜けてやるよぉ!』

 ヒダカが体を傾け、宙を移動する。天空鬼スカイデーモンの群れとタイクウたちとの間で体勢を維持すると、彼は左手で脇に固定した銃を掴む。暴風が吹き荒れる中、彼の籠手ガントレットが、その銃身をしっかりと固定した。


『まずは、一発』

 彼は両手で銃を構えると、天空鬼の群れに向かって引き金を引いた。

 銃口から電流のような光が走る。そして、黄金色をした太い光の帯が、いかずちのように空を突き抜けた。

 タイクウは、思わず閉じていた目を見開く。光が通った軌跡には、僅かな塵だけを残して全てが消え去っていた。レーザーがかすっただけの異形たちも、体のどこかを欠損させゆっくりと地上へ落下していく。再び天空鬼が集まる前にと、三人はその穴目掛けて飛び込んでいった。


『す、すごい威力ですね……』

『特注のとっても危ない光線銃だからね。その代わりエネルギー消費が激しいから、打てて一発ってとこ』

『え、じゃあ、この後の天空鬼はどうやって……⁉』

 夕陽の問いに敢えて答えず、タイクウは首を捻って周囲に注意を払う。

 何体かの天空鬼が、猛スピードでこちらの後を追ってくる。また、さっきの規模ではないが、前から別の群れも迫ってきていた。

 天空鬼の飛行速度自体は、それほど速くない。しかしヤツらの厄介な所は、群れで獲物を待ち伏せし、個を犠牲にしてでも獲物を食らおうとする執念だ。音速超えの優秀な戦闘機も、襲いくる天空鬼の群れに敗北していったのだと聞く。


『追ってきてるか⁉ タイクウ』

『うん! 十二いや十四、かな? それくらい』

『はっ! 前相手したヤツらよりも根性あるじゃねぇか!』

 ヒダカが賞賛するような、嘲笑のような声を上げる。彼は銃を再び右脇に戻すと、声の鋭さを抑えて言う。


『依頼人。恐けりゃ三十秒ほど、目を閉じてな。落下速度を上げるぞ!』

『え』

 夕陽がどうしたのかは分からない。

 しかしタイクウは相棒の指示通り、上半身を倒して空気抵抗を減らし落下スピードを上げた。追ってくる敵を振り切るのだ。

 完全に振り切った訳ではないが、一瞬でかなりの距離が開く。タイクウはそれを通信でヒダカに伝えた。


『そんじゃ、次は一太刀』

 次は目の前の敵。ヒダカは下方向を見据えると、落下しながら右手を左の腰に伸ばした。そこには、しっかりと固定された一振りの刀がある。

 空中で両膝を軽く曲げ、まるで抜刀の瞬間を待つ武士のような構えを作った。下では異形が大口を開けて、飛び込んでくる獲物ヒダカを待ち構えている。両顎の間で糸を引く涎が生々しい。その牙がヒダカへと届く寸前、彼は右腕を動かし瞬時に抜刀した。


 青色の液体を撒き散らし、形を変えた異形が回転しながら落下していく。彼の黒光りする刃は、天空鬼の顔面を真一文字に切り裂いていた。

『はっ! 俺はやっぱ、なんの制限もねぇこっちの方が好みだな!』

 ヒダカの口から覗く得意気な犬歯が、目の前に浮かぶようだった。

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