秘密のまじない

槇瀬りいこ

秘密のまじない

 隣の席の女子は、忘れ物が多すぎる。

 国語、数学、英語、理科、社会。

 その教科書を、毎日どれか一つは忘れてくる。


 忘れたことを申し訳ないとは思わないのか、逆に通学カバンにそれが入ってないことが悪いのだと、自分は被害者だと言わんばかりに僕に訴えてくる。

 

「とっても信じられない! なぜだかカバンの中に国語の教科書が入ってないの! ホント信じられない!悪いけどお願い!」

 

 僕が許可しないうち、その忘れ物女子は僕の机の左端に自分の机の右端をくっつけてくる。

 とても強引だ。

 僕に貸すか貸さないかという選択権はない。

 仕方がなく僕は、彼女の机と僕の机の境界線に、国語の教科書の真ん中の部分を置いて共有することになる。


 一人で見る教科書より、二人でシェアして見る教科書はとても見にくいし、僕の教科書なのになぜだか遠慮してしまう。

 近すぎるのが苦しくて、そわそわとして落ち着かないから、このまま席を立ち教室から飛び出したくなってしまう。


 机と机をくっつけて一つの教科書をシェアすることは、僕に授業を放棄させるほどに心がザワつくんだ。


 だからこの忘れ物女子には、時間割りを毎日10回ほど見直して完璧にしてほしいと日々願っていた。


 1時間目が国語で、2時間目の数学の教科書は奇跡的にカバンの中にあったらしい。

 3時間目が英語。英語の教科書は残念ながらカバンの中にはなかったらしい。

 3時間目が始まる時、1時間目と同じ事をされた。

 僕の机と忘れ物女子の机との境界線は曖昧になる。

 

 もう本当に勘弁して欲しい。

 

 中学三年生の僕は、来年には難易度の高い高校受験を控えている。学校の授業は僕にとって復習の場。塾で叩き込まれた知識を脳細胞に徹底的に定着させる場だ。その復習の場をこんな忘れ物の多い女子に足を引っ張られている場合じゃないんだ。


「カバンの中に教科書がないから悪いとか、いつも君はそんなことを言うけど、良く考えてみてくれよ。カバンの中に欲しい教科書がないということは、君が昨日真剣に時間割りをしなかった証だろ? カバンのせいにするなよ!」

 

 それに、僕もなんだか迷惑なんだ。

 隣の席の女子が、教科書を忘れて先生に怒られる姿は見ていられない。

 彼女は怒られようがのほほんとして平気な顔をしているが、僕の心臓は苦しくなって、とても早くなる。だから昨日ちゃんと時間割りをしとけとあれほど言ったのに。と、届かない思いに心が荒れてしまう。

 

「君は今日から絶対時間割りを10回見直せよ。10回レ点を打って、ちゃんと完璧にしてから学校へと来てくれ! 僕の気持ちも考えてくれよ」

 

 その忘れ物女子は、一瞬黙った。

 それから、せっかくのカワイイ部類の猫顔を、化猫みたいに変化させた。

 

「あらあら。頭の良いあなた様はアホな私を虫けら扱いしたい様子ですね。へぇーそうですか。あなた様はそういう人だったのですね。ですよね。教科書シェアとか迷惑でしょうね。はいはいはいはい、分かりました。明日からは絶対絶対忘れ物はしませんよ!!意地でも!!」

 

 彼女は、化猫のような顔で捲し立てた後、捨て猫のような悲しい顔をした。

 くっつけた机を、元々あった位置よりもさらに遠くへと離してしまった。


 授業中に教科書のない彼女は、ただ窓の外をぼんやりと眺めている。

 僕は申し訳ないと思い、英語の教科書を彼女の机へと投げてみせた。

 この教科書は僕よりも彼女の方が見るべきだ。受験生なんだからしっかりと授業ぐらいは受けて欲しい。


 それは上手いことその机の右端に着地した。

 

『貸してやるから使え』

 

 と、ノートにメモ書きをし、彼女に開いて見せる。これは優しさでもなんでもない。彼女が先生に叱られることで僕の集中力が無くならないためにやったことだ。


 ところが彼女は、その教科書を手に取ると、僕の机の左端どころか僕の顔めがけて投げ返してきた。

 英語の授業中、僕は英語の教科書を彼女に「いいから使え!」と投げて、彼女は「ノーサンキュー!」と僕に投げ返してきて。それを5往復した頃に、英語教師が、

「Get out!」と、僕たちに怒鳴った。


 僕の内申点、どうしてくれるよ。


 僕はその日、ほとんど眠れなかった。


 明日からは、絶対絶対忘れ物はしませんよ。

 と言っていた彼女は、また忘れ物をしでかした。

 これは病気レベルだ。


 教科書ではなかったから、机と机の距離は開いたままいられたが、消しゴムを忘れたと言って、隣の席から僕にささやいてくる。

 

「ねえ。ねえって。消しごむパース!」

 

 パスって、消しゴムはボールじゃないぞ。

 言っておくが、消しゴムだけは誰にも貸せない。

 絶対貸せないから二重線でも引いて訂正印でも押しておいてくれ。絶対、この消しゴムは僕にしか使えない。新品からその存在が無になるまで僕が使いきると決めた。絶対。それが君であろうとも貸すわけにはいかない。絶対、絶対、絶対に。

 

 僕は、消しゴムパース!という彼女の声を、聞こえない振りをした。徹底的に僕は彼女の声を無視した。消しゴムパース!が左耳に痛いほどに突き刺さるが、僕は固くなに聞こえない振りをし続けた。


 そうしたら、彼女が授業中だというのに席を立ち、僕の机の上にある消しゴムを強引に奪っていったのだ。


「あ、こら!」

 

 という僕の声が、シンとした教室に響き渡った。

 皆の視線が突き刺さり、僕は堪らなくなって教科書に俯いた。


 彼女はノートにその消しゴムをゴシゴシとして何かを消していた。

 ずれたメガネを直してそれを見ると、なにやらノートの落書きの絵を消している。


 今は数学の時間じゃなかったか?


 なのに、彼女のノートには漫画のイラストが書かれてある。

 こいつは一体、授業中に何をしているんだ。

 彼女は僕の消しゴムを使いたいだけ使うと、ノートに、

 サーサーサーサーという音を立てて何かを描き始めた。それはイラストの髪の毛を描く時のサーサーサーサー音だった。


 授業中なのに。ここに君がいる意味はあるのか?と、僕は彼女に説教したくなった。


 その日に必要な教科書は、彼女のカバンの中にはあったようで。僕たちの境界線は、境界線と呼ぶには夢のように離れていた。

 

 そんな日が3日ほど続いた。

 

 僕の消しゴムは借りパクされたまま。

 僕は文房具のレンタル屋じゃないし、レンタル品を返却しないまま堂々としている彼女も大した玉だ。


 だから今手元にある消しゴムは、新品の買ってもらう前の小さくなった消しゴムだ。

ㅤそれまだ使うの?と問われそうな、間もなく消しカスとなって無になりそうな塊。

 テストの時とか書き間違えた時、二重線して訂正印だとか、それ中三がしたら、まだ早いとか。どんなギャグかと先生に怒られそうだ。それを真剣にやった所でふざけている扱いで内申点が減るのかもしれない。かといって母親に消しゴム買ってと言ったなら、『ついこの前買ったばかりじゃない。物を大切にしなさい!』とガミガミ言われるだけだ。

ㅤそれはとても面倒だ。


 本当はおこづかいでも消しゴムは買える。

 僕は、忘れ物女子に奪われた消しゴムを、新品から消しカスになるまで使いきりたかったんだ。

ㅤ僕だけの力で。

 

 それに……。絶対バレたくないことがある。


 僕は、僕の消しゴムをレンタルしたま普通に使い続ける彼女に言った。


「それは僕のだろ。そろそろ返してくれよ」

 

「いやよ。なんか知らんけど、この皮捲ったら私の名前が書いてあったの。だからこれ、私の消しゴムだよね? 持ち物に名前って、書くものだよね? 私は書いたつもりないけど、なぜだか私の名前が書いてあったから、これ、私のだってことだよね?」

 

 バレていたようだ。

 

 全く何の根拠もない、女子達が騒いでいたおまじない。その意味を、きっと彼女も知っている。

 新しい消しゴムを買った時、ちょうどクラスの女子が言っていたのを耳にした。

 

『ママが言ってたんだけどね。新しい消しゴムに好きな人の名前を書いて使いきったら、両思いになれるんだって。そんなおまじないがあるんだって』

 

 バカバカしいと聞いていたが、そのおまじないとやらが気になった。

 ちょうど新しい消しゴムだったから、名前を書いてみた。


 隣の席の、忘れ物半端ない女子の名前を。


 意味は無い。なんとなくだ。

 特に、それほど、本当に微塵も意味はない。

ㅤそんなおまじない、魔法みたいな漫画の世界、あり得るはずないからただ書いてみただけのこと。

 おまじないという非科学的なものをすることによって何かしらの変化があるのかという実験だ。興味深くて書いた、ただそれだけのことだ。


 その消しゴムのおまじないというのは、このクラスで知らない者はいないというほどに浸透していた。


 なぜ忘れ物ばかりして僕に迷惑をかける彼女の名を実験だとしても書いたのか、その理由は自分でも認めたくはなかったし、他人にこんな幼稚なおまじないをしている事がバレるのも恐ろしい。


 消しゴムの側面を削って無にしてしまおうかとも考えたが、それを心が拒否した。


 だからそのまま残しておいた。


 僕は強制告白をさせられたようなものだ。


 彼女は、

 

「なんか知らんけど私の名前が書いてあったから、この消しゴムは私のモノだよね?」

 

 と言って、お前のものは私のモノとジャイアンのように僕の心を踏みにじる始末。

 

「……頼むから返してくれよ、僕の消しゴム」

 

 見られてしまったからにはもう、どうでもいい。開き直って勉強のことしか考えないことにする。勉強の世界にどっぷりと浸かり、僕はもう何も考えないことに決めた。


「返さないよ。これは私の名前が書いてあるから私のものでしょ? あなたにはこれをあげる!」

 

 彼女は、筆箱から新しい消しゴムを取り出し、僕に投げてきた。


 その消しゴムの紙のフレームは取り外されてあり、僕の名前が書かれてあった。

 僕に似た変な似顔絵も描いてある。

 さらに僕の名前にプラスして、アホという文字もあった。

 

「私の代わりに消しカスになるまで使ってよね!」

 

 そう言った彼女の顔も耳も、真っ赤になっているのを、僕は確認した。


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