良かれと思ってやったのに

赤野ろびん

「良かれと思ってやったのに」

「ウチら、付き合わん?」


 俺は、コイツのことが大好きだ。

 朝、ひとりで歩く通学路。教室のドアを開けるその瞬間。退屈な数学の授業。体育で嫌々マラソンコースを走る時。体育倉庫のマットに座ってパンを齧る時。赤焼けに染まる教室の中。

 どんなときでも、コイツのことを考えてしまうくらい。

 どうしようもないくらい。

 だから。


「やめろよ、そういうの」


 コイツとの付き合いは浅い。半年前の夏のある日、いつものように誰もいない体育倉庫で、俺は購買のパンを齧った。冷えたチーズの味が舌に広がるのに、感慨も何もない。左手で乱暴に汗を拭っても、次から次へと吹き出てくるのが鬱陶しい。足元に転がる、すっかり気の抜けたバスケットボールを蹴っ飛ばしてしまいたい。その瞬間、遠くから、慌ただしい足音が近付いてくるのを感じた。体育館の床に擦れるシューズの音はどんどんと大きくなっていって。


「……あ」


 体育倉庫の前で、止まった。

 俺達の出会いなんて、そのくらいのものだ。だけど、コイツとはそこから、いろいろなことを話したような気がする。焼けた肌に金髪を揺らし、それっぽい見た目の割に短くないスカートを無防備に仰ぎながら、暑そうな黒いマスクを外しているのは見たことないけれど、コイツは俺の話も笑って聞いてくれた。漫画の趣味も男っぽくて、意外と合うことがわかったし、ゲームもするって知ったし、それでお互い勉強はできないし、とにかく話をしていて落ち着いた。


「旅に出たいんだ。誰も俺のことを知らない場所でさ、好きなことしてさ」


 そんなアホみたいにどうでもいい話まで、聞いてくれた。心があったまる感覚を、本当に久しぶりに味わった。


 ――でも、俺は知っている。

 放課後。その日はなんだかとても眠くて、帰りのホームルームの後の意識がなかった。目覚めた時には教室は空っぽで、ただ茜色の空間が広がっていた。立ち上がって窓を見遣った先に、アイツはいた。背中しか見えなかったけれど、間違いない。そして――隣のクラスの男子に手首を引かれて視界から消えていったのも、間違いなかった。


「俺みたいなのと、仲良くすんなよ」


 俺が馬鹿だった。こんなのと仲良くしてくれるような愛嬌のあるヤツが、男のひとりやふたり、いないわけがない。

 俺が何人目なのかは、どうでもよかった。言い訳かもしれない。だけど、コイツの「カウント」を、俺という男のせいでひとつ増やしてしまうのが、たまらなく苦しかった。

 コイツの言葉を聞くことなく、俺はいつもの体育倉庫を飛び出す。振り返る気には、ならなかった。

 

 静まり返った体育倉庫の中に、校庭の生徒の声だけが小さく木霊する。暖房も届かない四角空間に、ただ立ち尽くしていた。


「旅、ついて行けなかったな。誰もウチのこと知らない場所で、好きなことしてさ」


 黒いマスクに手をかける。刺すように冷たい空気が、頬に流れ込んでくる。


「一人旅のやり方なんて、ウチ、知らないや」


 両頬にできた青あざが、冬の風に触れてずきんと傷んだ。しわのできたスカートの裾。指先がかじかむ。

 ポケットの中で、スマホが荒々しく振動した。

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良かれと思ってやったのに 赤野ろびん @Robin07xx

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