動物好きな異世界転生者は、天敵の獣人に溺愛されながら現状打破に奮闘します

刺身

第一章 アニマルモンスターの世界へようこそ!

1. 異世界転生も楽じゃない

「初音さまー」


 人間の姿に獣の耳と尻尾を併せ持ち、大木を軽々と担ぐ大柄な男性。


 ーー初音さまっ


 その瞳に知性を宿らせて、動物らしからぬ落ち着きで見上げてくる小さなネズミ。


「初音」


 獣人にまみれた中では珍しい、初音と同じ聞き慣れた人間の声。


 次々と声を掛けてくる様々な声に振り回されつつも、呼ばれたその主の顔は明るい。


「はーい!」


 ふふっと笑って笑顔を向ける初音の腰を、音もなく背後から近づいた腕が絡め取る。


「ーージーク……?」


 背後に佇む距離の近い金の瞳に、細くまとめた長いグレーの髪を揺らす美青年。その頭には丸くて黒い耳と細長い尻尾が揺れている。


「……忙しいのはわかるが、たまには俺の相手もしろ」


「えっ!?」


 拗ねたようにボソリと耳元で低く囁かれる声に、初音は顔を真っ赤にしてピシリと固まった。


 そんな2人の見慣れた光景に周りは慣れたようにひと息つくと、解散解散とその場をそそくさと後にする。


「……ジーク?」


「初音も俺といたいだろ?」


 もうっと真っ赤なままで半目に睨む初音をこともなげに見下ろして、ジークはその金の瞳を優しく緩めて唇を重ねる。


 これはそんな忙しくも穏やかな日々を迎えるまでの、初音の波瀾万丈な異世界生活の物語ーー。






 そこにいたのは、黒猫だった。


 ーー怖い、怖い、怖い、怖い……っ


 どこからともなく聞こえてきた声に誘われて、初音は薄暗い路地裏で顔を上げた。


 周りを見まわしても、夜も更けた時間に人影はまばらで、声の主は見当たらない。


 気のせいかと思いつつも、檻のついた荷馬車が目について、初音はそろりと近づいて中を覗き見る。


 ーー……黒猫……?


 そこには怯えて丸まる子猫がいた。金色の瞳で、怯えたように初音を凝視している。


 気づいた時、初音はすでにこの世界にいた。


 昔から動物が好きで、動物動画や書籍でその生態を眺める毎日が癒し。それは新米社会人になってからも変わらない。


 帰宅途中に固まっている猫を車で轢きかけて、反射的にハンドルを切ったことまでは覚えていた。


 そこまでの記憶しかなかったけれど、気づけば知らない街の知らない広場に立っていた。


 言葉はわかるけれど日本とは言いがたい風景や外見的特徴と服装の人々に、異世界転生なんて言葉が浮かぶ。


 更に聞くところによれば、街の外にはモンスターと呼ばれる獣人というものまでいると言うから耳を疑う。


 檻に入っている以上、子猫に見えてもモンスターか何かなのかも知れないが、初音には判別のしようがなかった。


「……知らないところは怖いよね……」


 知らない場所に連れて来られて、運命を他人に握られる不自由さ。


 訳もわからず右往左往していた初音に声を掛けてくれた宿の女主人には、奴隷商に売り渡されそうになった。


 夜の闇に紛れて必死に逃げ出して来たばかりの初音は、カチャンカチャンと檻についた金属の鍵を開けていく。


 どうせ捕まるのが時間の問題なら、偽善でもいいから、最期に少しくらいこの世界に来た意味を見出したかった。


 残るは小さな南京錠を、そこらに落ちていた石で力任せに打ちつける。存外と簡単に壊れて扉が開いた。


「……キミなら逃げられそうだし、気をつけて」


 怯える子猫は隅に小さく固まったままに動かない。


「今なんか……はっ!? お前何してんだっ!」


「いっ……!」


 死角から現れた男に荒々しく腕を掴まれて、初音は怒鳴り散らされる。


 その騒ぎの最中、子猫はするりと檻から逃げ出して軽い足取りで着地すると、一目散に目で追えないほどの速さで路地裏の闇へとその姿を消した。


「あっ待てっ!」


 男に荒く放りだされ、地面に倒れてついた手と足に痛みが走った。


 逃げた子猫を追いかけることを諦めた男は、これ以上ないほどの形相で初音の肩ほどに揃えた髪を掴み上げる。


「てめぇ…!」


「いたっ」


「何してくれてんだっ! あぁ!?」


「……っ……ごめんなさい……っ……あんまり可愛くて….っ……つい触りたくなっちゃって……っ!」


「ふざっけんなよ!? あいつがどれだけの値になると思ってんだ、あぁっ!?」


「逃しちゃってごめんなさい」


「謝って済むと……っ!!」


「ーー騒がしいな」


 怒り心頭の男が振り上げた腕に、初音が反射的に頭を抱えて身構えた瞬間、ピシャリとした冷たい声音が夜の街に響く。


「あっバイパー様……っ! 騒ぎ立ててすみません! この頭のおかしい小娘がブラックダイヤの子どもを逃しちまってーー」


ーーブラックダイヤ?


 聞き慣れない男の言葉を、初音は思わず反芻する。


「……ほう?」


 ガッとあごを掴まれて目の前の視界を覆うバイパーと呼ばれる男を、蛇のようだと初音は直観的に思った。


 蛇のように鋭く冷たい緑の目をした、長い銀髪の豪奢な服装のバイパーは、初音を見てその瞳をスッと細める。


「……小娘、宿の女主人から逃げた小娘ですね。特徴通り、若くて容姿も悪くなく……いい値がつきそうですね」


 ニヤリと笑んだバイパーは手早く初音の両手を後ろ手に拘束すると、その首に革製の首輪までかけ出したのでさすがに度肝を抜かれる。


「……いい趣味……」


「はじめてですか?」


「だいたいはじめてでしょ、こんなの」


「バ、バイパー様……あの……っ……お代は……っ」


 ハァとため息を吐いて初音が眉根を寄せた時、先ほどの手荒い男が割り込んで来た。


「引き渡し商品がないのですから、私がお前に金を渡す道理がありますか?」


「い、いえ……」


「これに懲りたなら、魔法陣だけでなく人間対策もしておくんですね」


 ふんと鼻を鳴らしたバイパーに、初音は付けられた首輪の鎖を荒く引っ張っられて小さく呻く。


 そのままなす術もなく、夜中であるのを感じさせないほどに明るくて大きな屋敷へと連れて行かれた。


 そんな光景を、路地裏の暗がりから金色の瞳だけがじっと息を潜めて見つめていたーー。





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