第4話 沙羅

「……ば、馬鹿!……無茶言うな! 無理に決まっているだろう! それに、とっても元気みたいじゃないか!」


 充が返事をすると白髪の少女が、「茜、こっちを無視をするな!」と言う。

 しかし茜は少女の言葉に耳を貸さず充に話し続け、歩いてこちらとの距離を縮めていた。


「今は元気だけどね、この後全身がひどく痛み出すはずなんだ」


 充は、隣にある危険にちらちらと視線を向けながら反論した。


「痛みって言ったって……。鎮痛薬はあるけど妖怪にくか分からないし……」


「だから違うって。この子は人間。妖怪じゃないの。それと葵堂の薬はちゃんと効くから大丈夫」


 呆れながら答える茜に対し、答えたのは少女だった。


「私はあやかしだ!」


「って、本人は言っているし……。見た目だって人じゃないだろう。歯が鋭利えいりだし――」


 すると充から見て右隣に立っていた少女は、ぐるりと首を回し彼を見てにたりと笑うと、ぐわっと口を開けて噛みつこうとした。


「う、うわっ!」


 咄嗟とっさに右腕を引っ込めてよける。その様子が滑稽こっけいだったのだろう。少女は楽しそうに笑い彼に尋ねた。


「私はどこからどう見ても妖だろう?」


 少女の問いに、充は躊躇ためらいつつも素直に答えた。


「正直、人間には見えないよ……」


「どうだ茜。こいつもそう言っているぞ!」


 少女は喜々として言う。嬉しいようだ。だが、茜は充たちの会話を無視し、先程の話を続けた。


「まぁ、色々あって半分化けてはいるけど、沙羅の体はちゃんと人間なんだよ」


「ちゃんと人間って何だよ……」


「だから人間なんだって。もう一度よく見てみな」


「って言われても……」


 充は恐る恐る、再び少女をちらりと見やる。何度見たところで、妖怪だろうに――。


「え?」


 だが少女の体を見ていると、どうも様子おかしい。先ほどの笑みは消え、顔色は青ざめている。さらに何かに耐えるような苦しい表情を浮かべていた。


「お、おい。今度はどうした?」


 すると少女の色白の肌から大量の汗が噴き出す。


(何が起こっているんだ?)


「派手に暴れるからだ」


 茜が淡々と言い、少女の真ん前に立ちはだかる。少女の身長は、彼女の胸のあたりくらいしかないので、彼女は茜をうらめしそうに見上げた。


 どれくらいそうしていただろうか。


 少女は苦しそうにしながらも、しばらく茜をにらみつけていた。息は荒くなり、腹が痛むのかその辺りの着物をぎゅっと握りしめている。

 だが、その体で耐えられる時間というものがある。次の瞬間、唐突とうとつに少女はひざからくずれ落ちた。


「時子、いるか?」


 すると茜が硬い声で時子を呼んだ。

 今までどうしていたのだろうと思うくらい、ひっそりと息を潜めていたが、時子は呼びかけに応えて壁の陰からさっと出てくる。そして少女の傍へかがみ、茜に尋ねた。


「苦しんでいる原因って、やっぱり血?」


「ああ。半妖の血を飲んだせいだ。多分それにまとわりついている妖気ようきが、沙羅の体にとって毒になっているんだろう」


「分かった。それならがいいわね。用意するわ」


 時子はすぐにそう答えたが、充は「鎮静薬とは?」と小首を傾げていた。

 彼は十歳のときから六年間、薬屋である「葵堂」で生活してきたが、「鎮静薬」は初めて耳にした名称だったからだ。


(鎮薬……? 鎮薬の間違い、とか? いや、それとも催眠効果のある酸棗仁湯さんそうにんとうのことを言ってる? だけど、それは主に眠るときに関係する薬だし、飲んでもすぐに効くわけじゃない。最低でも十日は飲み続ける必要がある。茜が言った「ようき」のことは分からないけど「毒」と言っていたから、それなら解毒薬に、痛みを緩和させる痛み止めを飲ませた方が無難な気がするけど、違うのかな……)


 充が一人で悩んでいる間に、茜はうなずいていた。


「頼む。手当をする前に上がろう。ここじゃ処置がしにくいだろうから」


 そう言うと、彼女は沙羅と呼ばれた子を横抱きにし、軽々と土間から居間へ上がる。時子は先に上がりちゃぶ台をどかすと、茜はたたみの上にあった座布団に沙羅を寝かせた。


「あれ……?」


 充はそのとき、茜の右腕から出ていた血が止まっていることに気が付いた。


(深く噛まれて、血が出ていたはずなのに……)


 怪我をしたのは見間違いではなかったはず。もし自己治癒力で治ったのだとしたら驚くべき再生能力だ。

 充は茜が「人間」ではないことを認めざるを得ない状況になりつつあるのを感じてはいたが、生まれてから妖怪になど会ったことが無い。そのため、まだ信じられない心地でいた。


 さらに、山小屋のなかの変化にもはっとする。


 先程まで暗かった山小屋のなかが、明るくなっているのだ。どうやら縁側の雨戸を全て外したらしい。お陰で室内のなかがどうなっているのかはっきり分かるが、誰が開けたというのだろう。


(開けたのは義母かあさん? だけど雨戸は八枚くらいある。あのどさくさにまぎれて外し終えられるか……?)


 もし義母でなかったら、別の何かがいるということだ。それも人間ではない何かだろう。充は不可解な出来事に身震いした。


(怖い……けど、怖がっている場合じゃない。義母さんを手伝わなくちゃ……)


「充」


「はいっ!」


 義母に名を呼ばれて、充ははっとした。見ると真剣で真っ直ぐな眼差しで「手伝ってくれる?」と聞かれる。


「あ、はいっ!」


 彼はうなずくと、草履ぞうりを脱いで急いで居間に上がった。

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