嫌血の吸血鬼

ジフィ

プロローグ

「妊娠、しちゃったみたい」


 夜の帳が落ちて薄暮に包まれたボロアパートの中、ベッドに腰をかけた兎獣人が瞳を伏せて言った。

 異世界へ来てから凡そ一週間後の出来事である。


 まさか、そんな馬鹿な。

 なんて僕は思ったけれど、兎は性行為によって排卵されるという特性上、妊娠の確率が格段に高いのだと事前に彼女の口から聞いたいたことを思い出す。


 父親は聞くまでも無く。だからこそ、そういう事もあるのだろうと冷静で居られた。


「お腹を、触っても良いですか?」


 代わりに僕はそう聞いて、彼女の未だ薄い腹にゆっくりと触れた。

 この中に、赤ちゃんが。考えてみればどこまでも神秘的な事である。


「実はもう、おっぱいも出るんだよ」


 見たい?そう聞かれた僕が勢いよく頷くと、彼女は困ったように笑いつつも躊躇い無く装備を脱いでいく。


 はだけて現れた肌は新雪の如き白さ。しかし今だけはほんのりと汗ばんでいて、それが僕の興奮を無為に煽ってくるようだ。


 決して大きくは無いがハリと形の良い、ツンと上を向いた房に手を伸ばす。指先が触れた瞬間に彼女は身じろぎを一つ、少しだけ息を早めた。


 丁度掌に収まるか収まらないかの乳房は暖かく、指を跳ね返してくる弾力と、反対に吸い付いてくる肌の感触。そして桜色に充血し膨らんだ乳頭とが目にも手にも幸せそのものだった。

 

 少し力を加えると未熟な乳線葉で作られた母乳がしっとりと滲み出る。

 僕は反射的に両手で乳房を揉みしだきたくなる気持ちを抑え、彼女の肩を抱き寄せた。


 耐えがたき誘惑を振り払い見上げた彼女の瞳は黒曜石みたく潤んでいて、弄びすぎたのだと悟る。

 だが嫌がってはいない。ならばここまで来て辞められるものか。


 肩を抱いていた手を鎖骨に掠め脇下に沿わし、今し方はだけた背中に腕を回す。

 より一層近づいた彼女の肌からは、汗とも違う、興奮の香りが漂っていた。


 もはや辛抱溜まらない。

 すっかり揉みしだしき乳白色に染まった房を下から刮ぎ舐め取るだけでは飽き足らず、より一層耽美な甘みを求める僕は、彼女の乳頭に口づけをしたのだった。


 00


「おい、大丈夫か」


 若い女の冷たい声が聞こえて目が覚めた。

 視界いっぱいには夕焼けに照らされた荒い石材が広がっていて、僕はその上で横になっているらしい。

 

 何がどうなって今に至るのか直近の記憶を探ってみるも、飛行機のトイレで血を吐いた事しか思い出せなかった。


 ――では、ここはどこなのだろうか。

 少なくとも飛行機や病院では無い。

 気絶している間に目的地に着いたという訳でもなさそうである。


「どこって、ケフィアの王都だよ?」


 今度は別の女の声が聞こえた。

 どうやら疑問が口をついて出ていたようで、後者の女は、そんな事も知らんのか。と煽るような口調で答えた。


 しかし修学旅行の行き先は沖縄だったはずであり、断じてケフィアとか王国とかでは無い。

 現代の安全基準を満たした飛行機が事故って未知の国に不時着したという可能性を考慮する必要は……ないかな。


「しっかし君、とんでもない美少年だね」

「尖った耳と八重歯に白い髪。お前、が夕方から彷徨うろついてんじゃじゃんぇぞ」


 美少年? 吸血鬼? 白髪? 何を言ってるんだ、こいつ等は。

「……確かに僕が美少年なのは否定しませんが、八重歯も耳も敢えて言うほど尖ってはいませんよ?」


 なんて言って体を起こすと、目の前に耳を生やした女二人がいた。


 いや、違うな。正確では無い。

 頭の上から兎や犬、つまりは獣の耳を生やした女達が。僕を見下ろしていた。 そう表現した方が良いだろう。


 犬の方は金色の目つきが鋭く、女性にしてはスラリと格好良いヨーロッパ系の顔つき。

 その格好はさながらゲームのキャラクターで、革のブーツに鉄のガントレット、そして腰からは細長い剣を下げている。しかも髪は銀色と来たものだ。


 兎の方は柔和な美少女とでも言うべきコスプレイヤーで、白髪黒目。犬科よりも20センチほど身長が低い。こちらは内腿が左右半円ずつ切り取られたツナギを腰で結び、クッションのような分厚いマフラーとツナギ、そして鉄のブーツを身に付けるという個性的な格好をしていた。


 両者共に年は僕と変わらない17やそこらに見えたがどう見積もってもクラスメイトではないし、学年を見渡しても留学生は居なかった。


 日本語で喋ってはいるので日本人ではあるようだけれど、もしかして、どこぞのコスプレ会場にでも迷い込んでしまったのだろうか。

 だとすれば彼女らの完成度の高さには感嘆するくらいへでは無いが。


 そんな事を考えていると、兎の方が首を傾げながら手を差し出してきた。


「丁度腕を怪我してるんですけど、お腹が空いているなら飲みますか?」


 揶揄うような口調で言う兎の腕には白い包帯が巻かれていて、下から真っ赤な液体が染みている。

 僕は反射的に胃液を吐いた。


「……いりません。それよりも腕を隠して貰えませんかね」


 口端から漏れた胃液を拭いつつ、彼女を見ないように目を逸らすと。


 そこには、ネズミの王国よろしく鎮座する、それはそれはご立派な城がそびえ立っていた。


 座ったり立ったりで忙しそうだなぁ。

 ……僕は思わず馬鹿なことを考えて眼前の光景からも目を逸らす。右も左も見たくない物ばかりなので視線の行き先は下に向かった。


 するとどうだ、目の前に垂れて来た前髪は白く染まっているではないか……!!


 更に言えば、丈の足りない制服の隙間から真っ白い足が伸びていた。

 白魚みたいなという比喩があるけれど、その足は白を通り越して灰掛かった死人の如き色をしている。

 

「……僕って吸血鬼に見えるんですか!?」

「見えると言うよりは、だな」


 犬、いや、狼か。

 彼女がぶっきらぼうに答えるや否や、僕の腹はグーと鳴った。

 状況も飲み込めていないのに呑気な体だ。


「とりあえず日陰への避難がてら、ご飯でも食べに行きましょうか!」


 驕りますよと付け加えた兎の腕を細目で掴み、勢いを付けて立ち上がる。

 あまり力を加えていないのに、その時ばかりは、己の体が驚くほど軽やかに思えてならなかった。

 自分の体が、自分のモノではないと錯覚してしまうほどに。


「……それとも、食べたいのは私の体ですか?」


 見た目の清純さに違い扇情的な笑みを浮かべる兎の女。

 それがまるで当然かのように言うので、僕は思わず笑ってしまった。


 誘ってるのか? 流石は兎のコスプレをしているだけはある。 


 笑いながら嘔吐えずいた。

 目の端に腕の血が写ったからだ。

 

「……いやぁ、どっちかっていうと肉が食べたいですね」

「驕られる立場で食材まで指定済んじゃねぇよ」


 狼は厳しい声で言ったが、兎は笑ったまま朗らかに口を開く。


「じゃあ行きつけの酒場で良いですか?」


 ここまで来て往生際は悪いとは思いつつも、僕は城の反対側、赤煉瓦の町並みに現実逃避していた。


 だがそこにはクラスメイトの影も形もない。

 ただ、ファンタジー然とした獣っぽい人間や時代錯誤の町娘、そして闊歩する衛生兵が居るのみである。


 さながら、夢にまで見た異世界小説の世界観だ。


 ――果たして僕は、どういった類いの悪い冗談に巻き込まれたのだろう。


 しかしあまりの混乱に脳回路がショートでもしてしまったのか。

 僕は言われるがままに頷いて、名も知らぬ女二人の尻尾を追いかけて歩いた。

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