ひより

内谷 真天

ひより

 狂ってるのかもしれない。悪魔と暮せば誰だって狂いもするさ――

『Rebecca』

 ――アルフレッド・ヒッチコック


 2日目


 僕が思うに、人間は大きく二つの種類に分けられるんじゃないかって。

 ノイローゼになる、ならない。

 そしてなってしまう人にもまた、大きく二つあるんじゃないかって。

 一つは、自分に問題があるのに自分ではそのことに気づかずに、他人の言動に問題があるって思い込んで、そのうち周囲を敵視しはじめてしまうタイプ。

 抜本的な原因が棚上げされたままだから、どんどん苛まれてくし、周りも気を遣って教えてあげるなんて親切はしてくれない。

 触らぬ神に祟りなし。本人が気づくしかないって状況。

 僕が見たところ、この状況に陥る人は、共通して他人に興味がない。

 人の話を聞いてるフリはしてみるけれど、会話の最中にも相手の感情の奥底や源泉を読み取ろうっていう意欲がない。欠けてるとか足りないじゃなく、そもそも無い。

 ただ機械的にその時々に必要であろう相槌を打ってる、か、自分の感情や体験だけをもとに返事しているか、のどちらか。

 上手く回ってるときには知らず知らず彼らも加害者の側に回ってることがある、一つ何かが狂ったあとでは、世界の色がそれまでと変わって見えてしまう。

 この種類の人が案外多くって。僕の周りにも何人かいる。

 かつて相談を受けていた時期に僕は、小説でも読んでみたら、といくつかの古典作品を挙げて勧めてみたのだけれど、大抵の人から、読んでもよくわからない、と返された。

 うん、そうだよね、といつも僕は納得する。

 そこを乗り越えて本気で小説との対話を図れば人付き合いの最良のプラクティスになるはずなんだけど、まず小説を読むってことが対話行為であるってことを理解してないみたいだった。

 他人に興味がないんだから当然、だし、悪循環。抜け出せるとは思えなかった。大抵の場合ずっと悩み続けてる。

 でも僕も大抵の場合それ以上は言及しない。

 触らぬ神に祟りなし。というよりも、あと一歩踏み込んだらろくな結果にならないって表情をみんながしてしまうから。藪蛇やぶへび。

 だけど、相手の顔が許してくれる場合には、僕は更にこう続ける。

「読んでもわからない、じゃなくってさ」って。「わからない部分があったら、わかるまで読んでみたらいいじゃない。自分なりの答えが見つかるまで、何度も何度も繰り返し同じ場所を。一つ着想が得られてから次の文章に移るってやり方。根気よくね。間違ってたって構わないから。よりも重要なのはプロセスだから。プロセスと、反復。続けていればそのうちわかるようになるかもだし、多くの小説を同じアプローチで読めば、それだけ多くの人の感情がわかるようになると思うよ。だって小説は無機物だけど、それを書いた作者には感情も思想も多分に備わっているわけだから。それも書き手によって千差万別の」

 そうすると大抵。大抵こういう反論がくる。

「その作者が優れてるかどうか、どうやったらわかるの?」

 だから僕は古典文学を挙げる。色褪せてるのに誰もが名前を知ってる作品。時代を超えても名作だって謳われる小説。まじりっ気のない結晶化された評価を受けてる創作物。

 そういう種類であれば戯曲でも映画でも落語でもジャンルは何でも良いんだけれど、時間配分を自由に、ってなるとやっぱり文章であることが最も適切なように思う。

 小説は無機物。実践じゃない。誰も傷つけないし傷つかない。いくらだって練習に付き合ってくれる。

 そうやって相手の言動、感情、所作、機微、がどんな意味を含んでいるかに気がつけるようになれば、鏡のように自分の姿も見えてくる。

 鏡を持たない人は髪がぼさぼさでもへっちゃらだけど持っちゃったらそうはいかなくて、身だしなみを整えるみたいに、少しずつ。

 だから僕は相談を受けたら必ず小説を勧める。

 というのは僕も昔はそうだった。

 読んでもわからない。

 そしてわかるようになった自分の体験をもとに、こんなことをぼんやり考えてる。だから僕がノイローゼの側の、どっちに分類されるかは、自分でもちょっとわからない。

 あるいは小説なんて関係なくて、単に根っこの性質の違いなのかも。

 わからない。

 ただ、月があまりに綺麗だから、ちょっと感傷に浸ってる。


 ☾


 3日目


 月のすぐ側に輝いてる。

 薄い雲の膜を、ぱんっ、と放射状に払い除けて、そこだけ深い海のブルーホールのようになってる。秋に月の隣で光るのは土星だって聞いた。輪っかの代わりの丸い穴。

 あんまり心地いい情景だから表現が浮かばない。

 色づいた広葉樹の隙間から差すのが、神秘的というか幻想的というか。

 なんとなく羨ましいなと感じた。

 僕の隣にいるのは同じ神秘でも、常に魔物だった。魔物的に独善的で利己の塊。

 長い……とても長いあいだ苦しめられてきた。

 やっとこうして一人になれて、心地いい。

 静寂に風の音。薄闇に控えめな紅葉。たまに落ち葉をしだく足音。なにか僕も一体になった感じがして、平穏で、良い。

 ここに来るまでずっと戦いだった。僕の中に在って、僕を苦しめる魔物たちの中にも在るものとの戦い。もしくは彼らが持たないものを獲得するための戦い。

 とても分の悪い戦いだった。

 なんであれば戦いと考えている時点で僕もまだ魔物的から抜け出せていないのかもしれない。そういう戦いだった。

 戦いには勝ち負けがある。けど、僕の戦いには勝ちとか負けとか、もっといえば、強いとか弱いとかがあっちゃいけない。強い弱いを引き伸ばしてゆくと、果てには、勝ちとか負けとかの基準に到達してしまうから。

 じゃあなんて形容しよう。思いつけないから戦いでいい。

 ううん、結局それは戦いで、今この状況はまぎれない敗北で、敗北の最終地点で僕は平穏をたしなんでいる。

 見渡す世界はどこも魔物だらけで、僕は逆行的に、時代錯誤に、求められていないものに、自己の正しさを見出そうとした。してしまった。それが自傷行為であることに始まりのうちは気付けなかったけれど、気付いたあともやめようとはしなかった。僕はもっと自然的でありたかったし僕はもっと揺曳的でありたかった、し、僕はもっと博愛的でありたかった。

 目に映るどんなに汚らわしいものにも美しさは宿ってる。その小さな一点を、他は一切無視して愛でてみたいようなやり方。

 聖書の教えともスッタ・ニパータともすこし違う。から答えと相反した世界の中ででも自力で模索し続けるしかなかった。愛するということの本質。

 愛?

 ほら、こんなこと、逆行的だ。人前で口にするには僕だって恥ずかしい。時代錯誤で、誰からも求められていない価値観。でもそれこそが必要なんだと疑わなかった。

 こんなこと続けていたらおかしくなっちゃうんじゃないか、って。

 魔物に虐げられながらその魔物すら愛したかった。すべてを。

 どうなんだろう。

 愛したい対象を魔物と呼ぶ時点で僕も同類かもしれない。魔物的な自分から脱却できていない。

 分の悪い戦いだ。初めからこうなると決まってた。

 まあ、いいや。

 僕には間違って見えたんだ。

 自己を見つめて質し続けることと他者を理解し愛で続けることは矛盾してないし世の中の基本理念がそうなれば誰も苦しまなくてすむようになる。

 雨に濡れて乾いた落ち葉から独特の匂いが漂ってる。土に還る前の腐敗臭。腐敗するほど古い考えだ。

 いいんだ。今はもう誰もいない。

 気にせずに幻想的な夜空を眺めていよう。


 ☾


 4日目


 土星が消えた。

 代わりに月が派手なくらい明るい光をかざしてる。

 あまり強すぎて僕の好みじゃない。満月っていうらしい。スーパームーンっていうらしい。街のどこかで見上げてる視線を想像できる。

 僕とは相容れない。

 だいぶ離れた東の空に、紅葉がちょうどそこだけ空間を作って、一等星の輝きがぽつんと覗いてる。あれは多分、木星。仲間外れだけど煌々と、って感じが、僕の目を留めてしまう。

 もしかすると僕も他人には興味がない人種なのかも。

 独善的でエゴイズムで利己的で、そのくせ被害者意識の高い、悲観主義者。

 わからない。

 僕はそういう人たちを反面教師にしてきたから、過去には同じだったと言えるかもだけど、今も同じだと言われると、すこし切ない。

 ただ、孤高の木星のほうが僕には芸術的。


 風が吹いて濃い色の葉っぱがひよりと舞う。

 月明かりの下で、ふわりってほど軽くもないしふぁさってほど爽やかでもないし、しなやかに踊りながら流されてゆく。すこし風に抵抗してるのが冬の訪れを長引かせたいみたいで。

 同じ光景を神社の拝殿から見て決めたらしい。境内のクヌギが秋の強風にあおられて、ひより。そのとき一羽のヒヨドリが横切って、運命だ、って。安産祈願に参拝した名も無い神社。

 そういう感情を否定するつもりはないけれど、でも正直、女みたいで好きになれなかった。

「いいじゃない女なんだから」って。

 それはそうなんだけど。

 世の中の動きにちょっぴり逆らって、古風な家だった。いつもこの話を切り出すとみんな不機嫌になるし、認めてくれないし、僕の虚言のように思われた。そこを更にもう一歩踏み込むと激しい口論に必ずなる。

 みんなの前では「私」、心の中では「僕」。

 生物学的にも性嗜好的にも確かに女、だけど、人格的にというか思考的にというか、どうしても男である感覚を拭えなかった。

 身内に異常者がいることを受け入れたくなかったのかもしれない。ひより。誰にも理解してもらえない。魔物との戦いの始まり。


 ☾


 5日目


 他人を理解しよう。

 いつでも、どんなときでも、人の気持ちに寄り添うことをやめない。

 たとえ何度裏切られても。

 その人が魔物でない限り変化を求める気持ちは相手にもある。

 もし裏切られたと感じたのならアプローチを変えよう。きっとやり方が適切ではなかった、し、相手の望む状態を汲めないのなら僕はまだ理解が足りてない。

 問題はその人にではなく僕にある。


 僕が苦しみから逃れるために他人に痛みを与えるのはやめよう。

 そして、どんなに僕が辛いときでも無関係な人の前では笑顔でいよう。

 八つ当たりや不機嫌は負の感情を伝播する行為にほかならないし、そういう連鎖がどこかで大きく歪形をとることになってしまうから。

 それよりも笑顔の代価の笑顔に安息を見出した方がよっぽどいい。


 僕の成功体験を是と思うのはやめよう。

 人生は水物だし塞翁が馬だし、そうでなくても人格や境遇は十人十色で、たまさか僕が上手くいった事柄が他人にも同じようにはまるとは限らない。

 成功体験っていうのは、とどのつまり、たらればと結果論のはざまで生まれるものに過ぎないから。たらればのタラが成功、レバが失敗。というだけのこと。

 助言は、だから断定的にふっかけるのは控えよう。こうしろああしろこうするべきだ、は、自分が正義、の思想になりかねないし、正義は強い弱いの強いの方に属してる。

 人は人それぞれちがう。


 誰しも自分は可愛いし誰しも自分のこととなるとわからない。

 相手の欠点を指摘したつもりが後で振り返ったら自分にも当てはまる。なんてことが往々にしてある。

 自分の中にあることで他人は責められない。

 もし責めたとしたら破綻してる。色々と。もう一度自分を見つめ直した方がいい。


 内省の手段は僕の内側にだけある。

 外からの情報をわかったつもりになって受け入れるのはやめよう。

 そこにある観念に心が結びついたときにだけ信じる。

 どこか客観性を帯びた理解なら、それは信じない。後になって結びつくまで待つか後になっても歯車がカチッと噛み合わないのなら、おそらくそれは僕に適してない。

 もしそればっかなら、抜本的に手法を変える必要も、あるのかも。

 試行錯誤の連続だ。歩みを止めちゃいけない。


 自己をもたない。

 僕ってこうだ、は範囲を狭めてしまう。

 もっと自然的でいい。

 自然に僕の求めることをする。すれば勝手に僕になる。

 自己統一性を論理に委ねたらいつか論理に飲み込まれてしまう。


 自己を保つために他人を貶さない。

 たぶん最も醜悪な行為。

 会話の中で知識をひけらかしたがるのも、おなじ。

 もしも人格に優劣があるなら僕は下劣の下底でいい。それくらいでいい。


 愛を苦痛と思うならそれはまだ愛が未熟なだけ。

 自己犠牲でもないし奉仕でもない。

 その行為そのものに温かい気持ちを感じられなければ。


 ……あと何があったかな。

 書き留めようと思ったことが思い出せない。

 ちょっと頭が回ってない。


 読み返してみると、なんだこんなものかって感じ。

 もうちょっとジェイ・ギャツビーみたいにかっこつけられると思ったんだけど。

 それに僕ってどれだけ守れてこれただろ。

 だもん、こんなこと、誰も信じてくれないよ。読まれても、またひよりの虚言癖、最後だから都合よく美化してるだけ、どれも、これも、吐き捨て。

 みんなの冷笑が目に浮かぶ。

 やっぱりギャツビーみたいにかっこよくはやれない。

 どうせ女だもんな。

 どっかおかしんだ。みんなの言う通り。

 分が悪い。ほんと。


 ☾


 6日目


 また月がきれいになってきた。

 張り詰めてるよりちょっぴり欠けて足りない方がいい。

 そこから満ちようって向かう姿勢が好きだし、月は誰とも競ってないから。

 競うってことも悪くはないんだけれど。どうしても不純物が混じっちゃう。勝つことが偉くなって、効率化、合理化、出し抜く、蹴落とす。

 競技って言葉は好きだけど競争ってなると、どうも。

 もっと美しくありたい。

 風と踊る落葉樹の葉っぱみたいに。ひより。

 きらいじゃなかったのかも。

 ひより。

 柔らかい感じがする。頭の中もそうであったなら、どれだけ楽だっただろ。普通にみんなと同じに話せて、普通にみんなと同じに誰かを好きになれて、普通に……戦いなんかとは無縁の場所にいれて。

 生まれたときからなのか、後天的なのか、わからない。でもどこかで決まってしまって、僕はずっと変だなと思ってたけど言い出せなくて、やっと勇気を振り絞っても聞く耳持ってもらえなくって。

 ただ誰かに認めてもらいたかった。だけ。

 頭のおかしい僕のことを。

 ただ誰かに愛されたかった。だけ。

 たった一人の男の人に。だけ。なにもかも。

 目の前で「僕」を晒しても微笑んでくれるような。だけ。

 無いから求めることを僕は逆のやり口で体現しようとした。だけ。

 多分そういうことなんだ。

 いつだって誰かに否定されてきた同じことを僕も同じようには他人に差し向けたくなかったから。だけ。

 やったら僕も同じになっちゃうから。だけ。

 ど、叶わない。

 半端で曖昧で玉虫色のラインで「正常」に判別されて、より分けられたら「正常」の中心の規範に従わされちゃって。

 体も心も頭も女としてまともに機能したかった。できないならいっそ男として生まれればよかった。そうなったら女の子を好きにならなくちゃいけないわけだけど……初めからそう生まれたんなら、自然と受け入れられたようにも思う。

 半端だから信じてもらえない。半端だから僕を苦しめる。

 問題が起こるたび対処はしてきた。矯正という名の対処。それにも限界はある。その線を越えたら僕が僕でなくなるぎりぎりのボーダー。

 それ以上は、もうどうにもならない。

 最も楽だったのは魔物と同調してしまうこと。僕も右ならえしてしまうこと。僕が僕でなくなるボーダーの奥のこと。

 どうにもならないんだ。

 最初からあまりに隔たってるし僕の信念がそれをもっと引き離した。


 ☾


 7日目


 僕はどっちなんだろう。

 ノイローゼになる、ならない、のなる方の。

 2つ目だと信じたい。せめて。


 落葉樹がだんだん寒々しくなってきた。

 そろそろ冬がやってくる。

 もう、夜もずいぶん凍てついて。

 もうすこしぽかぽかした季節を選べればよかったんだけど。

 うまくいかないね。

 どうせ、こんなことも、またひよりがバカやらかした、くらいにしか、ね。

 わかってほしかった。

 ひより。

 最後の一枚が舞ってゆく。冬に向かって。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ひより 内谷 真天 @uh-yah-mah

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る