第13話

「じゃあアイリス、行ってくるね~」


 階段を降り、宿舎を出る――今朝は一段と寒いなぁ!


 私はウールのケープを羽織りながら、身を縮ませて図書館の表門に向かっていく。


 入り口の衛兵は知らない顔だけど、胸についてる名札を見ると、何も言わずに通してくれた。



 図書館の中に入るとふんわりと温かい空気が迎えてくれた。


 この建物は全体に温度管理と湿度管理の術式が施されている。いわば本を守る結界だ。


 おかげで過ごしやすい空気になり、私はケープを脱ぎながら司書室に向かった。



「あら、おはようヴィルマ」


「おはようございます、ディララさん」


 今朝も一番乗りは、司書長のディララさんだ。


 私は今日、少し早めに宿舎を出たんだけど、それでもディララさんの方が早いみたい。


「あの、なんでこんな朝早くから来てるんですか?」


 ソファに座るディララさんが、楽しそうに微笑んだ。


「館内の術式に不備がないか、点検してるのよ。

 これにはどうしても時間がかかってしまうから、いつも七時には来ているわ」


 えっ、今は八時だから、一時間も前から?!


「じゃあ、点検はもう終わったんですか? くつろいでるみたいですけど」


「フフ、そんなことはないわよ?

 こうして座りながら、図書館中の術式を調べているの。

 別に術式の目の前に居なくても、調べるだけなら簡単なのよ」


 私はポンと手を打って応える。


「ああ、魔力の遠隔操作、魔力制御の応用ですね。

 身体から遠く離れた場所に魔力を届けるのは難しいと本で読みましたが、簡単なんですか?」


 ディララさんが優しい眼差しで私に応える。


「ああ、ヴィルマは今まで、そういう訓練をしてこなかったのね。

 あなたくらい魔力制御ができれば、とても簡単なはずよ。

 難しいというのは一般論、手元で魔力を操るよりは難しいというだけなの」


「そっか~。遠隔で術式の状態を調べられるなら、館内の蔵書に魔力を張り巡らせて状態をチェックする、なんてこともできるんですかね?」


 ディララさんがクスリと笑みをこぼした。


「そういう術式を組み立てることはできるけど、難易度が途方もなく上がるわよ?

 なんせここにある大半の蔵書は魔導書、魔術を込められた書籍だもの。

 それらを損なうことなく、しかも大量の書籍の情報を精査していくのは、人間には不可能じゃないかしら。

 それに普通は頑張っても、数十メートル先に魔力を届けるのが精一杯。

 そんな苦労をするより、直接目で見て、ひとつずつ状態を確かめる方が楽よ?」


 ま、そりゃそうか。


 そんなことが簡単にできるなら、ディララさんが蔵書チェックをして、みんなに修復を指示するだけで済んでしまう。


 それをやれてないんだから、きっとこの魔術は現実的じゃないんだろう。



 私はケープをロッカーにしまってエプロンを身にまとうと、紐を後ろ手で結びながらディララさんに告げる。


「それじゃあ私は、一足先に蔵書チェックしてきちゃいますね」


 驚いた様子で目を見開いたディララさんが、慌てるように私を手で制した。


「待って頂戴、始業時間は一時間も後よ?

 今から仕事を開始してしまうの?」


 私は笑顔で応える。


「これは仕事じゃなく、趣味の範疇です。

 この図書館の蔵書を確認して把握していく作業を、早く済ませてしまいたくて。

 それが終わらないと、中身を堪能する時間なんて、味わえないでしょう?」


 修復は考えず、どこに何があるかを見ていくだけ。


 朝の短時間でできることは、そのくらいだ。


 ついでに目で見てわかる損傷があれば、それは覚えておくけれど。


 私は呆れた様子のディララさんに背を向け、司書室を後にした。





****


 九時になる少し前に司書室に戻る――始業前のミーティングがあるからだ。


 司書室にはみんなの姿。フランツさん、カールステンさん、サブリナさん、ファビアンさん、そしてシルビアさん。


 みんなの顔は、なんだか昨日より明るいというか、引き締まって見える。


「戻りました……あれ? みなさんどうしたんですか?」


 フランツさんが、フッと爽やかに笑みをこぼした。


「いやね、ヴィルマがもう蔵書チェックを開始していると聞いて、私たちは考え違いをしていたと痛感していたところだよ」


 考え違い? なんのこと?


 私はサブリナさんの隣に座り、フランツさんを見つめて応える。


「痛感って、どういうことです?」


 隣のサブリナさんが、微笑みながら私に告げる。


「あなた、八時からもう本の場所を覚えようと走り回っていたのでしょう?

 高い能力があろうと、決して努力を怠らない――いいえ、その努力の結果、あなたは結果を残せるようになった。

 それはヴォルフガング様の教えで理解していたつもりだったけれど、まだ認識が甘かったんだなって、そう話していたの」


 ふーん、どうやら立ち直ってくれた、のかな?


 私は小さく息をついて応える。


「そりゃそうですよ、私だって、怠けたらあっという間に腕が錆び付きます。

 毎日きちんと時間をかけて、集中して物事に当たらなければ、得られるものだって乏しくなります。

 それをずっと続けてきたことが私を支えてくれるし、自信や自負に繋がるんですから」


 カールステンさんが明るく笑い声をあげた。


「ハハハ! 司書歴一年の新米に、ここまで言い切られてしまったか!

 司書の先輩として、立つ瀬がないな!

 ――だが、もう今日からは私たちも心を入れ替えた。

 ふてくされるのはお終いだ。努力を積み重ね、ヴィルマの足元に少しでも手が届くように頑張ろう」


 シルビアさんやファビアンさんも、明るい笑顔を向けてくれた。


 私は笑顔でみんなに告げる。


「そうですよ? 私みたいな新人に、いつまでも良い恰好なんてさせないでくださいね?

 先輩たちの仕事ぶり、頼りにしてるんですから!」


 ディララさんが両手を打ち鳴らし、みんなの注目を集めた。


「みんなが立ち直ってくれて、本当に良かったわ。

 今日からは私たち七人、一丸となってまた頑張っていきましょうね。

 ――それはそれとして、業務以外の話をしておくわ。

 ヴィルマはヴォルフガング様から直接聞いていると思うけど――」



 ディララさんの口から、私が今日の舞踏会に参加するよう命令されたことが知らされた。


 第二王子が私を見たいと譲らず、『どうせなら、他の貴族子女にも存在を認知してもらおう』と言い出したらしい。


 ここは王立魔導学院付属図書館。つまり私は、王家に雇用されてる身だ。


 王族からの命令であると共に、雇用主からの命令でもある。


 この図書館は王家の持ち物で、そこで例外として平民の私が従業員として働いている。


 その存在を利用者である貴族子女に知らせるべきだと、第二王子は判断したのだ。


 国民としても、司書としても逆らう訳にはいかないし、王子の言い分もそれなりには理解できる。


 貴族の生徒たちも、図書館に来たら突然平民に出くわした、とかびっくりするだろうし。それは先日の女子生徒で実証済みだ。



 ディララさんが、困ったような微笑みで告げる。


「これは、貴族子女たちからヴィルマを守る一手でもあるの。

 みんながヴィルマの存在を認知すれば、あなたを見守る目が増えるわ。

 生徒の誰かが心ないことをしても、すぐに知らせてもらえるかもしれない。

 ――そう言われたら、ヴォルフガング様も引き下がらざるを得なかったそうよ」


 カールステンさんが腕を組んで頷いていた。


「まぁ、質の悪い生徒なんて今は居ないが、平民を見下した貴族子女はそれなりに居る。

 ヴィルマが不当な扱いを受けないようにしたいという思惑は理解しました。

 ――ですが、今夜いきなりですか?

 ヴィルマのドレスなんてないでしょうに。どんな服装で参加しろというんですか」


「町のレンタルドレスを利用しましょう。平服では参加できないもの。

 午後になったら、私が付き添ってドレスを借りに行きます。

 みんなも参加するよう要請があったから、今日は早引けして準備を整えて頂戴」


 シルビアが深いため息をついた。


「アルフレッド殿下ったら、とんでもない無茶を言い出したわね。

 女性の身だしなみにどれだけ時間がかかると思ってるのかしら。

 その舞踏会って確か、十九時からよね?

 そうなると三時間前、十六時には用意を始めないと間に合わないわ」


 ディララさんが苦笑交じりで告げる。


「だから今日は、図書館を午前で閉めます。

 業務が残るようなら、少しくらいは作業しても構わないけれど、舞踏会に遅れないようにして頂戴。

 学院内にも、既に告知の手配をしてあるわ。

 みんなもそのつもりで、今日の業務に当たって頂戴」


 司書たちが元気よく返事をして、ディララさんが頷いた。


 ……うっわぁ、なんだか迷惑かけちゃってるなぁ。第二王子のアルフレッド殿下って、どんな人だ? 会ったら文句言ってやろうかな。

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