ウルフノマオ〜せっかく異世界に転生したんなら腕っぷしで無双したいと思う女がいてもいいじゃない!〜

不埒スクラッチ

1発目 リタイア


「あ〜、仕事行きたくねえ〜」

 日曜の夜。風呂上がりにこのくらいは吐かせてくれ。ゲップも一緒だけど。

 毎日ほんと頑張ってるわ、私。上司にも同期にも後輩にも優しすぎる。上司のあのハゲ親父なんて顔採用要員以外への態度違い過ぎるんだよ。この前も後輩の可愛い子ちゃんの提出資料の数値が間違ってた時はへらへら「いいよいいよ、間違いは誰にでもあるし〜」とか言って頭ポンポンとかいうクソキモムーブかましてたけど、私がコピーしてる時たまたまプリンターが詰まっちゃったら小さく舌打ちしやがって。私のはヒューマンエラーですらねえからな!? ったく、イライラするとアルコールが進んじゃうのどうにかしたいなあ。水よりずっと高いのにさ。

 あーあ、憂鬱。

 今年で27才。独身。彼氏なんていないし、恋愛経験皆無。可愛くないから当然か。これといった目標もない。それなのに日々ストレスが溜まらない程度に手持ちを浪費してしまうからロクに貯金もない。手詰まり。八方塞がり。出来ない強がり。ヒェ。


 月曜の朝。面倒なスーツに着替えて一丁前のオフィスレディに変身する。ガリガリのオタ女だからタイトスカートですらエロくならない。我ながら鏡の前に立つといつも面白くて薄ら笑いしてしまう。髪だっていいシャンプーとかトリートメントたくさん試してるのに全然トゥルントゥルンにならない。寝る前と朝にはヘアオイルだって付けてんのにさ。

 最近は視力が悪くなってきたようにも思う。デスクワークの弊害が30手前でもう出てきたか。抗えない。このヒョロヒョロとボサボサにメガネ属性まで加わったらいよいよ完成形だぞ、コラ。


 ヒールの音をさせながら青い紐の社員証を胸から下ろす。私は胸もないので社員証がプラプラしたりはしない。くそ。

 無心でパソコン作業に向かう。まずはメールの確認から。そして取引先の資料を確認して、間違いや依頼と異なる内容があったら修正依頼をする。てかその前にそれをメモ。んでもって諸々が終わると逐一上司に添削してもらう。必要なら言われた作業が追加される。本来必要のない電話での口頭伝達とか。時代に逆行しすぎなんだよハゲ。無駄すぎる指示出して“やった感”出すな。

 あれこれしてるとお昼になる。朝から後輩の女の子数人が先輩のおっさん共に絡まれてるのを聞いてばかりで耳が腐った。

「田中ちゃん最近彼氏とはどうなの〜?」「いやあ普通ですよ普通〜」「あ、山本さんそれセクハラになっちゃうんじゃないですか〜?」「お前やめろよっ。別れてないか心配なだけだよ」「ホントですか〜」「てか鈴木ちゃん大きくなった?」「え〜?」「またセクハラの登場だっ!」「身長身長! 何変なこと考えてんの〜?」「あはは」「あはっ」

 吐き気。気持ちの悪いコミュニケーション。あれで仲深めてるつもりなのかね。

「あ、唐沢さん」

 うわ。声かかった。

「唐沢さんももっと女っ気出した方がいいよ〜? ほら、パッドとか詰めてさ!」「課長それも良くないですって〜」「いやいや、唐沢さんはそういうんじゃないでしょ〜」

「あ、はは」

 早歩きした。それが1番。いつもならコーヒー注いで作業を切りの良いところまでやるけど、今日は時間通りご飯にする。あと3分あるけど、そのくらい誤差だろ。

 私は会社から出る。昼休憩で外のお店に行くのは私くらいだ。でもいいんだ。気兼ねなく一人メシ出来るし。何より趣味にも浸れる。

 私の趣味。それは格闘技。小さい頃からバトルものが好きで、幼稚園の頃はよく男の子に混じって遊んだりした。それ以降もそういったものを摂取した。迫力とか、筋肉とか、必死に頑張る様とか、相手をやっつけてスカッとするのが好きだったから。

 中高は完全なるオタクになった。漫画やアニメをたくさん見た。もちろんバトルもの以外もね。格ゲーもやったなあ。

 高校の後期あたりで現実の格闘技にもハマって試合とか演舞とかいろいろ見た。最近はスマホ1つで日本各地や世界のストリートファイトなんかも見れる。カメラ野次馬、バズり乞食達の賜物だ。全然褒めてはないけど。

 野蛮なことをしたいとは特に思わなかったし、今更こんな何も出来ない自分に格闘技の才能があるとも思えなかったし、そもそも出来るとも思わなかった。観戦する側で満足。

 運動神経悪いし、何やっても不恰好になるタイプ。多分奇跡的にサッカーでゴール決めてもダサいフォームの方が有名になるタイプ。いたでしょ? そういう子。

 今日は昨日の深夜、現地での昼にやってた海外の試合を見る。MMA。総合格闘技。体全部を使う、他のメジャーと比べると割りかし制限のない格闘技。

 ラーメン屋に入る。平日の昼間から一人で来るOLなんて私くらいのもの。でも平気。今から私は、丼を前にスマートフォンを横画面にして、ブルートゥースイヤホンで海を超え、ケージの近くに座り、2人の汗だくの漢の死闘を見守るの。現実なんてクソ喰らえ。

 これは推しの試合。

 漆原うるしばら厳三ごんぞう。齢46。禿頭に、繋がった鼻下と顎の髭、筋骨隆々のベテランファイター。フルコンタクト空手と相撲をルーツに、成人してMMAに転向・専念してからはメキメキ頭角を現した選手。まさに万能型のオールマイティといった感じで、打撃も組みも両方いける。その分目立った長所や必殺技が無いから気骨で踏ん張るタイプ。

 世間的な評価はイマイチだけど、PFP、全階級で最強パウンド・フォー・パウンドにも挙げられると私は思ってる。この年で戦ってるだけでも異常なのに、海を越えてるからねこの人。

 会社とは違う、私の好きなハゲ。もちろん別に枯れ専てわけじゃない。

 相手は流石にこっちと比べたら若手だけど、経験充分のパワーファイター。ハイキックが有名なナントカって名前のオラオラ系。タトゥーびっしり。

 身長はあっちが上。体重はゴンゾウが僅かに重い。頑張れ! ゴンゾウ!


 ラーメンを食べ終わってから10分。試合が終わった。結果は残念。ゴンゾウは惜しくもベルトを巻けなかった。あ、タイトル戦じゃあなかったかも。まあもうどうでもいいや。ゴンゾウは最後まで諦めなかった。その勇姿が私のオカズになったよ。


 くだらない仕事を無心になって終わらせた。私の心の中のゴンゾウがマウスの上からそっと手を置いて一緒に動かしてくれた。エクセルもワードもパワーポイントも、ゴンゾウの前では〇〇トフリックスに変わった。

 家に帰る。月曜とはいえ今日コンビニで仕入れた酒は現実逃避の酒ではない。祝杯だ。ゴンゾウへの手向けだ。

 ノートパソコンを開き、電源を入れる。仕事で嫌という程触るものでも、プライベートになると手に吸い付くのだから不思議だ。

 お決まりの動作をこなす。ウィンドウを開き、検索エンジンにいつもの言葉を入力する。辿り着くのは格闘技の掲示板。細々としたところだが、長く入り浸っていて、ここだけならば私は友達がそこそこ多い部類に入ると思う。

『こんばんはー』

 それでも、最初の一言は少しだけ億劫になる。忘れられていないか、嫌われていないか。昨日までの年月が全て夢だったのではないかと不安になる。

『こんばんわ魔王さん』『お、魔王さんおつですー』『魔王姉キタ』

 お、きたきた。

 良かった。また私はこの世を生きれる。大体おかしな話だ。現実の時は夢であって欲しい時でもきまって同じような長さで流れる。だったらこの癒しの空間が夢なんて言われたら私は発狂するどころか、神様の家の玄関口まで行って扉に向かって渾身の鉄槌3発でノックをするだろう。

 ハンドルネーム、魔王マオ。魔王とかいてマオ。ふふ、あまりにも厨二病を発揮しすぎてもはや恥ずかしくもならないレベル。むしろ可愛らしい。当たり前だ。本当に中二で作ってからずっと使っているのだから。

 由来は私の名前。唐沢からさわ眞桜まおから来てる。

『今日の試合みました?』

『みたみた漆原ダメだったね』『マジ? 見てないからネタバレすんなや』『頑張ってたけど決め手に欠けたね』『相手は若いしスタミナあった』『あたしはそこそこ感動したよ』

 皆が口々に言う。私が提供した話題で。

 会社では空気の私が実体を得れる。ゴンゾウ過激派の私のようなファンは居ないが、皆格闘技が好きで話してくれる。それが嬉しい。そこをきっかけに日常の世間話に移行したりもする。それが酒の肴。缶ビールを開ける。

 感動したとコメントしたのは仲の良い女の子、チェリ子ちゃん。

『わかる。チェリ子ちゃん。ゴンゾウ、意図的にあんまりガードしてなくて、カウンターを警戒して組み狙ってる感じだったよね。反射神経で若い人に負けるって分かってたからかな』

 私はリズミカルにタイピングする。

『打撃戦で勝ちは見込めなさそうだったもんね』

 とチェリ子ちゃん。

『魔王さんも皆見たテイで進めんの勘弁してくださいよー』『魔王さんこいつは無視して大丈夫です』『おい』『二人とも喧嘩しないで』『月曜だからイライラしてるんだねー』『呑気ですねベルトコンベラルーシさんは笑』

 ノムラーくん。甘々塩あまあまじおくん。ルッコラ隊長ちゃん。ベルトコンベラルーシさん。皆、和気藹々としてる。文字だけでもそれが分かる。好きなものについて語り合うってなんて楽しいんだろう。

『ホント、皆には感謝してる』

 柄にもなくそんなコメントを打ってしまった。酔いが回っている。

『なんですか急に』『藪から棒に?』『魔王さんシリアスモード』

 うるせ。

 真面目な話題もたまには良い。会社で言葉を発さず、誰からもチヤホヤされない分、ここでは主導権を握りたくもなる。

『ここで楽しく会話してるとさ、会社の疲れが吹っ飛ぶの』

 本心だった。そして誰もの共感を得られると思った。

『わかります』

 最初に返信をくれたのはチェリ子ちゃんだった。やっぱり優しい。実物はさぞ可愛らしい子なんだろうな。

『俺も』『俺もわかるなー。学校クソだもん』『私、ベルトコンベラルーシも社畜頑張ってますぞ』『ルッコラは毎日ルッコラ食べてるんであんまし変わんないかもー』

 楽しい。お酒が目から出てくる。涙なんて流すのいつぶりだろう。ゴンゾウの試合のおかげか、この掲示板のおかげか。この人達と会って話したい。ふと、そう思った。

『あの……良かったらオフ会とかしませんか?』

 そう切り出したのはチェリ子ちゃんだった。私は心が繋がってるのかも、なんてことを思ってしまうくらいにはびっくりした。

『や、やりたいです!』

 即座に反応した。

『お、魔王さんがっつきすぎ笑』『積極的ですね。俺も参加したいかもです』『私もー』『僕も下戸ですけど、それでもよければ』

 気持ちは同じだった。最高だ。今からすぐにでも向かいたい気分だ。

『日程決めますか』

 私は爆速で打ち込んだ。するとチェリ子ちゃんが返信をした。

『実は前からお会いしてみたかったんですー! いい居酒屋知ってるんでそこ行きましょうよ!』

 やけに明るいビックリマーク。居酒屋なんて詳しいのか。チェリ子ちゃんは陽キャなんだろう。

『いいね』『いいですよー』

 私も皆と同様の旨を伝えた。

『当日は割り勘でいいですか?』

 チェリ子ちゃんのコメントに私が答えようとする。

 その時だった。

『男4女2ってなんだかドタキャンの出た合コンみたい笑』

 ん? 私は疑問に思った。

『3、3ですよね??』

 返信が来た。

『え? 誰のこと言ってます?』

 と返信。私は大慌てで文字を打つ。

『私とチェリ子ちゃん、ルッコラ隊長が女子じゃないですか』

 それで。そう続きを書こうと思ったら、ノムラーくんからのコメント。

『え笑 チェリ子さんおっさんすよ笑 何言ってんすか』

 は? 意味が分からない。頭が真っ白になった。

『えーそうなんですかー? 知らなかった笑』

 ルッコラ隊長ちゃんが返信していた。するとチェリ子ちゃん……チェリ子さんがコメントをした。

『あれ? お2人には言ってなかったんでしたっけ? ただの中年童貞ですよ(ちなみに独身だよー)』

『ちょ笑 急なDTやめ笑笑』『マジで一人称あたしなのキモいすからね。普通に』

『これみよがしに言うのやめてよー』

 確かに常に大人数が集まれるわけではない。皆、学生や社会人としての生活がある。話すタイミングが合わなかっただけかもしれない。

 にしても、にしても。ネカマというものに初めてちゃんと引っかかってしまった。唖然とする。数年は一緒の掲示板で話してきた仲だった。中学からのハンドルネームで、やっと棲家を見つけた気がしていた。

 私は男性の下ネタに抵抗がある。嫌悪感を覚えてしまうのだ。この掲示板ではそういった話になることは一度もなかった。だから好き好んで使っていた。

『チェリ子さん、魔王ルッコラ狙ってます?笑』『うわ、まじかよ。そしたらチェリ子って名前変えてくださいね。笑』『ルッコラいっぱい与えてくれるなら考えます』『うわ確定キタコレ。P活じゃん、P栽培じゃん』『意味わかんねえよ』『P飼育ですか?』

 皆が他人に思えてきた。私が遠く離れていく。魔王が孤立する。

 キーボードへゆっくりと手を伸ばす。力が入りづらい。文字が打ちづらい。するとあるコメントが書かれた。

『コラコラやめなさい、破廉恥な。魔王さんもびっくりしているでしょう』

 ベルトコンベラルーシさんだった。少しだけ平静を取り戻した私は懸命に返信を打った。

『ごめんなさい。オフ会は私抜きでお願いします』

 俯く。画面を見るのが怖くなった。再び視界が揺らぐ。この涙の訳は知りたくない。

 薄目でパソコンの画面をチラ見した。

『ま、魔王さん? ごめんなさい。驚かれてる最中にする会話、態度じゃなかったですよね。スミマセン……』

 チェリ子だった。


 コンビニへ走った。アルコールをしこたま購入した。ゴンゾウに怒られないように肝臓には最低限気を遣っていたが、もうどうでもいい。それからはひたすらに呑んだ。酒を浴びる程に体内へ流し込んだ。

 ビールにハイボール、日本酒、焼酎、ワイン、ウイスキー。コンビニで買えるものを予算内でなるだけ多くかった。味なんて関係ない。取り敢えず何かを忘れてリセットしたかった。

 毎日会社に苛立ち、自分の人生にも辟易していた。女としての尊厳もそこそこに、自堕落に生きていた。社会的な責任は果たしつつも、自分の人生に雑で怠惰で、親を悲しませ続けていた。貯金どころか仕送りの1つも送らず、むしろ心配を掛けてばかりだった。

 憩いの場所には嘘があった。そして苦手な空気も充満していた。見えていないだけだった。確認不足の人生。

「なんかさ、ひっく。悪気がなかったってのが、ひっく。1番辛いんだよな……ひっく。誰も悪くないようなことで勝手にショック受けてる自分が1番嫌……」

 目を瞑る。

「うっ! 何、これ……!? ゔっっ」

 頭痛。激しい眩暈。強い吐き気。体中が熱い。止まらない汗。心臓の動きが感じ取られるような。動悸が収まらない。これ、やばい。

「もしかして……これって、急性アルコール中毒……?」

 視界が遠のいていく。やがて私は椅子から転げ落ちた。肘やお尻、頭を打った。でもあんまり痛みは感じなかった。

「…………」

 この日、私は死んだ。



 そして、魔法や魔物の溢れる嘘みたいな異世界へ転生した。


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