第4話:運命の人は過労死寸前?!(4)

その後も、二人は自然と体の関係を持つようになっていった。結局、リリスは高純度の精魂を安定的に供給してもらえるようになったものの、淫紋が覚醒することはなかった。


(……やっぱり、そう簡単にはいかないか。)


しかし、リリスのトラウマは確実に癒されていた。かつて失敗した人間との行為を、タイラーと過ごしたあたたかく心地よい記憶が塗り替えていく。


タイラーとリリスの穏やかで親密な時間が少しずつ積み重なっていくにつれ、リリスの心もまた微かに揺らぎ始めていた。タイラーと出会った頃は、彼との関係を「食事」として淡々とこなしていたはずだったが、いつの間にか彼との時間に温もりを感じ、自分でも知らぬ間に笑顔が増えていることに気がついた。


ある日曜日、日が暮れかけるカフェの窓辺で、タイラーが彼女の手を握りながら真剣な眼差しで口を開いた。


「リリー、今度、僕の会社で働いてみないか?」


その提案に、リリスは少し驚き、目を見開いて彼を見つめた。


「会社?」


タイラーは頬を少し赤らめてから、照れたように微笑んだ。


「うん、僕の会社さ。父親から引き継いだ宝石の商社なんだ。先月秘書が辞めちゃって、今ちょうど人を募集しているところでね。」


彼はリリスの手をぎゅっと握り、いつもの無邪気な笑顔とは少し違う、どこか切実な眼差しで続けた。


「それに……君と片時も離れたくないんだ。」


タイラーの言葉はリリスの胸に小さな波紋を起こした。彼の手の温もりが伝わるたびに、彼の真剣さが不思議と心に響き、揺れる。だが、その波紋を気取られないよう、リリスは軽く笑って肩をすくめて見せた。


「そっか。まあ、いい社会勉強になるかもね。」


半ば冗談めかして返したものの、リリスの胸の中には彼の真摯な気持ちが確かに届いていた。それでも、彼女は自分の気持ちを探るように(ま、人間界での新しい仕事も悪くないかな……。)と心の中で呟き、その仕事を受けることに決めたのだった。


——————————


数日後、リリスはタイラーの会社に初めて足を踏み入れた。磨き上げられた大理石の床に、きらめくクリスタルのシャンデリアが反射し、部屋全体が優雅な光に包まれている。いたるところに並べられた美しい宝石の展示ケースが豪奢で、その静けさにリリスは少しだけ緊張していた。


「リリー、ようこそ僕の会社へ!」


タイラーが嬉しそうに迎えてくれる中、リリスの視線はオフィスの隅に立つひとりの男に引き寄せられた。以前、クラブでタイラーと一緒にいた冷たい雰囲気の男だった。その男が鋭い目つきでこちらを見ている。


男はリリスをじっと見つめ、眉をひそめながら口を開いた。


「おや、君が新しい秘書か?」


その皮肉混じりの言い方に、リリスは無意識に拳を握りしめ、少しだけムッとしたが、なんとか笑顔を作って応えた。


「はい、リリス・ブラックウッドです。よろしくお願いします。」


リリスが丁寧に頭を下げてお辞儀をすると、タイラーは誇らしげに彼を紹介した。


「彼はエリオット。オレの優秀な右腕で、副社長だよ。うちの会社は彼が取り仕切ってくれてると言っても過言じゃない。」


エリオットはタイラーを横目に軽く肩をすくめた。


「自慢の大親友さ!」


タイラーの無邪気な紹介にエリオットは深いため息をつくが、特に否定もせずにリリスを見つめ続けた。その鋭い視線が、どこか刺さるような冷たさを感じさせる。彼とのやり取りの中で、リリスの胸には初日からかすかな不安が影を落とし始めていた。


——————————


リリスが業務を始めてから数日が経った。秘書としての仕事はなかなか難しく、特にエリオットとの連携には骨が折れる。エリオットは、リリスにわずかなミスがあるとすぐに気づき、容赦のない口調で彼女を責めた。


「リリス、こんな簡単な資料もろくにまとめられないのか。君には少し難しかったか?」


「すみません。すぐに修正します。」


「もういい。下がれ。」


彼の言葉は鋭く、まるで冷たい針のようにリリスの胸に突き刺さる。リリスは内心で「意地悪な男ね。」と呟きつつも、笑顔を崩さず、なんとか仕事をこなしていた。だが、エリオットが容赦なく浴びせる皮肉の数々に、少しずつ不満が募っていく。


ある日の夜、エリオットのオフィスのドアをノックし、声がかかるのを待って中に入る。奥のデスクにはエリオットが座っており、疲れ切った表情で眉間にしわを寄せていた。目の下にはくっきりと影が落ち、神経質に指先で資料をめくりながら、やつれた横顔を見せている。リリスは一瞬、彼に声をかけるのをためらったが、思い直して口を開いた。


「資料の作成が終わりました。」


彼女が資料を差し出すと、エリオットは顔を上げ、冷たい視線を向けた。


「遅い。」


一言、突き放すようにそう告げた彼は、すぐさままた目を資料に戻し、「そこに置いておいてくれ。」と無愛想にデスクの隅を指差した。


その物言いにリリスは内心むっとしたが、疲労に支配された彼の表情を見ていると、素直に腹を立てられない自分がいた。彼がそこまで忙しくしていることを少しだけ不憫に感じ、リリスは思わず彼に問いかけていた。


「あの、なにか手伝えることはないですか?」


エリオットの顔にわずかに驚きの色が浮かぶが、彼はすぐさま冷たい表情に戻る。そして呆れたように肩をすくめ、「お前に何ができるんだ。」と辛辣な声で言い放った。


リリスは彼の冷酷な言葉に胸がチクリと痛むのを感じたが、すぐに顔を強張らせ、心の中で悪態をつく。


(人が親切で言ってやってるのに!)


しかし、ここで怒って見せるのも癪だ。リリスは表情を整え、声を抑えつつ言った。


「失礼しました。」


そう言って彼に背を向け、ドアの方へと歩き出す。エリオットの言葉を気にしない振りをしながらも、その冷たい態度が胸に引っかかり、表面上の平静を装うのに必死だった。彼女がドアに手をかけて開けようとしたその瞬間、背後から誰かが近づく気配を感じた。


リリスがオフィスのドアに手をかけたその時、目の前で「カチリ」と軽く響く音がした。驚いて振り返ろうとしたが、背後から強い力で肩を掴まれ、そのままドアに押し付けられて身動きが取れなくなった。ドアを開けるどころか、振り返る隙さえ与えられないまま、リリスはその場に固まる。


「……エリオットさん?」


問いかける声は、自分でも驚くほど弱弱しく震えていた。後ろから冷たい空気を纏った声が、低く耳元で囁かれる。


「あいつと寝たのか?」


エリオットの低い声は、どこか苛立ちと侮蔑が入り混じっているようで、リリスの背筋に冷たいものが走った。その声が、あまりに静かで冷酷に響く。


「その見返りに、仕事をもらったんだろう。」


リリスは息を呑んだ。まさかこんな言葉を浴びせられるとは思ってもみなかった。彼の言葉がまるで刃物のように心に刺さり、怒りと傷つきが胸に押し寄せてくる。だが、それ以上に、彼の疑念と苦々しい態度の裏に、何か別の感情が潜んでいるのではないかという考えが脳裏をよぎる。


彼がなぜこんなに苛立っているのか、どうしてここまで冷たい態度を取るのか。リリスは振り返ることもできないまま、静かに言葉を紡いだ。


「……どうしてそんなこと、聞くんですか?」


彼の指が、かすかにリリスの肩を強く掴む。答える気配はなく、ただ彼の呼吸だけが近くで感じられる。その沈黙がかえって重く、リリスは自分でもわからない戸惑いと緊張に包まれていった。


リリスの体はエリオットの腕に押さえつけられ、彼の冷ややかな言葉が背中越しに突き刺さる。


「それとも、あいつの金に目がくらんだのか?……卑しい女め。」


エリオットの声は低く、まるで彼女を見下すかのようだった。冷たい皮肉が滲むその一言に、リリスの心の中で何かが軋むように感じた。自分が何も知らないとでも思っているのか、そんな暗黙の侮蔑が彼の言葉に込められているようで、胸の奥がじわりと痛んだ。


彼女は苦笑しながら口を開いた。


「……そういう風にしか、あたしのことを見れないんですね。」


彼女の冷静さが意外だったのか、エリオットの手が一瞬だけ緩んだ。しかし、次の瞬間にはさらに強く彼女の肩を掴み、苦々しそうに吐き捨てるように言った。


「何も違わないだろう。よかったな、あいつに気に入られて。」


その一言に、リリスの怒りが静かに湧き上がってくる。自分が彼にどう見られているのか、その冷たい態度がついに限界を超え、彼女は小さくため息をついて振り返ろうとした。


「あなたが、私のことをどう思っていようと構いません。でも、何をそんなに怒ってるんですか?」


身をよじって何とか振り返ると、エリオットの表情が予想以上に険しいことに気がついた。彼の目には何か計り知れない複雑な感情が渦巻いていて、どこか苛立ちと侮蔑が絡み合っているようにも見えた。


◇・◇・◇・◇・◇・◇・

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