第二章

 超特大のらいを踏み付けた夜から一週間がった。おれはあの夜、人生そうだんという名目で、妹と数年分以上の会話をかわしたが、それで俺たちの冷めた関係が変わったかというと、そんなわけもない。

 相変わらず俺たちは、あれから一言も口を利いちゃいないのだ。

 ま、世の中そんなもんよ。そうそう変わりゃしねえって。

 できるはんで協力してやる──そう口にしたはいいが、いまのところ、妹から何らかの協力を要請されたことはない。そもそも俺があいつにしてやれることなんざ、何一つないのかもしれん。率先して何かしてやろうというがいもないし、俺が抱いていた疑問も、きよういつしよに軒並み氷解した。だから、これでいいのだろう。

 妹の妙ちきりんなしゆなんざさっさと忘れて。いままでどおりにやっていきゃあいい。

 いきゃあいい……はず、なんだけどなぁ。

 もやもやしたおもいにとらわれていると、授業終了を告げるかねが鳴り、教室がざわめき始める。

「あ~あ、なんだかな」

 俺は着席したままのびをして、退屈な授業でり固まった筋をほぐす。

 と、さっそく近付いてきた眼鏡めがねおさなみが、俺の席のすぐ前に立った。

 くいっとかがみ込むようにして、俺の顔をのぞき込んでくる。

「なんだか最近、ずーっとだるそうだね──きょうちゃん? お疲れ気味かな?」

「俺がダルそーにしてるのは、いつものことだろう」

 首をこきこき鳴らしながら、俺はちよう気味に答えた。だらしなくに浅く腰掛け、両目をとろんと半開きにした、だれがどう見ても『ダルそうな高校生』という格好でだ。

 眼鏡の幼馴染みは、ふんわりと笑った。

「あはは、たしかに。でもね、きょうちゃん、わたしは『いつもと比べて』だるそうだね、って、言ったんだよ?」

「ふぅん……おまえが言うならそうなんだろうよ」

「投げやりだなあ」

「それこそいつものこった──帰るか」

「うんっ」

 俺はかばんを持って立ち上がり、眼鏡の幼馴染みを伴って廊下に出た。

 むら。俺との関係は一言でいえば、幼馴染みのくさえん。最近では、個人的に家庭教師のごとなどもしてもらっている。

 眼鏡をかけているだけあって、こいつはなかなかゆうとうせいなのだ。

 外見的には普通。わりとかわいい顔つきをしてはいるのだが、いかんせん地味であかけない。

 眼鏡を外したら超美人──ということも残念ながらない。

 眼鏡を外したこいつは、やっぱり地味で普通なツラであった。

 せいせきは上の下。部活動には所属しておらず、しゆは料理ともの。人当たりがよく友達は多いが、ほうに遊ぶような親しい友達となると、ぐぐっと減ってほとんどいない。

 ザ・わきやくというか、なんというか、『普通』『平凡』『ぼんよう』という称号がこれ以上しっくりくるやつもそうはいないだろう。きりの対極に存在するような女である。

 それは外見に限らない。

「どうしたの? わたしの顔なんか、じろじろ見て」

「別に? なんでもねえよ。おまえってとことん普通だな、と思ってさ」

「そお? 照れちゃうな、あはは……」

「別にめてねえよ」

 訂正、普通よりもちょっぴり天然入ってるかもしれない。

「でも、普通っていいことだよね」

 などと言う天然地味眼鏡めがねに、おれは「まあな」と答えた。

 凡庸ばんざい。ビバ、普通の人生だ。

 そういう主義の俺であるから、普通を絵にいたようなとのくさえんは、とても心地ごこちのいいものだった。こいつのとなりにいると、安心できる──そんなところも妹とは逆だよな。

 俺たちは、並んで廊下を歩いていく。

「それで、どうかしたの?」

「あ? なにが?」

「だからぁ、きょうちゃんが、最近だるそ~にしてる理由。よかったら教えて欲しいな」

「ああ……俺がダルそーにしてる理由、な」

 俺の異常には、自分よりもコイツの方がよく気付く。自覚はなかったが、こいつがそういうのなら、俺は最近、気怠い毎日を送っているのだろう。となるとやはり、その理由になりそうなのは一つっきゃない。

「おまえにゃカンケーねえよ。気にすんな」

 俺はすげなく言って、学生かばんを肩にさげる。が、麻奈実はそれで納得するような女ではない。

 唇を小さくすぼめ、うらめしそうに見上げてくる。

「関係あるよう、すっごく」

「は? なんでよ?」

「あ、そゆこと言う……? じゃあ、わたしが落ち込んでたら、きょうちゃんは『カンケーねー』って見て見ぬふりするの?」

 んー? とふんわり目を細めて微笑ほほえみを浮かべる。くそ、きような言い方しやがって。

 俺はしかめっつらで「おせっかいなやつ」とつぶやいた。麻奈実は「えへぇ~」と口元をゆるゆるにして笑う。なんでうれしそうなんだ。俺はあきがおでため息をつく。

「おまえって……ほんっと、俺のお袋よりも俺のお袋みたいなやつな」

「えっ……大好きって意味?」

「おばさんくさいって意味」

「……えぇ~」

 ずーん。おれの言葉を受けたは、両手で持っているかばんの重量がいきなり数十倍に増えたみたいに、しょんぼりして立ち止まってしまう。

 一歩先を行った俺が振り返ると、涙目になっていた。

「ひーどーいー……」

 なるほど、実は結構気にしていたっぽいな。それなりに罪悪感も出てきたので、俺は麻奈実がした最初の質問に、できるはんで答えてやることにした。詳しくは言えないと前置きした上で妹の名前を口に出すと、麻奈実は意外そうに首をかしげた。

「妹さん?」

 俺は正面を向いたまま「ああ」とうなずく。

「妹さんが……どうかしたの?」

「ん……まあなんだ、人生……そうだんを受けたのかね? あれは」

 俺が言葉をにごしながら言うと、麻奈実は目をぱちくりとしばたたかせた。

「きょうちゃんに? 人生相談?」

「……んだよその意外そうなツラは?」

 人選誤ってない? みたいな目をすんじゃねえ。俺のジト目に気付いた麻奈実は、あわてふためいたようで両手をぶんぶん振った。

「えっ、わたし、そんな、『ぼうなことを』だなんて思ってないよっ?」

「おまえって、ほんっとウソがな?」

 俺はにこやかに眼鏡めがねを奪い取る。たわむれにかけてみると、世界がぐにゃりとゆがんで見えた。

「め、めがね返してよーっ」

 めがね、めがねっ……と漫画みたいにり返すを、ひとくさりいじってから、俺はとうとつに話を戻す。

そうだんっつっても、成り行きで話を聞かされただけだよ」

「わ、わ」

 俺が返してやった眼鏡を、必死になってかけなおす麻奈実。

 俺がさっさと先を歩いていると、麻奈実は小走りで追い付いてきた。となりに並んだのをかくにんしてから、俺は話題を続行する。

「……本人は悩んでるみたいだけどな。俺にはどうしようもねえし、ほっとくしかねえよ」

「ふ、ふぅん……」

 会話がえ、しばし静かに廊下を歩いていく俺たち。

 その間、唇に人差し指をあて、せんを上の方にやっていた麻奈実だったが……

 突然、「えへー」とゆるゆるなみを浮かべた。

やさしいね、きょうちゃんは」

「……どうしてそうなるんだよ。ユル顔近づけんな眼鏡めがね

 じやけんに言って、おれはそっぽを向いた。われながら照れ隠しがバレバレでガキくさいと思う。

「どうにもできなさそうで──でも、なんとかしてあげたいんでしょ」

「はっ」

 んなわけあるか。俺は肩を揺らして声を漏らす。だが、は『きょうちゃんの気持ちはお見通しだよ』とばかりのわけ知り顔で微笑ほほえんでいる。

 くっ、気にいらん。これだからおさなみってやつは……。

 俺が返事をしなかったので、そこでいつたん、会話が止まる。

 俺たちはばこで靴をき替え、校舎を出た。ここから家までは一キロほどのみちのりだ。

 麻奈実とは近所なので、俺んの前までいつしよである。

 校門を出たところで、麻奈実が話しかけてきた。

「ところで勉強は進んでる?」

「全然だな」

「即答できるくらい全然ってこと? もう。じゃあ、今日きようも一緒に勉強しよっか?」

「そうしてくれると助かる。どうにも一人ひとりだと、やる気にならなくてな──」

「漫画とか読んじゃうんでしょう」

「……せんがんかよ、おまえは」

 本当にお見通しらしかった。にこにこと笑ってやがる……。

 じゆけん勉強。高校二年生にとっての『普通』の話題。

 ちなみに俺が目指しているのは、麻奈実と同じ地元の大学である。

 少々しいと思われるかもしれないが、俺が進路を決定した理由は、こいつと同じ大学に行きたかったからだ。別にれているから──とかではなくて、この心地ここちいいくさえんを、なるべく長く続けていたかったから。それにミス・凡人たる麻奈実のとなりにいれば、自然と俺の目指す『普通』の人生を歩むことができるんじゃねえか──そう考えたのだ。

 が人生のガイドライン・麻奈実は言う。

「ん、分かった。じゃあ、わたしの家で待ち合わせして、しよかん行こっか。……あ、そうそう、新味のもなかがあるんだ。せっかくだから、食べていかない?」

「お、おお、いいのか? 悪いな」

 麻奈実の家はをやっているので、よく菓子を俺にわせてくれる。

 毎度毎度、年寄りしゆだと幼馴染みをからかう俺であるが、こいつん家の菓子ばかりは悪くないと思う。らくがんやらまんじゆうやら、ガキのころから喰わされてるせいかもな。

 お袋の味ならぬ、幼馴染みの味ってところか。

「いいよ。妹さんの人生そうだんじゃあ、わたしは力になってあげられそうにないし。だからそのぶん、きょうちゃんにやさしくしてあげる」

「……このおひとしめ」

 おれの皮肉に、は「えへへ」とはにかんだ。幸せそうな顔でうつむき、両手で持ったかばんをスカートの前で、ぱたん、ぱたん、とやっている。これはおさなみ同士でのみ通じるサインであり、子犬がシッポを振っているぐさと同じである。もっとめて、褒めて、という意味だ。

「おまえは、いいおばあちゃんになるよ。おまえの孫になる子供は、幸せだな」

「……あ、あのさー……その褒め言葉って、『おまえはいい奥さんになるよ。おまえの夫になる男は幸せだな』とか言うもんじゃない?」

「いや、お婆ちゃんで正しいね。ならおまえと話していると、俺はいつも、死んだ婆ちゃんとえんがわで茶を飲んでいるような気分になるからだ」

「……褒めてないよね? それ、全然褒めてないよね? ……ふんっ、どうせ色気がないですよーだ。もうっ、きょうちゃんだって、わきやくみたいな顔してるくせにーっ」

「おまえにだけは言われたくねえよ!?」

 まさかお互いにそんなことを思っていたとは……。わりと似たもの同士なのかもしれん。

 そんな会話をかわしているうちに、のそばまできてしまった。

 目の前のていを左に曲がれば、俺の家。

 が、そこでタイミングよく──あるいは悪く──下校中のきりそうぐうした。

「げ」

 俺はとつに(ていで言うと一番下部分あたりで)足を止めた。

 丁字路の右手から、制服姿のティーン誌モデル様が歩いていくる。同じ学校の女生徒たちといつしよのようだ。妹とおしやべりしている女どもは、どいつもこいつも器量よしばかり。タイプは違うが、それぞれズバ抜けたはながある。

 ほら、ローティーンばっかを集めた有名なアイドルグループがあるだろ? あいつらが、セーラー服着込んで、きゃらきゃらさわぎながら歩いてくると思いねえ。

「………………」

 俺たちは立ち止まったままちんもくした。

 わきやく二人ふたりの前を、きらびやかなオーラを振りまいて、女子中学生たちが通り過ぎる。

「はぁ~……」

 そんなしいイマドキの若者たちを、麻奈実はせんぼうまなしで見送っていた。

「いまの、すっごくかわいいたちだったね──いいなー、若いって」

「婆さんや、自分が女子高生だってことを思い出しなさい。もの忘れはげしいよ?」

 もはやフォローしきれないレベルで言動がババア。どうにもならんな、こいつ。

「分かってますよう、おじいさん。でも、わたしが中学生のときだって、あんなにあかけてなかったでしょう。中学生っていったらまだまだ子供なのにね……わたしよりずっと大人おとなっぽいんだもん。うらやましいなあ……わたしも、もうちょっとがんろっかなー」

「……いいよ別に……おまえはそのまんまで」

 おまえまできりみてーになったら、おれの安息の地はどこにもなくなっちまうだろうが。

 俺は、あかけたイマドキの女の子なんぞより、地味で普通なおさなみのとなりにいたいよ。

 ふん。俺もも、とは、しょせん別世界の人間なんだよな。

 分かってるさ、ちくしょうめ。


 それからさらに数日後。俺は、しばらくぶりに妹と言葉をかわすことになった。

 にちよう。俺は午前中から麻奈実といつしよしよかんに出かけていた。で、夕方、麻奈実を家まで送っていったあと、帰宅した俺を、玄関で桐乃が待ちかまえていたのである。

 かべにもたれて腕を組んでやがる。険悪な流し目が胸に刺さる。

 ……えーと、なんかこいつに悪いことしたかな、俺?

「……ちょっと来て」

「な、なんで?」

 内心ビビりながら問うと、桐乃は俺を流し見たまま、

「人生そうだん。続き」

 単語ブツ切りでつぶやく。言いたいことは分かったが、なんでそんなにけんかんしなんだよ。

 これから人にモノをそうだんしようって態度かそれが?

「続きっておまえ──」

「……いいから、早く来てよ」

 と、桐乃は俺がろくに靴も脱いじゃいないうちから、そでを引っ張ってくる。間違っても手を直接握ってきたりはしないところが、こいつのむかつくところである。

「ったく、相っ変わらずもんどうようだな……」

 人の好い俺は、桐乃のけんまくにあらがえず、へっぴり腰で階段を上っていく。

 そうして連れ込まれたのは、妹のであった。

 相変わらず甘ったるいにおいのする部屋だな……。ちなみに麻奈実の部屋は、いつ行ってもせんこうのにおいしかしない。おばあちゃんのにおいな。……まあ人それぞれなんだろう。

 先んじて部屋に入った桐乃は、パソコンデスクのを引き、くいくいっと人差し指で俺を招いた。なんだこいつ、どういうつもりだ? 人生相談じゃなかったのか?

 妹のおもわくが読めず、困惑する俺。

「ここ、座って」

「あ、ああ」

 俺は素直に、妹の指示に従った。桐乃は、椅子に座った俺のすぐわきに控え、デスクに片手をついて体重をかけている。

 きりがパソコンの電源を入れると、ウィンドウズの起動画面がおれひとみに映る。やがて画面が切り替わり、デスクトップが現われる。

 たくさんのネコ耳少女たちが、お茶の間でくつろいでいるかべがみだ。

 そんなかわいいデスクトップのすみっこには、デフォルメされた猫が、ごみ箱からちょこんと顔を出しているアイコン。左上隅にはカレンダー。上部には横長のネコ耳型ウィンドウが開いていて、メッセンジャー、ブラウザ等のアイコンがせいぜんと並んでいる。

「……ずいぶんとってるな」

「まあね。スキンを変えて、かわいいランチャー使ってドレスアップしてあるんだ。基本でしょ、こんなの」

 得意げにみを漏らす桐乃。

 皮膚スキン発射装置ランチヤーでドレスアップ……? ……なんのこっちゃ。どうしてこいつは専門用語ばっか使うかね。いまひとつ意味が分からんが、とにかく自分好みにカスタマイズしてるってことらしい。

 ……つーかこういうのを見せびらかしたがるのは、オタクも女子中学生も変わらんな。

「そんで? 俺にこれを見せて、どうしようってんだ?」

「あっきれた。……まだ分かんないの?」

 分かるかよ。桐乃は、俺のすぐとなりから、べつひとみを向けてくる。パソコンのマウスをかかげて言った。

「……ゲームよ、ゲーム。これからいつしよにプレイするの」

「はあ? ゲームって……俺とおまえが? 二人ふたりで?」

「……そ、そう」

 せんを合わせずに答える桐乃。微妙にづらそうにしているのは、こいつも自分がめちゃくちゃ言っているのをそれなりに自覚しているからだろう。

 さっぱり分からん。どうして俺が、別に仲いいわけでもねえ妹と二人で、並んでゲームをせにゃならんのだ。対戦にしろ何にしろ、気まずいだけだろうによ。

 げんそうな俺に気付いたのか、桐乃はつくろうように言う。

「自分で言ったんじゃん。できるはんで協力するとか、なんとか……」

「いや、親にバレねえよう協力するっつったんだぞ? 俺は。だいたい人生そうだんって話だったじゃねえか、どうしていきなりゲームやることになってんだよ」

「ひ、必要なことなの! いいから、はいコレ持って──」

「お、おい……」

 俺にマウスを握らせる桐乃。普段ふだんなら触れるのもいやがるはずなのに、俺の手の甲に自分のてのひらかぶせるようにしてマウスをあやつる。すみっこのアイコンをダブルクリック。

 いきなりテンション高くなってきたなコイツ……。

 普段ふだんのクールぶった態度はどこへやら。どっちかっつーと、たぶんこっちが本性なんだとは思う。やったらイキイキしてるもんな。なんか最近分かってきたけど、普段は周りに合わせてねこかぶってやがるんだ、こいつ。

 冷めていて、投げやりで、斜に構えて……妙に反抗的で。

 流行の服着て、流行の調ちようしやべって、友達とつるんでカラオケやら、なにやら……

 それがイマドキの中学生が考える『イケてるあたし(死語か?)』像なのかもな。

 その生き方が良いとか悪いとか、おれごときがどうこう言えるもんじゃねえとは思う。

 でもさあ桐乃……おまえ、そういうのより、友達とゲームやったりしたいんじゃねーの?

「……なに見てんの? なんかむかつくんですけど」

「別に?」

 やれやれ……。しょうがねえな、ちっとくらい付き合ってやっか──。

 俺は内心で兄貴風を吹かせ、ゲーム画面に切り替わったディスプレイを見た。

 ぴっろりん。にぎやかなタイトル画面が、少女のロリボイスといつしよに俺を出迎える。


『いもーとめーかぁいーえっくす♪ ぼりゅーむふぉーっ!

 ──おかえりなさい、おにーちゃんっ。妹とぉ……恋しよっ♪』


おれに何やらせるつもりだてめえ──!?」

 キレていい。いま、俺は絶対キレていい。そもそもリビングのテレビじゃなくて、きりのパソコンでやるっつー時点で気付こうよ俺!? このクソアマ、どこの世界に妹といつしよに、妹をゲームをやる兄がいるんだっつうの!? 変態か俺は! ああん!?

『わかってるとおもうけどぉ──おにーちゃん? このゲームにとうじょうするいもーとは、みぃんな18さいいじょうなんだからねっ』

 うるせえ、おまえもちょっとだまってろ。

 俺はズキズキ痛むこめかみを押さえながら、桐乃に向き直った。

「お、おまえな……」

「なにいきなりってんの? びっくりするじゃん──ちょっと、顔近づけないでよ」

 詰め寄った俺に、言葉の毒ナイフをぐさぐさとうてきしてくる桐乃。さすがに何か言ってやろうと思ったのだが、その直前、妹の顔がみるみるくもっていったので踏みとどまる。

「……おい、どうした?」

「……やっぱ、バカにしてんじゃん」

「は? 何が?」

「結局……口だけなんでしょ? やってもないうちからへんけん持って……口ではれいごと言っちゃってさ……あたしのことも、心ん中では変な子だって思ってたんでしょ……」

 いまいましげににらみ付けてくる桐乃。

「あ、あのなあ……そうじゃなくて……っ」

 俺はマウス片手に頭をくしゃくしゃかきむしった。

「バカにするとかじゃなくて! おまえの前でコレをやるのが気まずいんだっての! 分かれよ! お茶の間でドラマ見てる最中、キスシーンになるどころのさわぎじゃねえだろコレ!?」

「……なにそれ? なに言ってるか、ぜんぜん分かんないんだケド」

 まさか……本気で分かってないのか? つうか、俺が変なこと言ってるのか?

 いや、だってさあ。俺はディスプレイを指差して言う。

「俺もぜんぜん詳しくないが、恐らくコレは、仮想の妹と仲良くして、どうのこうのっつーゲームだろ? そんでもって男向きの18禁ゲームだろ? ってことはだ、当然のけつろんとしてストーリーのきようではそういうシーンがあると思うんだが……」

 そこまで言ったところで、桐乃が、怒った顔のままびくっと反応した。

「おまえ、俺と一緒にそういうシーン見てて、何とも思わねえの?」

「あっ……」

 口を大きく開けた桐乃の顔は、『言われていま気付いた』とばかりにになっていた。

「あ、あたしは、そういうの……しきしてやってなかったしっ……わけわかんないこと言わないでよねっ。その言い方だと、まるであたしが変みたいじゃない」

「むう……」

 なるほど、問題点が見えてきたぜ。たぶんこいつ、『18禁』『そういうシーンがあるから』、こういうゲームをやってるわけじゃねーんだ。こいつが言う『妹が好き』ってのに、エッチなことしたいって意味は含まれてない。まあ、女だから当たり前なんだろうけど……。

 とにかく、んなもんだから……

 おれは手の甲でひたいをぬぐう。

「ふ──、分かったきり。おおむね状況は理解した。話し合おう、な? いいか……あのな」

『画面を、やさしぃく、くりっくしてねっ♡』

「だからうるせえっての!? いいタイミングで話のコシを折るんじゃねえ!」

 ディスプレイに突っ込み入れちゃったよ……どんだけ混乱してるんだ俺は。

 いかん、落ち着かねば……

「……ちょっとぉ、しおりちゃんをいじめないでよ」

「おまえも現世に戻ってこい。それは絵だ」

「絵って言うな!」

 しまった、不用意な発言だったか……。なんつー顔でるんだよおまえ。

 あーもう、ったく、なんだかな……。どうすりゃいいんだ。だれか教えてくれ。もう俺の手にはおえねえっての。

 俺はへいした精神を振り絞って、妹の説得を試みた。

「悪かった。よく知りもしねーで適当なこと言ったな、俺。別に、おまえのやってることを否定したり、バカにしたりするつもりはこれっぽっちもねーんだよ。それだけはちかって本当だ。信じてくれ」

「…………」

 唇をとがらせて、涙目で見つめてくる桐乃。

「でもな、その、いきなりこのゲームはハードル高いと思うんだ。ホラ、俺、まだ十七歳だしさ。バカにするつもりは全然ないけど、無理なんだって。……いや、分かるよ? たぶんメチャクチャおもしれえんだろ、コレ? で、おすすめしてくれてんだよな? 分かる、それは十分分かるんだ。──その上であえて言うけど、かんべんしてくれ。百歩ゆずって、一人ひとりでやるならまだしも、妹のとなりで18禁ゲームをやるクソ度胸はあいにくねえんだよ」

「………………いくじなし」

 そんなべつの言葉を、妹から投げかけられる俺。

 えろ……堪えるんだきようすけ……! ここでキレたらまた話がこじれるぞ……!

「はぁ」

 盛大にため息をつかれた。ため息つきたいのは俺の方だ。

 さらにきりは、しれっと言う。

「じゃ、宿題ね?」

「しゅ、宿題だあ?」

「そう。ようするに、あたしのとなりじゃ、コレ、やりたくないんでしょ? だから、宿題。あとでノートパソコンといつしよに貸してあげるから、来週までにコンプリートしておくこと」

「…………」

 これ、断ったらまた、バカにしたとかなんとか言うんだろうな……。

 おれほおをひきつらせながらも、結局、妹のおうぼうあらがうことはできなかった。

「……わーったよ、やりゃあいいんだろ? やりゃあ……」

「そーゆうコト」

 桐乃は得意げにマウスをそう。ゲームのアプリケーションを終了させると、タイトル画面にいた女の子(二頭身デフォルメサイズ)が再び現われ、ぺこりとおをした。ぶんぶん元気よく手を振って、プレイヤーとの別れを惜しんでくれる。

『──おにーいちゃんっ♡ ぜぇ~ったい、またあそんでネ? ばいばーい♪』

「へーいへい。ばいばーい……」

 おまえは偉いよ。

 俺の妹なんか、そんなふうに呼んでくれたこと、一度たりともないもん。


 翌日の夕方、俺が冷たい飲み物を求めてリビングに入ると、桐乃とそうぐうした。

 ヤツは、例のごとくくそ短いスカートの制服姿。ソファーで女王然と脚を組み、ティーン誌を眺めている。……相っ変わらず、『下郎め、寄るでない』みたいなオーラをびりびり放出していやがるなこいつ。

 まさしく姫。妹とはいえ、俺のような一般人は、話しかけることもままならないのである。

 だからなんだっつーわけでもない。最近ちっとばかし話すかいがあったとはいえ、俺たちのきよが近付いたなんて、間違ってもねーんだなとさいかくにんしただけだ。

「…………」

 俺は桐乃を遠目に眺めながら、グラスに注いだ麦茶を飲み干す。ふぅ、とひと心地ごこちついてから、リビングを出て行こうとする。と、ドアノブに手をかけたところで声がかかった。

「──ねぇ」

「……な、なんすか?」

 ぎぎぎ、び付いたロボットみたいに、ぎこちなく振り向く俺。

 桐乃は雑誌に目を落としたまま、短く問うてくる。

「やった?」

「…………えーと。…………なんのことっすかね?」

 質問の意図が分からないことをアピールすると、きりは読んでいた雑誌をバフッとそのへんに放り、売れっ子芸能人が下っ端ADを見るせんで、おれに向かってこうつぶやいた。

「やってないんだ?」

「……え~~と……ね?」

 な、なんで分かったんすか?

 うおお……ええ。桐乃さん、マジ恐ええって。かんべんしてよもう……。

 ひるむ俺に、桐乃はさらにたんたんとプレッシャーをかけてくる。

「なんで? 宿題だって言ったよね、あたし? どうしてまだやってないの?」

 なんで? なんで俺は、借りたエロゲーをやってないという理由で、妹に説教らってるの?

 俺の人生、いったいどうなっているの? ……つうかね! ぶっちゃけ、やるわきゃねーだろっちゅー話ですよ! なにがかなしゅうてリアル妹がいる身分で、18禁の妹ゲーをやらなきゃならんのよ! いやマジでね、心理的な抵抗がハンパじゃねーんだってば。

 だれか分かってくれっかなあ──?

「いやだって……な? ホラ、俺、初心者だし? 説明書見ても、やり方がよく分かんなくってさぁ」

 俺は半ば涙目になりながらも、苦しいわけをするのであった。

 すると桐乃は半ギレのままで、「それならそうと、さっさと言いなさいよ」と言い捨てた。

 たいうらひようへんする芸能人みてえだ。

「はぁ……じゃあたしがじよばんだけ、説明してあげるから。──来て」

 俺は妹にそでつかまれ、られていく。リビングを出て、階段を上っていく途中、なんとか口を挟んで抵抗を試みる。

「だ、だから……おまえのとなりじゃやりたくないっつっただろ、昨日きのう

「あーはいはい。ったく、わがままばっか言うんだから……とにかく来て」

 クソ、なんで俺がこんなこと言われなくちゃいけねーんだ? それは俺の台詞せりふじゃね?

 階段を上り切り、例のごとく妹の部屋に連れ込まれる。

 桐乃はパソコンをスタンバイから復帰させるや、こう言った。

「……仕方ないから、ぜんねんれいばん出してあげる」

「んなもんがあるなら最初から出せや!?」

「──全然分かってない。全年齢版と18禁版では同じタイトルでも、違うものなの」

 この会話にちゃんと付き合ってあげる俺って偉いよな? だれめてくれよ。

「はあ……でも全年齢版ってことはさ……単にエロいシーンカットしただけのモンじゃねえの?」

「そんなこと言ったら文章書いてる人にも、ファンにも失礼。二度と言わないで。……あたしは大抵18禁版でやったゲームがコンシューマとかで全年齢版になってリメイクされると、一応そっちもやってみるんだけどさ。よく『なーんか違うなー』って思うんだよねー。なんて言うの? どっか物足りないっていうか……あたしは素人しろうとだからよく分かんないけど、18禁だからこそできることって、あると思うんだ」

「ふーん」

 サッパリ分からん。

「ヒロイン一人ひとり追加して、フルボイスにすりゃいーってもんじゃないのよ」

 んなこと、おれに言われても困るよ。

いろいろしやべったけど、つまりあたしが言いたいのはね? ぜんねんれいばんもいいけど、なるべくなら原作をやって欲しいってこと。だから原作の方を、宿題だって渡したの」

「……じゃあなんで、いま全年齢版とやらを用意してんの、おまえ?」

「だーかーらー。自分がやり方分かんないって言ったんじゃん。ありがたく思いなさいよね、ちゃんとあたしが教えてあげるから」

 ありがたくねえ──。

 ちくしょう……。やっぱり、やんなくちゃならねーのかよ……コレ。

 俺はマウスを構え、ゲーム画面に切り替わったディスプレイと向き合う。

 例のいまいましいロリボイスとともに『妹と恋しよっ♪』のタイトルが出現。

 タイトルの下では『画面を、やさしいく、くりっくしてね♡』の文字が点滅中。

 妙に口数が増えてきたきりが、わきから指示を飛ばしてくる。

「じゃ、スタート。まず名前を入力して……ちょっと、なにデフォルトの名前で始めようとしてんの? 本名入れなさいよ本名」

「ほん……みょう……だと……? ……それは、なに? 絶対入力しないとダメなの?」

「は? 当たり前でしょ? 妹たちが自分の名前を呼んでくれるところが、キモなんだから。ホラ、さっさと、はい」

「クソッ、やりゃあいんだろ……やりゃあ……」

 ヤケクソになる俺。初めての妹ゲーで本名プレイとか……ハードルたけえなあ。


 このあたりで『妹と恋しよっ♪(全年齢版)』とやらの基本システムについて、かんたんな解説を入れておこうと思う。もちろん、たったいま始めたばかりの俺が何を語れるわけもない。

 ほんのだけになることはかんべんしてもらいたい。

 こほん……このゲームでプレイヤー・つまり俺は、主に画面下部のウィンドウに表示されるテキストを、マウスの左クリックでスクロールさせて読み進めていく。桐乃の説明によれば、

「ま、オーソドックスなADVアドベンチヤー・ゲームだよね。説明書なんかいらないって」

 ということらしい。説明書をチラ見したところによると(たったいま取り上げられてしまったが)、基本となるプレイ画面はこのテキストウィンドウと、背景画像、そしてキャラクターの立ち絵の三つで構成されているようだ。

 なお特殊なイベントシーンになると『イベントCG』と呼ばれる一枚絵が、『背景画像・立ち絵』に取って代わり、ゲームを盛り上げてくれるというシステム。

 たんのない感想を言わせてもらうと『めちゃくちゃ豪華な紙芝居』ってとこか。

 シンプルなシステムだし、そう方法もかんたんそうだ。

 ふーん、ま、これくらいならおれにもできっかな……

 名前入力を終え、ゲームをスタートさせると、まずは青空を背景に、主人公のモノローグが始まった。


 俺の名前は、こうさかきようすけ。自分でいうのもなんだが、ごく平凡な男子高校生である。


 ……つまらん男だなー。いきなり自分で平凡とか……おいおい(苦笑)。

 せっかく俺の名前を付けてやったんだから、もうちょっと気の利いたこと言えや。

 俺のネガティヴな感想をみ取ったのか、きりがタイミングよく解説を入れる。

「あのね、こういうゲームの主人公って、プレイヤーが感情移入しやすいように、たいてい平凡で地味な性格に設定されていることが多いの。あと、ほんぺんで成長する余地を残しておくために、最初はちょっとヘボくしておくんだって」

「ふーん」

 ……自分のことを言われているわけじゃねえはずなのに、妙に胸がズキズキと痛むのは、なんでなんだろうな。同姓同名だからなせいか、まるで他人とは思えん。

 よし、つまらん男と言ったのはてつかいしよう。よろしくな、京介。

 しっかし……この手の話題になると、途端とたんじようぜつになりやがんなぁこいつ。

 俺は桐乃の楽しげな解説を聞きながら、クリック、クリック、クリック、クリック…………

 平凡で地味なモノローグが終わり、画面が暗転。ちゅんちゅんすずめが鳴くエフェクト音。


 京介「ふぁ~~……よく寝たなぁ。昨日きのうは遅くまで勉強していたから、仕方ないかぁ」


 じやつかん台詞せりふが説明的な気もするが、そこはまあ気にしないでおこう。

 さて、ゲームテキストをそのまま表記していくのもなんだ、要約して説明するとだな。

 このゲームの本編は、主人公・京介が自分ので目を覚ますと、なんと妹のしおりが、同じとんの中で眠っていたというシーンからスタートするわけだ。


 京介「うわっ……し、しおり……?」

 がばぁっ。あわてて起き上がる。ぱちぱちとまばたき。

 きようすけ「びっくりしたぁ。……ったく、しおりのやつ、いつのまに……」


 ん? 妙に反応がうすいなコイツ。

 おいおい、もっと身の危険を感じろよ京介。寝ぼけてんのかおまえ──。朝起きたら、妹がいつしよに寝てたんだぞ? そこは絶叫してしかるべきだろうが?

 ちなみに、しおりとやらの見てくれは、黒髪ツインテールの気弱そうなチビガキである。

 この前、きりがお気に入りだとかしていたキャラクターだ。いまは髪をほどいて、ストレートにしている。

「ねぇ、ねぇ、すやすや無防備に眠ってるところ、どう? びっくりしたっしょ?」

「いや……どうだろう、な。……ふ、普通?」

 イベントCGを絶賛している桐乃に、おれあいまいに答えた。

 クリックしてテキストを進めようとすると──ぽこん、画面中央に新しくウィンドウが開く。

「お?」

「それがせんたくぶんね。要所要所で、主人公の行動をプレイヤーが選ぶわけ。で、その結果いかんによって妹たちの好感度が上下したり、その後のストーリーが変化したりすんの」

「ふーん? ……で、じゃあ、どれを選べばいいんだ? 三つくらいあるけど」

「は? そこは自分で決めなきゃゲームの意味ないじゃん。大丈夫だって、このゲーム、選択肢すっごくかくにんなのばっかだから」

 軽く言う桐乃。なるほど、それもそうだな。

 俺は主人公が取るべき行動を選択することにした。えーと……なになに?

 すやすや眠るしおりを、俺は……

 1.ぎゅっとやさしくめてあげた。

「却下だな」

 死ぬつもりか? 妹の寝込みを抱き締めるとか、狂気のだろ……。

 2.起こしてしまわぬよう、そっととんを抜け出した。

「ふむ……」

 なんな選択ではある。しかしな、京介? ここできっちりしつけておかないと、おまえ、後々なめられることになるぞ? ウチの妹はもう手遅れだけどさ、おまえは俺と同じてつを踏むんじゃない……。よってこれも却下。俺は三つめの選択肢を、迷いなくクリックした。


 3.もんどうようで、布団からり出した。

 ドゴッ!(画面が振動するエフェクト)

 京介「おい、勝手に人の布団入ってくんじゃねーよ! さっさと起きろバカが!」


 よし! 適切な行動だ。それでこそ兄。ふん、なかなかいいゲームじゃねえか。さてお次は、

「しおりちゃんになんてことすんのよッ!?」

 ドゴッ! 現実の妹からはんげきがきた。問答無用でり飛ばされ、おれごとひっくり返る。

「ってぇな!? いきなりなにすんだ!?」

 起き上がるなり文句を言った俺を、きりはものすげぎようそうった。

「なにすんだはこっちの台詞せりふ!? なんで最初のせんたくが『問答無用で、とんから蹴り出した』になるワケ!? 信っっじらんないっ、どういう思考回路してんの!?」

「いや……その……まずは妹に、なめられねーよーにと……ね?」

「はぁ? なんか言ったいま?」

「なんでもないっす」

 弱っ! 俺、弱っ……。ったく、こっちの妹はえーな、反撃の糸口さえ見付からん。

 きようあくに育っちまったら、もう手遅れなんだよなあ……。

 俺は蹴っ飛ばされたわきばらを押さえながら、内心でなげくのであった。

 に座り直す俺。マウスをつかみ、ゲーム再開。クリックしてきようすけの台詞をスクロールさせると、突然、もの悲しいBGMに切り替わった。


 しおり「ご、ごめんね……ごめんね京介おにいちゃん……ひくっ……わ、わたし……ゆうべ……ひとりじゃねむれなくって……それで……そのぉ……」

 京介「はぁ? なんか言った?」

 しおり「ひぅ……な、なんでもないよう…………え、えへへ! おはよ、おにーちゃんっ」

 しおりは、俺が蹴っ飛ばしてやったわきばらを押さえながら、それでもけな微笑ほほえむのであった。


「いやな野郎だな、この主人公」

「自分の選択の結果でしょっ!? つか、こんなシナリオあったんだ! こんな選択肢絶対選ばないから初めて知ったんだけど! ……あーもぅっ……かわいそうじゃん、しおりちゃん」

 ゲーム開始早々ひどい扱いを受けているヒロインをあわれむ桐乃。

 でもおまえ、たったいま、俺に似たような台詞言ってたよね?

 けんめいな俺は内心の疑問を口には出さず、健気にもゲームを続けるのであった。

 ゲーム開始早々、朝っぱらからいやな空気になってしまったこうさか。選択肢ぶんによってぼうくんと化した主人公・京介は、しおりをから追い出すと、制服に着替えて食卓へと向かう。

 そこでは、主人公をしたう六人の妹たちが待っていて──

「なぁ桐乃? こいつら似てないにもほどがあるだろ。どう見ても血ぃつながってないじゃん」

「しょうがないでしょ。ヒロインごとに描いている人が違うんだから」

 すいな質問をしておいてなんだが、それは最悪の回答じゃないか? まあいいや、とにかく突っ込んじゃいかんところなんだろう。

 おれはマウスを左クリック。全ヒロインがせいぞろいする食事イベントがスタートする。

 ぴっろりん。画面が食卓をかんする視点に切り替わった。妹たちの顔面をかたどったアイコンがあちこちに散在し、てかてか点滅としゆうしゆくり返している。がんめん上部には、まるっこいフォントで『おにいちゃんは、だれとお話したいのぉ~』との表記。

「お? またなんか画面変わったぞ?」

「それはイベントせんたく画面。話したい妹のアイコンをクリックすると、その妹との会話イベントが発生すんの。で、そこでもやっぱり選択があって、それによって好感度が上下するってわけ」

「ふーん。ところでさっきから言ってる『好感度』ってなに?」

「妹が兄をどれだけ好きかってのを、数値化したパラメータ。これが一定数値以上じゃないと見られないイベントとかあんの。もちろん個別エンディングもそう。だから基本的には、攻略したい妹とのイベントをいっぱい見て、好感度を上げていくのがクリアのコツ。ちなみに複数の妹の好感度をたくさん上げておくと、バレンタインとかで特殊イベントが発生しやすくなるから絶対押さえておくべきね」

 さっきからこいつ、説明にねつ入りすぎ。べらべらべらべらとよ……そんなに楽しいのか。

「そ、そうか……ところで聞くけど、おまえの俺への好感度はいくつ?」

「……聞きたい?」

「いやいい」

 その表情だけで聞かなくても分かったわ。俺の人生で、妹の好感度が一定数値以下じゃないと見られない特殊イベントが発生しまくっていることもな。

「ま、だいたい流れはこんな感じ──分かった?」

「おう」

 俺へのチュートリアルを終えたきりは、最後にセーブデータの管理についての説明をして、ゲームのアプリケーションを終了させた。それからうかがうような表情で俺の顔をのぞき込む。

「感想は?」

「まだなんともいえん……始めたばっかだしな」

「そ、そっか……そだよね……」

 正直に言うと、少なくともこのゲームは、俺には合わないと思う。おもしろいとか面白くない以前の問題なのだ。どだい本物の妹がいる人間に、仮想の妹をでるゲームを楽しめってのがこくな話なんだよな……。いくらこのしおりとやらが、かわいい顔して、かわいい台詞せりふで俺をしたってくれようと、俺には腹にいちもつ抱えているようにしか見えんのよ。

 なんつったらいいのかな……妹不信? たとえばの話さ、桐乃が兄貴を攻略するゲームをやったとして、純粋に楽しめると思うか? 無理だろたぶん? そういうことなんだって。

 けどまあ、一度やるっつっちまったしな。この一作だけは最後までやってやるか。

 などと思っていたのだが、

「うーん、じゃあ次は何がいっかなー」

 楽しそうにフォルダを展開して、ポインタをさまよわせているきり。……ま、まさか一作ではきたらず、どんどんおれに妹ゲーをプレイさせるつもりかおまえ?

「…………」

 恐ろしくて聞けないが、たぶんそうだろう。さすがにそれはじようだんじゃねえ。こいつなんぞのために、俺がそこまでしてやる義理はねえだろ。

 ただ、桐乃が俺に妹ゲーをやらせたがる理由は、なんとなく分かるんだよなあ……。

「なぁ……桐乃」

「なに? どしたの真剣な顔しちゃって?」

「おまえさ……学校で、いつしよにゲームやったり、ゲームの話するような友達、いんの?」

 聞くと、桐乃はぽかんとした表情になって、それからさっとうつむいた。

「…………どっちでもいいでしょ」

「そうか」

 この前、桐乃が同級生と一緒に歩いていたシーンを思い出す。……あの連中は子供向けアニメ見たり、妹ゲーやったりはせんだろう。

 それこそちょっと前までの俺が抱いていた、妹のイメージだ。俺が桐乃の立場だったとしても、同級生に自分のしゆをカミングアウトして、同好の士を捜す気にはなれん。

「じゃあ学校じゃなくてもいいや。……おまえと同じ趣味持ってて、気兼ねなくゲームやらアニメの話ができる友達、いんのか?」

 俺の二つめの問いにも、桐乃は首をたてには振らなかった。

「…………どっちでもいいじゃん」

「そっか」

 そう、だからこいつは、俺に自分と同じ趣味をすすめてくる。一緒に話が、したいから。周囲全部に趣味を隠して、一人ひとりで楽しんでるだけじゃ、さびしいから。

 昨日きのう、俺をこのに連れ込むとき、桐乃は『人生そうだんの続き』だと言った。

 単なる口実だとばかり思っていたんだけどな……そうじゃなかったのかもしれん。

「なに……? バカにしてんの?」

「そうじゃねえよ」

 そうじゃねえ。なんとかしてやりてえって、思ったんだ。さびしいんだろ、おまえ? でもそうは言いたくねえんだろ? そうだよなあ、おまえ、素直じゃねえもんなあ。

 けっ、俺だって、これ以上おまえなんぞの趣味に付き合いきれんからな。代わりににえになってくれるヤツがいるんなら、それが一番ってもんよ。せいせいするぜ。

きり──」

 おれは首をかくんと傾け、てんじようを見た。俺が以上であったなら、ここでケムリの一つでも、ぷかーっと吐き出していただろう。

「──友達、作るか」

「は、はあ?」

 桐乃は目を真ん丸にしておどろいていた。『何言ってんの? このばか?』みたいな顔。

 上等だぜ。俺はいつものやる気なさそうな表情で、妹を流し見る。

「人生相談っつったのはそっちだろ? そんならアドバイスくらい聞いとけよ」

 にやり。俺は不敵なみを浮かべて、の支柱をくるりと回転させた。なんとなく、カウンセラーの気分でベッドを指差す。

「ほら、そこ座って」

「………………」

 桐乃はなんだか文句ありそうな顔でだまり、しぶしぶと俺の言うとおりに移動。

 まあいい。とりあえず、聞く気はあるとみなす。

「おまえ、この前言ったよな? 『あたし、どうしたらいいと思う?』って。で、そんとき俺は、ろくなアドバイスもしてやれなかった。だからいま、答えるぜ。──おまえは友達を作れ」

「友……達?」

「そう。おまえと似たようなしゆ持ってて、気兼ねなしに全力で話題振っても、アニメだろうがゲームだろうが18禁だろうが、ちゃんとついて来られるようなやつらがいい。もちろんおまえをさげすんだりバカにしたりは絶対しねえさ、なにせ同じ穴のムジナなんだからな」

「……つまり、それって……オタクの友達を作れってこと?」

 俺はうなずいた。

「…………」

 ベッドに腰掛けている桐乃は、唇をみ、りようひざつかんで考え込んでいたが……

 やがてこうつぶやいた。

「……やだよ……オタクの友達なんて。いつしよにいたら、あたしまでおんなじに見られちゃう」

「そりゃまた、ずいぶんとおかしな話じゃねえの。──てめえだって立派なオタクだろ?」

「……ち、ちが……」

「違うのか? じゃあなんだってのよ? なぁオイ、言えるもんなら言ってみ? ホラ」

 このとき俺は、妹の態度にわりと本気でムッとしていたので、あえて追い詰めるような言い方をした。桐乃はうつむいてだまり込んでしまう。ぶるぶると肩をふるわせている。

 俺は舌打ちをした。

「口だけなのも、オタクをバカにしてるのも、おまえの方じゃねーか。俺は言ったよな? おまえがどんな趣味持っていようが、絶対バカになんてしねーってさ。──じゃあおまえはどうなんだ。おまえと同じしゆのやつを、こそこそ隠れたりせず堂々とオタクやってるやつらを、バカにできるってのか?」

「──────」

 きりはキッと顔を上げ、敵意ばりばりのせんおれつらぬいた。──やべえ、超こええ。俺は内心、泣きそうになりながらも、がんって真剣な表情を保つ。

「──それはだろ。筋が通らない。自分で自分をおとしめるようなもんだ」

 ……われながら偉そうなこと言ってんなあ。ガラでもねえ。

 桐乃は盛大に舌打ちをした。俺のお株を奪うほどでかいやつだ。だからおっかねえっての。

「バカにしてるわけじゃないもん! あたしは、けんていのことを言ってるの!」

「世間体だあ?」

「そう、世間体。あたしはたしかにアニメが好きだし、エロゲーも超好き。ううん、愛していると言ってもいい」

 言ってもいいんだ……。女子中学生の台詞せりふとしては、それもどうよ……?

 ドン引きしている俺に向かって、桐乃は胸を張って言う。

「もちろん、ガッコの友達といつしよにいるのもすっごく楽しいよ? でも、も同じくらい好き。どっちかを選ぶなんてできない。しょうがないじゃん? だって好きなものは好きなんだもん」

 桐乃は堂々と胸を張った。

「でも、オタクが世間から白い目で見られがちだってのも、よく分かってるつもり。……日本で一番オタクを毛嫌いしてる人種って、なんだと思う?」

 女子中学生。自分がだから、よく分かるんだろうな、こいつは。

「ええと……何が言いたいかっていうと……その……つまり、なの」

 気持ちを伝えるのに適当な言葉が見付からず、もどかしそうにしている桐乃。

 たしかにメチャクチャ分かりにくいが……俺は妹が伝えたいことを、大体察したと思う。

 アニメが好きだし、エロゲーを愛している。でも、学校の友達と一緒にいるのも好きだから、どちらかを選ぶなんてできない。女子中学生としての自分、そしてオタクとしての自分。両方を合わせたものが自分なのだ──桐乃はそう言いたいのだろう。たぶん。

「でも──それはそうなんだけど、だからこそ……家族はともかく、同級生にバレるのだけは絶対ヤダ。そんなことになったら、もう学校行けないもん」

 世間体。社会人と同じか、それ以上に学生にとっては重要なもんだ。クラスっつー集合体のはいせい、異物に対してようしやなくこうげきを加える性質については、中高生ならだれもが身に染みているだろう。俺もその一人ひとりだ。ようく分かってる。

 世間体を気にするのは、誰だって当たり前だよな。

 趣味と世間体の板挟み。誰にもそうだんできねえで、がんってたんだな、おまえ。

 OK、問題は把握したぜきり

「つまりおまえ、同級生にバレさえしなきゃ、オタクの友達を作ってもいいっつーんだな?」

「う、うん……別に……いいけどさ」

「それなら大丈夫だ。おまえの同級生にバレねーよう、オタクの友達を作りゃあいい」

 そのまんまである。いや、ここでかくにんしたのは、桐乃の気持ちな? こいつに友達作る気があんなら、なんとかなるんじゃねーかと思うんだ。

「なにそれ……なんかいい考えでもあんの?」

「いいや? あいにく全然なんも思いつかねーな」

「だめじゃん。……つかえねー」

 ジト目で言い放つ桐乃。ふん、言ってくれんじゃねえの。おおよ、自分で言うのもなんだが、おれは使えないやつだぜ?

「まぁ俺に任せておけって」

「……は? なにその自信……」

 げんそうな桐乃に、俺は不敵なみを向けた。

 妹よ、知っているか?

 この世には、おばあちゃんの知恵袋、という言葉があってだな……。


『──なら、『おふかい』に参加してみたらどうかな?』

 眼鏡めがねおさなみは、電話越しにそう提案してくれた。妹のから脱出したあと、俺は自分の部屋のベッドでうつ伏せに寝っ転がり、に電話をかけた。

 もちろん妹の秘密について漏らすわけにはいかないから、そのへんはくぼかし『同級生にバレないよう、同じしゆを持つ同好の士を見付ける方法』についてそうだんしてみたのである。

「おふかい?」

『そ、おふかい。えっと……いんたーねっとで仲良くなった人たち同士が、実際に集まって遊ぶこと──かなっ』

「…………」

 えーと、とすると発音は『オフ会』だろうな。

 このおばあちゃん、横文字の発音がぼうみだから困る。

「ウソ。おまえ、インターネットとか、できたの?」

『……そのくらいできるってばー……もう……きょうちゃんたら、わたしのこと、ばかにしてるでしょー』

「いやーだってお年寄りって、かいにがなイメージあるじゃん?」

『わたし十七歳っ!? ぴちぴちの女子高生ーっ!』

 必死に訴えてくる麻奈実。相変わらずたいの使い方がおもしろいやつである。

 電話の向こう側で、両目をバッテンにして半泣きになっているのが見えるようだ。

『もーっ。きょうちゃぁ~ん? いい加減にしないと怒っちゃうんだからねー。ぷんぷんっ』

 ぷんぷんとか口で言うやつ、存在したのか……。

 なんつーか。きりとやり合ったあとでこいつの声聞くと……すげー心が休まるな……。

「や、悪かったって。……でもおまえ、パソコンなんか持ってたっけ?」

「え? あ、あるよっ? ……お、弟のだけど」

 最後の方が、ぼそぼそしやべりになっていた。本当、隠し事苦手なのな、こいつ。

「なんだ、聞きかじりかよ」

「う、う~……そうだけどぉ。いんたーねっとくらいは、普通に使えるもん」

「はいはい」

 だからな、そもそも発音からしてあやしいじゃん、おまえ。ジジババだから横文字苦手なのは知ってるけどさ……こりゃ、あんまりアテにしない方がいいかもなあ。

「オフ会とやらに参加したことはあるのか? あ、おまえじゃなくて弟な?」

『あるみたいだよ? あーるあんどびーの、こみゅの、おふかいに、この前行ったって。……えっと、きょうちゃん、「そーしゃるねっとわーきんぐさーびす」って知ってる?』

「あー、SNSってやつか。なんか聞いたことあんな。会員制で、自分のしゆだのなんだのを書いたプロフィールページ作ったり、日記を見せ合ったりして、友達増やしたりするやつだろ?」

『うん。有名なのだと、みくしぃとかね。弟がやってるのはねんれい制限のないやつだけど。学校以外で、同じ趣味の友達を捜すなら、こういうのを使うのがいいんじゃない……かなっ?』

「……ふむ」

 なるほど。これはいいことを聞いた。さっそくやってみる価値はあるな。

「おし、参考になった。さんきゅな、

「……どういたしましてっ。えへへ……じゃあまた明日あした、いつもの場所でね──」


 ベッドに寝ころんでいたおれは、通話を切って立ち上がった。けいたいストラップに指を突っ込んでクルクル回し、ケツのポケットにしまう。を出て、向かうのはもちろん妹の部屋。

 こんこんこんっとノックを三回。しばらく待つと扉が開き、妹が顔を出す。

「入って」

「あいよ」

 妹に部屋に招き入れられる俺。……そういやいま気付いたが、こいつの部屋に入るのはもうこれで四回目か。人生ってのは分からんもんだなー……いろいろと。

「待たせたな桐乃。おまえのオタ友を作る方法、ひらめいたぜ」

 さっそく用件を切り出すと、なぜか桐乃はげんそうに舌打ちをし、さらに「ふんっ」と鼻でわらいやがった。

「……うそばっか。どーせ電話で、に泣きついたんでしょ?」

「地味子って言うんじゃねえ!? たしかにそれ以上あいつをてきかくに表わす言語は存在しないかもしれないけどな、おれはあいつの悪口を自分以外の口から聞くのが大嫌いなんだよ」

「……なにマジギレしてんの? ばっかみたい」

 俺をべつせんで流し見ながら、ぼそっとつぶやくように言う。

「とにかく、次はおまえでもひっぱたくからな。もう言うなよ」

「はいはい」

 はいは一回だこの野郎。せっかくおまえのために動いてやってるってのによ、なんだ、そのむかつく態度は。いきなりげんになりやがって……さっき俺が出たときは、別に普通だっただろうが。

 ……ん? あれ、もしかしてコイツ……。

「……ちょっと聞くけどよ、おまえ、のこと嫌いなのか?」

「……別に? ってか、よく知らないしぃ──」

 だよな。そりゃ俺のおさなみなんだし、初対面ってことはないんだろうが、きりと麻奈実の間にほとんど接点なんてないはずだ。ごくたまーに、麻奈実がウチのそばまで来たときに、れ違うくらいがせいぜいである。

 実際、この間、桐乃が俺と麻奈実の前を通ったとき、麻奈実は桐乃に気付いていないようだった。そんな程度の関係性しかないのに、桐乃が麻奈実を嫌う理由はねえだろう。

 そもそも麻奈実は、人に嫌われるようなヤツじゃねえ。じゃあなんだ──?

「……なんか、デレデレしてんのが、気に食わなかっただけ」

 あっそ。そうですか。……意味分かんねー。デレデレなんかしてねーっての。

 バチバチと火花を散らす俺らであったが、このままでは再び冷戦に突入しかねん。

 けっ、ここは年長である俺が折れてやる。われながらなんというかんような兄貴。れるね。

「なぁ桐乃、この際、だれのアイデアだろうがいいじゃねーか。聞くだけ聞いてみろって、な?」

「……いいけどさ。で、どんなん?」

「おう。ところでおまえ、SNSって知ってっか──?」

 麻奈実の受け売りで、オフ会に参加してみたらどうかと提案してみると、妹は微妙な表情でだまり込んでしまう。

「……気にいらなかったか?」

「……そういうわけじゃ……ないけど……」

 数秒間、うつむいてあんしていたが、やがて顔を上げてこう言った。

「……分かった。んじゃ、やってみるよ」

 お? 意外と素直じゃん、珍しい。

「ケータイからでもアクセスできるらしいぞ?」

「分かってるって。顔近づけないで」

 きりはどこからともなくけいたいを取り出し、タタタタタタタと、超高速でけんし始めた。

 ……すっげぇな。おれにゃ無理だわ、コレ。たまにいるよな、メール打つ速度がクソ速い女。

 とか思っていると、桐乃がチッと舌打ちした。

「あー、入会するのに紹介状いるんだ……。めんどくさいなあ……」

「おまえガッコにゃ友達いっぱいいるんだろ? いまからメールでもなんでもして、SNS入ってるヤツから紹介状もらえばいいじゃん」

「バカ。ほんっとバカ。表の顔と裏の顔、いつしよにできるわけないでしょ? こういうのって足跡残るんだから」

「そ、そうか……」

 すげえな、顔に裏表があんのかい。……まぁ表の顔ってのは、イマドキの女子中学生、ティーン誌モデルの『こうさか桐乃』なんだろうな。で、裏の顔ってのは、妹大好きアニメ好き、エロゲーをこよなく愛している『高坂桐乃』ってわけか。つくづくギャップがやべえな。

「えーと、ゲームとかアニメなら、そういうのが専門のSNSがあるんじゃねえの? 紹介状いらないところ探してみろよ」

「……はいはい」

 俺がわきから適当な指示を飛ばすと、桐乃はしぶしぶといったようで携帯をいじり、とあるオタク系SNSサイトにとうろくした。で、まずはプロフィールページを作成しなきゃならんらしい。

「ハンドルネームを入力してくださいだとよ。ほれ、さっさと決めろよ」

「そんなこと言われたって、いきなり決められるわけないじゃん」

「どうせ後で変更できんだろ? 最初はテキトーでいいよ、テキトーで。それかほかのヤツのを参考にしてみるとかさ。ほれ、見てみ、何か@がどうのこーのとか──」

 携帯の画面を脇からのぞき込みながらかしてやると、桐乃は「いちいちうるさいなぁ」とすさまじくめいわくそうに携帯を俺から遠ざけた。そのまま何やら入力し、見せてくる。

「はい、こんな感じでどう?」

「……この……名前らんの『きりりん@さっきからとなりのバカがうざい件さん(1)』ってなんだ?」

「あたしのハンドルネーム。かわいいっしょ」

 似合わねえ──。あと俺怒っていい? 怒っていいよな? いい加減泣けてきたわこの扱い。

「お、おい……待て……ねんれい欄が十四歳なのに、しゆがエロゲー(妹もの)ってやばくね?」

「だって本当のことじゃん。いいの、これは裏の顔なんだから。あたしだって、さすがにクラスメイトとかモデル友達から紹介状もらってたら、こんなプロフィール欄にはしないって」

 まあな。おれも同じクラスの女子のページに、エロゲーへのあつおもいがつづられてたらくわ。

 次の日学校で顔合わせたとき、普段ふだんどおりえる自信がねえ。

 だからおまえみてーに、裏表を使い分けるのはなんなやり方なんだろうよ。それはいいさ。

 でも俺が気になってることは、まだあってな……。

「おまえ、さっきからなに渋い顔してんの?」

「………………だって」

 きりは俺の案を実行しながらも、ずっとものげな表情で作業をしていたのだ。

 それはか。俺は耳をまして妹の言い分を聞くことにした。

「その……こういうの使って交流するのが、ちょっとこわいっていうか……だって、やっぱりあたしと同じ趣味の人って、男が多いと思うし……ずっと年上の人が多いと思うし……バカにしてるわけじゃないんだよ? もちろん、嫌ってるわけでもなくて──でも、その……やっぱさ……ちょっと恐い」

「そうか……そう……だな」

 もうてんというか。すごく基本的な大問題じゃねえか、これ……。同級生やらモデル友達と交流すんのとは、わけが違うんだよな。オタクうんぬんを抜きにしたって、年上の男どもと友達になるってのは……女子中学生にゃおっかないだろう。たとえネット上だけの付き合いだとしてもだ。

 オフ会で直接会うとなれば、なおさらだよなぁ。……となると、やっぱ同年代で、同性で、しゆが合う友達を捜してやんなきゃいかんわけだが……。

 ……いるワケねぇ──桐乃と趣味の合う女子中学生なんざ、そう何人もいるワケねぇ──

 俺はバリバリと頭をかきむしった。どうしたもんかね、こりゃあ。

「……そういう……女だけの集まりとか……探してみっか……もとで」

「……やってみる」

 桐乃はけいたいをいじくり、コミュニティの検索を始めた。例のごとくわきから口を挟む俺。

「……これ、とか……どうだ?」

「んー……? えっと、これ?」

「……そうそう。へー、探しゃああるもんだな……どれ、ちょっと中見てみろよ」

 俺たちが見付けたのは『オタクっあつまれー』というコミュニティだった。メンバー数は二十人ほど。この人数が多いのか少ないのかは分からんが、ちょっとしたサークル程度のである。コミュニティには参加条件が設定されていて、ねんれいと性別を明記した上で参加表明メッセージを送り、管理人が承認しないとダメらしい。なんともちょうどいいことに、『お茶会の誘い』というトピックが立っている。メンバーじゃないからしようさいを見ることはできんが、オフ会みたいなもんと考えていいはずだ。

「……なぁ桐乃。これなら大丈夫なんじゃねーの」

 もしもメンバーに、女になりすましている男が混じっていたとしても、女だらけのオフ会に参加してきたりはせんだろう。だいひんしゆく間違いなしだもんな。おれはこれでバッチリだと思ったのだが、妹の表情は、かんばしいものではなかった。

「ん……うん……そだね……」

「なにおまえ? まだ何か、ほかに心配でもあんの?」

「そういうわけじゃないけどぉ…………」

「じゃ、参加したいってメッセージ送ってみれば? ほれ、このボタン」

「ん……」

 きりはメッセージ作成画面をしばし眺めていたが、ふと俺を見上げてこう聞いてきた。

「……メッセージ、なんて書いたらいいかな?」

「そうさなあ。こういうのは、ある程度ハラ割って話した方がいいんじゃね? しゆの合う、女の子の友達が欲しいってさ」

 桐乃はうなずき、ぽちぽちメッセージをしたためて送っていた。

『メッセージが送信されました』

 その表示を見た俺は、自分の役目が半ば果たされつつあることを実感する。

 これで桐乃に、趣味を理解してくれる女友達ができれば──もう俺はおやくめんってわけだ。

 俺がこのを訪れるのも、もしかしたらこれで最後かもしれんな。こいつが俺をそうだん相手に選んだのは、もともとイレギュラーみてーなもんだったわけだし。これ以上付き合ってられねえってのも、俺の、掛け値なしの本音である。

 だから、これでいい。もしもこれで、また前みてーにドライな関係に戻っちまうんだとしても、それはそれで仕方のねーことなんだ。ふん……まあ……正直なところを言うと、ちっとばかしさびしい気はする。そう、ほんのちぃっとばかしはな。

 俺たちはここ数日で、それこそ十年分くらい話をした。

 そうして俺は、妹の意外な一面を知った。

 それは『意外な趣味』だけじゃあない。何を考えてんのか分からねえとあきらめていた妹の、隠されていた本音をかいた。俺が見ようともしていなかった心に、指先一本くらいは触れられたような気がする。だからなんだってわけじゃねえけどさ。なんだろな、やっぱ、うれしいのかもな、俺。よく分かんねーけど。

「これでよし、と。あとは返事を待つだけ……」

くいきゃいいな」

「…………うん」

 桐乃はこくりと頷く。俺は唇の端を持ち上げてむ。

 なぁ、おまえさ。俺なんぞよりもずっと、いつしよにいて楽しい、えんりよなしにだべってバカやれるような、そういう友達ができりゃあいいな。

 ま、それまでのあとちょっとだけは、俺が代わりに付き合ってやんよ。

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