第4話

机を部室の後方に押しやり、椅子を円座にして、七人は向かい合った。

「よし、まずは自己紹介をしていこうか。自分が弾ける楽器と、好きなアーティストや音楽のジャンル、あと一年生は中学の時の部活も教えて欲しい。ほかは何かあれば、各人適当につけ足してくれ。……誰から行こうか」

「あ、じゃあ俺から。一応部長ですし」

興津の声に、紘輝が立ち上がった。


「藤枝紘輝、三年です。よろしくお願いします。担当はギターです。好きなアーティストは……そうだな、小学生の時に動画サイトで、打首獄門同好会を見てギター始めたんで、それが原点かな。あとはPay money To my Painとか、KISSやディープ・パープルとか、レッド・ホット・チリ・ペッパーズとか、オルタナとかラウド系とか、昔のハードロックが多いです。そんな感じかな。はい次」

ぱちぱちと拍手が起こる中で紘輝が座ると、左隣に座っていた眼鏡の少年がひょいと立ち上がった。

伊東隆玄いとうたかはる、二年です。ドラムやってます。一応小学校までピアノもやってました。くるりとか、King Gnuとか、サカナクションみたいなオルタナティブ系のロックをよく聴きます。あ、あとよく下の名前『りゅーげん』って読み間違えられるんだけど、ぶっちゃけ『たかはる』でも『りゅーげん』でも、どっちでもいいっす。よろしくお願いします」

天真爛漫な、だけど抜け目のなさそうな笑顔を浮かべてから隆玄は体を折り曲げる。

拍手が起こると入れ替わりに、人当たりの良さそうな柔和な微笑みと、艶のある黒髪に切れ長の目が印象的な少年が立ち上がる。

「えーと、島田太陽しまだたいようといいます。二年です。よろしくお願いします。まだギターを始めて一年目です。……音楽は、そうだな、……あんまりこだわって聴いたりはしないですけど、今の推しは90年代のJ‐Popかな。じゃあ、次の人どうぞ」

拍手の後、太陽に促され、隣に座っていたミチルがすっくと立ち上がった。

「菊川ミチルと申します、一年生です。中学校では華道部に所属しておりました。ピアノを弾きたいと思っています。……一応、エレクトーンとバイオリンも、多少は扱えます」

ミチルの発言にその場にいた全員がどよめいた。

「バイオリンか、どのくらい弾ける?」

興味を示したらしい興津が声をかける。

「クロイツェルまでは教えていただきました」

「すごいな、じゃあ大抵の曲は弾けそうだね。エレクトーンは何年やってる?」

「三歳から始めましたから、えーと……十二年です。受験で教室は辞めてしまいましたけれど、終わってからも時々は弾いてます」

「なるほど」


ふむ、と息をついた興津の隣で、

『完全にわたしの上位互換じゃない、この子―――――!!!』

くるみは心の中で絶叫していた。

『ああもう、わたし、完璧にいらない子になってる……でも嘘ついて盛るわけにもいかないし……』

思い切り意気消沈しつつも、ミチルの情報は気になって耳をそばだてる。しかし、

「それで、好きなバンドとか、アーティストはいる?」

その質問に、ミチルは少し詰まった後、

「……いえ、今まで、そういった類の音楽を聴くのは、わたしの家では禁止されていたので……クラシックなら多少はわかりますが、……」

そう答えて黙り込んでしまった。

「……ご両親は、君が軽音楽部に入ることを知ってるのかな?」

さすがに焦った様子で興津が問う。

「存じておりません。でも、いま海外にいるので、言わなくても問題はないです」

堂々と答えるあたり、肝は据わっているようだ。そして、なんとなく彼女の家庭環境が透けて見えて、くるみは邪推を禁じ得ない。

『なんかよくわかんないけど、とりあえず、親バレしないことを願おう……』

彼女はそう心の中で独り言ちると、肩をすくめた。


「……わかった。一応、心に留めておこう。でも、うちの学校の基本方針は『生徒の意思の尊重』だ。親御さんもそれを承知の上で君をここに入学させたんだろうから、きっと大丈夫だ。安心して活動しなさい」

「はい、ありがとうございます。……皆さん、よろしくお願いいたします」

安堵の笑みを浮かべて、ミチルは優雅にお辞儀をする。

温かい拍手が起こり、顔を上げた彼女はますます嬉しそうに微笑んだ。

「はい、じゃあ次の人」

興津に促されて、祐華が立ち上がった。


「藤枝祐華です。一年二組です。えっと、藤枝紘輝の妹です。中学校では、文芸部にいました。ベースを弾き始めて二年目です。他の楽器は弾けないです。……えっと、好きなアーティストは、倉橋ヨエコと、Coccoと、それからYOASOBIです。よろしくお願いします」

「倉橋ヨエコ?高校生にしては随分渋いね」

興津が楽しそうに言うと、祐華は理解者がいたことに感激したようだった。

「はい、中学生の時にたまたま出会って、そこから……先生も聴きますか?」

「そうだね、大学時代によく聴いたよ」

「いいですよねえ……先生は何が好きですか?」

「ベタかもしれないけれど、『今日も雨』とか『損と嘘』だね」

「わかります……!」


『祐華ちゃんずーるーいー!わたしも混ざりたいー!!』

くるみは心の中で地団太を踏む。

ただでさえ扱う楽器が同じだというのに、音楽の趣味まで似通っていることに激しい嫉妬を覚える。

『くらはしよえこ……後で検索してみよう』

もしかしたら母のiPodにも入っているかもしれない。帰宅したら父に借りようとくるみは固く心に誓った。


「おい祐華、その辺にしとけ」

紘輝から制止の言葉が飛んでくる。

「先生、こいつにその話振ると、長くなるからやめた方がいいですよ」

「なによ、お兄ちゃんのギターの話よりは全然長くないでしょ」

「うるせー」

「まあまあ、二人とも」

太陽にたしなめられて、祐華と紘輝は互いににらみ合うだけになる。

「相変わらず仲良しっすね」

隆玄がからかうように、交互に二人を見遣る。

「はい、じゃあ先に進まないからその辺にしよう」

ぱん、と興津が手を打ってその場を鎮める。

「最後の人、どうぞ」

「あ、はい」

くるみは慌てて立ち上がった。


「牧之原くるみです」

教室での自己紹介が一瞬頭をよぎるが、誰も表情を変えることはない。

くるみは安心して先を続けた。

「……一年です。中学では、合唱部にいました。わたしもピアノを弾きたいと思ってます。えーと……セカオワと、YOASOBIと……米津玄師が好きです。ごめんなさい、他の曲とかはまだ勉強中で、動画サイトとかでいろいろ聴いたりはしてるんですけど、よく知らないことの方が多いです。よろしくお願いします」


無事拍手が起こり、座ろうとして背をかがめた瞬間、

「あれ?ボーカル志望じゃないの?」

紘輝が声をかける。

「ああ、それについてはこれからちょっと、実力と本人の希望を合わせて考えようかと思ってる。……というか、ボーカルで思い出したけど、君たちちゃんとボイトレやってるか?」

「え、……まあ、一応やってますよ?」

「はい、俺もやってるっす」

多分言われた通りにはやっていないのだろう、興津の質問に紘輝も隆玄も明後日の方を向く。

「……本当か?今日みたいなへなちょこボーカルじゃ、自分たちで歌ってて楽しくないだろう。マイクがあってもそこに声が乗らないんじゃ意味がない。技術は表現の幅を広げるための必須事項だ、もっと真面目にやりなさい。手を抜くと結果は絶対ついて来ないぞ」

「ういっす」

「……はい」

穏やかながら厳しい叱責におとなしく萎れた二人を見て、くるみは少しだけ笑ってしまった。

「ああ、ごめん。座って」

「あ、はい」

笑ったことがばれてしまわないように、軽く咳き込むふりをしてからくるみは座る。


「さて……私はいいかな、自己紹介しなくても」

興津はそう言って小さく笑った。

「何言ってんすか、やってくださいよ」

「そうですよ。ずるいですよ、自分だけ何もしないとか」

隆玄と太陽が抗議の声を上げる。

「わかったわかった、じゃあやろうか」

興津は立ち上がって、軽くお辞儀をする。


「顧問の興津大地です。よろしくお願いします。中学から高校まで吹奏楽部でウッドベースを弾いていて、高校一年で友達とバンドを組んだときにエレキベースを弾き始めました。だから……今年で十六年目か。その時買ってもらったベースは、今でも大事に使ってます」


『16×2=32』

くるみは素早く彼の年齢を計算した。


「あと、高校卒業までは趣味でピアノもやってたのと、バンドでギターとドラムも少しかじったことがあるので、ベースほどじゃないけどそれなりに弾けます。……一応歌も歌うけれど、正規のレッスンを受けたことがないので、そこまで上手くはないです」


『うそ、あれで!?謙遜しすぎでしょ!!』

驚きすぎてくるみは思わず彼を見上げてしまった。

彼の歌声に惹かれてこの部にやってきた彼女にとっては、どんなアーティストの声より魅力的だからこそ、彼の言っていることはあまりにちぐはぐに聞こえた。


「ええと、好きなアーティストは上げればキリがないけど……バンドを始めたのがビートルズがきっかけだったから、ビートルズは自分にとって別格の存在です。あとはQueenかな、フレディ・マーキュリーの歌声に憧れて、よく実家の庭で発声練習して何度か喉を潰しました」


『憧れるレベルが高すぎる!!』

Queenの曲はいくつか母のiPodにも入っていたし、動画もしょっちゅう見ていたのでそれなりに聴き込んではいたが、あの歌声はハイレベルすぎて、くるみにとってはまさに伝説の中の存在でしかなかった。

『なんかもう、根底から違う……本当に音楽と歌が好きなんだなあ……』

実に不純な動機から入部を決めた自分とは、心構えに天と地ほどの差があるような気がして、くるみはだんだん申し訳なくなってきた。


「最近の音楽だと、そうだな、やっぱりYOASOBIと米津玄師をよく聴くかな。とりあえずいいと思ったものは何でも節操なく手を出すクチです。……以上。何か質問は?」


『彼女とか奥さんとかいませんよね!?』

喉まで出かかった言葉をくるみは必死で飲み込んだ。

『うああ……お願い誰か質問して、誰か……冗談っぽく……さりげなく……』

周囲に必死で念を送る。

そしてどうやらその念が通じたのか、

「はーい、先生。彼女出来ましたかー?」

隆玄がまさに理想的な、茶化すようなトーンで質問してくれた。

『先輩ありがとうございます!!!』

くるみは頭の中で五体投地した。


「まさか、出来てたら新しいベースなんか買わないよ」


『……!』

くるみは脳内でごろごろと転げまわった。

『もう先輩、いいね百万回押したい!!』

思わずにやけそうになる口元を、必死に唇を噛んで押さえる。

その場で踊り出してしまいそうなほどの喜びに、くるみはうち震えていた。


「あー、さっきのジャズベースっすか。あれ何万するんすか?」

「三十万弱」

「はー、やっぱ大人は金の使い方が違いますね」

隆玄の問いかけに興津が返した答えに、紘輝が目を丸くする。

「それだけ頑張ってるからな、自分へのご褒美だよ」

興津はそう言って少しだけ自慢げに笑った。

「いいなあ、俺たちもバイト禁止じゃなかったら、もうちょっといい楽器買えるのに」

太陽が極めて残念そうにぼやく。

「いいんだよ、学生のうちは無理して高いものを使うことはない。社会人になっても音楽を続けていく気があるなら、その時初めてきちんとしたものを買えばいいんだ。……さて、この話はここで終わりにして、他に質問がなければ一年生の実力チェックをしたいから、まず最初に、音楽準備室からキーボードを持ってこようか」

「はい。じゃあ俺たち行ってきます」

太陽と隆玄が立ち上がり、廊下へと出ていく。

「藤枝、……えっと、妹の方ね、楽器持ってきてるかな?」

「はい」

「それなら良かった。じゃあみんな、そっち側に椅子を片付けて。それが終わったら一年生はこっちに来なさい、ドラムセットの並べ方を教えるから」

興津の掛け声で、小さなライブハウスは形を成していった。

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