恋は人を変える

稲井田そう

第1話

 好きな人の為に可愛くなりたい。綺麗になりたい。私がこんな風に思う日が来るなんて思っていなかった。



 鏡を前にして、自分には不釣り合いかなと不安になりながらも、変なところがないか見つめる。今日は丈がいつもより短めのスカートで、オフショルダーのトップスにした。肩を出すなんて高校時代には考えられなかったし、今でも緊張する。でも、今日は蓮さんに綺麗になったって思ってもらわないと。


 じゃないと、蓮さんの恋人じゃいられなくなってしまう。


 ぎゅっと手のひらを握っていると、インターホンのチャイムが鳴った。慌ててドアを開くと、私、双山晴の恋人である和泉蓮政さん……蓮さんがにっこりと笑って立っていた。


「こんにちは晴ちゃん。お邪魔します」

「はいっ、どうぞ上がってください」


 私は蓮さんにスリッパを出した。今まで会った誰よりも背が高くてすらっとしている彼は、私の住んでいるワンルームの玄関に立っていると浮いて見える。靴を履き替える所作すら洗練されていて、ドキッとした。


「今日、ずっと楽しみにしてたんだ。晴ちゃんの手料理食べれる〜って。昨日は眠れなかったくらいだよ」

「えっと、い、一応母にレシピを聞いたりしたんですけど、お口に合うかどうか……」


 六歳年上の恋人である蓮さんとの馴れ初め……、初めての出会いは、私がお客さんとして、蓮さんのお店に入ったことからだ。


 蓮さんは私の大学の近くでレストランのオーナー兼シェフをしている。店が出来たのは私が大学一年生の夏頃。


 ステンドグラスに彩られた外観が素敵で、いつか大人になったら入ってみたいと帰り道に眺めるのを習慣にしていた。


 そしてある日のこと、毎月変わる季節のメニューを眺めていたら、「学生さん用の価格帯のメニューもあるからぜひどうぞ」と彼に声をかけられたのだ。


「晴ちゃんのお母さんのレシピかぁ。ちょっと妬いちゃうな」

「え……?」

「だって、晴ちゃんが一番好きな味になるんでしょ? 料理人としてはライバルだからね」


 蓮さんはそう言って私に笑いかけ、シューズボックスに置いてある小さな天球儀に目を向けた。


「あ、これ飾ってくれたんだ」

「実は毎日学校に行く前、回してみたりとか……してます」


 飾ってある天球儀は蓮さんに貰ったものだ。アンティーク調の曲線がとても綺麗で、つい見入ってしまう。


 蓮さんのお店にはこれより大きなものが飾られていて、シャンデリアの光を受けていつも輝いていた。彼のお店は内装が素敵だとサイトで話題になるくらい素敵で、壁には淡いパステルカラーの絵画が飾られ、床は結婚式場みたいな純白の大理石。テーブルは深い紺色のクロスがかけられて、中庭には花々が爛漫と咲いている。


 奥には個室があって、初めて行ったときはそこへ通された。「ごめんね、景色も見えづらくて」と蓮さんは謝っていたけれど、真っ黒な壁に深紅の絨毯が敷かれ、ところどころ紫でまとめられた内装はまるで別世界のようだし、私は大好きだ。


「それにしても晴ちゃんの部屋、来るたびに雰囲気変わるね」

「模様替えもしてて……前は値段と機能性ばっかり考えて色とか全然考えてなかったんですけど、揃えるようにして……」

「そうなんだ。最近お洋服の趣味も変わったよね」


 蓮さんはじっと私を見て、肩口に触れた。どきりとしてつい身体がはねてしまう。「あ、お料理出しますね!」と私は慌てて台所に向かった。


 今日はお母さんにレシピを聞いたとっておきの料理だ。でも材料をそろえるのが結構大変で、少し今月の生活費をオーバーしてしまったから来月は切り詰めなきゃいけない。


 蓮さんはレストランで学生用のメニューとして出して普通の値段より四割以上安いメニューを出しているけど、よほどやりくりが上手なんだと改めて思った。


「なにか手伝いたいんだけど、どうかな?」


 私が冷蔵庫から予め作っていたサラダを出して、鍋に入っていたスープを温めなおしていると蓮さんが隣に立った。慌てて首を横に振ると、「じゃあ洗い物だけさせて?」と私の頬にキスを落としてくる。


「あと実は晴ちゃんとのディナーにお花買ってきたから、飾ってもいい?」

「えっ、あ、ありがとうございます」


 蓮さんは懐から手品みたいにぱっとブーケを出した。鮮やかな黄色の花を集めたブーケに心も明るくなる。


「ふふ、晴ちゃんは驚いた顔も可愛いよね」


 彼は人をあっと驚かせるのが好きだ。料理もそうだけど、学生メニューは表の看板には出していなくて、店に入ってきてようやく分かる仕組みになっている。理由を聞いたら、「そのほうが嬉しい気持ちになるでしょ?」と笑っていた。


「え、えっと、あ、温めはもうそろそろ……終わり、ですね」

「やった。じゃあ俺ブーケを水に差しておくね」


 蓮さんがお花を活けてくれている間に私はスープを盛りつけた。メインの冷製パスタもお皿に出して、私はテーブルに並べる。小さなローテーブルに向かい合って、私たちはいただきますをした。彼はさっそくというようにフォークをパスタへと向ける。


 イタリアで各地を巡りながら数年修行をしたと話す蓮さんの料理は、素人の舌、目でどうこう言うのが申し訳ないぐらいすごく綺麗で美味しい。だから、そんな彼に手料理を食べてもらうのは緊張する。


「ん、美味しい。これ隠し味に白だし入ってる?」

「はい。そうです! お母さんがよく作ってくれてて」

「へぇ……しょうがも少し入ってるね……なるほど……」


 蓮さんは目を細め、プロの顔になった。でもすぐに顔を綻ばせ、「なんだかいつもと逆みたいだね」と笑う。


「え?」

「だっていっつも俺が晴ちゃんにご飯食べさせてあげるのに、今日は作ってもらってるし。そういえば晴ちゃんと出会ってすぐのとき、お弁当貰ったことあったよね? 勉強として」

「ああ……確かにありましたね」


 蓮さんのお店に初めて行って、彼の料理の虜になった私は、お昼にお店へ通うようになった。


 蓮さんは新作の味見をさせてくれたり、私がレポートで徹夜をすると聞くと「余ったんだけど、良ければ」と、テイクアウトの軽食を用意してくれたり、ただの大学生でしかない私にすっごく親切にしてくれた。


 そしてある日「学生に対して実家みたいな安心を感じられるメニュー」の考案に悩んでいた蓮さんが、私の母の手料理について尋ねてきて私の料理を食べてみたいと言ったのだ。丁度前日にお母さんから作り置きを貰っていてお弁当にそれを詰めていたから、蓮さんに譲った……なんてことがある。


「懐かしいなぁ。そのあとすぐ俺が晴ちゃんに告白してさ……、こうして付き合って……」


 蓮さんは昔を懐かしむように微笑んだ。


 彼は、かっこいい。「ワイルド系さわやかイケメン」なんて雑誌で特集されるくらいだし、背だってすごく高い。それでいて優しいのだ。私なんかの地味で、大して面白くもない話に楽しそうに相槌をうってくれる。


 好きにもなる。恋にも落ちる。


 でも、蓮さんは優しい。相手がお客さんなら尚更紳士的に接してくれる。だから勘違いしないよう、こちらの抱いている好意がバレて不快に思われないよう必死に過ごした。


 けれどあるとき、ゼミの先輩に騙されて参加した合コンの場で、蓮さんに告白されたのだ。


 当時私は合コンだと知らず、OBによる就職の説明会と聞いていた。会場は蓮さんのレストランで、「ストーカーだと思われたらいやだからディナーには行かない」と元から決めていた私だが、これにはチャンスだと参加してしまったのだ。


 結果はどこからどう見ても合コンで、どんどん話しかけられ食事を食べる余裕もなく、疲れて離席した。せっかくのディナーが……と悲しい気持ちでトイレに向かうと丁度扉を閉めようとした瞬間蓮さんが割って入ってきて告白された。初めは何かの冗談かと思ったけど、勢いに押されるままに承諾してしまった。それが私たちのなれそめだ。


「そういえば姉二人が晴ちゃんに会いたいって言ってたよ。晴ちゃんと飲みたいんだって。どうする?」

「あっ、ぜひ、お願いしたいです」


 蓮さんと付き合った翌日には、彼と私の実家に行って両親に挨拶することとなり、さらにその翌日には彼の家に挨拶に行った。そのとき彼の両親だけじゃなくお姉さん二人と知り合ったけど、皆とてもよくしてくれた。


 私の両親は蓮さんと元々知り合いみたいだったし、両家の家族同士の仲はとっても良好といっていいかもしれない。


「でもね、お願いがあるんだけど」

「なんですか?」

「俺の店で飲んで? 晴ちゃんが潰されちゃわないか心配だから」

「え……」

「晴ちゃんお酒強いほうだけどさ、あの二人も結構飲むでしょ? どっか連れて行かれないか不安なんだ」

「そんな、連れて行かれたりなんて……」

「わかんないよ? 俺は晴ちゃん大好きだしあの二人俺と性格似てるから、晴ちゃんのことどっか遠くに連れて行っちゃうかも」


 蓮さんはそう言って私を上目遣いで見た。そんなことはないだろうけどどきどきして、静かにうなずく。


「よかった。美味しいものまで食べさせてくれてるのに、お願いまで聞いてくれてありがとう晴ちゃん」

「いえ……」


 彼が申し訳なさそうに微笑む。私は首を横に振って、他愛もない話をしながら食事をしたのだった。





「よし、でーきたっ。これで終わりだね。晴ちゃんっ」


 流し台に立っていた蓮さんがキュッと水道の蛇口を閉める。食事が終わり彼が洗い物をすると申し出てくれたけど、なんだか全部してもらうのは申し訳なくて私は食器を拭く係になっていた。


 でも、蓮さんは仕事でしているからか洗うのがすっごく早くて、邪魔をしてしまったかもしれないと余計申し訳ない気持ちになっている。


「そういえば晴ちゃんさぁ」


 洗い物がすべて終わり一緒にソファに並んで座ると、蓮さんが改まってこちらに顔を向けた。


「峰中さんって知ってる?」

「え……」


 彼の口から出てきた名前に、心の奥がしんと冷えた。


「晴ちゃんの友達って子がお店に来たんだけど、晴ちゃんによろしくって言ってたよ」

「そうなんですか」


 私は心の内を悟られないよう、ごまかすように微笑む。峰中さんは、私の高校の同級生だ。そして、一週間前に行われた同窓会から、蓮さんを狙っている人……でもある。


「でも、結構記憶力いいんだね。俺が晴ちゃんのこと迎えに行ったのなんて一瞬なのに」

「確かに……」


 先週行われた同窓会で、蓮さんは私を迎えに来てくれた。彼には場所まで伝えていなかったけど、同窓会が開かれた旅館の人に会いに行った帰り、偶然私を見つけたらしい。


 そしてその場には峰中さんもいて、私の友達が言うには二次会で「晴の彼氏なら奪えそうじゃない?」と話をしていたらしい。


「晴ちゃんから見てどういう子?」

「えっと……社交的な子です」


 そして、もう知ってるだろうけど髪はさらさらで、真っ赤なリップが似合うスタイルが抜群にいい美人さんで――私なんかよりずっと、蓮さんにお似合い。


「そうなんだ、まぁパーソナルスペースなさそうな子だよね」


 蓮さんは自分の栗色の髪をかき上げながら白けた声で呟く。


 峰中さんが蓮さんに近付くことはいやだ。下手に変なことを言って、蓮さんのお店に迷惑をかけたくない。だって相手はお客さんとして来ている。「その子は蓮さん狙いだから近付いちゃ駄目」なんて交友関係に口を出せない。


 それに蓮さんのお店には彼狙いで来るお客さんはたくさん来ている。今に始まったことじゃない。それに、私も負けないよう頑張ってきた。


 前の私なら、諦め身を引こうと思っただろう。でも蓮さんと出会い恋をしたことで私は彼に似合うようになりたいと、最近ではジムの体験を始めたり、シャンプーやコンディショナーをややお高めの、いいものに変えた。


 化粧の勉強の時間も増やしたし、デートの時の洋服も、少し大胆なものに変えようと、ネットショップでやや露出のある下着だって買った。


 今日の服だって、大人っぽくみられるものを選んだつもりだ。


 だから峰中さんの登場だって、一歩引いて余裕を見せないと。


「あ、そういえば後輩の子に貰った頂き物の紅茶があるんです。良ければ……」

「後輩の子? 女の子男の子どっち?」

「女の子です。動物が好きな子でよく一人で猫カフェ巡りに遠出してるんですけど、その時鎌倉の専門店で買ったらしくて……蓮さんと飲みたくて」

「そうなんだ。嬉しいなぁ」

「あっ、すぐ入れますから座っててください」


 私は立ち上がろうとする蓮さんを慌てて制して台所へと向かった。後輩の子に貰った茶缶を棚から取り出して、電気ケトルでポットを温める。しばらくしてさっそく茶葉をポットにいれようとすると、「ねぇ」と冷たい声が投げかけられた。


「晴ちゃん……な、なにこの下着……」


 蓮さんがソファに座ったまま真っ黒でひらひらしている布を掴み私に向ける。


 見覚えのありすぎる品物に、私は大きく目を見開いた。


 あれは、間違いなく私の下着だ。蓮さんと釣り合いたくて、三点セットとかになってない、触り心地もふわふわしてる大人っぽい高めのやつを一つ買っておこうと思いつつ、でも蓮さん来るって分かって着てきたら気合いありすぎだと思われるんじゃ……と悩みぬいた結果、ベッドの下に隠しておいたものだ。


 なんで、ベッドの下に入れていたはずのものが蓮さんの手に……?


 パニックになっている間にも蓮さんは立ち上がり、じりじりこちらに近付いてくる。本能的に壁に寄ると、これ以上ないくらい近付かれて呼吸すらまともに出来なくなった。


「ねぇ……これどういうことか、答えてほしいな」

「し、下着です」

「うん、そうだね。それも君はあまり身に着けないタイプの下着だ」


 別に一緒に住んでいないし、私は蓮さんに下着を見られたことはない。なのに何で知られてるんだろう。見た感じダサいの着けてると思われてた……?


「どうしてこれ、晴ちゃんのおうちにあるの?」


 い、言える訳が無い。「可愛くなりたい、綺麗になりたかった」なんて。


 言ったら必ず蓮さんは「どうして? もう十分可愛いのに何でそう思うの?」と問いかけてくる。


 そして最終的には理由を話さなきゃいけなくなるのだ。「峰中さんに蓮さんを取られないよう頑張りたいからです」なんて言えない。


 束縛と嫉妬をめちゃめちゃする女だと思われる。重い女だと思われて、別れを切り出されてしまう。付き合って三ヶ月のカップルの別れの原因を雑誌で読んだけれど、付き合ったことで、相手の知らなかった一面を知り、幻滅するパターンが中々に多いらしいし。


「……最近様子が変だったもんね、ジムの体験始めたり……。何かこれと関係ある?」


 ジムの体験、のところだけ蓮さんは酷く忌々しそうに口にする。あまりの嫌悪の示し方に私はただただ戸惑った。


「ジム通い、反対ですか?」

「うん、大反対かな」


 にっこり笑う蓮さん。その笑顔にきゅんとしつつもほんの少し怖い。


「な、何故……?」

「可愛い彼女が他の人間に気持ち移しに行くの、はいどうぞって見送る彼氏いる?」

「……は?」


 蓮さんの言葉に、目を丸くする。本当に今の私の目は点になってると思う。


 蓮さん、私が浮気したと思ってる?


「な、何で、気持ちを……移しに?え、う、私が浮気をすると思ってるんですか?」

「そうだよ」

「な、なんでまた……?」

「だって、君の調べてたジム、男しかトレーナーいないし、最近君の髪の香りが変わったし、いつもと違う君の服が出て来たんだよ? 確定じゃない?」


 ジムに行きたいのは、そんな理由じゃない。ウエストを細くしたいからだ。くびれをくっきり作ってみたいからだ。誤解を解かなきゃいけないけれど、何て言えば良いんだろう。


「俺、言っておくけど絶対別れる気ないよ? 何で浮気しちゃったか、相手の男だけ教えてくれれば絶対怒らないから、正直に言ってね」


 蓮さんがじりじりとこちらに寄ってくる。いたたまれず移動していくと、壁際に追い詰められた。


「君は優しくて素直だから、浮気とか、絶対しないと思ってたけど、逆に押し切られてっていうのもあるかもしれなかったよね。ごめんごめん。俺の配慮不足だった、もっとしっかり守っておかなきゃいけなかったんだね、ごめんね」


 左右のどちらかに逃げようと迷っていると、逃走経路は蓮さんの腕に隔てられる。


「話すまで逃がしてあげないよ。全部分かりやすく教えて?」


 じっと蓮さんに見つめられる。視線を逸らすと無理矢理にでも視線を合わせるように顔が近づいてくる。


「逃がさないって言ってるよね? 本気だよ」


 柔らかかった声色が、しんと冷える。まずい、本当まずい状況だ。


「えっと、ジムに通いたいのも、シャンプー変えたのも、服、変えたのも、違う理由です……。そ、その、き、綺麗になりたく……」


 痛いほど見つめられて、黙っていなきゃいけない言葉が口から零れだす。すると少し蓮さんの顔が離れた。


「どうして? 君はこんなに綺麗なのに?」


 そう言って、蓮さんが私の髪に触れる。絶対、絶対、絶対そう言うと思った。


「それは……その……」

「何で? 教えて?」


 蓮さんの言葉に、もう隠しきれないと、意を決する。このまま黙っていても、絶対聞くまで離してもらえない。


 ……絶対別れないと言う、蓮さんの言葉を信じよう。


「……れ、蓮さんと、つり合いたいからです……」

「つり合いたい?」

「ど、同窓会で、蓮さん、かっこいいって言われて、実はものすごく可愛い女の子が、蓮さんに一目ぼれをしたらしくて……。と、当方、地味な人間でして、蓮さんのこと、取られたくなくて、少しでも垢抜けたい所存でして……」


 なんとか重くないよう考えながら言葉をひねり出していく。あれ、でもどうだろう、一周回ってめちゃくちゃ重たい女になってない?


「お、重いですよね……で、で、でも!蓮さんが聞いて来たんですからね! わ、私こういうの重いって分かってますよ、だから言わないようにしてて……」


 どうにもならなくなって、蓮さんに責任転嫁する言葉が出て来てしまう。


 本当になんとか軽くなりたい。今から頑張って、束縛とか嫉妬とかしない女だと、印象操作出来ないだろうか、ぐるぐる回る思考を整えていると、唐突に蓮さんに抱きしめられる。


「うおあっ」

「何だ、俺の為? 良かったー、びっくりした……」


 とん、とん、とあやすように蓮さんに背中を優しく叩かれる。何だか、一転して空気が明るくなったような。え、何これ。


「え、蓮さん?」

「もう、あんまり驚かさないで?あー焦った……危うくお薬飲ませちゃうところだった。……本当に良かった……。やっぱり俺はありのままの晴ちゃんが好きだし、良かったー……」


 良かった良かったと、しきりに繰り返し私を抱きしめる蓮さん。


 普段の余裕な感じはそこにない。不謹慎かもしれないけど、もしかして蓮さんの余裕を取り払っているのは、私では……?


「れ、蓮さん、焦ったんですか?」

「そうだよ……、ごめんねえ。浮気なんか疑ったりして冷静じゃなかった。いつもなら、普通に考えて分かるはずだったのに、この匂いと同じ香り、確かにお風呂場の方から微かにするもんね……。俺発想が邪だからさあ、そうだよね、普通にシャンプー変えただけだ」


 くんくんと私の頭の匂いを嗅ぐ蓮さん。あれ? 何か、普段と違うような。


「あーかわいいなあ……、この香りも俺の為かあ。ふふ、俺晴ちゃんのこと大好きだから、他の女の子によそ見なんて絶対しないのにね。でも俺のこと取られないように頑張ってたんだ……」


「えっと、はい、頑張ろうと思って、今まで色々してて……」


 重いと、思われていない?大丈夫そう?蓮さんの様子を窺っていると、蓮さんは恍惚とした表情で笑う。


「ねえ、運動したいならさ、一緒に頑張ろうよ、朝とか一緒に走ったりしよ?それに、洋服とかお化粧、俺が選んでもいい?」

「え……」

「実は前から君に贈り物したくてお金貯めてたんだよね、あんまりプレゼント攻撃してると、重いって思われそうで……。でも君も俺に重いって思われたくなくて心配してたんだ、俺達一緒だね!」

「そう、ですね、一緒です……」


 一緒だと言われて安心してくる。そうか、蓮さんも私と同じように、自分の行動や発言の色々が重たくないか心配してたんだ。


「つり合わないなんて、絶対そんな事無いからね? もし誰かにそう言われたら、俺が文句言いに行ってあげる。晴ちゃんが俺の為に頑張ってくれるのはとっても嬉しいけど、晴ちゃんは自信もってね? 俺には君だけだから。一生、死んでも」


 蓮さんが、じっと私の目を見つめる。好きな人に、真っすぐ見つめられて、嬉しいなあと思いながら見つめ返すと、蓮さんは「あっ」と何かを思い出したような声をあげた。


「そうだ! もうこうやって、お互い不安にならないように、一緒に住もうよ! 不安になるのって、会える時間が少ないってのもあるだろうし……うん! そうしよう! 君のお父さんとお母さんの家に行って、一緒に住むって挨拶しに行こうね! 君のお父さんとお母さん、四日後時間空いてるはずだから!」


「え、あ、はい」


 あれ、何か、いつの間にか、一緒に住むことになってる……?


「明日許可貰って……、引っ越しは明後日かな……?住所変更の届け出とか、全部やってあげるから何にも心配しなくていいよ。ふふふふふ、実は前から書類自体は書いてたりしてたんだ。はは!」

「え、前からって……」

「大好きだよ晴ちゃん。一生傍にいてね」


 ぎゅっと蓮さんが私を抱きしめる力を強くする。


 何か、縛られてるみたいだ。でも蓮さんが私を見てくれるなら、まあ、いっか。


「私も傍にいるので、末永くよろしくお願いします」


 恥ずかしさと照れが相まって、目を逸らしながら言うと、蓮さんがまた顔を近づけて目を合わせてくる。


「ひえっ……かっこいいからやめてください、心臓がつぶれます」

「大丈夫、俺毎回晴ちゃんの可愛さに殺されてるから」


 一体何が大丈夫なのか。けれど蓮さんがあんまりにも幸せそうに笑うから、つられて笑った。








「っということで、晴ちゃんとめでたく同棲することになったから、よろしくー」


 今日も盛況に店を終えた個室で、腐れ縁の友人、世谷と帆坂と遠塚のグラスにワインを注ぎながら、俺は笑った。こちらは晴れ晴れとしている一方で、帆坂が「ふうん」と興味なさげに口を開いた。


「で、結局彼女の変化の理由は何だったの?」

「俺のこと大好きだからつり合うべく可愛くなろうと努力してたんだって。今でも閉じ込めなきゃいけないくらい可愛いのに、これ以上可愛くなってどうするんだろうなー!」


 晴ちゃんに真剣な顔で部屋に来てって誘われたとき、最初から同窓会は迎えに行く気だったこととか、晴ちゃんがスマホを落として大学の男が家まで届けるってなったとき、わざと晴ちゃんを俺のレストランに呼び出して、その間に俺が晴ちゃんの家で事後を匂わせ受け取ったことがバレのかな〜って不安だったけど、本当によかった。


「どうするんだろうねって、どうするつもり?」

「監禁」


 質問に答えると、遠塚が露骨に汚いものを見る目をこちらに向けた。俺は宥めるように頷く。


「はは、まぁそんな目で見るなよ。実習生のセンセー追って自分まで先生になっちゃった遠塚クンのことめちゃからかってたけどさぁ、好きになるって、自分がこんなんなるって知らなかったわ。ごめんって」

「遠塚が怒ってるの、彬成先生が怪我してた時お前が養護教諭とヤッてて保健室に入れなかったのと、その後にセンセー、本当の先生になる前に俺と遊ぼうって言われたことも含まれてるから多分ずっと続くよ」

「まじ?」


 帆坂の言ってることなんて学生時代のことだから、もう大体十年くらいにはなる。そこまで怒りが持続するか……?


「え、っつうか二番目の方は俺ぶん殴られたんだけど。めっちゃ暴れてセンセーにぶつかって鼻血出させてたじゃんお前」


 そう言うと、遠塚がぎり、とこちらを睨み付けた。奴はクールで何でもそつなくこなしてます、って顔をしてるけど結局のところ幼稚で陰湿だ。好きな女酒でつぶして既成事実から入った犯罪者くんでもある。


 俺はちゃんと順番から入った。知り合って、連絡先聞いて……と、一般常識として正しく彼女との距離を縮めたのだ。生年月日は晴ちゃんがお会計をする時、財布から少しだけ見える学生証を少しずつ盗み見て覚えたし、食事を待っている間操作するスマホのパスワードも晴ちゃん専用個室についている監視カメラで指の位置から特定した。


 トイレに行っている最中にスマホの中身を見て、アドレスと番号を把握。その時たまたま彼女は通販サイトにログインしたままで、そこから正確な住所の答え合わせが出来たからそこは順番が違うかもしれないけど、家を特定して表札までしっかり確認もした。


「それにしても、和泉が一人を愛する日が来るとはね」


 そんな俺に世谷が目を細めて言う。いつも穏やかだけど真意が汲み取りづらいから、いい意味で言っているのか悪い意味で言っているのかわからない。 


「帆坂の結婚はめでたいけどさぁ、俺やっぱわかんねぇわ。彼女と出来ることって別に誰とでも出来るし、結婚とかわざわざ自分から縛られてリスク犯そうとするなんて狂ってるだろ」


「一緒に住むとか絶対無理だな。家に女呼べねえし。しかも相手遠塚だろ? センセー外出れなくされそうじゃね?」


「束縛とか嫉妬とか年下の女うざくねぇの? 正気か世谷!? って、俺は言われたっけ……」


 …と三人がそれぞれに言われた過去の俺の言動を揶揄する。確かにその通りだ。俺は、晴ちゃんに出会うまで、人と恋愛しようなんて思ったことが無かった。


 中学時代は顔と体が気に入れば誰とでも寝た。彼女も出来たけど浮気めっちゃするし結局入れ食い状態で、面倒になった俺は相手を絞ることにした。そこで得た結論は、年上の女が最高ってこと。


 だから高校時代は、年上の、会社で役職持ちの上昇志向の強い女とか、開業医とか社長の秘書してます! なんて適度に遊ぶことをよく分かってる、俺の事息抜きみたいに扱う女七人くらいにルーティンで遊んでもらっていた。


 結婚して一年とか二年経ってる女は特にお手頃だ。あっちはバレたら慰謝料とかで困るし別れて高校生と結婚する! なんて発想には中々ならないから楽だし、俺も気持ちいいこととか絶対束縛されない前提で甘えさせるのは好きだから、


 ごく稀にこういう話をすると、たまーに純粋っぽい女の子が、過去を詮索してきたりしたけど、本当に過去に何かあった訳じゃない。両親の仲は良いし、姉二人も性的にはきちんとしてる。ガサツだけど。


 要するに過去の俺は本当に生粋の人間の屑だった。それが、晴ちゃんと出会って変わったのだ。


 俺が変わったきっかけ……晴ちゃんとの出会いは、二年前。彼女が高校三年生で卒業を控えた三月の頃だった。イタリアから日本に帰った俺は店を出す土地を見に街を歩いていて、俺の前方不注意が原因で彼女とぶつかってしまったのだ。


 ぶつかってしまったと言っても体格差もあって、ほとんど俺が晴ちゃんを突き飛ばしてしまった形だ。彼女の落とした入学書類を拾い謝りながら手渡すと、「あ、ぜ、全然気にしないでください。も、もう合格したので」と全力で嬉しそうにしていた。


 本当に屈託のない瞳で、このまま別れるのが嫌で名前を尋ねると、「怪我なんてしてないので大丈夫ですっ」と笑って走り去っていった。


 いつもなら絶対相手にしない女の子。顔も体も普通だけど、その分束縛も普通にありそうで浮気すれば怒るからランクE。


なのにそんな彼女が可愛く見えて仕方なくて、また会いたくて絶対一緒にいたくて、っていうか結婚したくなった。


 入学書類に書かれていた大学のすぐ近くに店を構えることに決め、遊んでいる女の子たちを全員切って、身持ちを綺麗にして、晴ちゃんと再会して口説き落とそうと決めたのは、晴ちゃんと出会ってまだ一時間以内の出来事だ。


 けれどそれからは長い氷河期のような日々が続いた。晴ちゃんと全然会えなかったのだ。


 店を構えさえすれば入って来てくれるとばかり思っていたけれど、全然入ってくれる気配がない。そもそも晴ちゃんを見かけない。


 当時名前を知らなかった俺は晴ちゃんの入ってる大学しか知らなくて、後のことは何も分からなかった。だから晴ちゃんのことは全く調べられず、さらに目立つ子でもなかったからもう何もかもが駄目。


 大学の前を四六時中張り付いていられれば良かったけれど仕事があるから出来ないし。


 晴ちゃんにお店に来てもらう為店のメニューの価格を大幅に下げてしまおうか悩んだこともあった。だけど利益が出ないし安過ぎると行列が出来てしまう。どうしたものかと考えていると、仕入れの最中、晴ちゃんと、晴ちゃんのお父さんとお母さんらしき人を見かけた。


 どうやら街を案内している様子の晴ちゃん。さり気なく近づいて盗み聞きした会話から察するに、晴ちゃんは両親と一緒に暮らさず一人暮らしをしていると分かった。


「はる」


 そう言って名前を呼んでいたから、はるちゃんかはるかちゃんかはるこちゃんかはるせちゃんはるなちゃんかはるみちゃんかはるのちゃんかはるねちゃん辺りかな……と想像しながら、後々のことを考えて両親の方を尾行した。


 本能に従うなら晴ちゃんを追いかける。でも俺は晴ちゃんが家に入ろうとした矢先、玄関を開いた瞬間押し入るみたいな強盗がしたいんじゃなくて、幸せにしたい。


 だから晴ちゃんの両親を尾行した。駅の券売機で晴ちゃんのお父さんは乗り換えがわからなくなってしまったのだ。二人ともスマホではなくガラケーで、ネットに疎かった。神様が俺に味方した瞬間だった。


 俺は好青年を装い丁寧に、親切に接してご両親と別れ……たふりをして、乗り換え情報を難なくゲットした俺は尾行を続け晴ちゃんの実家を特定した。


 それから新メニューの研究の為……と称して周りが畑に囲まれている実家に近づき、偶然を装い再会して、俺は「飲食店をやっていてここら辺の農家さんの野菜について調べてるんです」なんて言って、晴ちゃんの正確な名前を手に入れた。


 晴ちゃんのお母さんもお父さんも、流石あんなに晴ちゃんを可愛く育てただけのことはある。


 とても純粋で俺を簡単にリビングに招き入れ、棚に飾られている家族写真を指して「娘さんですか?」と尋ねると、簡単に「晴っていうの、一人娘なのよ、今は大学生で、隣の県に住んでるんだけどね」と晴ちゃんの情報をぼろぼろ話してくれた。


 本当に晴ちゃんのお父さんなんて全然危機管理がなっていなくて、「俺の知り合いこの近くの出身で」と言うと晴ちゃんの出身小学校から中学校まで自ら勝手に話をしてくれた。「え、最近の若い子ってどういうもの食べるんですか?」と言うと「君も若いじゃないか」なんて言ってまた話す。


 おかげで晴ちゃんはお母さんの手料理が大好きということや、肉より魚を好み、酸っぱいものが得意じゃないなど味覚の情報まで知ることができた。


 そして、ご両親とはそれはそれは仲良くなったけど、肝心の晴ちゃんが店には来ない日々が続いた。でもとうとう今年、大きなチャンスが訪れたのだ。


 忘れもしない三月の快晴の日。大安吉日。出会って大体一年後。晴ちゃんが店の前に立ったのだ。不審な感じを出さないように店に招き入れ、今までずっと開け続けていた専用の個室に案内して、ずっと作ってあげたかった料理を作っておもてなしをした。


 メニュー表だって彼女専用のもの。このお店は安くていいお店だと認識させるもの。絶対この店の虜にさせる自信があった。


 だから店が終わった後に見た、晴ちゃんが俺の料理を食べ喜び美味しそうに笑う表情は最高に興奮した。今まで見たどんなにいやらしい女の姿より、晴ちゃんが服を着て緊張しながらフォークやナイフをたどたどしく使っている姿が美しくて淫らだった。もっと見たいと思った。絶対他の人間に見せたくないと思った。


 思惑通り晴ちゃんは俺の店の常連になった。彼女が店に来るたびに、カメラから情報は取得されていく。個人情報も手に入る。HDDのデータも増える。


 最高の毎日だった。晴ちゃんがトイレに行った隙に、スマホに盗聴器をつけ情報を筒抜けにしてあげた。


 彼女が徹夜をする情報を聞きつければすかさず軽食を持たせてあげたり、体調や気候に合わせたメニューを出す。本当に幸せで、晴ちゃんが大学のレポートを置いて帰ってしまった時は筆跡を模倣して婚姻届けを出してしまおうかと三日悩んだ。


 そんな幸せの日々があっけなく終わった。夏に晴ちゃんが合コンに参加したのだ。それも俺の店で。


 盗聴器で聞いてた会話では直接的な合コンという言葉は無かったけれど、「交流会」なんて、合コンをオブラートに包み下心がなさそうに言い換えただけだ。


 交流会の実体は合コン。お持ち帰りしたりされたりするもの。そんな不埒でいやらしい会に晴ちゃんは二つ返事で行く返事をして嬉々として俺の店にやってきたのだ。


 男六人を前に晴ちゃんの顔は一瞬凍り付いていたから、騙されてるのかとも思ったけど好みじゃ無かった可能性もある。


 俺は居ても立っても居られなくなり晴ちゃんがトイレに向かうと、個室に入る前に捕まえてすぐに問い詰めた。


 返答次第では監禁も辞さない意思だった。


 本当はもっとロマンチックな場所で告白とかしたかったけれどもう仕方がない。俺でいいという返事なら軟禁に、駄目そうなら監禁でいく。決意しながらありったけの想いをぶつけると、晴ちゃんはきょとんとした顔をしていた。頭から食べてやりたいとすら思う可愛い顔。でもちょっとだけ憎らしくて問い詰め続けると、


「合コンじゃなくて食事会だと思った」

「夜に来れないからチャンスだと思った」


 などと話をした。確かに晴ちゃんは夜に来ない。来ない理由について問い詰めると彼女は答えない。


 隠し事をするということはやましいことがあるのだろうと責め立てると、「ストーカーに間違えられたくないんですっ、好きだから!」と晴ちゃんは怒鳴った。いつもあわあわしている彼女に怒鳴られた。


 新たな晴ちゃんの表情にゾクゾクする反面、脳が彼女の発した言葉を処理した。


 晴ちゃんが俺の事を好き。それから「だから言いたくなかった」「お店いっぱい来たら迷惑になるから」と半泣きの様な状態で怒られた。正直誘われてるとしか思えなかった。

 完全に今夜婚姻届けに記入して深夜空いてる市役所に届けに行く誘いにしか聞こえなかった。


 副音声で、「監禁して!」と言ってるように聞こえた。


 服脱いで迫られてるのと同じように感じた。


 でも俺にはしっかり常識がある。交際、恋人期間をすっとばして結婚は良くないとその日は仕方なく、本当に仕方なく家に帰してあげて次の日ご両親に挨拶がしたいと晴ちゃんにお願いした。


 ずっとじわじわ埋めていた外堀の外に溶岩を流し込んで絶対に逃げられないようにする為だ。


 結果俺と晴ちゃんはお互いの両親公認と言う、極めて健全で幸せが確定された素晴らしいカップルとなった。


 俺の両親は学生時代の俺の廃れた性生活を知っていたし、酒を飲むたび晴ちゃんの存在を愚痴っていたからとても喜んでいた。最悪家のこと道連れにしてでも晴ちゃんを手に入れる、手段は選ばないと匂わしていたから平和的に解決できそうなのを喜んでいたのだと思う。笑える。


 そして俺と晴ちゃんと付き合い始めた。


 晴ちゃんとのお付き合いは一か月で手を繋いで、二か月で抱きしめ、三か月目に突入しそろそろキスの段階というところだった。とんでもなくプラトニックな関係だと思う。今までの俺からしたら、本当にあり得ない付き合い方だ。やっぱり運命ってすごい、晴ちゃんってすごい。勿論我慢はしてたし、なんなら出会ってから1秒くらいで無理やり既成事実を……と思っていたくらいだけど、俺の心は彼女を怖がらせたくないという優しい気持ちで占められていた。母性だと思う。


 初めてのキスはどこでしよう。最高級ホテルの最上階? 結婚式場? オーロラが見える山? イルミネーションの素敵なバー? 観覧車? 色々考え晴ちゃんを見ていた頃だ。


 晴ちゃんがおかしくなったのは。


 晴ちゃんが高校の同窓会に行ってからどことなくぼんやりすることが多くなり、服屋で選んで手に取る服が露出のあるものに変わった。


 元々晴ちゃんは俺と付き合い始めてメイクや服装に気を遣うようになった。別に俺的には落ち着いた晴ちゃん、地味めの晴ちゃんも大好きだし最高に愛してるし大興奮だ。


 でも色づいたグロスとにらめっこしたり、服装の色合いが紺黒灰色から徐々に他の落ち着いた色も加わったりが、全部俺のため。


 可愛くて可愛くて可愛くて閉じ込めてどうにかしてやりたい気持ちでいっぱいだったけど耐えていた。


 そんな晴ちゃんは運動が苦手だ。ナイトプールに誘ったら断られ、恥ずかしいのかと思ってオーナーと知り合いだから貸し切りだよと誘えば、「実は……泳げないんです……体育全部だめで……」と切腹寸前の顔で言っていたくらいだ。だから来年の夏は手取り足取り腰とり泳ぎとその他について…その他の比重多めで教える気だった。


 そのジムは女のインストラクターはいなくて男しかいないジムだった。駅に近くて安く学割が効くからという理由で選んだ可能性もあるけど、晴ちゃんの浮気相手がいるかもしれないと思えば『客に手を出すふしだらなインストラクターがいる』『妻を奪われた』『女子大生に手を出している』という張り紙を店の前に張り、レビューに最低評価をつけて複数のアカウントで荒らしてやりたくなった。


 でももしかしたら全部俺の勘違いで、晴ちゃんは俺の為にただ健全な運動をしているだけかもしれない。でもダイエットが必要になるほど太ってはいないどころか痩せ気味な晴ちゃんを見ていると、「大嘘つき!」と捕まえて閉じ込めて監禁してぐずぐずにしたくなる。


 だから最終確認をすべく晴ちゃんとのおうちデートに臨むと、彼女のベッドの下から下着を見つけたのだ。彼女はフロントホックタイプは好まないのにフロントホック、総レース、しかもセットアップはソングのタイプだ。


 こういう下着を晴ちゃんに着せて喜ぶ男がいる。


 そう思うと今すぐその男を殺さなきゃいけないと思った。きっと晴ちゃんは誑かされただけだから。彼女は優しいから浮気なんかしない。むりやり脅されてるのかもしれない。変な写真とか撮られてるかもしれない。


 だって俺ならそうする。彼女が手に入らないって分かったら、絶対そうやって繋ぎ止めようとする。同じことを絶対にする。


 だから絶対そうだと晴ちゃんに詰め寄ると、晴ちゃんは口を割らない。話せないなら身体に聞いてやろうと思った。


 結局、俺の勘違いだったけど。


 晴ちゃんは、結局俺の為にまた頑張ってくれていたらしい。かわいい。かわいいかわいいかわいい。


 同窓会以降くだらない秋波向けてくるゴミに俺が取られないかって。


 俺にとって女の子は、ううん、人間は晴ちゃんだけなのに。


 可愛い。可愛すぎる。何だろう。何であんなに可愛いんだろう晴ちゃん。絶対なんか悪いことしてないとあの可愛さでないよ。めちゃくちゃ可愛い。業が深いよ晴ちゃん。だから俺みたいなクズに捕まっちゃう。可愛い。


 晴ちゃんは俺が取られないように一生懸命色々試行錯誤していたらしい。言葉の端から、俺のせいみたいに言ってくる晴ちゃんは可愛くて、やっぱり両想いでも監禁したくなった。


 もう早く、晴ちゃんを和泉晴ちゃんにしたい。「いずみはる」もう名前の響きだけで可愛い。晴ちゃんの苗字俺の苗字で塗りつぶして、社会的に俺のものにしたい。でも、一生懸命我慢して同棲に落ち着いた。そして、浮気問い詰め事件の後、予告通り晴ちゃんの実家に行って同棲の許可を貰った当日に荷物を全部俺の家に持ってきた。


 といっても家具までは運べなかった。晴ちゃんは学校があるし俺も仕事がある。家具の類の移動は次の週末に持ち越しとなった。


 けれどもう晴ちゃんは俺の家で快適な生活を開始している。そう、快適な、だ。晴ちゃんの普段使っている日用品はあらかじめ調べてストックしてある。


 正直に言えば荷物なんて持ってこなくても普通に何不自由なく同棲できた。


 でもあんまり気を遣わせちゃうのも良くないと思って持ってきてもらうことにはした。


 そんな夢の様な同棲生活が開始して二日目。本当ならさっさと家に帰って晴ちゃんを見て晴ちゃんの声を聞いて、晴ちゃんの吐いた二酸化炭素をかき集めて吸いたいけれど、ちょっとしたごみ処理相談の為に級友たちを呼び出した。


 それに、晴ちゃんが浮気しているかもしれないと思い、監禁しようといくつか準備の協力を要請していたから監禁せずに済んだ報告も込みで。



「これで朝昼晩も食事作れるし、俺の完全料理も目前だなぁ」


 そう言うと遠塚がまたつっかかってきた。


「なんだそれ」

「和泉のライバルは仮想浮気男だけじゃないから。女の子の母親もそうなんだよ」

「は?」

「母乳で育てたいけど、男でも母乳出せるようになる薬ないかって俺に聞いてたよね、和泉」

「おー」


 晴ちゃんは大体二十二年間くらい、お母さんの……他人の食事を作って食べてきた。外食する日はあっただろうけど、まあとにかく二十二年。でも俺はそれが気に入らない。


 全部全部俺で上書きしてあげたい。


 だから晴ちゃんが食べてきた総食事量の重量を計算で出して、それを越すのを目指している。お父さんが作ったことも当然あるし出前とったもあるだろうけど、晴ちゃんの母親が俺の一番勝たなければいけない相手だ。


 晴ちゃんを母乳で育てた罪は大きい。


 晴ちゃんはあんまりに可愛くて俺の運命だから、本当は俺が産むはずだったのにあの人が泥棒したんじゃないかと思う時もある。絶対にそうだ。それに会うとアルバムを見せてくれるけど、「はる、にんじん食べられて偉いね」などの写真は完全にマウントの材料としか思えない。


「気持ちわる……死ね……」


 遠塚が俺を信じられないものを見る目で見てきた。センセーに告白できず失敗してもちまちま勉強して教師になったやつに言われたくない。


「でも、相手のご両親はその子を産んでくれたわけでしょ?」

「俺が産むはずだった」


 世谷の言葉に反論すると、遠塚が即座に「無理だよ死ねよお前絶対先生に近づくなよ」と睨んでくる。本当に遠塚はセンセーが好きだ。俺も晴ちゃんのこと大好きだけど。


「そういえば頼まれてた資料、どうする? 用意はしてきたけど」

「もらっておきたい。晴ちゃんの害になればすぐ消すから」


 俺は世谷から冊子を受け取り中身を読み込んだ。やっぱり世谷は仕事が速い。あの馴れ馴れしい女の情報がまとめられ、口外されればまずい情報がリストアップされていた。


「もっと早いうちに消しておけばいいものを、何で残してたの?」

「うん、一応友達って言うし、晴ちゃんが確定的なこと言わないから様子見してたんだけど、やっぱり邪魔だなあって」


 帆坂が呆れた口調で尋ねた言葉に答えると今度は遠塚がワインを飲みながら疑問を投げかけてくる。


「嫉妬させればいいのに」

「それは無いな。嫉妬してもらいたい気持ちはあるけどやっぱり晴ちゃんいい気持ちはしないだろうし、幸せは与えたいけど嫌な想いはさせたくないし」


 晴ちゃんとは駆け引きとかそういうのはしたくない。普通にどろっどろに甘やかして、俺に依存させて俺なしなら死んでしまうようにさせたい。でもその中で狂うように俺を求めるんじゃなくて普通に幸せに笑っていてほしい。


 まさか、こんなふうに一人を愛して、縛って、温かい気持ちになるとは思わなかった。

 晴ちゃんならどれだけ縛って俺を束縛しても構わない。晴ちゃんが離れたり俺を嫌う以外なら、何をされてもいい。思い余って刺されてもいい。一人にして誰にとられるか分からないから俺も晴ちゃんのこと刺しちゃうけど。


「あー晴ちゃんに会いたい……。晴ちゃんがご飯食べてるとこ見たい」


 ぼそっと呟いた言葉は予想以上に個室に響く。級友三人は俺を呆れたように見ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

恋は人を変える 稲井田そう @inaidasou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ